古代文明と日本についての考察
「個人の考察であり、史実として断定するものではありません」 古代文明と日本についての考察 これは私がさまざまな情報をもとに考察した内容です。 今回は記憶を頼りに整理しているため、いつも以上に参考程度に読んでいただければと思います。 ただ、ここに出てくるワードや出来事は、興味を持った方がご自身で調べる際の手掛かりにはなるかもしれません。 最後のほうは少し感想が多くなってしまいましたが、内容としては大切な気がしたので、そのまま残しています。特に結論ありきではなく、思いつくままに書いていますのでご了承ください。 以下の内容は、それぞれが事実だと仮定した場合に見えてくるものを考察したものです。 ただ、自分の信仰や価値観だけで物事を判断し、つじつまが合わなさそうな情報を最初から排除してしまうと、かえって不自然な教えになってしまうことがあります。 それぞれの信仰や伝承には断片的に真実が含まれているように思います。そして、それらを読み解くには相当な努力、あるいは神様からのお知らせが必要なのかもしれません。 もし自分の信仰が真実を語っているのであれば、一見矛盾しているように見える事実も、どこかでつながっていくはずです。 もちろん、歴史の中には誤解や勘違い、事実誤認もあるでしょう。 そのあたりも含めて、一度受け止めてみないと見えてこないものがあるように思います。 現在、人類発祥の地はアフリカであるとされています。これは現代科学による見解です。 一方で、「文明の発祥は日本ではないか」という説もあります。 その理由の一つとして、世界最古の文明とされてきたシュメール文明よりも前に縄文文明が存在していたことが明らかになってきたためです。 縄文時代は約1万6500年前から紀元前3〜4世紀頃まで続いたとされています。 西洋史ではシュメール文明が約6000年前に突如として現れた高度文明として知られています。 そして一部には、「シュメール」という名称そのものが「スメラ=皇」から訛ったものではないかという説もあります。 さらに、シュメール人は日本人と関係があるのではないかという説も存在します。 ユダヤ教の始祖であるアブラハムは、シュメールの都市ウルで生まれ育ったとされています。 また、大洪水伝説についても、日本に伝わる洪水伝承と何らかの形で結び付いているのではないかという説があります。 こうした話や身体的特徴などから、いわゆる「日ユ同祖論」が語られることもあります。 本当に同じ民族なのかは分かりませんが、長い歴史の中で混ざり合っていた可能性はあるのかもしれません。 明主様には「スサノオの子孫であるイエス」というお言葉があります。 もし古代に民族同士の交流や共同生活があったのであれば、そのような話が出てきても不思議ではないのかもしれません。 では、なぜシュメールと日本が結び付けられるのでしょうか。 その理由の一つとして、約7300年前に発生した鬼界カルデラの大噴火があります。 一説では、西日本の広い範囲が居住困難になったともいわれています。 そのため、西日本の人々が一時的に海外へ避難したのではないかという考えがあります。 縄文人は優れた航海技術を持っていたとも考えられています。 その根拠として、遠隔地の黒曜石が広範囲に流通していた痕跡が発見されています。 こうした交易は高度な海洋技術なしには成り立ちません。 そのため、日本人は近海だけでなく、もっと遠方まで航海していた可能性も指摘されています。 かつて語られていたような未開の国ではなく、日本は高度な海洋技術と統治制度を持つ文明国家だったのではないかという見方もあります。 日本の古い伝承や文献を見ていると、その可能性を感じることがあります。 ただし、その時代の統治者についてははっきり分かっていません。 しかし、『ホツマツタヱ』や『竹内文書』などを見ると、神武天皇以前にも長い王朝が存在していたことが示唆されています。 その中には、明主様がお説きになった国常立天皇(地上に降られた国常立大神)も含まれてきます。 明主様のお言葉を前提とすると、この高度な古代日本文明の存在も理解しやすくなります。 そして、西日本の人々が海外へ移住した先の一つがシュメール地方だったという説があります。 その後、日本へ戻ろうとしたものの、気候変動や海流の変化などによって帰還できなくなり、その土地に定着して現地の人々と同化していったという考え方です。 また、日本にはスメル族とスサ族がいたという説があります。 私の記憶では、特に海洋技術に長けていたのはスサ族だったとされています。 スメル族は天照大神の系統、すなわち「スメラ=皇」の系統です。 日の系統ともいえるでしょう。 一方、スサ族はスサノオの系統です。 スサ族の王という意味です。 月の系統とも考えられます。 そう考えると、スサノオという名前が代替わりしても受け継がれていた理由も見えてきます。 もしシュメールにスサノオ系統の人々がおり、その後ユダヤ民族と混じり合ったのであれば、「スサノオの子孫であるイエス」という話も理解しやすくなります。 さらに、「ガイアの法則」という考え方があります。 これは文明の中心が1611年周期で東へ22.5度ずつ移動するという説です。 その流れをたどると、 東経45度:シュメール文明 東経67.5度:インダス文明 東経90度:ガンジス文明 東経112.5度:唐(長安) という変遷になります。 そして1995年以降は、 東経135度:日本文明 となります。 東経135度は明石や淡路周辺にあたります。 日本が世界に調和をもたらす役割を持つと言われる理由の一つとして、この考え方が語られることがあります。 そして西宮。 ここには瀬織津姫、あるいは「あまさかるむかつひめ」と呼ばれる存在との関連が語られています。 二代目天照大神、あるいは天照神の妻神ともされる存在です。 瀬織津姫は月の系統の女神とも考えられ、そのあたりも先ほどの話とつながってくるように思えます。 スサノオというと、救世教では天照大神は日の系統の神として理解されることもあります。 スサノオは月の系統とされます。これを上下関係でとらえてしまう誤解があります。役割の違いです。 またしかし、「スサノオ」という言霊には「主神を助ける」という意味があるともいわれています。 本来は主を補佐する役割だったのかもしれません。 ところが、夜の時代には争いの中でその使命を十分に果たせなかったとも考えられます。 夜の時代には権謀術数があり、神様といえど翻弄されてしまった歴史があるようです。 明主様も、スサノオの系統の過去の罪の贖罪について説かれていたと思います。 ◆夜の時代の身近な一例 聖書を読むと、問題を起こした人物が神に選ばれ、統治者や指導者となる例が少なくありません。 そして、その立場を通して自らの罪を追体験し、清算していくような流れが見られます。 立場というものは、なかなか変えられないものなのかもしれません。 もしくは奪うようなことをした人へこれ自体が罰なのかもしれません。 罪により失敗しても、問題を起こしても、その立場にとどまりながら使命を果たさなければならない。 権力や強引さによって手に入れた立場であれば、その代償もまた自分で背負うことになります。 夜の時代は、その使命を果たせずに終わることも多かったのでしょう。 本来は神様に委ねつつ自然に得るべき立場を後ろ盾や良い報告などを駆使して実力以上の立場を得る行為。これにはあまり意味がないのだと思わされます。 執着という欲が取れなくなってしまいます。そうすると神に自分のどの想念が見られているか分かりますが、それを認めることができる人はほとんどいないように思います。 立場のごとく振る舞おうとし、立場のごとく精神を磨く人は少ない。そうあろうとする方法の実践とそうあろうと自らに向き合うのは違う意味です。 結局のところ、物事が始まる前の心のあり方が大切なのかもしれません。 昔や古代と変わらず現代でも、相変わらず人を押しのけたり、人に制限をかけたりして優位に立とうとする人がいます。 そして幸せを逃してしまいます。 御神体などでも我先にと順番の割り込みのごとく申し込む人もいたようです。 きちんとお金も用意してから順当に申し込んだ人との差は明白です。 (ルールとしてはお金と同時に申し込むことになっているが、入金前なのに受付て順番を抜かしたりする人がいたらしい) でも夜の時代だと意気込みが重視されルールを破ったり、人を押しのけることが無視されます。 つまり神様のルールは無視していますからね。 こういう小さなことのようで、すべてにおいてのその人の行動規範になってますから、私なら不誠実な職員は信用しません。 グループとしては、その結果として、本来神様が用意してくださった協力者から離れられ、自滅してしまうこともあります。 そして、その緩やかな自滅の過程で自分の罪を見せられるのですが、いくら見せられても我を張り、謝罪ややり直しではなく自己正当化を選んでしまう。 けれども神様は、最後まで責任を取らせるように働かれるようにも思えます。 罪を認めるまで、その苦しみが続くし、最後の最後まで粘ると救われるとも限らない。 という逸話が先達によって語られているでしょう。 これは信仰者としては事実と受け止めているわけでしょうけれど、まさか自分がとは思わないのです。 失敗が浄化となり、究極的には命を捧げることが贖罪になるという話があります。 それは、本来行うべき清算を先送りしてしまうからなのかもしれません。 本来、人は何も持たないひとつひとつの魂として向き合えば皆対等です。 相手を傷つけたなら「ごめんなさい」。 支えられたなら「おかげさまで」。 そうした心が自然に生まれるはずです。 これは日本精神の根底にあるものであり、実は非常に高度な精神文化なのだと思います。 海外の人々が驚くのも、そのためかもしれません。 しかし、その精神を最も大切にすべき信仰者が実践できていないこともあります。 立場がついて偉くなった人はすべてそうです。 若い後ろ盾で上に行った人が〇〇さんに報告するとか言っちゃうこともあったようで、これはすぐに広まる案件です。これは本当に偉くも偉くなった事例ですね。 歴史を振り返ると、本当に欲のない人がどのような人だったのかが見えてきます。 欲張った欲のない人。 教主様や教主補佐のように強い発言力を持つ立場の人の神への献身を見ればぐうの音もでませんが、ほとんどは立場だけでしょう。真似できませんもの。 行いも心も伴わなければ、本当の意味で発展することは難しいのかもしれません。 これは釣り合うということ。嘘をつかないこと。威張るな怒るな早まるが資格者の条件なのでしょう。 エネルギーレベルが高いなら、本来はそうならない。 200超えてきたら思うことが思うようになる。結果的になるのでそうならないのですよ。 続きは、また気が向いたら書こうと思います。 ちなみに、日本人は現在の人類の中では比較的新しい時代に創られた民族である、という記述をどこかで見た記憶があります。 また、遺伝学の分野でも、日本人に特徴的な系統としてD系統の遺伝子が語られることがあります。 このあたりも、さらに調べてみると面白いかもしれません。