結婚と原発 | 高橋いさをの徒然草

結婚と原発

先日、旧知の弁護士のHさんに久しぶりに会って酒を飲んだ。忙しい中、芝居を見に来てくれたのである。同世代のよしみもあり、芝居や映画、裁判や私生活など話題は多岐に及んだ。結婚生活の話。

「結婚生活とかけて『治りかけの風邪』ととく。こころは『「熱は冷めても咳(籍)は抜けない』」

Hさんはこういうユーモア感覚に溢れた弁護士である。

「結婚は原発に似ていると思う」

これもHさんの発言。要するにともに人間にとって必要な大事なものだが、扱い方がとても厄介であるということであろう。まったく同感である。

この飲み会には、わたしとHさん以外に二人の若者が参加していたのだが、Hさんは、初対面の二人に「お勧めの本を一冊教えてほしい」とせがみ、書名を聞いていた。最近、会う人ごとにそういう質問をして、その本を読むようにしているとのこと。曰く「ネット万能時代の今、ネットを通して与えられる情報ではなく、生身の人間から直接聞いた本を読みたい」とのこと。これもこれで納得のいく試みである。続けて、「情報と知識は違う。だから本を読め!」と若者にアドバイスしていた。確かに情報は断片だが、知識とはその情報を元に様々な組み合わせをして、真理を探究すべく体系化したものである。若者の本離れが言われて久しいが、読書こそ人間に与えられた最も知的な行為である。

「俺が弁護士としてちゃんと仕事できるのは後10年だと思う」

この言葉も身に染みる。ともに五十代半ばのわたしとHさんは、すでに人生の晩年にさしかかっているからである。わたしもHさんも、分野は違え、男の人生の充実期にいる。

※結婚と原発。(「GIGAZINE」などより)