商売人の子供は・・・。
気温が低すぎると雪に湿気が無いので箒でも掃けてしまうくらいのパウダースノー! スキーには最適なんじゃないでしょうか?
残念ながら私は、小、中、高の学校でのスキー教室以外にしたことが無いんです。 近くにスキー場があるんだから、”よく行くんじゃないの?”と、思われがちですがそうでもないんです。 何時でも行けると思っていたらもうこんなに経ってしまいました。
我が子たちには・・・と思っていましたが、何せ曜日が合わないし、子供たちは土・日には部活があったりで一度も連れて行くことが出来ません。
主人は子供の頃によくスキーへは行っていたのでく上手らしいです。 でも、店をしてからは、殆ど行かなくなりました。 ”怪我をするのが怖い”と言います。 怪我をすれば営業が出来なくなるのでそのことを心配してるんです。 商売してるとこう言う時に困りますよね。 子供たちと何処かへ行ったの は、何年前になるんだろう?
仕事の事は理解してくれてるらしく、『何処かへ連れて行って欲しい』って言う事もなくなってしまいました。家族のためとは言え『ごめんね』としか言えないのが辛い。
月に1~2度、豊岡へ連れて行くぐらいで満足してくれるから可愛いもんです。
2月3日
節分は2月3日だけではなかった! 知らなかったのは私だけ? 節分とは、呼んで字の如く季節を分ける」と言う意味。 だから、節分の始まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の前日はいずれも節分と言う事になる訳です。 現在、節分といえば立春の前日、これは旧暦の時代から立春頃に一年の始まりを意識した習慣からだそうです。 特に立春前の節分が他の節分よりも重要視された結果ではないかといわれています。
では、何故 豆を蒔くのか? 節分の日には、炒った豆を年神に供えたあと、その豆を年男(その年の干支の生まれ)が「鬼は外、福は内」と発声しながら蒔きます。 この時に蒔かれた豆を、 自分の年の数だけ、あるいは年の数より1つ多く食べて一年の無病息災を願う風習があります。 「鬼は外」という行事は、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った“ 豆打ち”の儀式が融合したものといわれています。
そして、”企業戦略”ではないか?と、される「巻き寿司の丸かぶり」はと言うと・・ 節分の日に「 恵方を向いて太巻きを食べる(丸かぶり)」は、太巻きの中のキュウリを“青鬼”、生姜や人参を“ 赤鬼”に見立て、節分に鬼をやっつけてしまう・・・という意味があります。 ちなみに>恵方(えほう)とはその年の吉神が鎮座している方角を言い、今年は 南南東 の方角です。 巻き寿司を使うのは、「福を巻き込む」からで、丸かぶりする理由は「縁を切らないために包丁を入れない」ということになったようです。 蕎麦屋なのに”節分蕎麦”を忘れてはならない! 節分は旧暦の大晦日にあたる事から、鬼を払い春を迎えるための意味をこめて『蕎麦』を食べると言われています。
《余談ですが・・・。》
出石に菅谷と言う地域があり、昔は正月と節分に、村の男性が早朝3時から5時頃の間に井戸の水を汲んで仏さんにお供えをする行事があったそうです。つるべを使って井戸水を汲む時、『フクトンブリ、トクトンブリ、コガネノマルカケ クミコンダ』と、唱えながら汲むそうです。
この行事は、昔井戸の無かったこの村に立ち寄ったお坊さんが、隣村まで水を汲みに行ってくれたお婆さんにお礼にと水源を探してくれたと言う話に由来するそうです。
そして、このお坊さんは、弘法大師だとされています。
今では、もう水を汲みに井戸へは行かないでしょうが・・・。
食欲に勝るものなし!
昨日、知り合いから”サザエ”と”アワビ”を頂いたんです。家へ持って帰って焼こうと網へ載せていたら、サザエが殻から、 ムニュ~!っと出て来ました。 子供たちに見せてやろうと呼んだんですが、サザエはビックリしたのか引っ込んでしまいました。 子供たちはとても残念そうで、『サザエさ~ん出て来て下さいな~!』と、箸で突き始めました。 『 静かにしとったらまた出て来るかもよ』と、言うと子供たちはヒソヒソと小声で話し始めました。
そうするうちに、またムニュ~!っと顔?を出して来て今度は何やら触覚?のようなものまで! 『いや~!! 気持ち悪いかも! ホントにこれ食べるんか?』と言い出したので、やっぱり、見せるんじゃなかったな~。と思っていたんです。
ところが『お母さん、気持ち悪いで はよ焼いて食べよ~な!』 エッそう来たか! 普通は、可哀想とか思うんとちゃう?
焼いてる間も ♬サザエさん♬ を歌いながら『う~ん!! いい匂い』と、食べる気満々。 焼けて殻から出してやると大喜びで、全てぜ~んぶ食べてしまいました。
当然、子供なら嫌がりそうなあのシッポみたいな所まで!
君たちは たくましい! 大したもんだ。
怖いもの?
毎日夕方の六時半~七時頃になると”ドン!、ドン!、ドン!”と家の上から下へと鳴り響く太鼓の音。 幼い頃、其の太鼓が聞こえると「悪い子供を連れて行くために太鼓を鳴らして捜しているんだゾ!」と、両親に吹き込まれていました。 そして、心当たりが多大にある私は、其の太鼓の音が聞こえ始めると コタツの中に隠れて過ぎていくのを待っていたものです。
今でも、寒行の太鼓を聞くと当時の事を思い出します。
今、私の子供たちが「あれは何の音?」と聞いてくるので同じように言って見た所、「ふ~ん?!それで?」みたいに言われてしまい ガッカリ。 子供たちには”心当たりは十分あるはずなのに何で怖くないんだ?”と不思議に思ってしまいました。
私には、あの太鼓をたたいて通るお坊さんはナマハゲ的な存在だったのに!
うちの子供たちは現実派? 私の脅しようが足りなかったのかなぁ?
なんじゃもんじゃの木
出石の町に奥山と言う地区があります。その名の通り 山の奥。 でも、そこは町の中より更に空気も水も綺麗で、夏はひんやりと涼しく ホタルの里 としても知られています。その奥山に 徳神社 があり、石の鳥居をくぐって神社へ登る正面に何とも不思議な大木が御神木として祀られています。 この大木、本当は かごの木 と言うそうです。
特徴は、幹の木の皮が 小鹿の背の模様 に似ており、その皮は剥がれ落ちていくんです。 そして、かごの木の根元からは二本の椿の木が寄り添うように生えていて、ちょうど三本の木が不思議な一本の木のように見えるのです。 皆して、なんちゅうもんじゃ? 何と言う物だろう? と言いい、つの頃からかこの不思議な木を かごの木 と言わず、 なんじゃもんじゃの木 と言う様になっ親しまれています。
久々なもんで・・・。
おまけにこの日の朝は、我が子たちがバレーボールの遠征で、朝が早かった! 4時起きをしたもんで、かなり参ってました。 少し前までは、コネの10や20なんてど~って事無かったのに。でも、打ち手さんはもっと、も~っと過酷な作業のはず。 私も一応、蕎麦を打つ事は出来るんでよ~く分かります。 お父さんホントご苦労様です! これからも遠い中入佐屋へ来て頂くお客さんのために一緒に頑張りましょう。
権兵衛さんと蕎麦伝来300年
出石城跡 (通称:お城山)の本丸跡に出石の藩主仙石氏の祖である 仙石権兵衛秀久(ごんべえひでひさ)を祀る神殿 (感応殿:かんのうでん)がある。
この 権兵衛さん は、あの 豊臣秀吉 に仕えていたらしい。 戦国時代の、信濃の豪族で小田原攻めでは凄い活躍をしたので 秀吉の四天王 と呼ばれ、信濃小諸(しなのこもろ)城主になったそうです。
更に権兵衛さんが凄いのは、秀吉の伏見城に忍び入った 石川五右衛門 を捕らえたとされてる事。
余談ですが、毎年3月に 初午 と言うお祭りがあるんです。 其の祭りの日は、何故だかあまり 天候に恵まれた事が無い。 そして雨が降ると”五右衛門の崇り”とか”五右衛門の涙”と言うんです。(権兵衛さんが五右衛門を捕まえたから?)
仙石氏が出石へ来たのは、1706年(宝永3年)。 権兵衛さんの子孫、仙石政明氏が信州上田藩からお国替えのためにやって来た。 其の時、一緒に連れて来たのが 蕎麦職人! 其の蕎麦職人の技術が現在まで伝わっていると言う訳なんです。 だから、出石が蕎麦の町で有名になったのは、仙石政明氏のお陰!ですね。 (去年は、出石城築城400年でしたが、今年はなんと! 蕎麦伝来300年! 町でも4月から蕎麦伝来300年祭として盛り上げていくそうです。)
元に戻して、感応殿 は明治期になって仙石氏の旧家臣が権兵衛秀久を偲んで建てたもので、町の人はこの神殿を『権兵衛さん』と呼んでいます。 (今では、おじいちゃん、おばあちゃんなど年配の方しか言わないかも知れませんが・・・。)
私の小さい頃、祖父がこの神社の事を『権兵衛さん』と呼んでいたのを覚えています。 でも、其の由来など考えても見なかったので今こうして新たな発見をしました。
韓国からのお客さん
そして先日、そのホームステイ先の家族の方と4人の慶州の小学生が一緒に 入佐屋へ 蕎麦打ちの体験に来てくれました。
言葉は違いますが、やはり同じ民族! 話をしなければどの子が日本人で、どの子が韓国人だか分かりませんね。
韓国でも蕎麦粉は使うんでしょうが、日本のような蕎麦切りにはしないはず。 確か韓国冷麺なんかに使うんじゃなかったかな?
でも、皆楽しそうにしてました。 いい思い出になってくれれば嬉しいですね。
入佐屋も国際的になったもんだ! そうそう! 国際的と言えば、 遥か海を越えた異国でも愛読して頂いている方がいると聞きました。 ありがとうございます。
今度出石へ帰って来られたら是非、蕎麦を食べに寄って下さいね。 待ってま~す。
その昔・・・。
日本最古の書物 『古事記』の中には、新羅の國から渡来してきた 天日槍(あめのひぼこ)伝説 があります。
記録によると、約1万年前の出石は、円山川から出石川に沿って日本海が深く入り込んだ 入江湖 だったと考えられています。 天日槍が瀬戸の岩山を切り開いて、入り江だった但馬を陸地に変えたとしています。
そして、この 天日槍 は出石神社の祭神であると同時に但馬開拓の神様として古くから人々に信仰されてきました。
其の後、この地に人々が住み始めたのが数千年前の縄文時代。
遺跡も多く残っており、出石神社の近くにある 袴狭遺跡、入佐山の茶臼山古墳 などを初め400基が確認されています。
袴狭遺跡は役所跡で、出土したものの中に、『秦』と云う姓の書かれた土器や木簡が多く出てきました。 この事から、当時の高官が 秦氏 と云う一族だったとして考えられています。 そしてこの『秦氏』は韓国(新羅)の渡来系移民と云われてます。
これらの事や天日槍伝説などにちなんで、出石町は平成3年に韓国(新羅の國)の慶州市と友好親善交流宣言をしました。
そして毎年韓国から多くの交換留学生を迎えます。 今年も慶州の小学生が来ましたし、昨年の7月には出石町の子供たちも韓国へと行っています。
