ヴィーガン食について
このことを書くように、なんだか促されます。定義は一般的なものがあるようでいて、各種信仰や思想によって定義がまちまちです。メシア教では、和食を中心とした和ヴィーガンであり、そのさらに中心はご飯とお味噌汁です。明主様の健康食もそれに近いものです。食事療法をする際には、かつおぶしさえも使わないとあります。もともとの日本食に近い状態ですね。よく地上波や衛星で再放送される映画『たそがれ清兵衛』などでは、ご飯とみそ汁の食事が出てきますが、あまり詳しくないものの、昔のあまり裕福ではないご家庭の食事の一例のようです。岡田茂吉信仰によるヴィーガンといえば、もうメシア教しかないのですが、ここではメシア教そのものではなく、そのレベルより落ちますが、中間的なことを書いてみます。もともとここで書いているのは、メシアのレベルではないのです。ただ、前の信仰のレベルよりはマシだと思っています。◆「パワーかフォースか?」を知っている人向け(分からない方は次の項目へ)メシア教が800とか1000のエネルギーレベルなら、ここは400以上を目指したいという程度です。たとえるなら、カラオケでもプロや一流の歌を聞くより、それほどではないけれど、自分より少し上の歌を聞いた方が、一歩前進の参考になることもある、ということです。布教するのでもメッセンジャーでは200もありません。ただエネルギーの最低ラインの保証はしたいところなのでしょう。メッセンジャー布教はしばしば相手を悪者にして喧嘩をします。その想念そのものが形式上正しくても良くない。優越欲だと気づけないということもあるようです。裁くのは神様。1秒1秒の自身の霊界の高下に鈍感になってしまっている。・ヴィーガン食ヴィーガン食とは、肉・魚・卵・乳製品・はちみつなど、動物由来の食品を摂らない食事のことです。植物由来の食材を中心に構成され、野菜、果物、豆類、穀物、ナッツ類などを主に食べます。もともとは単なる食事法ではなく、「動物を搾取しない」という思想や倫理観から生まれた生活スタイルでもあります。一般的には次のように分類されます。ヴィーガン:動物性食品を一切食べないベジタリアン:肉や魚を避けるが、卵や乳製品は摂る場合があるプラントベース:健康目的中心の植物性食なお、先ほども書きましたが、実際には宗教・思想・健康・環境問題など、目的によって解釈に幅があります。そのため、「どこまで厳格に避けるか」は、人や団体によって異なることがあります。霊的な理由と、健康理由の体的・物理的な理由がありますので、両方分けて書いてみましょう。◆目に見えない霊的な理由霊的な面では、動物食は多少の穢れを伴います。物理的な理由では健康という理由ですが、信仰では穢れになります。簡単に言えば、運勢が悪くなる、精神が安定しなくなるとも言えます。もちろん運勢は、ほかの要素、普段の行いや言動、社会貢献などにも左右されます。合算したものです。でも霊的には、意志あり命あるものをいただくと、どうしても恨みつらみを受けます。ヴィーガンをする霊能者の中には、動物からの恨みつらみが障りになるから食べない、という人もいるようです。そういう意味では、仏教の精進料理などは、信仰的に理屈があるわけです。◆体的な原因健康面では、明主様が「血が濁る」「癌の原因」としているように、近年の科学でも、動物性のものをいただくと、血液が動物の油でどろどろに濁るようですね。それが、いろいろな病気や運動機能への悪い影響を与える。今は公開されていないようですが、『ゲームチェンジャー』というドキュメンタリーでは、そのあたりが詳細に紹介されていました。病気だけでなく、体力的な面でも大きな変化がありました。また、加工肉や赤身肉の摂りすぎは、いくつかの病気リスクとの関連が研究されています。特によく知られているのが、世界保健機関の関連機関である国際がん研究機関による分類です。加工肉:「発がん性がある(グループ1)」に分類 → 特に大腸がんとの関連が強く示されています。赤身肉(牛・豚・羊など): 「おそらく発がん性がある(グループ2A)」に分類関連が指摘されている病気には、・大腸がん・心血管疾患・2型糖尿病・肥満・高血圧などがあります。肉関連の継続的な摂取は研究され、一定の結論が出ているのです。『ゲームチェンジャー』でも指摘されているように、商業的な事情もあります。肉食業者は、肉が消費されないと困ります。なので、デメリットを隠してメリットを強調します。ただ、「病気になりたくない」を大前提にすると、栄養素などのメリットは全部意味がないでしょう? だから病気になるというデメリットは隠されるわけです。・実際、菜食でおいしい? 栄養は?これはメシア教で聞いた方が早いですが、栄養についてもカロリーが十分であれば、通常は大丈夫なようです。日本などは食が満たされていますので、食べられない日があるとか、一日一食、おなか一杯にもならない、という人は少ないでしょう。おいしさも変わりません。肉のおいしさを再現する、ということではないのです。菜食していくと分かるのは、菜食は菜食でおいしいものがあること、そして、別においしければ肉である必要はない、ということです。ただ、人間は習慣を変えるのに抵抗を覚えるので、そこの壁が最初にあります。超えてしまうと、肉食に戻りにくくなります。なぜなら、おいしさの感じは変わらないのですが、肉の臭みなどが気になってくるからです。また、命が関わっていますからね。そう考えると、肉を売るには宣伝でイメージを作らないと、放っておけば人は菜食に近づいていくのかもしれません。海外のある地域では、病気の人の食事としてヴィーガンを推奨していたりするようです。ただ食べ方がちょっと違っていて、肉には栄養だけでなく塩分も多量に含まれていることです。そのため、今の肉食中心の減塩食生活ではだめで、昔のように、というと変ですが、塩味を利かせた食事で良いようです。塩分がないと体に元気がなくなります。過多になるとだめですが、肉食に加えて日本的な食べ方をすると塩分過多になります。それで減塩なのです。だから、肉食をやめるなら塩分は多めです。これは本が出ています。その人は、食べられないぎりぎりを攻めた塩分食を勧めていたようです。精製された塩ではなく、海水100%の伝統的な製法で作られた「良質な塩」をしっかり摂ることで、健康を取り戻せる、という見解を示していました。→日本人には塩が足りないhttps://www.uminosei.com/yomimono/uminosei/book20090296/YouTubeなどでも、日本人の病気の原因として、本当の塩や本当のみそ汁が制限されたことを挙げている人がいました。新聞や雑誌など、広告が付くものは、全部が嘘ではなくても、全部を語っているわけでもないことがあります。肉でも、栄養素だけ見れば豊富ですが、毒素というか身体へのデメリットを出さないので、まるで何も問題ないかのように読者に受け取らせてしまいます。肉とか牛乳は、ある意味完全栄養食なのですが、栄養以外の不純物も多いようですね。◆霊主体従属、霊体一致による浄めや発展ここらしく信仰面でのことですが、基本的に、宗教で説く思想や霊という目に見えないものからの動きと、体的な具体的結果は一致するようです。明主様から見ると、まだ科学は未解析、未知なだけなのでしょう。具体的な結果のみを計測し、定義化しているのが科学でしょう。計測できていない間は、「ないこと」にされがちです。もちろん、天才の科学力は霊的なものにまで進みます。それはエジソンやアインシュタインなどからも分かりますが、近年までエジソンは電球までしか紹介されていませんでした。でも、その後の研究は霊界通信でしょう。霊界との交信をするには、です。エジソンの有名な言葉も、反対の意味で紹介されることもしばしばです。「1%のひらめきによる99%の努力」が、「1%のひらめきと99%の努力」として、99%の泥臭い努力の先にひらめきがある、という、宗教や信仰や神様を否定する話にされてしまいがちです。特に、信仰に関わる人が気を付けるべきことです。前者は隷属であり、成長を制限し、思考を放棄することです。やっていれば報われる、そういう低俗な思想ですよ。こんなことに即座に気づけないようでは、信仰者でも布教師でもないわけです。何を布教しているの? 大真面目にカルト? と鼻で笑うべきところです。天才は逆です。1%のひらめきを実現せんとする99%の努力です。それは、その人の夢や願いとなっていることもあります。宗教が教主様のひらめきを神様からの啓示を実現しようと、試行錯誤を伴う努力をするのと同じです。明主様は、インスピレーションは霊界から来ると言っていますね。神様のものです。結局、霊から見るか、物質から見るかの違いで、霊と物は一致していきます。信仰では、霊から来てインスピレーションになり、体に移り、それを造って実現して、地上で霊体一致して、その結果をもとに霊に帰るわけでしょう。◆最後に余談として、明主様が言うように、欠点が減れば、その分プラスになるということですので、欠点となるものを減らせば、運勢が改善されることには違いないようです。ちなみに、ここでよく悪の思想として挙げている自己愛やサイコパスは、減点が多いタイプです。欠点にあまり向き合わず、自身の都合の良い成果のみ主張するサイコパスや自己愛が、あまり幸せでない原因も、減点が多すぎて、やってもやってもプラスにならなかったり、非常識な思想で方法で無理をしなければ通常レベルの運勢にもならない理由の一つなのかもしれません。でもその結果、さらに周りに迷惑をかける姿は、何かに似ていますね。サイコパスの場合は、動物以前に人から恨まれていますので、もっとひどいです。人間は意識が複雑で高等なので、恨まれると具体的に差し障りが出やすいようです。それは、その人からの匂い(霊臭)や言葉の響き、色やオーラで分かることもしばしばです。地獄をイメージすれば、分かる人には分かると思います。人によって匂いを感じたり、言葉の響きを感じたり、色をみたりとバラバラですが教えていることは一緒です。逆に、神様の匂いや言葉やオーラは、何とも言えない幸福感を生みます。ついでに、そういう人の理屈は、力押しと強引な成果主義だったりしないでしょうか? 霊的なエネルギーの観点では、無駄が多く、実入りが少なくとも、それしかできないということでしょう。逆に、サイコパスに妬まれる人間は、無駄をしないからとも言えます。うらやましいのです。「なんであの人が、なんであんなやつに、このような幸せが」と思っている。妬んだり、怒ったり、引きずり下げたりしていると思います。サイコパス被害者が率直な被害を話しているのとは違います。結局、動くことは大事ですが、自身の姿や在り方を見直さなければ、悔い改めなければ、年齢を重ねる中で、力押しの徳積みは不可能になってきますので、永続性はありません。逆に、そのような人に迷惑を受けている人は、反面教師としましょう。私にとっては、すでに許され、救われた姿なのです。悪い人間の役目は、最後まで悪くあることでもあります。中途半端な悪はだめです。自分が、中途半端ではない善になること。それは、共依存を伴う手助けや利他愛ではありません。自分の自我、生き方、本当の神様、本当はどこから来たのかを確立することです。そこに現れる天国を共有することでもあるのかもしれません。