高橋いさをの徒然草 -3ページ目

地盤

本来、政治と演劇はまったく性質が違うものだと思う。片や現実の世界をいかにするかをテリトリーとする分野だし、片や想像の世界をいかにするかをテリトリーとする分野だからである。その在り方は水と油ほど違うように思う。しかし、折に触れて両者の共通点も見える時がある。

先日、幕を閉じた「好男子の行方」を公演中のこと。わたしが通っていた高校の同級生がたくさん芝居を見に来てくれた。40年も前の友達がこうして劇場へ足を運んでくれることに対しては感謝の気持ちしかないが、よく考えみると、彼らはわたしを支持してくれている選挙民のように思えなくもない。彼らはわたしの地元の応援者であるからである。確かに政治家も地元の応援が必要不可欠であり、地元の人々の応援を背景に政局を切り開いていくものだと思う。「地盤」という言葉を知ったのはそんなに昔のことではないが、政治家における「地盤」は、「勢力圏」というような意味である。政治家にとって「地盤」はとても重要な要素であるにちがいない。高校の同級生に囲まれながら、わたしはふとその言葉を思い出した。

ずいぶん前に「MIKOSHI~美しい故郷へ」(樫田正剛/作)という芝居を演出したことがある。この芝居は北海道のとある町を舞台に、市長選に立候補する青年を描いたものである。その折りに市長選のことをいろいろと調べたが、選挙と演劇の公演は非常に似ていることに気づいた。たとえるなら、わたしは市長選へ立候補した人間のようなものである。わたしが市長選に勝利するかどうかは、わたしが掲げる公約と人気にかかっている。それはそのまま、わたしが作る芝居の内容と人気にかかっているのとまったく同じである。市長選において、対抗馬に市長の椅子を奪われるということは、演劇公演において、他の演劇公演に観客を奪われることと同じである。

一見、水と油のような政治と演劇ではあるが、所詮は人間が行うこと。両者にはそのような共通点がある。すなわち、「地盤」はそれがどんな分野のことであっても重要であるということだと思う。

※政治家。(「LiveDoor NEWS」より)

三億円事件の犯人は?

三億円事件の犯人は誰か?    ものの本来を読むと様々な憶測がなされている。わたしが知る限り、三億円事件の犯人は事件から5日後に自殺した立川の不良グループのリーダーの19歳の少年であるとする説が大勢である。しかし、わたしは実は一人の人物を事件の犯人として疑っている。劇作家・演出家のつかこうへい氏である。

もちろん、これから書くことは、わたしの妄想であり、つかこうへい氏を誹謗中傷する意図はまったくない。わたしはつかこうへい氏を尊敬こそすれ、犯罪者扱いする気持ちもまったくない。ただ、そのように考えるとわたしの中でいろいろなことが腑に落ちるのである。氏は1948年生まれ。三億円事件が起こった1968年当時20歳である。氏は慶應義塾大学文学部に在学していた。だから、年齢的には「若い男」とされる犯人像と一致している。しかし、わたしがつか氏を犯人ではないかと思う根拠は年齢だけではない。

三億円事件の犯人が独創的だったのは、現金強奪の手口の鮮やかさである。犯人は白バイの警官に偽装して輸送車を停止させ、爆弾が車に仕掛けられていると嘘を言い、車内にいた銀行の人々を外へ避難させ、その隙に車を奪って現金もろとも消えたのである。この事件には伏線があり、事件以前に銀行に脅迫状が送られていて、そこに「要求に応えないと支店長宅を爆破する」という文言があったという。輸送車の銀行の人々は白バイ警官が口にした「爆発物」に思い当たる節があったのである。

そのような伏線の張り方といい、白バイ警官に偽装するという犯行の手口といい、迫真の演技を必要とする場面設定といい、「三億円強奪事件」のシナリオを書いた人間は、相当に演劇的な教養がある人間である。その人物は、観客を説得力を持って騙すための演劇的な技術を「輸送中の現金強奪」という物語に応用しているのである。その演劇的な教養と実行力を併せ持つ人間は数多くいない。

繰り返すが、以上はわたしの戯れ言であり、まったくの妄想だが、1968年12月10日の雨の朝、府中刑務所脇の道を白バイ警官に扮したつかこうへいが疾走している姿を想像するのは非常に楽しい。

※白バイ警官。(「ラジオライフcom」より)

逆説

先日、芝居を見に来てくれた幼なじみの友人と久しぶりに会った。今、彼のお父さんは認知症を患っているという。「お前の両親はどうなの?」と聞かれ、二人とも大きな病気にもならず元気だと答えた。わたしの両親は父は90代、母も80代後半である。それを聞いた友人の意見はなかなか面白いものだった。

「息子がいつまでもこんなだと、ご両親も心配で死ねないんだな、きっと」

皮肉屋である彼らしい意見だが、わたしには思い当たるふしがあるので、むしろその意見に得心した。そう、わたしの両親が高齢であるにも関わらず元気なのは、わたしへの心配が原動力になっているようにも思うからである。続けて幼なじみは言った。

「そういう意味では、逆説的にお前は非常に親孝行の息子と言えるかもしれない」

若い頃から自分勝手にやりたいことをやって生きてきたわたしは、自分のことを決して親孝行の息子だとは思っていないが、こういう皮肉な逆説がある可能性はある。わたしがきちんとした会社に勤め、結婚して子供を作り、孫の顔をきちんと両親に見せるような安定した生活をしていたら、わたしの両親は安心して(?)病に倒れることができたのかもしれない。親にとって何が心残りかと言って、自分の子供がちゃんと生きていけるかどうかわからないことほどのそれはないのかもしれない。だから、わたしの両親はその確信が得られるまで、気を張って生きてくれているのかもしれない。

実はこのブログは母も読んでいる。わたしがこのブログを毎日更新するのは、そういう理由もある。母にわたしは元気だということをブログを通して伝えているのである。

※元気なわたし。

鉄の旗

長い間、芝居作りをしてきて思うのは、どんな場合も集団芸術は人々の足並みを揃えるのが大変だなあということである。野球やサッカーのような集団によるスポーツも同様だと思うが、人間が集まって同じ目的に向かって事を成し遂げるには、確固とした指標が必要になる。昨日、千秋楽を迎えた「好男子の行方」の稽古中にもそういう局面があった。そんな時、出演者の一人である役者さんは「鉄の旗」という言葉を使って、「確固とした指標」を表現した。わたしは初めて聞く言葉であり、レトリックだった。

確固とした指標を「鉄の旗」と言い表した最初の人が誰なのかわからないが、言い得て妙だと思う。そこには、誰が何と言おとぶれない強い意志を感じる。そういう意味では、舞台作りにおける「鉄の旗」の持ち手は、その舞台を統括する演出家であると思う。演出家はその旗を掲げ、役者たちに「こっちだ!」と進むべき方向を指し示す。それは、さながら戦場において兵士たちに命令を出す指揮官のようなものである。指揮官が示す方向が正しければ戦いに勝利することができるが、方向を誤れば兵士たちは敵の銃弾に倒れることになる。

もう10年以上前のことだが、とある芝居の最終稽古を終えた後、わたしは次のようなことを役者たちに言ったことがある。

「間もなく本番です。たくさんのお客様がご来場します。そして、芝居を見たお客様から終演後に様々な意見を聞くことになると思います。中にはこうした方がいい、ああした方がいいというような意見もあると思います。しかし、決してぶれずにわたしを信じてください。稽古でやってきたことがわたしたちのすべてです」

なぜそんなことをわざわざ言ったのかはちゃんと覚えていないが、主人公を演じる役者さんが比較的若い役者さんだったからだと思う。まあ、公演をやる度に上記のような台詞を俳優たちに言っているわけではないが、今でもまったくその通りだと思っている。芝居は生き物で、その日の役者の体調、集客状態や天候によって毎日違うものである。稽古場ではわからなかったが、生身のお客様を前に演じて初めてわかることもたくさんある。しかし、それでもなお「鉄の旗」をきちんと掲げ続けることが演出家の役割であり、使命であると思う。

※旗を振る。(「Daily Portal Z」より)

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ISAWO BOOKSTORE vol.1「好男子の行方」は、盛況のうちに千秋楽を迎えました。ご来場いただいたお客様にこの場を借りて深くお礼申し上げます。ありがとうございました。「オメガ東京」のオープニングフェスティバルは続きます。

※出演者たちと。

※オープニングフェスティバルのチラシ。

時効の日

12月12日に幕を上げて、本日、千秋楽を迎える「好男子の行方」は、1968年に起こった三億円強奪事件を金を奪われた銀行側から描いた芝居である。言うまでもなく、この事件の犯人は検挙に至らず、7年後の1975年に公訴時効を迎えた。窃盗罪の公訴時効が7年だからである。公演アンケートに目を通していたら、60代の女性の次のようなアンケートがあった。

Q「"三億円事件"を知っていましたか。 知ってらっしゃる方はどんな印象をお持ちですか」
A「卒論の提出日が時効の日だったこと。新聞に時効まであと何日と書いてあるのであせって書いたのを思い出します」

なるほどなあと思う。現実とは何と豊かなエピソードを持っているのだろうと思う。昨日、「父さんのボーナス」と題して、現金を強奪された工場の従業員を父とする小学生の話を書いたが、1975年に事件の時効と足並みを合わせて大学の卒業論文を書いていた女子大生がいたことなど、貧弱な想像力しか持たない劇作家にはとても想像できるエピソードではない。時効成立までのカウントダウンと同じくして、卒業論文の締め切りに追われた女子大生にとって、三億円事件はそのような記憶の中で生きている。このエピソードに触発されて言うなら、1975年12月に台本の締め切りに追われて芝居を書いていた劇作家はいたかもしれない。彼(彼女)にとって公訴時効は台本の締め切り日と重なっていて、事件はその記憶とともにあるわけである。

そもそも、公訴時効とは、犯人を追う警察官たちにとっての捜査における締め切りに他ならない。そういう意味では、大学生や劇作家だけでなく、1975年12月10日にいろいろな「締め切り」を抱えた世の中のすべての人たちにとって、三億円事件の公訴時効はちょっと特別な日であったのかもしれない。次第に迫ってくる"その日"は、その人たちの心の内にある焦燥感をいやが上にも煽ったにちがいないからである。

一つの事件には、その事件をめぐる実に様々な視点があり、ドラマがある。

※とあるアンケート。

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

※前売り券はすべて完売しました。ありがとうございました。

お父さんのボーナス

たくさんの高校の同級生が上演中の「好男子の行方」を見に来てくれた。わたしが通っていた高校は立川と国立の境目くらいに位置していたので、府中で起こった「三億円事件」は、リアルタイムではなかったが、身近な出来事だったと言えるかもしれない。そんな同級生一人であるAさん(女性)の自宅は、国立にあった。だから、三億円事件が起こった1968年12月のことは今でも覚えているという。

三億円事件が起こった当時、小学生だった彼女は、小学校の朝礼で体験した以下のエピソードをわたしに教えてくれた。先生が子供たちに事件の概要を説明した後、「皆さんは事件のことを知ってますか?」と問いかけた。すると、山崎くんという男の子が手を挙げて応えた。

「知ってます!  お父さんのボーナスが盗られました!」

そのエピソードを知ってわたしは笑ったが、なるほど、犯人によって奪われた三億円という現金は「東芝府中工場の従業員のボーナス」だったわけだから、山崎くんにとっては奪われた金は「お父さんのボーナス」であっておかしくない。このエピソードは、物事には多様な視点が存在することをわたしに教えてくれた。

ところで、観客には見えないが、劇中で使うジュラルミン・ケースの中身は紙幣が入った体の封筒がたくさん入っている。そのボーナス袋を作ったのは何を隠そうこのわたしだが、せっせといくつもの小道具のボーナス袋を作りながら、もしも盗まれなかったら、本来このお金は何に使われるはずだったのかをぼんやりと考えた。そして、このお金で息子にオモチャを買ってあげる父親の姿を想像した。Aさんのエピソードは、わたしにそのことを思い出させた。三億円事件の犯人が詫びるべき人間の一人が小学生の山崎くんであることは言うまでもない。犯人は山崎くんがお父さんのボーナスで買ってもらうはずだったものを奪ったのだから。わたしが三億円事件の犯人なら、この事実は相当胸に応える。

※三億円事件のジュラルミン・ケース。(「JIJI.com」より)

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

※前売り券はすべて完売しました。ありがとうございました。

自転車出勤

普段、わたしが劇場へ行く時に使うのは電車である。ごく稀に車で行く(誰かの車に乗せてもらって)こともないでもないが、駐車場がある劇場は滅多にないから、やはり劇場通いの基本的な乗り物は電車であろう。しかし、わたしはこの度、自転車で劇場へ通っている。わたしが過ごしてきた長い演劇人生の中でも初めての経験である。

「好男子の行方」を上演中のオメガ東京は、荻窪にある。わたしは中央線沿線に住んでいるので、劇場までは相当に近い。だから、昼間に仕事がある時を除いて、公演場所であるオメガ東京へ行く時は自転車を使う。言ってみれば「自転車に乗る演出家」である。「演出家」のイメージと「自転車」は余り結び付きにくい。「解剖台の上のミシンとコーモリ傘の出会い」ほど突飛ではないかもしれないが、舞台演出と自転車は文脈がまったく違うからである。だからか、自転車に股がって劇場へやって来るわたしを見ると、公演関係者たちの口許がちょっと緩むのを感じる。わたしを知っているアナタも、わたしがアナタの前に自転車に股がって颯爽と登場したら、やはり口許が緩むのではないか?

なぜ舞台演出家と自転車はミスマッチに見えるかと言うと、舞台演出という仕事は決してスポーティーな仕事ではないからだと思う。いつもイライラしながら舞台を厳しい視線で見つめている男が座っている演出席ーーそこは身体の躍動感が著しく欠けた場所である。場合によっては俳優に灰皿を投げつけるくらいの動きはあるが、今は煙草を吸える稽古場もないから、演出家の動きはさらに限定されたと言える。舞台演出家とは、本来、「動かない仕事」なのだ。だから、そんなヤツが自転車に乗って風を切って人々の前に現れる姿が物珍しいのだと思う。

前にも一度、書いたことがあるが、わたしが最も好む乗り物は自転車である。わたし自身が車の免許を持っていないせいもあるが、わたしは自転車ほど便利な乗り物はこの世にないと思っている。何より人力で動かせるのが好ましい。自転車というその乗り物の在り方は、人力(動物性エネルギー)がその根幹を支える演劇という表現形式の在り方とよく似ている。

※オメガ東京の自転車置き場。

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

※前売り券は本日12月16日(日)の18:00の回以外はすべて完売しました。ありがとうございました。

公演中!

ISAWO BOOKSTORE vol.1「好男子の行方」をオメガ東京で上演中。今日は何枚かの舞台写真を公開する。

※支店長室。

※藤岡支店長。

※銀行員たち。

※運転手の関根と新人の東野。

※松平次長。

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ISAWOBOOKSTOREvol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

【チケット状況】
   12日(水)19時 終了
   13日(木)19時 終了
   14日(金)19時 終了
   15日(土)13時× 完売/18時× 完売
   16日(日)13時× 完売/18時◎お勧め
   17日(月)19時× 完売
   18日(火)19時× 完売

【ご予約】
以下のURLよりチケットを承ります。

ご来場を心よりお待ち申し上げます。

近隣住民

「好男子の行方」を上演している荻窪にできた「劇的スペース・オメガ東京」は、キャパシティ100名くらいの小劇場である。場所は荻窪駅から徒歩8分余りの閑静な住宅街の中にある。閑静な住宅街の中にある劇場は、いろいろと悩みがある。たくさんの人が集まる飲食店が立ち並ぶ繁華街ならともかく、閑静な住宅街では、騒音の苦情が出やすいからである。

演劇そのものは劇場内で行われるから大きな問題はないが、問題は入退場時における多くの観客でごったがえす劇場出入り口付近である。夜間にたくさんの人が路上に溢れ、観客たちが芝居の興奮で冷めやらぬテンションで会話すると、辺りはちょっと騒然とするからである。演劇芸術に理解がある国や場所ならともかく、必ずしもそうではない日本の閑静な住宅街では、そういうことは実にデリケートな問題である。

わたしが演劇などにまったく興味がない一市民なら、夜間に近隣でたくさんの人々がワイワイガヤガヤしていたら不快に思うにちがいない。ただ「こっちは静かに暮らしたい」だけなのである。その主張は至極もっともなことで、不当なことはまったくない。わたしたちもそんなことをよく理解しているからいろいろと気をつかうのである。

かつてオウム真理教の人々を近隣住民たちが受け入れず紛争に発展したことがあるが、彼らは騒音を出していたわけではないとは言え、近隣住民の気持ちも理解できる。猛毒サリンを使ってテロリズムを実行するような組織を町が受け入れるわけはないのだから。もちろん、演劇に携わる人々は狂信的な宗教団体とは一線を画する理性的なグループだと思うが、そのように考えると、日常生活における「劇的スペース」の在り方は非常にデリケートな問題を孕んでいる。

※劇的スペース・オメガ東京。

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ISAWOBOOKSTOREvol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

【チケット状況】
   12日(水)19時 × 完売
   13日(木)19時△
   14日(金)19時△
   15日(土)13時× 完売18時△
   16日(日)13時△   18時○お勧め
   17日(月)19時○
   18日(火)19時△

【ご予約】
以下のURLよりチケットを承ります。

ご来場を心よりお待ち申し上げます。

「I-note② 舞台演出家の記録」発売!

「I-note② 舞台演出家の記録」(論創社)を上梓した。まだ書店の店頭には並んでいないはずだが、「好男子の行方」の初日を迎えた昨日、公演場所であるオメガ東京で発売を始めた。長いこと予告だけしていたが、ようやく出版にこぎ着けたわけである。今日はこの本の内容をご紹介する。

わたしは、常に公演の演出を担当する時、稽古初日にそのカンパニーに参加する出演者とスタッフに向けてノートを配る。ノートの内容は、演出家としてその舞台をどのように捉え、どのような舞台にしたいかを文章にしたものである。わたしの認識では、舞台作りの中心にいるのは紛れもなく演出家であり、演出家は車輪の真ん中にある軸のようなものだと考えている。だから、その意図を出演者やスタッフに理解してもらうために気持ちを明文化するのである。わたしが知る限り、普通の演出家は、そういうことを口頭で述べる場合が多いと思う。それはそれでいいのだが、わたしは自分の演出意図を言葉にすることが大事だと考えているのである。演出家の意図が明文化されていれば、人々はそれを読み返すことができるから。

本書は、わたしが演出を担当した1991年の「天国から北へ3キロ」(三谷幸喜作)から2012年の「旅の途中」(高橋いさを作)までの演出ノートを集めたものである。作品数は全部で48本。前半は劇団ショーマの公演が中心で、2000年以降はプロデュース公演が中心である。こういう本がどこまで一般の人が読んで面白いかどうかはわからないが、舞台演出に関わる若い人たちが、面白がって読んでくれたら嬉しい。演出という作業は言葉にしずらいものである。舞台演出とは機能や現象であって、本質的には言語化を拒むものだからだ。その言語化を拒む演出という作業が、どのような意図を持って行われたのかを知ることができるという意味では、本書は画期的な内容を持っているはずだとこの本の貴重さをアピールしたい。お手に取っていただけますことを。

※同書。

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ISAWO BOOKSTORE vol.1
「好男子の行方」
作・演出/高橋いさを
●2018年12月12日(水)~18日(火)
●オメガ東京(荻窪)

【チケット状況】
   12日(水)19時 × 完売
   13日(木)19時△
   14日(金)19時○お勧め
   15日(土)13時× 完売18時△
   16日(日)13時△   18時◎お勧め
   17日(月)19時△
   18日(火)19時△

【ご予約】
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