劇場を一つ作るということは | 高橋いさをの徒然草

劇場を一つ作るということは

かつてバブル経済で日本が沸き立っていた頃、企業が劇場を建設する機会が多くあった。演劇に携わる者として劇場がたくさんできることは嬉しいことだが、そんな劇場ラッシュを横目に演出家のつかこうへいさんは、以下のように発言していたことを覚えている。

「劇場を一つ作るということは、稽古場を三つ作るということだ。企業はそれを理解していない」

確かにその通りなのである。人々の耳目は「新劇場誕生!」という華やかな話題の方へ集まりがちであるが、劇場だけ建設しても、そこで上演する芝居(ソフト)への援助がなければ、羊頭狗肉の感はぬぐえない。そういうところに配慮があった企業は少なかったにちがいない。ソフトへの最大の援助とは、よい稽古場を劇場が提供することである。

芝居の稽古場に関する悩みを持たない劇団やカンパニーはほとんど存在しないと思うが、東京において、格安で自由に使える稽古場を探すのは非常に大変なことである。そもそもそんな稽古場が存在するかどうかもわたしが知る限り確約できない。それだけそういう稽古場は少ないのだと思う。

毎回、芝居の稽古をする度に、「朝から晩まで自由に使える作り手本位の稽古場がほしいなあ」と心から思う。しかし、都内にそういう場所を作りにくい事情もわたしなりに理解はしている。都心はやはり家賃が高いからである。都心から離れれば、比較的そういう場所も確保することはできなくはないが、稽古場に通う交通の便や移動時間を鑑みると、なかなかそういう場所を稽古場に選びにくいのである。また、当然、稽古場の管理の問題もある。だから、高い使用料を払って不自由な稽古場で稽古せざるを得ないのである。

こういう現状を打破するには、やはり、国が演劇文化をキチンと守ろうとする意思を持ち、そういう公共の場所をたくさん作ってくれることを夢見るしかない。少なくともわたしは「作り手側に立って使いやすい芝居の稽古場を作る!」と公約して選挙に出る政治家がいたら、迷わず一票を投じると思う。そんな政治家はいないにちがいないから、言ったそばから空しい気持ちを抱くことになるが。

※稽古場にて。