高橋いさをの徒然草 -2ページ目

謹賀新年

年末に公演を行ったので、年賀状を書くのがすっかり遅れ、元旦に年賀状が届かない事態になった。この場を借りてお詫びするのと同時に、このブログを通して新年のご挨拶をする。

明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。 
今年もよろしくお願いします。

※新しい手帳と年賀状。

人間というのは縁でつながっているのだなあとつくづく思う。わたしは今まで演劇を通して実に多くの人に出会ってきたが、出会ってもまったく親しくならない人もいるし、何度も会うようになり親しくする人もいる。いや、むしろ出会いはするが、二度と会わない人の方がたくさんいる。それは、年々増える名刺入れを眺めるとよくわかる。なぜなら、そこにはどこの誰ともわからない人たちの名刺がズラリと並んでいるからである。

なぜそういう風になるのかはよくわからない。それはシンプルにはわたしとその人の相性という言葉で説明できることかもしれないし、お互いに相手に大した興味を抱かないということかもしれない。しかし、縁という言葉を通してだとそういう関係も納得できるように思う。つまり、いくら科学が発達しても、人智の及ばぬ領域が世界にはあり、先人たちはその不思議な現象を「縁」という言葉で言い表したのかもしれない。縁がある人とは、何かをきっかけに再会し、親交を結ぶことになるのだから。

昨年、わたしが新たに出会った人はどのくらいいたのだろう?    たぶん数百人くらいではないか。この中でわたしが再び出会う人は何人くらいいるのだろう?   そして、わたしが今年、新たに出会う人はどのくらいいるのだろう?   願わくば、何かを通して出会ったアナタと長くお付き合いできることを。今年がわたしとアナタにとってよい年でありますように。

回顧2018年

2018年も今日で終わり。あっという間の一年だった。そして、間もなく平成時代が終わる。今日は、今年一年のわたしの公的な演劇活動を振り返る。

●3月
神宮前プロデュース+UNCUT公演 
「私に会いに来て」
於/サンモールスタジオ
映画「殺人の追憶」の原作に当たるキム・グァンリム作「私に会いに来て」を脚色して上演する。映画の大ファンであるわたしが言い出しっぺとなり、韓国の友人の協力を得て上演にこぎ着けた。プロデューサーである辻本さんが渡韓して交渉に当たってくれた。韓国三大未解決事件の一つである「華城連続殺人事件」を捜査に当たった刑事たちの苦悩を描く。

●8月
稲村梓+サンモールスタジオ プロデュース
「売春捜査官」
於/サンモールスタジオ
つかこうへい作「売春捜査官」を稲村梓さん主演で上演する。わたしを演劇の世界へ誘い込んだ心の師匠であるつかこうへいさんの作品を演出することになるとは、若い頃には夢にも思わなかった。つか芝居が要求するテンションの高さに改めて驚く。わたしが演劇の世界への進路を決めたのは、17歳の時、つかこうへい作・演出「熱海殺人事件」を見たからだった。

●12月
ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
於/オメガ東京
新しく始めたISAWO BOOKSTOREの第一回公演。名高い「三億強奪事件」を題材に、金を奪われた銀行側の視点で事件の顛末を描いた。現実に起きた犯罪事件を元に芝居を書くことは珍しいが、制約と想像力の綱渡りはうまくいったのではないかと思う。荻窪にオープンした新しい劇場「オメガ東京」の柿落とし公演だった。

●12月
「I-note② 舞台演出家の記録」(論創社)を出版した。この本は、1991年から2012年まで、わたしが演出として関わった舞台において、稽古初日に俳優やスタッフに配布した演出ノートをまとめたもの。前作「I-note 演技と劇作の実践ノート」は演技と劇作について語った本だが、こちらは舞台演出について語った本である。

今年も一年、からだを壊すことなく毎日ブログを更新することができた。皆さんのご愛読に感謝します。来年がよい年になりますように。よいお年をお迎えください。さよなら、2018年!

※2018年に上演した舞台のチラシなど。

支店長室の造形

先日、上演した「好男子の行方」の舞台は、とある銀行の支店長室である。わたしは生まれてこのかた、銀行の支店長室へ入ったことは一度もない。だから、銀行の支店長室がどのようなものなのか、まったくイメージを持っていなかったが、今はネットの時代。「銀行の支店長室」で検索すれば、いくつもの画像が出てくる。それらの画像を参考にして、美術さんと相談して支店長室内を造形したが、問題は支店長に飾られるらしい豪華な装飾品をいかに調達するかだった。

支店長室になぜ豪華な装飾品が飾られるか本当の理由はわからないが、支店長室で行われるのは、銀行にとって重要な顧客との取り引きであろうから、それらを通して顧客に「わたしたちはこんなに高い壺を買えるくらい信用があるんですよ!」「こんな高名な作家の掛け軸を買えるくらい信用があるんですよ!」という無言のアピールをしているのではないかと思う。しかし、芝居の小道具でそんな高価な品物は揃えることができない。結果は以下のような装飾品に落ち着いた。

●壺 ¥1000
●コケシ ¥500×2
●鉄鋳の置物 ¥600
●額に入った絵画 ¥300×2

壺は「ジモティー」というネット販売を通して、他の品物はわたしが町を自転車で走り回り、骨董品店でそれぞれ購入した。つまり、物凄く安く上げているわけである。そうそう、もう一点、支店長室のアイテムとして凝ったものがある。1968年と1975年のカレンダーである。銀行勤務の経験がある女性に取材したところ、銀行にとってネーム入りのカレンダーは、銀行のステータスを語る上で非常に重要なものらしいことがわかった。これは演出助手のTくんが当時のカレンダーを模して製作してくれた。

公演が終わった後、壺だけ「ジモティー」で転売したが、行き場を失ったコケシを初めとする支店長室の小道具たちはわたしの部屋へやって来ることになり、3月に上演した「私に会いに来て」で活躍したウサギの人形とともに部屋の片隅に鎮座している。舞台演出家の部屋はこのようにして次第に芝居の小道具で埋め尽くされていく。

※コケシたち。

歴史という名の他人

日本や世界の歴史に詳しいかと問われれば、わたしはさほど歴史に精通しているわけではない。学校の歴史の授業で習った程度の知識は持っているつもりだが、それはあくまで歴史の流れを知っているに過ぎず、歴史がわたしの一部になっているような感覚はない。歴史とは、歴史を知ろうとする人間が、積極的に働きかけて初めて歴史になるのだと思う。つまり、歴史はこちらから働きかけない限り、歴史としてわたしの一部にならない。

例えば、わたしは1941年から1945年の間に日本が「大東亜戦争」と呼ばれる戦争を戦ったことを知っているが、それが具体的にどういう戦争だったかはまったくわからない。当たり前である。わたしはその時、まだ生まれていないのだから。その後、書物や写真、映画やドキュメンタリー番組などを通して「大東亜戦争」のイメージを少しは具体的にすることはできたが、それはわたしが「知りたい!」という欲求に基づいて、それらを我が身に引き付けた結果に他ならない。

わたしは今年、事件もののノンフィクションをたくさん読んだが、事件の実相に迫りたいという欲求なしにこういうジャンルの書物を読みたいとは思わない。これも同様にこちら側から働きかけない限り、事件はわたしの一部にならない。知らなければ、事件はわたしにとって単なる漠然とした「○○事件」と呼ばれる名称に過ぎないのである。

言ってみれば、歴史とは町ですれ違う見知らぬ他人のようなものである。わたしが興味を持って彼(彼女)に声をかけない限り、決して交わることがない他人のようなもの。だから、こちらが好奇心を抱いて働きかけない限り、歴史とわたしは永遠に見知らぬ他人同士なのである。世の中のすべての歴史をポケットに入れることは不可能であるとは思うが、どれだけ歴史という名の他人に声をかけることができるか?   それがその人の好奇心の強さであり、バイタリティであるにちがいない。

※神保町交差点にて。

運ちゃんの冒険物語~「タクシー運転手」

DVDで「タクシー運転手 約束は海を越えて」(2017年)を見る。1980年に韓国で起こった光州事件を一人のタクシー運転手の視点で描くヒューマン・ドラマ。実話が元になっているという。

1980年、タクシー運転手のキムは、韓国のソウルからドイツ人のジャーナリストのヒンツペーターを乗せて光州へ行く仕事を引き受ける。光州は民主化を叫ぶ民衆と軍部の対立が激しく治安は悪化の一途を辿る最中。軍部の暴走を目の当たりにしたキムは、ヒンツペーターを再びソウルへ送り届けるべく、戦場となった光州を奔走するが・・・。

戦場におけるジャーナリストと現地の案内人との交流というと、「キリング・フィールド」(1984年)という先例を思い出すが、本作もまさにそのようなテイストの一編だった。ひょんなことで同行を余儀なくされたドイツ人ジャーナリストと韓国人のタクシー運転手の友情物語。光州事件を一介のタクシー運転手の視点で描くという点が面白く、二人の友情物語が事件の横軸を彩る。タクシー運転手を演じるのは、韓国の国民的俳優であるソン・ガンホ。愛嬌たっぷりのタクシー運転手役を好演している。ドイツ人ジャーナリストを演じるのはトーマス・クレッチマン。こちらにもう少し陰影があるともっとよかったとは思うが、彼が時を越えてキムに感謝の意を表す場面に静かな感動がある。

ところで、わたしがこの映画を見ながら連想したのは「ジョーズ」(1975年)である。三人の男たちと人食い鮫の死闘を描く海洋パニック映画と本作の内容は似て非なるものだが、一人の男が自分のいる場所とは違う場所へ遠出して何者かと激しい闘いをして勝利し、再び元の場所に戻ってくるという点が共通している。主人公/ブロディ署長=タクシー運転手キム、場所/大海原=光州、闘う相手/人食い鮫=軍部という構造である。実話を元にしたという本作ではあるが、その構造は見事に古今東西の冒険英雄物語のそれに見合っている。そういう意味では、本作は実話を元にした社会派ドラマでありながら、同時にエンターテイメント映画として成立している稀有な作品と言える。

※同作。(「映画.com」より)

七面鳥の気持ち

クリスマスには七面鳥のローストを食べるのが通例である。なぜそうと決まっているのか、その由来はよくわかっていないのだが、正月に雑煮を食べるように、クリスマスにチキンを食べることは当たり前のことになっている。わたしもコンビニで買った安いチキンと小さなショートケーキを食べた。日本のクリスマスはチキンとケーキが定番である。

チキンを貪り食いながらふと、七面鳥たちの目から見ると、クリスマスほどおぞましいイベントはないのだろうなあと思う。だってそうではないか。自分たちの仲間たちが羽をむしられて丸焼きにされ、人間たちにガツガツと食べられる日だからである。わたしたちの目から見ると、美味しいチキンとケーキで楽しむクリスマスも、彼らの目から見れば、とんだおぞましき惨劇の光景である。そのように考えると、人間とは何と勝手な生き物だろうと思わざるをえない。わたしたちは七面鳥たちの気持ちをまったく考えずにクリスマスにチキンを頬張っているのだから。ケンタッキー・フライドチキンなどは、彼らには「悪魔の要塞」と見えているにちがいない。

「チキンラン」(2000年)という映画は、戦争アクション映画「大脱走」のパロディで、人間たちが支配する養鶏場から鶏たちが決死の脱出を試みる様を描くアニメーション映画である。この映画を製作した人たちが、どういう発想でこの映画を作ってみようと思ったかはわからないが、案外、わたしと同じように、ある年のクリスマスに家族たちともにチキンの丸焼きを頬張りながら、ふと七面鳥たちの気持ちを考えたからではないか。

わたしたち人間は、人間である以上、どうしても人間の視点から世の中を見てしまう傾向があるが、確かに人間以外の視点で世の中を見回せば、世の中は理不尽に満ちているように思う。豚や牛も鳥も魚も何も人間に食われるために生まれてきたわけではなかろう。しかし、我々は豚や牛や鳥や魚を殺して食べることを正当化して、何とか生命を維持している。わたしもそんな人間の一人であることに間違いないが、こういうことを考え出すと、人間の規模を超えた超越的なもの(神)に謙虚に感謝したい気持ちになる。

※七面鳥。(「Wikipedia」より)

集団失踪~「カエル少年失踪殺人事件」

DVDで「カエル少年失踪殺人事件」(2012年)を再見する。韓国の三大未解決事件の一つである「臥竜山少年失踪事件」を題材にした映画。1991年に山へ遊びに行った5人の少年が失踪し、11年後に白骨化した状態で発見された事件で、犯人は見つかっていない未解決事件である。かつて一度見たことがある。

韓国の田舎町で山へカエルを獲りに行った5人の少年が失踪する。警察の必死の捜査にもかかわらず行方は杳として知れない。やらせ事件で左遷の憂き目にあったテレビ局のディレクターのカンは、「少年の一人の両親が犯人だ」と主張する大学教授とともに起死回生の取材に取り組む。そして、警察とともに死体が隠されていると確信する家宅捜索に同行する。

上記のように本作は実話を元に作られている。少年たちの失踪後、「少年の一人の両親が犯人だ」と主張する大学教授が現れるのも実話に沿っている。しかし、本作はやらせ事件で降格されたテレビ・ディレクターを主人公に据え、彼の目を通して真相を追及するという作りになっている。また、事件から11年後、少年たちの遺骨が発見された時点から始まる後半の物語は、たぶんまったくのフィクションで、主人公のテレビ・ディレクターが真犯人とおぼしき屠殺場で働く男を突き止める様が描かれる。そういう意味では、本作は実話を元に新しい登場人物を加えて、物語をドラマチックに膨らませていると思う。

集団失踪事件と言って思い出すのは、「ピクニックatハンギング・ロック」(1975年)である。本作はオーストラリアで実際に起こった少女たちの失踪事件を扱った映画で、「刑事ジョン・ブック目撃者」のピーター・ウィアー監督が作った不思議な映画である。一人の人間がある日、忽然と姿を消してしまうことは恐怖だが、それが集団となると恐怖はさらに増す。これらの映画はそういう事実を再確認させる。

※同作。(「Amazon.co.jp」より)

心の旅

沢木耕太郎さんの本だったと思うが、一つの対象を取材してそれが終わると次の対象へ移行するノンフィクション・ライターの姿を一種の旅人に喩えている文章があった。なるほど、確かにその通りである。それが事件であれ事故であれ人物であれ、ノンフィクション・ライターが真実を求めて書いた一つの作品は、完結すればそれで終わりである。その姿は、未知なる土地を求めて旅をして、様々な人々と出会い、様々な体験をしてその場から立ち去る旅人の姿に重なる。旅人は決して「その場に留まる」ことをしないのだ。

しかし、それは必ずしもノンフィクション・ライターだけの話ではなく、フィクション・ライターも同じであるように思う。わたしはこの二ヶ月くらい「好男子の行方」という芝居を通して1968年の東京国分寺にある銀行に旅していたが、その旅は終わり、わたしは次なる場所を目指して歩き出した旅人のようなものである。その地を再び訪ねることはたぶん二度とないように思う。ノンフィクション・ライター同様、フィクション・ライターも一種の旅人であるわけである。

ふと映画「荒野の七人」(1960年)を思い出した。黒澤明監督の「七人の侍」を翻案したアメリカの西部劇。「七人の侍」に登場する若い侍は戦が終わると村を後にするが、「荒野の七人」の方の若いガンマンは恋に落ちた村の娘とその場に留まる。彼は旅人であることを辞め、定住者になることを決意したわけである。作家にとって定住者になるということは、一つの題材をずっと書き続けるということなのかもしれない。一つの題材に誠実であることを突き詰めれば、そういう作家がいて全然おかしくないが、わたしには到底真似できない業である。作品作りを通して、わたしの心の旅はまだまだ続く。次はどこへ行こうか?

※旅人。(「TABIPPO.net」より)

危険運転の結果

昨年、東名高速道路で煽り運転をして家族連れの車を停止させ、そこに後続のトラックが追突して家族のうち二人が亡くなった事故の横浜地裁の一審判決が出た。求刑23年に対して懲役18年だという。検察側が被告人を起訴した罪名は「危険運転致死傷罪」である。この事故に関して、わたしはこのブログで触れていて、被告人に対して「最大限の罰を!」と主張しているが、その結果が18年ということである。

わたしは本件の被告人に対して強い憤りを持っていたが、よく考えると、被告人の若い男は必ずしも殺意を持って家族連れの車を停止させたわけではない。パーキングエリアで自分の車の止め方を叱責され、その怒りに突き動かされて無謀な煽り運転を繰り返し、家族連れの車を停止させ、いちゃもんをつけただけである。しかし、その行為が引き金となって死亡事故という重大な悲劇を招き寄せたわけである。家族連れの父母を直接的に死亡させたのは、後続のトラック運転手である。被告人の愚かな行為がこういう悲劇を生んだことは間違いないが、現実の事故や事件はえてしてこのように複雑な要素が絡み合っている。このようなケースの場合の法的な判断は非常に難しいと言える。本件を裁いた裁判員たちもさぞかし悩んであろう。

例えば、街角で肩がぶつかり、謝りもしないで立ち去った人間を追いかけていき、横断歩道の真ん中でその人と喧嘩を始めたら、青信号で直進してきた車にその人がはねられて死亡した場合、喧嘩をふっかけたその人はどのくらいの罪になるかということである。この事故の責任をどれほどの量刑で裁くのかはとても難しい。

被告人が懲役18年を不服として高裁に上訴したのも、ある意味ではうなずける。被告人は「まさかこんなことになるとは思わなかった」と主張するに決まっているのだから。どちらにせよ、一人の男の著しく思慮に欠けた行動が、一つの家族をめちゃくちゃにした事実に変わりはないけれど。

※横浜地裁。(「Wikipedia」より)

結婚と原発

先日、旧知の弁護士のHさんに久しぶりに会って酒を飲んだ。忙しい中、芝居を見に来てくれたのである。同世代のよしみもあり、芝居や映画、裁判や私生活など話題は多岐に及んだ。結婚生活の話。

「結婚生活とかけて『治りかけの風邪』ととく。こころは『「熱は冷めても咳(籍)は抜けない』」

Hさんはこういうユーモア感覚に溢れた弁護士である。

「結婚は原発に似ていると思う」

これもHさんの発言。要するにともに人間にとって必要な大事なものだが、扱い方がとても厄介であるということであろう。まったく同感である。

この飲み会には、わたしとHさん以外に二人の若者が参加していたのだが、Hさんは、初対面の二人に「お勧めの本を一冊教えてほしい」とせがみ、書名を聞いていた。最近、会う人ごとにそういう質問をして、その本を読むようにしているとのこと。曰く「ネット万能時代の今、ネットを通して与えられる情報ではなく、生身の人間から直接聞いた本を読みたい」とのこと。これもこれで納得のいく試みである。続けて、「情報と知識は違う。だから本を読め!」と若者にアドバイスしていた。確かに情報は断片だが、知識とはその情報を元に様々な組み合わせをして、真理を探究すべく体系化したものである。若者の本離れが言われて久しいが、読書こそ人間に与えられた最も知的な行為である。

「俺が弁護士としてちゃんと仕事できるのは後10年だと思う」

この言葉も身に染みる。ともに五十代半ばのわたしとHさんは、すでに人生の晩年にさしかかっているからである。わたしもHさんも、分野は違え、男の人生の充実期にいる。

※結婚と原発。(「GIGAZINE」などより)