昔福祉の講座か何かで、重度重複障害者の話を聞いたことがあるが、
率直に思えば、私がつべこべ言う前に、何故人間は生きなければならないのか、ということに尽きる。
呪われよ
苦しみを選ぶ
注意
何故あなたは死ぬか
みたいな救いようのない選択肢ばかり並べられるとそもそも生きる意味を失う。
知的障害とか簡単に言うが、IQが計測不能だったり、身体の変形がひどく自力での移動が不可だったり、
意思表示以前に生命維持を優先されるから、食事は全部胃ろうだったり、定期的に吸引をしなければ呼吸困難に陥り生命の危機に陥ったり、
そういうのを複合的に抱えているのが重度重複障害者の世界である。
人間として生きるとは一体何なのか、発達障害くらいであれこれ言っているような場合ではないと思いました。
意思表示をその人がするとしても非常に微弱で、顔の筋肉の少しの動きでその人の表情と感情を判断しなければいけない、
発達障害傾向でも軽い知的障害で済むならまだ自分の言葉で意思表示することも出来るが、
そもそも言葉をもたない場合、人は一体何を思うのか。何を何で判断すればいいのか。
重度重複障害者の施設ではないが、昔(ということにしたい)知的障害者の施設で暴れ回った奴がいて、今も裁判の真っ最中だが、
人権を重んじなければならないのは前提として、本当に人間として出来ることは何か。
介護や看護をする人間は人間としてどうしなければならないのか、答えが見つかりそうで見つからない問いを永遠にぶつけられる。
まだ言葉に出来るだけ、言葉に出来るが、障害によって守られるものとは何か。守らないものとは何か。考えないふりはできない。
自分の世界に障害(者)という概念を入れたことがない人は幸せですね(皮肉)とはたまに言いたくなる。
自分自身が障害者であるから、より一層なおさらのことである。
2級ってもう上は1級しかないんですよ、とは言うがその1級との間には暗澹たる溝が開きっぱなしになって何かどす黒いものが流れている。
さて2級ごときが何が出来るのか。幽☆遊☆白書で戸愚呂弟を何とか倒したらB級で、その上にAとSがいるという絶望感みたいなものである。
おそらく私は重く見積もったとしてもB級程度であり、計り知れない何か、言葉にしたくても出来ない何かがそこに横たわっている。
誠に遺憾である。