高橋いさをの徒然草 -5ページ目

テレビ電話初体験

テレビ電話を初めて体験した。間もなく上演する「好男子の行方」の準備の一環としてである。スマートフォン時代の現在、写真を使って衣装や小道具の確認作業をしたことは何度もある。店舗やレンタル会社に出向いてくれたスタッフが、求める衣装や小道具を撮影して、それを演出者であるわたしに送信して、それがイメージ通りなのか、そうでないのか、画像を通してやり取りするのである。しかし、それらはもっぱら静止画でのやり取りであり、動画の形でやり取りしたことはかつて一度もない。

そもそもスマートフォンにそういう機能があることさえ知らなかったので、いきなり相手の顔が画面に現れた時はびっくりした。相手の顔がスマホの画面に写り、「見えてますか?」と話しかけてくる。わけがわからないまま「見えてるよ」と答えて先方とやり取りしたが、スマホのどの部分に語りかけていいのかわからず、動画を見る時はスマホを離し、話す時はスマホを口に当てるというような行為を繰り返し、だんだんと音声はわざわざ口元にスマホを運ばなくても相手に伝わるらしいことがわかってきた。わたしはスマホを見ながら会話を始めた。そして、遠方にいる相手と動画を見ながらこのように会話できることに初めての感覚を味わった。街中を歩いていて、スマホを見ながらわたしのように動画を通して会話している人をほとんど見かけたことはないのだが、わたしが知らないだけで、世の中の人はこういう会話を日常的にしているのだろうか?

ところで、異性からの告白や別れ話、大きな仕事のオファーなど、重要な用件の電話を受けた時、そのやり取りをした場所は人間の印象に強く残るものだと思うが、どうか。それはまったく偶然にその場所で受けた電話に過ぎないが、それが駅のホームだったのか、路上だったのか、家の中だったのか、はたまたベッドの中だったのか、トイレだったのか、食事中だったのかーーそれらの記憶は、その電話を受けた場所と分かちがたく結びついている。わたしのテレビ電話初体験は、大学の喫煙所付近だったが、この風景は、テレビ電話初体験の場所として、わたしの記憶に長く残るにちがいない。

※テレビ電話。(「日経ビジネス」より)

本末転倒~「十万分の一の偶然」

「十万分の一の偶然」(松本清張著/文春文庫)を読む。松本清張の手による犯罪サスペンス小説。タイトルに牽かれて一見に及ぶ。

東名高速道路で起きた車の玉突き事故で多数の死傷者が出る。この事故を偶然に撮影したアマチュア・カメラマンの山鹿恭介は、その写真によって新聞社主催の報道写真大賞を取る。しかし、その写真に作為的なものを感じた事故の被害者のフィアンセ沼井は、山鹿が実は事故を必然的に発生させたと睨み、身分を隠して山鹿に接近する。

さすが松本清張、特異な題材を扱い、サスペンスフルな物語をぐいぐい読ませる。「すぐれた写真を撮影するために交通事故を起こす」というアマチュア・カメラマンの本末転倒した犯行の動機が面白く、犯罪の動機に現代性を求めた著者の面目躍如たるものがある。ちょっとだけ疑問に思ったのは、復讐者の沼井が復讐を遂げる人間が、事故を作為的に誘発した山鹿のみならず、山鹿に演出写真の撮影を唆した新聞社の審査員に及ぶ点である。もちろん、この事故の遠因を作った人間であることはわかるが、ちょっと可哀想にも思う。もしかしたら、長い連載の諸事情から、作家は第二の殺人を描かざるを得なかったというような事情があったのかもしれないと邪推する。

解説は宮部みゆきさん。宮部さんは2008年に起こった「秋葉原通り魔事件」において、現場にいた人々が被害者そっちのけでスマホを使って惨状を撮影していた事実にからめて、本作の現代性を指摘しているが、この小説に描かれている内容は、"ユーチューバー"と呼ばれる危険なことを撮影してネットで配信する人々が存在する現代において、より身近な問題を提起していると思う。

松本清張は、この長い小説をパソコンのキーボードを叩いて書いていたのではなく、手書きで書いていたのだなあ、と奇妙な感想も持つ。

※同書。(「Amazon.co.jp」より)

善良な死刑囚~「裁かれた命」

「裁かれた命~死刑囚人から届いた手紙」(堀内惠子著/講談社文庫)を読む。1966年に国分寺で起こった強盗殺人事件で死刑判決を受けて処刑された年若い犯人と彼に死刑を求刑した担当検事の手紙を通した交流を描くノンフィクション。

死刑囚から検事宛に届いた手紙を発端に、死刑執行に至る死刑囚の近辺を再検証していく著者の姿は、さながら殺人事件の謎を究明していく名探偵のようで、一編の推理小説を読んでいくような魅力がある。同時にその推理能力と行動力に驚く。本書で描かれる死刑・長谷川武は、人付き合いは下手だが、手先が器用な好青年である。凶悪な犯罪を犯しながらも、逮捕後の言動は非常に素直で、潔く死刑判決を受け入れ、遺族にも謝罪し、担当弁護士のみならず、担当検事にまでお礼の手紙を書くような若者である。著者の追跡により、「善良な死刑囚」とも言うべき青年のプロフィールが明らかになってくる。また、当時の裁判所(東京地裁八王子支部)の多忙さや審議の杜撰さも明らかにされ、一人殺害の罪であるにもかかわらず死刑判決が出た青年の裁判の不当性を著者は指摘する。つまり、そういう「善良な死刑囚」の姿を通して、裁判所が下した判決が正しかったかどうかを我々に問いかけているのである。

わたしは「十二人の怒れる男」の陪審員第8号の奮闘する姿を連想したが、様々な条件が一人の青年の命を不当に奪った可能性はあり、すでに後の祭りではある(すでに死刑は執行されている)とは言え、司法判断の難しさや厳しさを考えさせられる。そういう意味ではとても面白い本だったのだが、唯一の不満は、被害者の側の事情がほとんど描かれない点である。こう言うと大袈裟かもしれないが、「ノンフィクションを書くとは善悪の彼岸に立つことである」と仮定するなら、被害者側の視点を欠落させると、読書の判断をいたずらに加害者寄りにしてしまう。ちょっと公平でない気がするのだ。

※同書。(「Y!ショッピング」より)

演技・演出論~「演技と演出」

「演技と演出」(平田オリザ著/講談社現代新書)を読む。現役の劇作家・演出家の平田オリザさんが書いた実践的な演技・演出論。同業者が書いたこういう本は自分との類似性や違いを明らかにしてくれるので面白い。

以前に同じ著者による「演劇入門」(講談社現代新書)も面白く読んだが、今回の読後の感想は、演出という作業を言葉にするのは非常に難しいのだなあというものだった。もちろん、演技するという行為の本質を言葉にするのも相当に難しいことだが、それに輪をかけて演出するという行為の本質を言葉にするのは難しい。論理ではなく、どうしても感覚的に語らざるを得ない点が大きいからである。それでもなお平田節が利いている文章があり、そういうところがわたしには興味深かった。

「たいていの成功した劇作家、演出家は、能天気なところがあって、忘れっぽいようです。人間の暗部を、とことん突き詰めるのだけれど、どこか脳細胞が抜けていて、それを表現し終わると、すっかり忘れてしまう。そのようにして精神の均衡を保っているのだと思います。能天気さ、大らかさは、芸術家にとって重要な資質です」

わたしが「成功した劇作家、演出家」かどうかはともかく、わたしはこんな言葉に「我が意を得たり!」と深くうなずいた。わたしは、過去のことをすぐに忘れてしまったり、どんな深刻な事態にも能天気に対応してしまう傾向があるが、そんな自分をちょっと恥ずかしく思っていた。しかし、こういう言葉に出会うと大いに励まれた気持ちになる。その通り!   芸術家には、 精神のバランス(正気)を保つ上で、忘却する能力が備わっているのだ。だから、誕生日や結婚記念日がいつだったかとか、そんなことをいちいち覚えていないのだ!   いや、正しくは忘れっぽかったり、能天気であることを正当化する口実を平田さんからいただいたとも言えるが。

こんなことを書いておいて宣伝するのもナンだが、わたしの演出論「I-note②舞台演出家の記録」(論創社)が、間もなく書店に並ぶ予定である。興味のある方はお手に取っていただけますことを。

※同書。(「Amazon.co.jp」より)

銀行員たち

1968年12月10日に発生した「三億円強奪事件」で、被害にあったのは日本信託銀行国分寺支店である。上演する「好男子の行方」は、この事件を元に書かれたまったくのフィクションだが、主人公は金を奪われた銀行の人々である。モデルになっているのは、府中刑務所前の通りで、白バイ警官に偽装した現金を強奪された件の銀行員たちである。以下は実際の銀行員たちによる当時の記者会見の模様である。

※記者会見する銀行員たち。(「JIJI.COM」より)

上記の写真からもわかるように1960年代の銀行員たちは、二十代・三十代であるに関わらずずいぶん大人っぽいと言うか、老けているように思う。仲代達矢が「天国と地獄」(1965年)で貫禄十分に警視庁捜査1課長を演じたのが31歳という若さだったことを知り驚嘆したことがあるが、昔の男は一様にみな老けているように感じる。それは今に比べて、当時の食生活がよくなかったとも考えられるが、そんな理由よりも、当時の銀行員は、社会的な責任感が今よりもずっと重く、その重さが顔に出ているということではないか。それは下記に掲載した今回、銀行員を演じる役者たちの若さと比べると一目瞭然である。

※「好男子の行方」の銀行員たち。(稽古場にて)

当時、二十代から三十代の日本信託銀行の運搬係の方々は、現在、ご存命であれば、七十代から八十代のご高齢である。是非とも芝居を見ていただきたいとも思うが、さすがに連絡を取る術がない。しかし、今はネットの時代。万が一でもこの記事を読む機会があれば、ご連絡をいだけると嬉しい。

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「好男子の行方」のチケットは発売中。以下のURLより予約を承ります。

ご来場を心よりお待ち申し上げます。

ストーカーの恐怖

ちょっと前のことだが、とある芝居を見に行ったら、かつてわたしの芝居に出演してくれた若い女優さんに会った。聞けば、彼女は今ストーカー被害にあっているという。見知らぬ男が最寄り駅で彼女を待ち伏せして、何度も道を尋ねてくるのだという。彼女は警察に相談しているが、直接、何かされたわけではないので、警察も動きづらいらしい。さもありなん。彼女が感じる恐怖も、動きづらい警察の立場もそれぞれによくわかる。しかし、そのような状態を警察が楽観したせいで、最悪の事態を迎えた事件が過去にいくつもあることを忘れてはならない。

しかし、ややこしいのは、世には客観的に見ると、ちょっと女性側の被害妄想にも見えるストーカー被害の訴えがあるにちがいないことだと思う。端から見ると、「そのくらいのことでストーカー呼ばわりされるのは迷惑だ!」という男性側の意見もあるにちがいないから。加えて、男性の側は、どんな場合も、被害を訴える女性の意見をそのように見る傾向があるように思う。かく言うわたし自身も、彼女にその話を聞いた時、そのように感じたところがある。「それは本当にストーカーなのか?」と。しかし、わたしがそのように感じたのは、彼女が実際に体験した恐怖感をわたしがまったく感じていないからである。その恐怖感さえわたしがリアルに感じてさえいれば、「本当にストーカーなのか?」などとお気楽なことは言えなくなるはずである。彼女の訴えには根拠があるのだから。

一方、「何かされないと動けない」という警察の立場も理解はできる。実際、「特定の場所で同じ男に何度も道を尋ねられた」だけでは、決定打に欠ける。彼女が実際に傷つけられでもしたら警察は傷害罪で男を逮捕できるが、現象面だけで考えるなら、彼女は「ただ道を尋ねられた」だけなのだから。このへんの被害者と警察の駆け引きは微妙であり、この駆け引きが失敗すると、事件は下手をすると悲劇的な結末を辿ることになる。簡単には解決しないこの理不尽な事態に対しての彼女の焦燥感はいかばかりか?   それが「犯罪か否か」の垣根が非常にわかりずらい。まったくストーカー行為とは厄介な犯罪である。

※ストーカー。(「YOMIURI ONLINE」より)

外面か、内面か?

「声と顔、この二つが決まれば、だいたい人間をつくることができるんです。声のトーンやニュアンスには、その人の世界が込められているんですね。人となり、何に意識を向けているか、何を伝えようとしているか、そのときの心情などが全部声に出るんです」(「Y!ニュース」より)

これはNHKスペシャル「未解決事件・警察庁長官狙撃事件」のドラマ編で事件の容疑者を演じたイッセー尾形さんの発言である。尾形さんは、捜査線上に浮かび上がった実在の容疑者の男を演じるに当たり、そのように考えて役作りしたという。わたしはこの言葉を聞いて、役作りをこのような発想でする役者もいるのだなあと改めて思った。大雑把な言い方かもしれないが、イッセー尾形の演技術は、役の内面を重視するのではなく、外面を重視することによって成り立っていると感じたからだ。

近代演技術の基礎を作ったのは、ロシアの演出家スタニスラフスキーである。スタニスラフスキーの演技論を一言で集約するなら「演じるな、生きよ」ということだとわたしは認識しているが、その演技論の根幹になっているのは、重要なのは人間の外面ではなく内面であるという考え方だと思う。つまり、外面より先に心のリアルな動きが新鮮な演技を生み出すという理屈である。その演技術はアメリカに輸入され、アクターズ・スタジオで「メソード演技」として発展したが、大元はスタニスラフスキーの演技論に拠っている。つまり、近代以降の俳優の演技術の主流は、スタニスラフスキー・システムである。

しかし、主流はそうであっても傍流に外面派とでも言うべき演技術を駆使する俳優たちもいるはずで、イッセー尾形さんはそういうタイプの俳優であると言えるのではないか。確かローレンス・オリヴィエなども、そのようなアプローチで役作りをすると何かの本で読んだことがある。まあ、そもそも俳優の演技術を「内面派」か「外面派」かと分類すること自体が相当に乱暴なことであるにちがいなく、すぐれた俳優は役によってその両方を使い分けたり、両者が微妙に混在するような方法で演技をしていると思うが、俳優に演技指導する局面において、わたしはどちらかと言うと、内面を重視していると思うので、イッセー尾形さんの発言は新鮮に聞こえた。イッセー尾形さんがこういう演技術を持つに至ったのも、市井の一般人をデフォルメして模写する一人芝居から出発した人だからかもしれない。

※イッセー尾形さん。(「毎日新聞」より)

稽古場より③

連日、ISAWO BOOKSTORE「好男子の行方」の稽古中。スケジュールの都合でなかなか全員集合できなかったが、ようやく一堂に会しての稽古をしている。場面が固まってくると、だんだんと細部に目が行くようになる。1968年当時、人々はどんな装いをして、どんな習俗を持って生活していたのか?

今はインターネットという便利なものがあるので、ネットに「1968年」というキーワードを入力すると、様々な情報を得ることができる。それによれば、当時の雰囲気を何となく知ることができる。「少年ジャンプ創刊」「帰ってきたヨッパライ」「キイハンター」「あ~らよ、出前一丁」「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」「竜馬が行く」など。こういうキーワードを見ると、当時の記憶がよみがえってくる。山崎豊子が書いた小説「白い巨塔」がベストセラーになったのもちょうどこの頃である。だから、もしかしたら登場人物の誰かのバッグには「白い巨塔」の単行本が入っていたのかもしれない。しかし、生活の細部になると、なかなかわからない。こういう時は、同時代に作られた劇映画が参考にはなる。画面に当時の風俗が写り込んでいるからである。「黒い画集~あるサラリーマンの証言」(1960年)や「天国と地獄」(1965年)辺りは大いに参考になる。

ところで、黒澤明監督は、江戸時代の侍の一日をリアルに描こうと、共同脚本家たちと当時の資料を調べ尽くしたが、結局わからず、企画が頓挫しそうになった時、その調査の一部がもたらしたエピソードから「七人の侍」を構想したという。まさに転んでもただでは起きない話だが、こういう風に傑作が生まれることもあるのである。

話を元に戻せば、1968年の場所や人間を再現するのはなかなか難しいが、それでも再現するという目的があるから楽しい作業である。

※「好男子の行方」の出演者たち。

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視野の広さ

視野に関して視野が広い、狭いという言い方をする。前者は世の中の様々なことに目が行きと届いていて思考が柔軟であるという意味であり、後者は身のまわりのことしか目が行きと届いていず思考の柔軟性が欠けるという意味だと思う。言うまでもなく、豊かな人生を送る上では、後者のように生きるより、前者のように生きる方がよいのだと思う。

とは言え、視野の広さは簡単には手に入らないように思う。それを獲得するためには、たくさんの経験や書物による知識が必要だと思うからである。そういう意味では、その人の年齢が低ければ低いほど視野は狭く、その人の年齢が高ければ高いほど視野は広いととりあえずは言うことができる。人間が子供から大人になる過程というのは、視野を拡大していく過程であると言い換えることができる。

そして、ふと黒澤明監督が作った時代劇「用心棒」(1961年)を思い出した。本作には卯之助(仲代達矢)というヤクザものが登場する。このヤクザものは、主人公の桑畑三十郎(三船敏郎)と一騎討ちをする敵側のボスキャラだが、この男は、何事にも非常に抜け目ない。三十郎が示す偽りの情報に対して、卯之助の部下たちは反射的にわっと走り出すが、この男だけはそうはせず、いつも一人その場に残り、状況を冷静に判断してから次の行動に移る。その冷静さは、抜け目ないこの男のキャラクターを雄弁に語るが、同時に視野の広さを感じさせる。この男には部下たちが見えていないものが見えているのだ。

思うに若者は、実生活においても、物理的に視野が狭い生き物なのだと思う。自分の視界にあるものだけに反応し、自分の行動を決めている。対して、視野の広い大人は、実生活においても、実際に視野が広いのだと思う。大人は若者より見ている視界の範囲が物理的に広いのである。その様は、「用心棒」における部下たちと卯之助の違いと同じではないか。

※「用心棒」の卯之助。(「gooブログ」より)

1966年5月21日

芝居の小道具として使えるかもしれないと思い、幼い頃の写真を取り出して眺めていたら、面白い写真が何枚も出てきた。以下は、1966年5月21日に"よみうりランド"で撮影されたものである。

※幼稚園の遠足。

この記念写真は、わたしが通っていた幼稚園の遠足で"よみうりランド"へ行った時に撮影されたものらしい。らしいと書くのは、まったく記憶はないからである。日時・場所が特定できるのは、写真の裏に母が書いたらしい文字が添えられているからである。そう、この中に当時4歳のわたしがいるのである。さて、どれがいさを少年か?    みんな同じようにも見えるが、不思議なもので、自分がどこにいるかはすぐにわかる。しかし、わたしの周りにいる人を初め、引率の先生の名前もまったく思い出せない。43年の月日は、わたしから当時の記憶をすべて忘却の彼方へ押しやったということか。

他にも幼少期の写真を何枚も見たが、赤面するような気恥ずかしさと何ともホンワカとした懐かしさが沸き上がり、「人に歴史あり」ーーそんな言葉が脳裏をよぎる。昭和のあの時代、手元に残った写真すべて白黒写真である。その古色蒼然とした雰囲気には、昭和という時代が色濃く滲んでいる。

なぜこんな写真を芝居の小道具として使おうと思ったかと言うと、「好男子の行方」は1968年が舞台の芝居だからである。この写真が撮影されたのは1968年の二年前。当時の幼稚園児はこのような格好をして、"よみうりランド"などへ遠足へ行っていたりしていたのだ。この写真を小道具として使うかどうかはまだわからないが、もしかすると劇中に登場するかもしれない。

さて、4歳のいさを少年は件の写真のどこにいるか?    二列目左から五番目にいるのがいさを少年である。興味がある方は、拡大してご覧くださいませ。ここに写っている同窓生はみなどうしているのだろう?