高橋いさをの徒然草 -4ページ目

本日初日

本日はISAWO BOOKSTORE公演「好男子の行方」の初日である。以下は、当日パンフレットに書いた文章である。

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未解決事件の誘惑~ご挨拶に代えて

今年の3月にサンモールスタジオで上演した「私に会いに来て」(映画「殺人の追憶」の原作)は、韓国で実際に起こった未解決の連続殺人事件を題材にした芝居だった。続いて上演する本作「好男子の行方」は、日本最大の未解決事件の一つである「三億円強奪事件」を題材にしている。そういう意味では、今年のわたしは未解決事件づいている。
世にある未解決事件の大きな魅力は、それが「未解決である」という点に尽きる。それゆえに、事件の真相に関して様々な仮説を打ち立てることが可能であり、わたしたちの想像力を刺激するからだ。
本作は、「ISAWO BOOKSTORE」の第一回公演である。これは、わたしが中心となって活動する演劇ユニットの名称で、今後、公演の度にいろんな役者さんに声をかけて自作を上演していく予定である。様々な物語を提供する「いさをの本屋」という意味合いで命名した。新しく荻窪にオープンした「オメガ東京」さんには今後もお世話になる予定である。劇場ともども、ご贔屓にしてくださることを。

本日はご来場、ありがとうございます。最後までごゆっくりとご覧ください。1968年12月に起こった「三億円強奪事件」から今年はちょうど50年目に当たる。

高橋いさを
劇作家・演出家。
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"オメガ東京"オープニング・フェスティバル
参加作品。
ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを

【日時】
2018年12月12日(水)~18日(火)

【場所】
オメガ東京(JR荻窪駅より徒歩7分)

【チケット状況】
   12日(水)19時 × 完売しました。
   13日(木)19時○
   14日(金)19時◎
   15日(土)13時△   18時△
   16日(日)13時△   18時◎
   17日(月)19時○
   18日(火)19時△

【料金】
¥4,000(前売・当日共、全席自由)

※各回開演の1時間前より整理券を発行。
ご入場は告知の通りの30分前で、整理券
番号順にお入り頂きます。早めにお越し頂いたお客様は、1階の「カタコトキッチン」のご利用をお勧め致します。

ご来場を心よりお待ち申し上げます。


※地図です。荻窪駅西口(西荻窪駅よりの階上の改札)、あるいは、南口を出て右へ。線路沿いを西荻窪方面へ進む。環八(大きな通り)を越して直進。右手に墓地を見てさらに直進。左手にローソンが見えたら直進せずにJR線の高架をくぐる。ちょっと行くと左手に劇場があります。

【ご予約】
以下のURLよりチケットを承ります。

配役と結婚

先日、「好男子の行方」の出演者との飲み会で、配役についての話になった。こういう話は、しばしば飲み会の話題になる。それも当然で、わたしがもしも俳優ならば、自分がなぜキャスティングされたのか、その理由には強い興味を持つにちがいないからである。

「わたしをなぜ配役したんですか?」

とある役者さんがわたしにそのように尋ねた。こういう場合、「あなたが最高に魅力的だからだよ!」と言ってやるのがキャスティングをする側の思いやりだと思いながら、わたしは馬鹿正直に「最初に頼んだ人に断られたからだよ」と言ってしまった。まったくひどいことを言ってしまったと後から後悔したが、プロデュース公演において、一番に希望する役者さん=一番手の役者さんに役を引き受けてもらうことなど、滅多にあることではない。大概が二番手、三番手の役者さんに落ち着くのが普通であると思う。

しかし、現実がそうであっても、それでもすぐれた舞台を作れないわけではない。そもそも、一番結婚したい女と結婚できる男はこの世にいないと言っていいのではないか?    いや、もちろん「俺の嫁は俺が一番結婚したかった女だ!」と主張する旦那さんは多いと思うが、上を見たらきりがない。魅力的な美女はこの世にごまんといるからである。そういう意味では、皆、自分の背丈に合った身近な人と結婚するのである。配役もそういうことだとわたしは思う。その人はもしかしたらわたしにとって二番手の役者さんだったかもしれないが、問題はその役者さんと作る舞台(結婚生活)の質であるはずである。

翻って、「わたしをなぜ配役したんですか?」という質問は、「わたしとなぜ結婚したんですか?」という質問と同様のものである。そういう意味では、妻となった人に「好きだった女にフラれたからだよ」と口が裂けても言ってはならないように、俳優にも「最初に頼んだ人に断られたからだよ」とは言ってはならない。やはり、「あなたが最高に魅力的だからだよ!」と言うべきである。冗談っぽく言ったつもりだが、もしもわたしの上記の発言にその役者さんが傷ついたのなら、どうかわたしを許してほしい。陳謝。

※結婚式。(「ホテルモナーク鳥取」より)

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ISAWO BOOKSTOREvol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

タイム・トラベル

芝居以外の話題を書きたいと思いながらも、連日、芝居の稽古をしているので、なかなか他の話題に目が向かない。必ずしも今に始まったことではないが、その作品に没頭する日々が続くと、世間の関心と自分の心の関心が真っ二つに分断される。だから、わたしは毎日ちょっとしたタイム・トラベルをしている気分である。行き先は、芝居の内容によって違うが、わたしが最近タイム・トラベルしているのは、1968年12月の東京国分寺にある銀行である。

短い時間のタイム・トラベルだからいいようなものの、芝居への没入時間が多くなり、現実の時間と逆転し、ついには芝居に飲み込まれたとすると、たぶんわたしの精神はまずいことになる。どちらが本当の時間かわからなくなるからである。かつて一度もそんな状態に陥ったことはないが、理屈としてはそういうことである。それは「現在に戻れなくなったタイム・トラベル」という比喩で語れると思う。わたしがこうして正気を保っていられるのは、虚構と現実をキチンと区別して、タイム・トラベルから現実へ戻ってきているからである。

しかし、タイム・トラベルとはよく言ったもので、芝居や映画を見るという行為は、ちょっとしたタイム・トラベル行為に他ならない。わたしたちは、観劇を通して小さな旅をしているとも言えるのだから。

マスター「しかし、未知なる世界は何も見知らぬ場所や外国だけにあるものではありません。人間は、みな自分の人生しか生きません。しかし、『他人の人生』というのも実に不思議な未知なる世界です」

これは拙作「交換王子」(論創社)の中の一節だが、要するに観劇行為とは、代理旅行の機能を持っているのである。間もなく幕を上げる「好男子の行方」の舞台は、1968年の12月である。アナタもその日に、タイム・トラベルしてみませんか?  関東信託銀行国分寺支店の銀行員ともども、ご来場を心よりお待ちしています。

本日は三億円事件から数えてちょうど50年目の朝である。1968年12月10日、その日は雷まじりの雨。

※稽古場の演出席。

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ISAWO BOOKSTOREvol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

償い

昨年、東名高速道路で無茶な煽り運転によって家族連れの車を停車させ、そのために後続のトラックが激突して家族連れを死傷させ「危険運転致死傷罪」で起訴された男の裁判員裁判で、「どのように遺族に償いをしていくつもりか?」と問われた男が「わからんです」と答えたという記事をネットで読んだ。

この事故は、パーキングエリアにおいて駐車をめぐる些細なトラブルから被告人の男が家族連れに激昂、高速道路上で被害者のワゴン車を煽り運転をして停車させ、難癖をつけている最中に後続のトラックが被害車両に激突して、ワゴン車に乗っていた父・母・長女・次女四人の家族のうち、父と母を死亡させたものである。状況から判断すると、加害者の男が取った短絡的で愚かな行動が、まったく落ち度がない家族を一瞬にして死傷させた何ともやりきれない事故である。

加害者の男は、普段から「キレやすい」性格を持っていたらしく、似たようなことはが過去にも何度かあったらしい。まあ、男も、まさか自分の行動が死亡事故を起こすとは想像できなかったのだとは思うが、結果の重大さから判断すれば、最大限の刑罰に値するとわたしは思う。彼は自分の一時の自分勝手な憤怒の感情から一つの家族を崩壊させたのだから。

遺されたのは高校1年の長女と小学6年の次女であるという。償いについて「わからんです」と答えた被告人の男がこの二人にできる償いとは何だろう?   交通刑務所に服役している間、刑務作業によって得た報酬のすべてを、出所後は、就いた仕事により得た報酬のほとんどすべてを二人の遺児たちの教育費・生活費に費やすということであろうか。つまるところ、わたしにはそのくらいのことしか思い浮かばない。毎月、亡くなったご夫妻の墓に出向き、謝罪を続けることも一つの償いではあると思うが、それでは遺族たちは納得しないにちがいない。加害者の男は、遺族に対して最大限の償いをする義務があると思うが、それでも「わからんです」と答えた男の気持ちもわからなくはない。結論を言えば、彼の罪はどんなに努力しても、決して償えないからである。本当の償いとは何なのだろう?

※東名高速道路。(「川崎市宮前区」より)

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

歌い手募集!

「合唱が六人、体調を崩して本日、出られなくなりました。第九を歌ったことがある人、今日、16時に来れる人、特に男声、あ、女声もです。助けてください!」

ちょっと前の話だが、フェイスブックでこんな記事を目にした。合唱のグループが急遽、必要になった歌い手を探しているわけである。わたしはこの募集記事を読んで、何か素敵だなと思った。それは、技術を持ったミュージシャンは、それがどんなグループであれ、すぐさまに仲間になり、観客を楽しませることができるのだなと思ったからである。そして、音楽は人種や国を超えるのだなあと改めて思った。

これが「出演者、募集!」という記事だったらどうだろう?    たぶんわたしは上記のような素敵さを感じなかったにちがいない。俳優も音楽家もグループで一つのものを作ることに変わりはないが、やはり、ちょっとニュアンスが違うと思うからである。

「役者が六人、体調を崩して本日、出られなくなりました。『ハムレット』を演じたことがある人、今日16時に来れる人、特に男優、あ、女優もです。助けてください!」

例えば、このような俳優を募集する記事があったとしても、「それは無理だろ」と思うだけである。音楽家は、その場でパッと対応できることが、俳優はそのようにいかないのである。両者は似て非なるものなのだ。「第九」を歌ったことがある人は、「第九」を通してすぐに仲間になれるという柔軟性が音楽家の素敵な点であると思う。それは必ずしも合唱団だけでなく、バンドや楽団も同じだろう。

フェイスブックで歌い手を募集した「第九」を歌う合唱団はピンチを乗り切り、コンサートを開催することができたのだろうか?

※合唱団。(「phote libraly」より)

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

未練と後悔

人間なら誰しも未練や後悔といった感情を抱く時があるように思うが、若い時分より、年齢を重ねた時分の方がその感情は強くなるように思う。考えてみれば当たり前のことで、未練や後悔という感情は、その人がある程度の人生を生きていないと生まれようがない感情であるからである。小学生の児童がそういう感情を抱くことは余りないように思う。いや、抱くことはあるかもしれないが、それは、オモチャを壊したとか、友達と喧嘩したとか、極めて小さな体験に基づいたものであろう。未練や後悔という感情は、取り返しがつかない重大な出来事に遭遇し、努力はするが、その事態が決して元の通りに回復しない現実に直面した時に抱くものだろう。そういう意味では、やはりこれらの感情は、大人の感情であると思う。

わたしは常々、演技における「役作り」という作業が真に理解できるには30年くらいの人生が必要なのではないかと思っているが、この文脈で考えると、それは理に敵っているのではないか。つまり、実人生におけるそういう負の感情体験がないと、なかなか「役作り」という作業をイメージしにくいのではないかと思うからである。30年という時間は、わたしが恣意的に選んだ年数であって、間違っているかもしれないが、感覚的に言えば、30年くらい生きると、普通の人間は「人生の吸いも甘いも噛み分ける」下地ができていると考えるからである。別の言い方をすれば、「人生にはいいこともあるが悪いこともある」ことをキチンと認識できる年齢。

ところで、この間、稽古場に見学に来ていた若者から「いさをさんはハッピーエンドの芝居しか書かないと思ってました」と言われてちょっとハッとした。確かにその通りである。若い頃のわたしは意地になってハッピーエンドの芝居を作っていたと思う。それだけ人生に対して「熱かった」のかもしれない。30歳も遠い昔、今のわたしは押しも押されぬ中年男だが、今のわたしが共感する感情が未練や後悔であり、それは必然的にわたしが作る舞台の上に漂っているはずである。

※電車の中で。

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

億三ちゃん

何度か舞台をご一緒したことがある音響家のMさんに「好男子の行方」の公演の案内をメールで送ったら返信が来た。以下のような文面である。

「三億円強奪事件。失礼ながらとても大好きな案件です。何しろ私が産まれた日なのです(年配の親族からは億三(okuzo-)ちゃんと呼ばれております)今でもTVなどで特集があると録画しております。とても拝見したいのですが現場が立て込んでおりまして残念です」

こんな文章を読み、わたしは「億三ちゃん」と呼ばれて育ったMさんの人生に思いを馳せた。当然、Mさんが生まれた当時、事件のことはまったく理解できなかったと思う。それからしばらくして、言葉をしゃべれるようになった頃だろうか、Mさんはご両親から告げられる。

「お前が生まれた日に有名な三億円事件が起こったんだよ」

その事実を告げらたMさんはまだ事件に強い関心は向けなかったにちがいない。しかし、年配の親族(祖父や祖母か)から「億三ちゃん」と呼ばれ続けるに至り、Mさんは事件の全容を知ろうと情報を集める。そして、この事件の全容を知った「億三ちゃん」は、この前代未聞の現金強奪事件と自分の人生の奇妙な交錯を感慨深く思う。事件発生時にこの世に生を受けたという偶然がなければ、Mさんにとって「三億円強奪事件」はさしたる印象が残らないたくさんの犯罪事件の一つだったのかもしれない。

わたしがMさんのメールが印象的だったのは、そのように世間を騒がせた重大事件が起こった日にこの世に生を受ける人もいるのだという事実を知ったからである。まったく無関係ではあるが、自分が生を受けた日の事件というものは、その人間の精神に微妙な影を落とすにちかいない。Mさんの誕生日は事件の発生日なのである。「三億円事件」では直接的に人間は死んでいないが、これが何人も人が死んだような事件や事故なら、「生まれ変わり」というようなイメージも持つかもしれない。

それにしても、生まれてきた孫に「三億ちゃん」ではなく「億三ちゃん」と名付けた年配の親族たちにちょっとセンスを感じる。

※誕生ケーキ。(「とみや」より)

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

忘れられない日

人間には忘れられない日というものがある。もちろん、それは人によって違うだろうが、いいことがあったにせよ、悪いことがあったにせよ、今まで生きてきて、決して忘れられない日というものがあると思う。日本人にとって、忘れられない日とは、やはり戦争に関係する日時だと思う。これらは個人の体験を超えて日本国民の体験だからである。

●1941年12月8日
日本軍による真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発。
●1945年8月15日
終戦。天皇による玉音放送。日本は連合国の統治下に置かれる。

日本の近代において、これ以上の国民的な「忘れられない日」はないのではないかと思う。この次に忘れられない日は、国家的なイベントや世間を騒がせた大規模な事故や災害、事件ということになろう。

●1964年10月10日
東京オリンピック開催。
●1985年8月12日
日航123便墜落事故が起こる。乗客・乗員あわせて520名が亡くなる。
●1995年1月17日
阪神淡路大震災。この震災に続いて地下鉄サリン事件は起こる。
●2011年3月11日
東日本大震災。津波の被害でたくさんの犠牲者が出る。

以上はわたしの選択であって、これ以外にも社会的な出来事はたくさんある。そして、この次に来るのが、個人的な出来事であろう。自分の誕生日とか、結婚記念日とか、肉親の死んだ日とかそういう忘れられない日が存在する。わたしは、戦後生まれなので、戦争の思い出はまったく持っていないが、それでもなお、上記の開戦、終戦の日時はキチンと認識している。それは実体験ではなく、後天的に学習によって知った知識であるとは言え、わたしの日本人であるというアイデンティティーの一部を形成している。

「好男子の行方」という芝居を書いたわたしにとって、1968年12月10日はちょっと特別な日である。世に名高い三億円強奪事件が発生した日だからである。

※三億円強奪事件。(「アサヒ芸能」より)

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

劇場を一つ作るということは

かつてバブル経済で日本が沸き立っていた頃、企業が劇場を建設する機会が多くあった。演劇に携わる者として劇場がたくさんできることは嬉しいことだが、そんな劇場ラッシュを横目に演出家のつかこうへいさんは、以下のように発言していたことを覚えている。

「劇場を一つ作るということは、稽古場を三つ作るということだ。企業はそれを理解していない」

確かにその通りなのである。人々の耳目は「新劇場誕生!」という華やかな話題の方へ集まりがちであるが、劇場だけ建設しても、そこで上演する芝居(ソフト)への援助がなければ、羊頭狗肉の感はぬぐえない。そういうところに配慮があった企業は少なかったにちがいない。ソフトへの最大の援助とは、よい稽古場を劇場が提供することである。

芝居の稽古場に関する悩みを持たない劇団やカンパニーはほとんど存在しないと思うが、東京において、格安で自由に使える稽古場を探すのは非常に大変なことである。そもそもそんな稽古場が存在するかどうかもわたしが知る限り確約できない。それだけそういう稽古場は少ないのだと思う。

毎回、芝居の稽古をする度に、「朝から晩まで自由に使える作り手本位の稽古場がほしいなあ」と心から思う。しかし、都内にそういう場所を作りにくい事情もわたしなりに理解はしている。都心はやはり家賃が高いからである。都心から離れれば、比較的そういう場所も確保することはできなくはないが、稽古場に通う交通の便や移動時間を鑑みると、なかなかそういう場所を稽古場に選びにくいのである。また、当然、稽古場の管理の問題もある。だから、高い使用料を払って不自由な稽古場で稽古せざるを得ないのである。

こういう現状を打破するには、やはり、国が演劇文化をキチンと守ろうとする意思を持ち、そういう公共の場所をたくさん作ってくれることを夢見るしかない。少なくともわたしは「作り手側に立って使いやすい芝居の稽古場を作る!」と公約して選挙に出る政治家がいたら、迷わず一票を投じると思う。そんな政治家はいないにちがいないから、言ったそばから空しい気持ちを抱くことになるが。

※稽古場にて。

稽古場より④

今日は間もなく幕を上げる「好男子の行方」の劇中に登場する小道具を紹介する。このようなことをするのは、アナタの好奇心をくすぐり、劇場へ足を運んでいただきたいという気持ちからである。

※壺。
※写真。
※ラジオ。
※白いヘルメット。
※報告書。
※ストーブ。 
※ジュラルミン・ケース。

「好男子の行方」は、1968年12月10日に起こった三億円強奪事件を被害者である銀行側の視点で描く芝居である。
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「好男子の行方」のチケットは発売中。以下のURLより予約を承ります。

ご来場を心よりお待ち申し上げます。