日常でも仕事でも感謝の言葉を言われる機会は多いと思います。
感謝の言葉って言っても、挨拶程度に言われるものから、心のそこからうれしく思って伝えられるものまで、様々なレベルがあったりもしますが、いづれにしろ「ありがとう」とか「助かったよ」とか自分のしたことに何かしらの感謝の気持ちを含めた言葉をもらうのはうれしいものです。
何気ない言葉の持つ魔力
感謝の言葉だけに限りませんが、相手を気遣うちょっとした言葉というのは、受け取った相手にとって大きく響くことがあります。
仕事が忙しくて、いっぱいいっぱいになってるときに「大丈夫か?」と言葉をかけてもらうだけでも、精神的に苦痛が和らいだり、励ましになったりするものです。
それは、ある瞬間に自分のことを気にかけてくれている、というその気持ちが伝わってくるからだと感じます。
例え、「あの子、大丈夫かな?」と心の中で思っていても、それを相手に言わなければ何も伝わりません。
相手の心を読むすべは無いわけですから、何も伝えられない状況では自分自身のしていることは何も周囲に役立っていないのだろうか、と孤独を感じることにもなってしまいます。
感謝の気持ちを伝えたとしても、お店で告げられる「まいどあり」とか「ありがとう」って言葉は、教科書どおりに言いました的に、ただ単に決まりきったルーチンの中で言われているような感じもうけます。
ただ、その言葉に心がこもっていないとしても、少なくともその言葉は自分に向けられて発せられたわけで、自分が店を立ち去ろうとしたから告げたとか、自分からお金を受け取ったから告げたとか、自分の行動や存在を意識して告げられています。
なので、その言葉というのは、例え心がこもっていなくとも、相手の存在の意識を示していることに対して、受け手としても意味のあることなんじゃないかなと思います。
あぁ、自分は相手に認識されたんだな、存在が認められたんだな、と。
そういう何気ない言葉と言うのでも、言葉以上に意味のあることなんだな、と感じます。
感謝の言葉に含まれるプレッシャー
先に書いた、言葉を告げる・告げられる以上の意味と言うものを、嫌う人もいます。
引っ込み思案で、前に出たがらず、何か相手と対話することに遠慮しがちな人とか。
自分のしたことは、認められたいものの、あまり目立ちたくないと言う想いからか、感謝されることに照れくささを覚えてか、素直に受け取ろうとしてくれません。
なんか、そういう人は、そういう言葉を告げると同時に生まれる、自分への存在の意識を嫌っているような感じがします。
ただ、感謝の言葉を嫌うのは、感謝の言葉に含まれる重さから逃げている部分もあるのかなと。
言葉と言うのは、受け手の意識が大きかったりもするのですが、ある程度「本気で感謝された」かどうかっていうのはわかったりもします。
その言葉を受けると、次へのパワーにもなりますし、自分への評価として受け取れます。
感謝の言葉が、自分を意識していわれているということは、自分の存在ややったことへの価値が認められていることでもあります。
調子に乗るっていうのも、そんな自分への存在意識が、周りから認知されていることを、変に強く受け取ってしまうことにあるのかなと思ったり。
一方でそれは同時に、プレッシャーにもなったりします。
自分は、そんなたいしたことをしていないという謙虚すぎる想いがあったり、それをやったことで次も期待されることが負担に感じたりもするのでしょう。
ただ、感謝の言葉って素直に受け取ることが、次のステップに進める要素にもなりえるはずだと感じます。
やってよかったという気持ちが、次も期待にこたえようという気持ちに変わって力になります。
感謝を素直に受け取れないのは、そういう期待から逃れたいと言う想いもあるんじゃないかな、と。
自分としては、感謝の言葉は素直に受け取るべきだよ、と思います。
それがより多くの感謝をもらうことの糧へとなりますし、感謝を受けることで大きくなる、自分の存在を自分でどう捉えるかは人それぞれですが、少なくとも多くの人から感謝をもらえる状況と言うのは、悪い状況ではないはずです。
