隠者の庵

隠者の庵

自閉スペクトラム症(昔は広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

前も書いた通り、憂鬱と不安と心配が絶えず混ぜ込まれた頭の中にいる。

笑いとか喜びとかない。そういえば最近本当に笑った記憶がない。

静かに自分が悩んでいることとか、思い煩っていることとか、そういう暗い考えが始終頭をグルグル回っている。

別に趣味をしても晴れるものでもない、趣味をしても楽しみがなくなったか少なくなったか、あるいは趣味に見えなくなったか。

理由や原因のわからないストレスでもかかっているのだろうか。

とにかく楽しさに欠けるが、だからといって他にすることもなく、ベッドで横になりながら天井を見つめている。

前だったらもう少し文章も簡単に書けていたのだろうが、頭が鈍ったのか何を書くべきか文章が出てこない。頭が動かない。

暗いものが頭に居座ればそうなる、としか思えないがとにかくきつい。

この状態で人と関わると自他ともにろくなことにならないだろう。こちらは何も喋る意思がないし、相手の会話に答えられる自信、意識がない。

そもそも外の環境というのが今の自分にとってはつらいものである。

散歩くらいならできる。人と会わないで動き回ることもまだできる。

しかし人混みの中に入って行ける気がしない。雑踏や行列など見ない方がいい。とにかく人の居ない場所でないと気が休まらない。

不安とは別に家の中だけでなく家の外でも関係無しに存在するものだから。

まだ今は身体が動いてくれるからいい。その内動けもしなくなったらどうすればいいのか。

誠に遺憾である。

昔から何かとうつ病みたいには言われているので、日常的に意欲がなくなったりする。ただこの数週で明らかに色々と精神状態が悪化した。

夜は眠れなくなった。薬を変えてから一応何とかなっているがそれまでがひどかった。四時間睡眠できれば上出来の状態だった。

趣味があっても、とても多趣味であることをウリにしていたはずが今目の前にあるコレクションを見ても何の意欲もわかなくなったり、

簡単なゲームでも義務感でこなしているだけみたいな状況になったり、

とにかく最近のマイナスの感情がはんぱない。

身体もそこまで動く気もしない。昔に比べたらずいぶん緩やかな動きになっている。

頭も回らない。考えがマイナス方向をグルグルし始めて脱出する気配が無い。

自分から話していることも、時々なにを話しているのか自分でわからなくなる。他の人に話を振られてもすごい無愛想な感じになる。

泣きたくはならないが強い刺激が外からやってこないから泣かないだけかもしれない。

食事も義務感で食べている。味とか本来気にするものが気になっていない。食べなければ死ぬから死なない程度に食べるしか無い。

当然自分で手の込んだものを作って食べようとかそもそも調理しようという意欲すらない。店屋物を買う気にもいまいち欠ける。

そんな生活をしていたら半月で二キロやせた。

要は全体的にボロボロである。

そして静かに過ごしたいが周囲もそんなに静かではない。リラックスして横になるべきだと思うが、そう簡単に話が進まない。

なにも気にすることなく、じっと横になっていることすらできない。

もう速攻で病院にでも駆け込んで何とかしろ、ということなのであろうか。

とはいえ、うつ病の薬というのは飲んでから効くにも時間がかかるし、治療のためには長い間飲み続ける必要もある。

昔にも似たようなことがあって一向に意識が向上せず抗うつ薬を飲んで何とかした時期もあったから。

何をするにしても意識が向上しないということは生きていることがつらいということである。

ちゃんと機能する薬を飲んでもちゃんと作用して生活を建て直すまでは悪夢みたいな時間を過ごさなければならない。

よくなるきっかけ、というものが根本的に欠けているから。それでも何とか生きなければならない。

誠に遺憾である。

別に眠りたくなくて眠れないわけではない。

勝手に起きるしそこから寝付けなくなるから眠れないのである。睡眠不足も薬を変えるなりなんなりして取り組んでいる。

そして夜中に起こされるのである。

最近はあまりに起こされるので起こされた時間をメモ書きしていかに眠れないかの証明代わりみたいなことをやっている。

だって起きるんですもの。

入眠にはそれほど問題はないから、そこから先だけが問題である。

ホテルなどで枕が変わってもそこまで眠れないようなこともなかったので、急に眠れないことになって何とかしたいがどうにもならない。

起きるから。

歳を取ると中途覚醒しやすくなったり、早朝覚醒しやすくなったりすることも知っている。加齢は睡眠にも影響を及ぼす。

しかし数日で露骨にガラッと睡眠の質が変えられると、変えられたほうもついていけなくなる。

生活するのにも必死である。睡眠不足だから頭が回らない。判断力が落ちる。いざという時の行動ができない。

何より話がうまく行かなくなる。それは前にも書いたが、前に話した人とはまた別な人と話しても、

福祉担当の職員と電話で軽く話しただけで、いつもと口調が違うから、急に面談をしなければならないほどの状態である。

これがこのまま続いたら本格的にだめだし、病院も睡眠障害が新しく専門として加わるような時代なので、

心療内科と兼ねて睡眠障害にも取り組まなければならないことになるかもしれない。それくらいには睡眠に不安や不満がある。

ついでに眠れないことによって、適応障害やうつが悪化したら、もう個人の努力だけでは手に負えなくなるから。

もともと不眠の傾向が強くて、ずっと睡眠導入剤は飲んでいるから、変えたり強くしたりしても一向に眠れないのは大問題である。

どんどん薬が強くなって耐性ができたら本当にどうやって眠ればいいのか。

まったくもってひどい話である。

誠に遺憾である。

最近不安なのはとにかく夜に眠れなくなることである。一日四時間睡眠とか修羅の道を歩きたいのか、というような睡眠時間である。

それも睡眠導入剤で眠っているから入眠にはそれほど問題はない。

本当の問題は中途覚醒をしたまま早朝覚醒みたいな感じになり、夜中に起こされたあげくまた入眠できないまま、そのまま朝を迎えてしまうことである。

朝三時に起床、あとはお察しください。当然睡眠不足なので、仕事の上で多少判断力が必要なことは大抵ミスする。

会話をしようにもいい感じでつなげなれない。言葉が出てこないし、相手の言葉の意図が分からない。

もともと自閉スペクトラム症でコミュニケーションをつなげられなくなっているのが、より一層つなげられなくなっている。

もう選択緘黙ですか、というくらい何も言わないくらいしか無難にその場をやり過ごす手段がない。

睡眠不足、不眠はそのようにひとりの人間を縛っていくのです。

それもほぼ毎日。三日も四時間睡眠とかになってしまったら、一晩寝なかったのと同じ目にあう、とネットには書かれていた。

実際本当にダメージが大きくきつい。作業所の簡単な作業をしていなければとても仕事どころではなかっただろう。

個人的な負担の少ない作業所に行っているからかろうじて助かっているようなものである。

一応休もうと思えば休めるし、ペース配分とか一定の成果をあげることを考えなくて済むから。

普通の仕事ならまず怒られるし馬鹿にはされるし勤怠にも響くね!としか言いようがない。

別にゲームや趣味に取り組んで夜更かししたから睡眠不足ということではない。

規則正しい睡眠時間を確保しようとして定時に寝ているのに勝手に起こされるのである。

どうにもこうにも寝るための薬を多めに飲んで調節しても一日の睡眠時間が四時間である。

これ以上何を努力すればいいのか。環境自体を変えるしかないのか。

天気によっては、やっと寝られたと思ったら風が強くて音が鳴り、いとも簡単に起こされたあげく二度と眠れない。

この一週間ろくな睡眠をしていないので間違いなく不健康一直線である。

なぜわざわざ毎晩夜中に起こされて寝られないような酷い目に遭わなければならないのですか。

誠に遺憾である。

内側でも外側でも環境が変化して何か聞き慣れない音が鳴るようになったら何かと不安になる。

これはどうして鳴るのか。どこから鳴るのか。止められないのか。

そうして大元を調べて何をしても止められないものだとわかると不安になる。

気にしない、ことにはできない。

他にも家電を使った音とか、外を誰かが騒いで回る声とか、近くの生活音とか、

細かいが細かい音が気になって仕方がない。

私が一体何をしたというのか。

静かな環境を求めるのはそんなに不合理なことか。とにかく絶望する。絶望して不安に陥る。

ホテルなどで隣の声や外の交通機関の音とかが鳴り響いたらもう強い睡眠導入剤でも飲んでなかったことにするしかない。

音があることに対して不安を感じるタイプなので。

水音ですら不安になる。そのほかの音について不安にならないことはないだろう。

そうして眠れなくなる。

誠に遺憾である。

最近不安が強く、何をするにしても不安が頭に引っかかったままで過ごしている。

不安が頭の片隅にあるので、人との関わりや手の込んだ複雑なことが出来なくなる。

家に帰ったら布団の中にいてじっとするか、手短に食事や風呂などの生活活動を済ませるくらいで、他に何をするかという意欲もわかない。

考え事を繰り返して何もないこと、何も起こらないことを祈ることしかできない。

なにについても最悪のことになる、破局的思考、がしみついてしまっているから、不安を感じなくなるにはとても苦労が要る。

生きるのがつらい、一人でも集団でも何をしたら救われるのかなどと考えて生きている。

たとえ何も起きなくても不安であることには変わりない。これが死ぬまで続くのかと考えると生きていることが奇跡みたいに思えてくる。

生きているのは生きているが、頭を不安に引っ張られながら何とか生きているようなものである。

一体何が生きる術なのか。何をしたらこの不安が良くなるのか。

何も見えなければ生きている気がしない。

誠に遺憾である。

ゲームをやっていると必然的にリチウムイオン電池とは長いお付き合いをしなければならない。

携帯できるゲーム機には大抵リチウムイオン電池が入っている。

充電池だから当然劣化する。膨張や発火とも隣り合わせである。万一家で火を噴かれたらたまったものではない。

だからゲーム機の操作にも気を付けなければいけないし時折レトロなゲーム機のを調べて膨張していないか確かめないといけない。

でも時折突然発火もあるのがリチウムイオン電池の怖いところである。

スマホもタブレットもワイヤレスイヤホンもうんたらかんたらもリチウムイオン電池が当たり前のように入っているので完全に包囲されている。

充電用のモバイルバッテリーなんてよく膨らまされるが、何でも放っておいたら怖いものは怖い。

この間古いノートパソコンのリチウムイオン電池を外して処分したが家にあるリチウムイオン電池が全然減っていないような気がしてならない。

別に電気やガスでも、使い方を間違えれば発火するが、リチウムイオン電池はなにもしないところから膨らんで発火するから怖いのである。

何ならこっそり置いてあるものが火を吹く可能性もある。

扱いは時限爆弾みたいなものである。古い機器とか使っているのが危機みたいなものである。

いつまで使えるのかと思うと不安に不安を重ねて全部処分するか、この際回りに燃えるもののない庭で金具でも刺して一回火を吹いてくれないかと思う。

一回燃えればもう燃える心配をしなくていいから。

手元に燃える可能性があるものが存在することのなんと落ち着かないことか。

誠に遺憾である。

今日も一日大きな音が来ないように何とか生ききりましょう、とか思いながら生きるのは本当に平和なのだろうか。

どんな大きな音がやってくるかわからないような環境にいると生きる意欲が失われる。

逃げるように目的もない散歩やドライブに出かけたりして家に帰りたくなくなる。

いつやって来るかわからないようなものに怯えながら生きるとなにも手につかない。

生きてはいるが実際生きているだけである。息を吸って吐く。終わり。

娯楽は溢れるくらい手元に置いてあるが実際生きている以外にすることがないので、

単なる宝の持ち腐れである。売り払おうにも気力が無い。

その内誰かが勝手に処分しないかなどと思うようになるのだろうか。

誠に遺憾である。

近頃は発達障害、ADHDやASDの近くに「愛着障害」という言葉が現れてなにがどうなってるの?と思っている。

愛着がうまく構築されなかったら精神的な病に見えるときもある、って両親共働きに対する刑の宣告か。

また保護者の責任でも増やそうというのか。

家庭環境が良くなった方がいい、というのは言うまでもないが、それが上手くいかなかったら障害になる可能性、とか言われたら、

昔の「男は仕事女は家庭」みたいなこり固まった家庭環境にしろと、半ば押し付けている形になってしまうのではないか。

その内保育園についても愛着の形成が、などと変な言葉が投げかけられるかもしれない。

そもそも後天的な発達障害のように見える症状って何だよ。今までの先天的な発達障害者はどうすればいいのか。

また生育歴や記憶を探って親の不備を見つけて問い詰める作業でもすればいいのか。そんなに保護者の負担と責任を増やしたいのか。

○○障害は親、保護者のせいとか、執拗に養育者に刃を向けるようなことは辞めていただきたいと思うのである。

そんな完全無欠な親なんている方が稀である。

ひどい養育環境、虐待とかヤングケアラーとかに問題の眼を向けるべきであっても、

可能な限りかたよった(ひどい、ではない)養育をしないだけでも、誰にとっても一筋縄ではいかないものである。紆余曲折もあれば衝突もある。

それらにいちいち障害のラベリングを貼っていったらきりがない。先に保護者が潰れる。

親子の変ないざこざはどこかで生じるものである。これは避けられない。それでもちゃんと子供に気を配る、子にとっての安全地帯になる。

これをああだこうだ言って愛着障害まで話を拡大していったら、それこそ子供を産む気持ちも無くなってしまうだろう。

誠に遺憾である。

色んな音が実にやかましく聞こえるので耳栓やらイヤーマフやらノイキャンイヤホンとか常備して毎日恐る恐る生活しているが、

いつまでたっても慣れないものは慣れない。むしろ大きな音を聞き続けることによって、トラウマのネタが増えていくのではないかと。

音楽をやっているとき、楽器を演奏しているときなどは聴覚過敏がいい方にも使えるが、

それ以外の、音楽が全く関係ない場での聴覚過敏というのはただの騒音拡大装置である。

とにかく音がつらい。自閉スペクトラム症にはとことん感覚過敏の問題がついてまわるものである。

ひどい音がやってくると耳を塞ぎたくなるが一般人に擬態していると何でもかんでも耳を塞いでいられない。

日常は音のない生活、と言い出すと防音とか耳につけるものとかの器具について詳しくなったり、

家出して静かな場所に腰を落ち着けて帰らない方がよいのではないか、とか、本当にきりがない。

楽器のチューニングを間違えると自分で出す音すらきついのに、他の人や物が出す音について全く反応がないなどということはあり得ない。

ずっと音楽もやっているが、いい方に聴覚過敏が収まる気配なんてない。

感覚過敏の治療でより大きな刺激を与えて(暴露した状態で)慣れるとかいう療法があるが、多分色々な意味でメンタルが窮地に追い込まれる。

心が嫌だから避けているものを敢えて近づけると心が死ぬ。

香水などの嗅覚過敏もそうだが、小さい頃から長い間タバコを吸う人が周囲にいて、慣れたという気分になった覚えはない。

子供の頃からずっと嫌煙家だが、慣れるとかそういう次元の話ではなかった。いつでも根本的に受け付けない。

タバコを吸う人の家の洗濯物がタバコ臭いので、もう一回丁寧に自宅で洗濯する人の気持ちはわかってほしい。

何年経っても慣れないものは多分一生無理だと思うのである。

香りだけではなく、音も同じ事が言えるのである。一定の刺激が苦手ならば、それはきっと一生一定のダメージを心に与え続ける、と。

歯医者のドリルだって、小さい頃は本当に苦手で、音の少ないのを歯医者に使わせていた記憶がある。

ダメな音は本当にダメージでありダメなものである。習慣で慣れろとかそれは普通の人に言っていただきたい。

誠に遺憾である。