「“浄化が多発するチーム”の裏にある本当の原因 ― 配置を間違えると組織は壊れる」
来る人来る人が原因不明のストレス性の不調を起こし、突然辞めていく。そんなチームを見たことはないでしょうか。一見すると「浄化が続いている」と捉えられがちですが、実はそこには明確な原因が存在することがあります。しかし厄介なのは、その原因になかなか気づけないという点です。普段は穏やかで、ぼんやりしているように見える。ところが、自分の思い通りにならなかった瞬間――・急に言葉が荒くなる・上長すら呼び捨てにする・怒鳴りつけるこうした極端な変化を見せる人はいないでしょうか。これは一部のケースでは、いわゆる**パーソナリティの問題(特に自己愛傾向)**として説明されることがあります。特徴としては、 自分は特別だという強い思い込み 過剰な承認欲求 他者への共感の欠如などが挙げられます。重要なのは、本人に自覚がほとんどないという点です。本来、私たちが当たり前に持っている「相手を尊重する感覚」。これが根本的に弱い、あるいは欠けているため、言動が子どものように見えることがあります。しかしそれは「知らない」のではなく、その感覚自体が理解できないのです。その結果、周囲の人間に強いストレスがかかります。しかもこのストレスは非常に特殊で、経験した人にしか分からないレベルのものです。最初は「自分の受け取り方が悪いのではないか」と感じ、自分を責めてしまう。そして気づいたときには、心身ともに消耗しきってしまう――こうしたケースが少なくありません。そのため、同じ部署で不調者が続出する場合、「体調を崩した人」ではなく、“それ以外の誰か”に原因がある可能性を疑う必要があります。実際に、 周囲の人が次々と体調を崩す 離職、休職が繰り返されるといった現象が起こることがあります。難しいのは問題の人もある程度の慢性的な浄化をしているかもしれません。でも常識的に見れば明らかな共感性の欠如があるはずです。協調性ではなく共感性です。このあたりも分からない人が増えているようです。結局自分ので自分の人生を歩んでいない状態でお委ねの真似事をすると分からなくなるということだと思われます。このあたりをキチン見抜けるような人がリーダーでなければ組織は疲弊していきます。組織として重要なのは、「誰を動かすべきか」を見誤らないことです。問題が起きたとき、辞めそうな人・弱っている人を動かすのではなく、原因となっている人物の配置を見直すこと。これが本来の対応です。ちなみに回避性パーソナリティ障害の人が自己愛性パーソナリティ障害をよいしょしている場合もあります。これが組み合わさると被害は爆発的に拡大します。特に注意すべきなのは、こうした特性を持つ人を グループワークの中心 まとめ役のポジションに置いてしまうことです。そこまでいかなくても、上のポジション、支部ではなく布教区や教区という広範囲のまとめの部署に置くことで見えないところで被害が拡大します。共感性が無いので高圧的で不適切な態度を時にはとりチームワークをじわじわと壊していきます。これをすると、高確率で周囲が疲弊し、組織全体のパフォーマンスが崩壊します。あれ?と気づいたときに手遅れです。できる人は最初から手を打ちます。また、こうした人は 成果を自分のものとして主張する 都合よく立ち回る 承認欲求を満たすために周囲を利用するといった行動を取ることもあります。ですので、一見有能に見える場合でも、長期的には組織に大きなダメージを与えます。では、どう対処すべきか。個人としてはシンプルです。 距離を取る 境界線を引く 個人で抱え込まない 記録を残す 適切な配置にする(前線や調整役から外す)これができないとなると辞めるしかないというジレンマがあります。ちなみに自己愛を「変えようとしないこと」も重要な判断です。変わらない前提で無難な配置、人に指示を与えない位置に置かなければなりません。信仰の場においてもこれは例外ではありません。むしろ「善意」や「奉仕」を重んじる環境ほど、こうした問題は見えにくくなります。つまり狙われているのです。善意があるからこそ我慢してしまい、結果として被害が拡大する――この構造は非常に危険です。善人が疲弊し、離脱していく環境は、決して健全とは言えません。だからこそ必要なのは、正しく見抜き、正しく配置すること。それができなければ、どれだけ理念が正しくても、組織は崩れていきます。善人が悪に負けないために。ここにこそ、私たちの課題があります。