ZERO3
ダイアリーの話をしていたら、先週金曜日朝、いきなりウィルコムの(シャープの)W-ZERO3を渡されました。
高橋さん(当社の役員)によれば、「当面実験で何人かに使ってもらう」とのこと。
思いがけないプレゼント(おもちゃ)を渡された子どもの状態で、色々いじり始めました。
いつまで続くやら…
「使わないなら、返納しろ」とのこと。
何だか使わなくなることを事前に想定されてるような気がしながらも、スケジュールだけはPCと(というかOutlookと)同期しておきました。
でも、スケジュールは手帳に挟まってるので、ZERO3に同期しても、かえって利便性が損なわれるなーと感じながらも、折角なのでしばらく使ってみることに。
それにしても、こうしたPCとの”同期もの”はどうも手につかない。
しばらくは、面白がって使うのだが、だんだん必然性がなくなって、やがて手帳に逆戻りする。
先週の手帳の話しでも書きましたが、過去、2001年、2002年くらいはPDAを使っていましたが、2003年5月以降は手帳活用を復活している。
さて、今回はどうなるやら…
ダイアリー+統合ブック=…
統合ブックの色校正が届きました。
タイトルは「原点」
最近のデジタル入稿は実に便利ですが、どうもページ数が多いと、いちいち色校正紙は出さないようで、デジタルプリントされたモノを確認。
いくつか不納得はありつつも、これでいくことになりました。
今回、骨折りを頂いたデザイナーさん、ライターさんとはずいぶん長いお付き合いです。
これもダイアリーを見ていて気付いたのですが、統合ブックのデザインをお願いした江川さんとの付き合いは1996年からでした。
96年夏のタスク管理に「・マイクロソフト様バナー作成→江川氏」などと出てくる。
記憶はないのですが、10年前にマイクロソフト社のバナー制作を発注していた。
というか、10年前にMS様からバナーの注文を頂いていた。
ナツカシー。
当時、”キャリアモザイクジャパン”という求人サイトをやっていたのです。
(なぜ、キャリアモザイクとかいう変なサイトを展開していたかというと、説明すると長いのですが、当時はキャリアモザイクというアメリカの求人サイトが世界最大だったのです。それで、それのジャパンサイトのライセンスを受けて展開していたのです。その後、結局、このサービスは停止しました。
でも、当時は極めて画期的だったのですよ。)
それで、MS様からバナーのご注文を頂いていた。
まあ、そんなことで、色々な方に尽力いただいて、統合ブックも完成です。
関係者の皆さん、ありがとうございます。
とりあえず
手帳の話で、写真まで載せて、これまでにない勢いで、文字数書きまくって…
でも、反応はない…
こんなもんです。はい。
そういえば、インテリジェンスの証券コードは4757。
このコードをもらったとき、2000年4月でしたが、語呂合わせを考えました。
4757=世の中、こんなもん…
つまらない…
書きながらつまらない…
そういえば、今日は6月15日。
インテリジェンスがスタートした日です。
つまり創業日。
でも、あと15日後には、学生援護会との統合によって、7月1日が新たな創業日となります。
そんなことで、特別なことはなく…
徒然ついでに、1989年6月15日、つまりインテリジェンスをスタートした日に何をやってたかダイアリーを確認してみました。
その日は、勤め人として普通に仕事してました。
驚いたのは、翌日からハワイ旅行に行っていた…
当時勤めていた会社の社員インセンティブ旅行でした。
何とノーテンキな…
そして、会社の金で旅行に行ってたくせに、その裏で会社作ったりして、極めてあり得ない行動。
いや、就業規則違反(恐らく)。
そんな具合でした。
徒然に終了です。
懲りずに手帳の話
手帳をひっくり返してみて、取り分け過去10年のテクノロジーの進化とそれによる自分自身の行動の変化を実感しました。
基本的な手帳の使い方はあまり1988年から今に至るまでほとんど変わっていません。
(これもどうかとは思いますが)
要は二つ。
スケジュール管理とタスク管理です。
その管理手段がちょっとづつ変わっていく様が手帳から読み取れる。
1988年~1997年5月まで、手帳の使い方の細かい変化は様々あれども大差はありません。
1997年6月に初めてPCから打ち出されたタスク管理表が挟み込まれている。
どうやら、この頃、タスク管理をPC上のツールで行っていたようです。
(恐らくOutlookの仕事管理ツール)
そのタスク管理表を打ち出して手帳に挟みこんでいたわけです。
(この手法には賛否ありましょうが、まあ、そうしていたようです)
ところが、1998年にはタスク管理表は姿を消す。
記憶では、PDAを使い始めていました。なんとかっていうアメリカ製の当時流行った奴です。
それをOutlookと連動してタスク管理をはじめた。ところが手につかず、そのPDAを放置。
再び、手書きのタスク管理に逆戻り。
1998年、99年の手書きタスク管理を見ると「すげえ、アドミニストレーション量!」と仰天します。
細かい事務作業をセルフで相当こなしていた。当時の自分は相当軽やかな仕事捌きであったと思います。
で、1999年7月にスケジュール管理がアシスタントの役割に変更された。
当時、アシスタントが私の手帳にスケジュールを手書きで落としていたのです!
(会社の規模が小さいときは、メンバーが勝手に私の手帳にアポイントとか打ち合わせなど予定を落とす仕組みでした。思い出すとほのぼのします。)
2000年3月に再びタスク管理が消えます。
記憶を辿ると再びPDAを持つようになった。懲りない性格です。
何とかPDAでタスク管理しようともがいたようです。
このときはソニー製クリエ。
そして、2000年8月7日には、遂に
手帳からスケジュール管理すら消滅。
スケジュール管理もタスク管理も
PDAに一本化したわけです(やめれば良いのに…)。
その後、私の手帳にとって冬の時代が到来。
手帳は単なる雑記帳に成り果てます。
2001年のダイアリーを見るとほとんど真っ白。
数えましたよ。先週土曜日に。どれくらい白いかをカウントしてみた。
2001年のダイアリーの75%は全く何も書かれていない。残り25%についてもほとんど殴り書きに近いメモだけ。
2002年になると90%が真っ白。
どうやら全く手帳を使っていなかった。
ところが、2003年5月、再び手帳が使われ始めるのでした…
手帳がPDAに勝利した瞬間だったわけです。
手帳を巡る雑感
手帳ネタを思いついて…
土曜日ですが、1988年から保管し続けたファイロファックスのダイアリーを見返したら、完全にはまりました。
よく考えたら、溜めるだけ溜め込んで20年弱。
手帳ネタの流行は過ぎたとのご指摘も頂きましたが、大丈夫ですよ。
手帳の使い方・ノウハウみたいなことは書きませんので。
そもそも他人様に自慢できるような使い方していませんので。
でも、初めて自分の手帳を振り返ると色々と発見があります。
まず、思ったんですが、手帳って、今売れないですね!
手帳業界の人がいたら、是非、ファクトを教えてほしいですが、手帳は昔みたいに売れないはずですね。
もちろん、よほどコンテンツというかノウハウというか特別な付加価値がついていれば別でしょうけど。
今更言うまでもないことですけど、PCを代表とする手帳に代替するテクノロジーがこれまでの過去10年くらいで滅茶苦茶に進歩している!
MS社のOutloookとか、やはりすごいよね。すごい。仕事の仕方が変わってしまった。
携帯もすごいけど…
1988、89年のダイアリーを見て、すぐに目に付くのが、電話番号がXXX-XXXX。
要は局番のアタマが3桁ということ。
で、やたらと電話番号のメモが目立ちます。
今でも営業の人なら電話番号と相手先をダイアリーに落としておくのでしょうが、携帯のない時代と比較すれば、相当少なくなっているはず。
携帯がなくて電話番号を記録しておく必要性があったのですね。
そんなことを考えさせられましたが、同時に、過去の苦い経験の数々が思い出されるのでした。
本フロクでそれらを少しづつ紹介できればと思います。
手帳どころじゃないようですし
LAMYもファイロファックスも同じ会社が輸入元だったということを教えてもらいました。
約20年、LAMY+ファイロファックスの組み合わせを愛用してきましたので、このようなお知らせ、ありがたいです。
それにしても、今日の22:22:22はどうせ、誰も見ていないんだろうと思いますと、更新にも熱が入りません。
そんなことで、日本チームにエールを送って、今日の更新とさせていただきます。
ファイロファックス
LAMYとの付き合いと同様にファイロファックスの手帳との付き合いも長い。
最初に購入した当時、ファイロファックスって、手帳界の王者と思っていました。
一つ目のファイロファックスを買ったのは、確か新入社員として社会人デビューした年-1988年-でした。
(なぜ、そんな昔のことを覚えているかというと、1988年のダイアリーが今でも手元にあるからです。)
ファイロファックスと言えば舶来という印象で、それを使っているということで変な満足がありました。
今は、惰性というほどいい加減な付き合いでもなく、愛着というほどべたべたとしていない関係。
そう、自分の一部という感じでいつも一緒にいます。
LAMYの3色ボールペンとファイロファックスの組み合わせ。
LAMYは5代目ですが、ファイロファックスは2代目。
この2代目は使い始めて10年を確実に超えている。たぶん12-3年と思います。
考えれば、長い付き合いです。
そもそもよくも壊れないでいるものだと思います。
それほど物持ちの良いほうではないわけですが、この手の文具(?)との別れは大抵突然訪れるわけで、失くすか壊すか、どちらかですね。
手帳ですから、失くすというのはあまりないわけで…
一度、6穴の金具部分が手帳の外装部から剥がれ落ちてしまったのですが、修理に出したら(伊東屋に)以前よりもがっちり接着されて帰ってきました。
それ以来、壊れる様子もなく10年以上が経過しています。
うん?手帳ネタは引っ張れそうなので、また今度続きを書きます。
5代目LAMY
ちょっと最近せわしなくなってまいりました。
そんなことで、考えて書くことができず…
私が大切にする「5代目LAMY」についてご紹介申し上げます。
LAMYはドイツの文具メーカーだそうでありますが、会社としての詳細は知りません。
私愛用のLAMYの3色ボールペンはかなり優れた製品と思っております。
このボールペンとの出会いは、確か大学3年生。
学生でありながら、ほとんど学校にも行かず、ビジネスの真似事をしていたわけですが…
そんな私がかかわった仕事で知り合った建築デザイナーさんがこの3色ボールペンをお持ちでした。
「ほらっ、よく出来てるだろう。赤を見ると赤が出てきて、青を見ると青が出てくる。」
確かにデザインがとてもシンプルかつ機能的。
感激して、すぐに銀座の伊東屋に買いに行きました。
初代のLAMYは1万円でした。
その後(おそらく、バブル崩壊後)、価格が8千円に下げられました。
私の記憶だと、3代目のLAMYを買ったときには8千円に値下がりしていて、「こんなところにもデフレの波が到来しているのだなぁ」などと変に感心しました。
話を戻すと、20年前の大学生にとって、1万円もするボールペンを買うというのはなかなか大変でした。
同じような機能の3色ボールペンが、せいぜい250円くらいで売られているわけで…
でも、欲しくて買ったわけです。
ボールペンというのは普段使うものですし、一般的には”使い捨て”的にぞんざいに扱われるケースが多いわけです。
たとえば、「ちょっと貸して」と言われて貸して、帰ってこないなどと言うことが当たり前に想定されます。
したがって、私はLAMYの扱いに対してとても慎重でした。
ところが、なぜかなくなる。
それで、仕方なく、また伊東屋に買いに行く。
それを繰り返して20年間使い続けてきたわけです!
ところが、「4代目」をなくしたときに衝撃が走りました。
(「4代目」はかなり長持ちしたのですが…)
LAMYが3色ボールペンの製造販売を中止していたのです。
これにはショックでした。
ファイロファックスの手帳と共に長年愛用してきたLAMY…
「4代目」をなくしたことが悔やまれます。
で、LAMY愛用者のウチカワ君(LAMYに惚れた私は、よく人にもLAMYをプレゼントしておりました)に「どうにか、手に入れられないか?」と相談したわけです。
まじめなウチカワ君は僕のためにヤフーオークションとか色々調べてくれたらしいのですが、結局見つからず。
仕方なく、安物のボールペンを使う日々が3ヶ月くらいありましたかねー。
ある日、ウチカワ君から朗報が伝わりました。
伊東屋でLAMYフェア開催!
さすが伊東屋!
しかも絶版の3色ボールペンが出る!
そこで、その時は2本買っておきました。というか、もう2本しか売っていなかった。
現在愛用の「5代目」。
引き出しには「6代目」を在庫しております。
統合ブック進捗
本フロクにて2回ほど書きましたが、だいぶ統合ブックが進んでまいりました。
どうやら統合日の7月1日(厳密には1日が土曜日のため7月3日)に全社員に配れそうです。
それにしても集中力の重要性を痛感。
逆に言えば、いかに自分が集中力に欠けているかを思い知りました。
自分で書いた文字数が2万2000文字くらいだったか…
その半分以上の文字数を当初取り決めた締め切りを過ぎてから書いたような次第。
その代わり、最後の追い込みは見事でした。我ながら。
誰も誉めてくれないので、自分で自分を誉めましたよ。
今日はこれくらいです。
先週土曜日
先週土曜日、社員の結婚披露宴にご招待いただきまして出席しました。
最近は社員の披露宴にお招きいただくことも少なく(直接仕事をしてきたメンバーがだいぶ結婚しました)、珍しくスピーチしましたら、取り留めないこと取り留めないこと。
このフロクを上回る取り留めない内容。
周囲に感想を聞いたら、
「話に着地点が見えず、いつまで続くのかとハラハラした」
「どういう落としどころにするのかだけは考えたほうが良いですね」
など、よろしくないコメントを多数いただきました。
結婚したお二人がいずれもインテリジェンス社員(一人は元社員)で、直接関与のある人たちだったので、何でも話せるという慢心とよく知るメンバーであるということからの緊張感の欠如が冗長的なスピーチの原因です。
結婚当事者からも「もう少し誉めてくださいよ~」との感想。
反省した次第です。
上土さん、黒崎さん、本当にお幸せに。
心からご多幸をお祈りしています。
そこで一句。(SPAに出ている「そのまんま川柳」風)
「スピーチは硬いくらいで丁度良い」(←当たり前)
「スピーチはクダケ過ぎると僭越だ」(←あまりにも当たり前)
重ねて一句。
「飲みすぎてスピーチ長い披露宴」
お粗末様でした。