組織の仕事量を増やす「破壊者」 ――管理する側が便利になっただけでは、業務改善とは言えない
社会悪の根源という教えがありますよね。 普段書いている自制できていない欲と自身の内にある悪の関係とも大いにあり、その最もひどいのが自己愛やサイコパスなどですので、こういう組織運営にも信仰が多分に含まれているのです。 組織の仕事量を増やす「破壊者」 ――管理する側が便利になっただけでは、業務改善とは言えない 仕事の量というものを考えるとき、どうしても私たちは「目に見える作業量」で判断しがちです。 電話を何件したのか。 パンフレットを何部配布したのか。 何人に確認したのか。 何件の報告をしたのか。 Excelに何件入力したのか。 こうした数字は非常に分かりやすいので、「仕事をどれだけしたか」を判断する材料になります。 しかし、本当の仕事量は、表面に見えている件数だけではありません。 仕事には、表面上の量と、内面上の量があります。 そして組織が大きくなるほど重要になるのが、 「その仕事を一人が行ったとき、組織全体ではどれだけの仕事が発生するのか」 という視点です。 単純作業に見えても、その後ろには大量の仕事がある 例えば信仰活動であれば、 信徒への電話 出欠の確認 指示の伝達 パンフレットの配布 活動状況の確認 などがあります。 一つひとつだけを見ると、単純な作業に見えるかもしれません。 「電話をした」 「確認した」 「パンフレットを配った」 それだけなら、たいした仕事量ではないように思えます。 しかし、実際にはその後ろに必ず事務処理があります。 電話をしたら、その結果を記録する。 確認したら、変更を台帳に反映する。 指示を出したら、進捗を確認する。 パンフレットを配ったら、誰に渡したのか、反応はどうだったのか、その後どうするのかを記録する。 つまり、 一つの行動の後ろに、別の仕事が何段もついている。 ここを見なければ、本当の仕事量は分かりません。 「修正しました」が、現場の仕事を増やすこともある これはメールやデータのやり取りでも同じです。 例えば、上層部に近いところから、 「データを修正しました」 というExcelや資料が送られてきたとします。 送った側からすれば、 「修正して、メールで送った」 これで仕事が完了したように感じるかもしれません。 しかし、それを受け取った現場はどうでしょうか。 「どこが変わったのだろう?」 と確認しなければなりません。 以前のデータと比較し、変更箇所を探し、自分の持っている台帳を修正し、必要なら関係者にも伝えなければならない。 一つの修正であれば、それほど大きな問題には見えません。 しかし、それが10件、20件、30件となれば話は変わります。 事務局側では一度修正しただけでも、その確認作業が10か所、20か所、30か所で発生すれば、組織全体では何倍もの仕事になります。 つまり、 「自分は一回しかやっていない」 という考え方では、組織全体の仕事量は見えません。 仕事を下に流すほど、仕事は増殖する ここで非常に重要な問題があります。 それは、 事務局が自分たちの仕事を現場に流してしまうことです。 本来、事務局というのは、現場が活動しやすいように情報を整理し、集約し、効率化する役割があります。 ところが、事務局自身が処理しきれなくなった仕事を、 「現場でやってください」 と下へ下へと流していく。 これは一見すると、仕事を分担しているように見えます。 しかし、組織全体から見ると逆です。 例えば、一人か二人で処理できる仕事を、30の現場に流したとします。 すると、その仕事は30か所で処理されます。 それぞれの現場で、 「何をすればいいのか確認する」 「資料を探す」 「入力する」 「確認する」 「報告する」 という仕事が発生します。 つまり、事務局では一人、二人分だった仕事が、現場に流した瞬間に何十人分にも膨らむ可能性があります。 だから、 一人、二人で済む仕事を、30の現場に流すことは、仕事を分散しているのではない。仕事を増殖させている。 という見方が必要です。 そして、最も危険なのが「組織の破壊者」 ここで私は、組織にとって非常に危険な存在について考えたいと思います。 それは、必ずしも悪意を持っている人ではありません。 むしろ、 自分の判断によって、組織全体にどれだけの仕事が発生するのかを想像できない人 です。 さらに問題なのは、その人が自分で仕事を下へ流しておきながら、現場が処理できなかったときに、 「なぜやってくれないのか」 「協力してくれない」 「現場の意識が低い」 と怒ってしまうことです。 これは非常に危険です。 なぜなら、自分が作り出した負荷を、負荷を受けた側の問題にしているからです。 「協力してもらっている」という感覚があるか 現場に仕事をお願いすること自体が、必ずしも悪いわけではありません。 組織ですから、必要に応じて現場に協力してもらうこともあるでしょう。 しかし、その場合には、 「本来はこちらで処理すべき仕事ですが、こういう事情があるため、現場の皆さんにお願いしています」 という姿勢が必要です。 少なくとも、 現場の時間を使ってもらっている という認識が必要です。 ところが、 「これくらい当然でしょう」 「やってもらって当たり前」 という態度になってしまう。 そして、現場ができなければ怒る。 これはもう「協力をお願いしている」のではありません。 負担を押しつけているのです。 そして、その構造を作ってしまう人は、結果として組織を内側から壊していきます。 だから私は、こういう人を「組織の破壊者」と呼んでもいいのではないかと思います。 さらに危険なのが「管理する側が便利になっただけ」のシステム この問題は、コンピューターや報告システムにもあります。 例えば、 「Excelのテンプレートを作りました。これに入力してください」 「スプレッドシートで報告してください」 と言われたとします。 一見すると、とても合理的に見えます。 紙より便利。 オンラインだから共有できる。 一覧で見られる。 集計しやすい。 確かに、管理する側からすれば便利になっているかもしれません。 しかし、そこで一度立ち止まって考える必要があります。 「それによって、現場は楽になっていますか?」 ここが最も重要です。 管理側の便利さと、組織全体の便利さは違う 例えば現場がすでに台帳を持っているのに、さらに新しいExcelへ入力させる。 さらにスプレッドシートにも報告させる。 そうなると、 元の台帳に入力する。 ↓ Excelに転記する。 ↓ スプレッドシートにも入力する。 という作業になります。 これは「デジタル化」されたように見えます。 しかし、人間がやる仕事は増えています。 管理する側は、スプレッドシートを見れば一括で確認できる。 確かに便利です。 でも、その便利さのために現場が一件ずつ入力しているのなら、 管理する側が便利になっただけ なのです。 これは、組織全体としての業務改善とは言えません。 「システムを作った」ことと「仕事を減らした」ことは違う コンピューター業務で、絶対に混同してはいけないことがあります。 それは、 システム化=業務改善 ではないということです。 本来、コンピューターを使う目的の一つは、 人間が繰り返している作業を減らすこと です。 一度入力した情報を何度も入力しなくていい。 一つのデータから必要な帳票を自動的に作れる。 誰が何をしたのか一括で確認できる。 自動で集計できる。 同じ情報を複数の台帳に転記しなくていい。 こうした仕組みこそ、コンピューターの力を活用していると言えるでしょう。 ところが、 「コンピューターを導入したので、現場はこのフォームに入力してください」 だけでは、単純に人間の仕事をコンピューター上に移しただけです。 場合によっては、 管理者が楽になるために、現場の作業を増やしている ことすらあります。 これは、コンピューターを使っているから効率化されていると思い込むと、非常に見抜きにくい問題です。 本当に優れたシステムは「入力する人」も楽になる 本当に良いシステムなら、 入力する人も楽になる。 管理する人も楽になる。 確認する人も楽になる。 そして何より、 組織全体の仕事量が減る。 という方向に進みます。 例えば、一度入力した情報から必要な報告書が自動的に作られるなら、現場は何度も転記する必要がありません。 一つのデータベースから、 信徒の台帳 会費の情報 活動実績 必要な集計 報告資料 などが必要に応じて取り出せるなら、毎回それぞれの台帳から情報を拾う必要もなくなります。 これこそ、コンピューターによって仕事量を減らしている状態です。 一馬力の仕事と、多馬力の仕事 ここまで考えると、「仕事の量」というものの見方も変わってきます。 一人が毎日台帳を確認し、数字を拾い、計算し、Excelに入力している。 これは非常に忙しく見えます。 しかし、その人が毎日同じ作業を繰り返しているなら、一馬力の仕事です。 一方で、一人の人がデータベースを整理し、一度入力した情報を一括して利用できるシステムを作ったとします。 最初は大変です。 設計も必要です。 データの整理も必要です。 テストも必要です。 しかし、その仕組みを10人が使えば10人分を支えます。 100人が使えば100人分を支えます。 利用者が増えるほど、その効果は大きくなります。 これが多馬力の仕事です。 だから、仕事量というものは、 「今日何件やったか」 だけで判断してはいけない。 その仕事が、将来どれだけの人の仕事を減らしたのか。 どれだけ多くの人の活動を支えたのか。 ここまで見なければ、本当の仕事量は分かりません。 忙しい人が、組織に大きな仕事をしているとは限らない ここには、組織運営上の大きな落とし穴があります。 単純作業を大量にこなしている人は、非常に忙しく見えます。 電話を100件した。 資料を100件入力した。 報告を100件処理した。 数字として分かりやすいからです。 一方で、 「毎月100時間かかっていた集計を10時間にした」 という人の仕事は、見えにくい。 むしろ、仕事が減ったために、 「この人は以前ほど忙しくない」 と評価される可能性すらあります。 しかし実際には、年間で1,000時間以上の仕事を減らしているかもしれません。 さらにその仕組みを複数の現場が使えば、効果は何倍にもなります。 だから、 自分が忙しくなる仕事と、組織全体の能力を高める仕事は違う。 ということを理解しなければなりません。 仕事を下に流す人と、仕事を減らす人 組織には、大きく分けて二種類の仕事の進め方があります。 一つは、 「自分のところに来た仕事を、誰かに渡す」 という考え方。 もう一つは、 「そもそも、その仕事が発生しない仕組みを作る」 という考え方です。 前者は一時的には自分の仕事が減ります。 しかし、その仕事が別の場所で発生します。 そして、その場所でまた誰かが処理します。 さらに確認が必要になり、報告が必要になり、修正が必要になる。 結果として組織全体の仕事量は増えていきます。 後者は、最初は大変です。 しかし、一度仕組みを作れば、長期的には仕事を減らせます。 私は、組織を強くするのはこちらだと思います。 「現場がやってくれた」ではなく「現場の仕事を減らせたか」 組織の管理者が見るべきなのは、 「現場にこれだけやってもらった」 という数字ではありません。 むしろ、 「現場が本来やらなくてよかった仕事を、どれだけ減らせたか」 を見るべきです。 現場に10件やらせたことを成果として考えるのではなく、 その10件をそもそも現場にやらせなくて済む仕組みを作ったことを成果として考える。 ここには大きな違いがあります。 組織の破壊者は「仕事を増やしていること」に気づかない 最も危険なのは、 仕事を下へ流している本人が、その仕事によって組織全体の仕事量が増えていることを理解していない場合です。 さらに、その結果として現場が疲弊しているのに、 「現場が協力してくれない」 と考えてしまう。 これは非常に危険です。 自分が作った負荷を認識できない。 現場の時間をコストとして考えない。 管理する側の便利さだけを見る。 現場が苦しんでいても、それを「現場の努力不足」と捉える。 こうなれば、組織は徐々に壊れていきます。 そして、その人自身は、 「自分は一生懸命仕事をしている」 と思っているかもしれません。 だからこそ厄介なのです。 組織を壊すのは、必ずしも怠けている人ではありません。 むしろ、 自分は仕事をしているつもりなのに、自分の仕事によって他の人の仕事を増やし続けている人 が、組織にとって非常に大きな問題になることがあります。 本当の「量」を見るために 仕事量を見るなら、単純な件数だけではなく、少なくとも次のことを考える必要があります。 その仕事は誰がやるのか。 何人に発生するのか。 一人あたり何分かかるのか。 その後にどんな確認作業が発生するのか。 同じ情報を何度入力しているのか。 管理する側が楽になっただけではないか。 現場の仕事は本当に減ったのか。 そして、 一度の仕事が、将来的にどれだけの仕事を減らすのか。 ここまで見て、初めて「量」を考えることができるのだと思います。 組織を強くする事務局とは 本当に強い事務局は、現場に仕事をたくさん配る事務局ではありません。 現場から情報を集め、 整理し、 一元化し、 重複をなくし、 仕組みを作り、 現場が余計な事務に追われないようにする。 そして、現場が本来の活動に集中できる状態を作る。 これが事務局の重要な役割の一つではないでしょうか。 逆に、 事務局が忙しくなる ↓ 仕事を現場へ流す ↓ 現場が忙しくなる ↓ 現場が処理しきれなくなる ↓ 現場を責める ↓ さらに報告や確認を増やす という状態になれば、これは事務局が組織を支えているのではなく、事務局の問題が組織全体へ拡散している状態です。 そして、その状態を「仕方がない」と放置すれば、最終的には現場まで事務崩壊していきます。 「便利になった」のは誰なのか 最後に、システムや業務改善を見るときに、一番問いかけたいことがあります。 それは、 「これは誰が便利になったのですか?」 ということです。 管理者が一覧で見られるようになった。 集計する人が楽になった。 報告を受ける人が確認しやすくなった。 それ自体は悪いことではありません。 しかし、その裏側で、 現場が入力する。 現場が転記する。 現場が確認する。 現場が修正する。 現場が報告する。 という仕事が増えているなら、それは本当の意味での業務改善とは言えません。 管理する側だけが便利になったのであれば、それは「組織が便利になった」のではありません。 単に、 管理側の負担を現場へ移しただけ かもしれないのです。 そして、それを「デジタル化」「システム化」「効率化」という言葉で覆ってしまうと、非常に見えにくくなります。 だからこそ、騙されてはいけない。 見るべきなのはシステムの見た目ではありません。 Excelになったか、スプレッドシートになったか、オンラインになったかではない。 見るべきなのは、 組織全体の人間の仕事が、本当に減ったのか。 です。 組織を守る人と、組織を壊す人 結局のところ、組織を守る人は、 「自分が楽になったか」ではなく、「全体が楽になったか」 を考えます。 反対に、組織を壊す人は、 「自分のところから仕事がなくなったか」 だけを見て、その仕事がどこへ移ったのかを見ません。 そして、仕事を現場に流した結果、現場が苦しくなっているのに、 「協力してくれない」 と怒る。 これは、単なるコミュニケーションの問題ではありません。 仕事の流れを理解できていないという、組織運営そのものの問題です。 本当に組織を発展させたいのであれば、 仕事を下へ流すことではなく、仕事そのものを減らす。 人を増やすことだけではなく、一人の仕事を多馬力にする。 管理側だけを便利にするのではなく、組織全体を楽にする。 そして、 「現場に何をやらせるか」ではなく、「現場がやらなくて済むことを、どれだけ作れるか」 を考える。 この視点がなければ、どれだけ「効率化」「DX」「システム化」と言葉を並べても、実際には仕事を増やしているだけかもしれません。 そして何より、 自分の仕事によって、組織全体の仕事量が増えていないか。 これを自分自身に問い続けることが、管理する立場にいる人には必要なのだと思います。 一人が楽になるために、十人を忙しくしてはいけない。 管理する側が便利になるために、現場を疲弊させてはいけない。 それを理解できず、さらに現場を責めるようになったとき、その人は単に「仕事ができない人」なのではなく、組織全体の仕事量を増殖させる「組織の破壊者」になってしまうのではないでしょうか。