以前、「事実をもとに、そこへ嘘を混ぜて改変することがある」と書いたことがあります。今回は、それに関するうわさを挙げてみようと思います。
これは救世教時代の話です。
メシア教では、本人が自筆で願書を書き、かつ特別な理由(病気で動けない等)がない限り、本人が入信式会場に赴かなければ拝受できないという決まりがありました。
事実をもとに改変する際によく使われるのが、この「入信」だったようです。
基本的に、岡田茂吉信仰の団体では、入信に際してお守りを拝受します。
救世教関係ではこれを「おひかり」と呼びます。
なお、団体によっては「おひかり」が存在しない場合もあります。
ある教団では、現在でいう教会ごとに、教会長の責任のもとで入信式とおひかりの拝受が行われていました。
その中で起きていたのが、「実態のない入信」という話です。
教祖御在世時代から、当時の電話帳(名前と住所が掲載されていた)を使って個人情報を書き写し、拝受費用を自分で支払って実績の足しにした、という話を嘘か真か耳にします。具体的に〇〇先生と名前まで教えてくれたこともありました。
これが事実かどうかは、実際に見た人の判断に委ねます。
ところが、この話を引き合いに出して「そんなことはいけない」と言っていた後の時代の職員でさえ、電話帳入信ではないものの、似たような話を聞くんですね。
例えば、ご主人の入信を願う奥さんに対して、
「ご主人が入信したと思って、先におひかりをいただきましょう」
あるいは、
「お子さんのために、おひかりをいただきましょう」
と勧められたというのです。
これは噂ではなく、こちらが聞く気もなく、実際に当事者から聞かされた話です。その場にいたわけではないのでですが、その話を真に受ければのたとえ話です。
それで、
「昔、〇〇先生にこのように指導されて、主人のおひかりをいただいたのよ」
と、普通に話してくれます。
なぜなら、そう指導された信徒は、それを「神様のお言葉」として受け取っているため、悪いことや不正だとは思っていないからでしょうね。
そのため、隠そうともしませんし、あっさり話してくれます。
そもそも、そうそそのかしたとされる職員自身も、隠すようには言えませんよね。
やましさがでたら信徒もさすがに拝受しないはずです。
これが本当だったら、不正まがいのことをしながら、
「今月は入信者があった」
「今年はこれだけ増えた」
「私が赴任中はこうだった」
と語っていることになりますからね。
ただ実態を隠しているつもりでも、実際にはそういう話が信徒レベルでは共有されてたりします。
知らないのは、本人ばかりなのです。
こういうのも組織が弱る、行事参加者が減る原因でしょうね。信頼がおけない指導者の指導を受けないでしょう?
表題のことでふと思い出したことでした。
つまり、今回の話だと、おひかりの代金が入金されているという点では「事実」ですが、入信者として名前を書かれた本人は、まったく知らないという「嘘」が混ざっています。
真実としては、本人が知らない以上、その首におひかりがかかることはありません。
これは真実というか真相をごまかしていますので、自己愛そのものの在り方の問題だと思います。
もちろん、こうしたことをしない先生もいます。
しかし、「これくらいなら大丈夫」と思っている人がいるのも事実なようです。
そこでふと思うのは、それと同様に、「再入信」という問題があります。
これは先ほどの話と深く関連しているのではないかと思うんですね。
ひどい例では、1~2年来ないだけで「もう信徒ではない」とされ、再入信を勧められる場合があります。これは本人の了承でなされるので事実関係が分かりにくいです。でも、拒否されたらどうなりますか?来なくなるわけです。これで1家族減です。
これだけでも問題ですが、さらに想定される悪質なのは、実態のない入信をさせておき、数年後にそれを「再入信」として勧めてカウントするケースです。
再度の入信で本人が来ていれば、まだ救いがあります。
しかし、再入信ですら本人が知らないとなれば、それは常習化です。
このようなことを続けていれば、組織は腐ってしまいますよね。
というより、実際こういうことがあったなら、それは腐っているから起きていることでもありますよね。その辺が正されているのに入信者が多いのはとても良いことですね。
というより、だからこそですけどね。
