田舎の田舎度が段々進行すると、人がいないからサービスがますます悪化していく。
内科はたぶん大丈夫?とは思うがすでに脳外科とか高度な専門科はないので、これから今の後期高齢者がいなくなれば、
何が残るかなんて予測もつかない。なんならここにいない方がよくなるかもしれない。
少なくとも障害者福祉に関しては発達障害傾向の人々に対するアプローチとか、施設によるケアとかがますます難しくなるのは想像に難くない。
施設の規模は人口に比例するのでこのまま過疎化が進めばそもそも障害者なんて抱えきれないだろう。そして高齢者介護に回される。
認知症とか後天的に負った障害ならともかく、先天的な発達障害(知的障害という意味も含めて)などは特別支援学校から地域の受け皿がなければ、
仕事というか作業所も含めて、きちんと面倒の見きれる大きさの施設、宿舎、グループホームに行かなければそもそもが不幸になる。
障害者であるからこそ地元には住めない、というか本当に仕事がなくて都市部に引っ越すかそういうグループホームに移った人々もいるわけである。
仕事もなければ通院も遠距離、なんならメンタルケアのために人間関係も一新しなければならない、そもそも地域にトラウマがある、とか、
田舎ならではの近い人間関係が障害者には弊害になり得る時もある。
特にこだわりが強いけれども自分以外その事について興味関心がないから、何も話が進まないとか、人が多ければまだ何とかなりそうなものも、
話しても聞き流されるとか、なんなら迫害されるとか、地域だから、田舎だからこそどうしても通じないこともある。
そういう事態になったときにケアが必要になるが、田舎故に誰もかも顔見知りなら何故トラブルになったかもご存知な訳で、
そうなると何処か遠くの場所に行ったまま帰りたくないような心境にもなり得るわけである。
なんなら近所の、隣の人すら誰なのか素性も知らないわからない場所にいた方がまだ平和でいられるかもしれない。
家族が味方であったとしても、それ以外の地域、近所づきあいにいい思い出がなければ家から一歩外に出ただけで地獄である。
少なくともメンタルにいい作用をもたらしはしないだろう。常に敵に怯えるような生活が平和なんて言えるものか。
その内逆に「駆逐してやる」とか思い始めたらある意味お終いである。
そういう意味では障害者というのはいずれ同じ場所に住めなくなる運命を背負っているのかもしれない。
或いは逃げた先の施設の頑丈さに頼ってひたすら守られなければ身も心もとても不安にさらされ、恐怖に怯えるようになるだろうと思う。
長く付き合えば付き合うほど、その障害者の嫌なところや欠点が嫌でも目についてきて見過ごせなくなるように。
田舎は人と人の距離感が近いので、ヘタに関わってきてお互いに気まずくなる。そして地域としてその人をいい意味でも悪い意味でも見過ごせなくなる。
そうなれば人間関係そのものを負担に思う人間にはとても住みにくい場所だと言えるだろう。
何故なら人間として、一個人としての人間として時に一人になりたいという願いも叶わなくなるから。
見張られているというのは良くも悪くも監視ということに他ならない。気にされたくないのに気にされるとき、人間は不幸になる。
都会なら人が多すぎて構っている暇もないからある意味本当に孤独になれる。
同じマンションに住んでいても、この建物に住んでいる人が誰が誰だか問題や事件でも起きなければ知らないように。
確かに障害者は弱者であり、ケアやある程度の監視も必要になるだろう。しかしいつもそういう風にされるのは、健常者と同じように疲れる。
少しは一人であることの自由を噛みしめたいが、人がいなければいないで人の目は厳しくなる。
誠に遺憾である。