新宿おにぎり
今日はインテリジェンス新宿支社で勤務でした。
インテリジェンスの首都圏の拠点は大きな括りで、丸の内、市ヶ谷、新宿、溜池山王にあって、それぞれ丸の内=人材紹介(DODA)、市ヶ谷=管理部門、新宿=人材派遣、溜池山王=anのそれぞれの部門が入っています。
そんなことで、今日は派遣系部門の拠点にいたのですが、そこで、秋の商戦期”おにぎり”支給に出会いました。
インテリジェンスでは、部門によって、商戦期などにあわせて、おにぎりとか、ベーグルとか、おすしとか…そうした食べ物が配られることがあります。
写真はおにぎりに食らいつく白井君です(入社5年目で事業企画の仕事をしてくれています)。
無理を言って、モデルになってもらいました。
そんなことで、今日は、私も配給おにぎりをいただきました。
シリーズ【大人の証】
「新聞で連載小説を読む」
日経新聞の「私の履歴書」を欠かさないというのは、マセた大学生にもいる。
が、1年にも及ぶ連載小説を欠かさないというのは、なかなかの大人である。
会議の中の説明で、連載小説の登場人物を比喩に取り込んだり、連載小説内のエピソードを教訓に用いたりすると、大人っぽい会議になる。
ところが、連載小説を読んでいない人間が大半を占める会議の場で、これをやると、”単なる年寄り”になるから気をつけたい。
当然のことだが、特性上、新聞を読むことがスタイリッシュではないとされる業界では、新聞の連載小説ネタを会議に持ち込むなど言語道断。
変質者扱いとなるから絶対避けなければならない。
また、幼い集団に属していると、新聞に連載小説のコーナーがあるという事実すら認識されていないこともある。
そんなときは、そういうものが世の中にはあるのだということを教えてやるのも大人の役割であろう。
驚くべき非効率
以前、イタリアでワインを大量買いしようとして、カードを出したら、「そのカード会社の手数料は高いから、うちじゃ使えないんだ」といわれ、
おそらく世界で一番加盟店が多いと思われるクレジットカードを出すと、長いことカード会社の与信担当者と電話で話した挙句、「与信がおりない」と言われ…
「与信がおりない」ことに、遠い異国で文句言っても仕方ないわけですが、それにしても店に決済端末がないとは!
いまどき、信じがたいが、さすがはイタリアと思ったものです。
別にクレジットカードの決済端末がないくらいで、どうということもないわけですが…ワインもほとんど全部常温で置きっ放し。
そのエノテカがその都市でも有数の店というのにも驚いた次第です。
まぁ、考えれば単なる酒屋だからなぁ…もし、日本にコンビニ旋風が吹き荒れず、昔の酒屋が今に残っていたならば、日本の酒屋も同じような近代化レベルだったかもしれません。
で、話を戻して、そのエノテカで、カードが使えないということに引き下がれず、持っていたユーロ全部だけでも不足。
それで、手持ちのドルをユーロに両替して払おうと考えたわけです。
エノテカのはす向かいに小さな銀行があって、「そこで両替してきたら」と言われて、入った銀行が想像している姿と随分と違いました。
入るとすぐ右側に単なる机が置いてあって、そこに一人女性クラークがいる。
左側にカウンターがあって、中にオジサンが一人。
えらく規模が小さいというのと、なんとも無用心で強盗が入ったらひとたまりもないような銀行でした。
小さいだけならいいのですが、この銀行の作業が極端にのろい。
外貨両替というそんなに難しくない作業をオジサンはあっちに行ったりこっちに行ったり…
電話で問い合わせたり、クラークの女性に何やら聞いたりしながら、なんともおぼつかない様子で作業し、極め付けは計算結果に自信がないらしく、何度も計算機を叩いているような始末。
外貨両替だけで30分くらいかかり、カード決済端末がないエノテカに驚いているようでは、イタリアでは生きていけないことを思い知ったのでした。
そんなイタリアの銀行の非効率にも驚きましたが、日本の銀行の形式主義というか、柔軟性のなさというか、イタリアとは全く別次元の非効率にも驚かされます。
ある定期的な送金手続きをするために、面倒な窓口作業を避けて、メール手続きをしたのですが、銀行名を「東京三菱UFJ」と書いてしまったわけです。
すると、銀行名を修正せよという返信が帰ってきました。
確かに、正確には「三菱東京UFJ」なわけですが、誰が見ても「三菱東京UFJ」を誤って「東京三菱UFJ」としたことはわかるはず…
もちろん、不正確に記入した私に問題があります。
でも、このやり取りに郵送料だけで片道300円(配達記録になっている)かける価値があるんでしょうか?
「東京三菱UFJ」でも「三菱UFJ」でも、「三菱東京UFJ」だと認識するルールにしてもらえませんでしょうか…
イタリアの非効率には、人をあきらめさせる”いじらしさ”があります。
一方、日本の非効率からは、形式ばかりを重んじる官僚臭が漂ってきます。
人と違うこと
世の中で成功者といわれる人は、結構”変な人”が多い。
考えれば、この変な人というのは、正常な人が一定以上いて、はじめて”変な人”なわけで、正常と認識される一定のものさしが社会にあってこそ成立する話です。
いつぞや、ある学生さんからこんな質問をされました。
「何年間か海外で放浪生活をしてみたいが、そうした空白時間があると就職するのに不利になりますか?」
一般的にはYESでしょう。
みんなと同じように行動して、世の中のものさしの中で計れるように行動すれば、安全に見えます。
だから、海外での放浪生活は就職に不利だという話になる。
世間に定着した尺度で見ると、海外で何年も放浪することは”変”だから。
でも、人と同じことを選択することこそ、実は大変なリスクでもあります。
(たとえば株式市場で、皆が売っているときに売り、皆が買っているときに買えば、得することはない。皆が売っているときに買い、皆が買っているときに売れば得をする。これが典型例です。)
世の中に定着しているものさしを無視して、変な行動を取れば、他の人が選択していない分だけ、自分の希少価値が高まります。
その結果、一般には得られない結果を得ることができる。
まぁ、もちろん、ただ単に”変”でも意味はないわけですが…
ビザで思うこと…
今週は海外脱出ラッシュとか…
インテリジェンスでも多くの部門が今週夏休みとなっています。
とはいっても、完全に休みではなくて、会社全体のスコープで見ると50%出力くらいで走っているイメージでしょうか。
そんなことで、海外に出て行く人も多いようです。
昔から比べると、日本人にとって海外旅行は随分と楽チンなものになっています。
なんせ手続きがすくなくていい。
大概、どんな国でもビザなしで行けますし…

たとえば、現在、アメリカにビザなしで行ける国は27カ国だそうです。
つまり、世界中でアメリカにフリーで入れる国というのは、まだわずかだということ。
最近、アメリカがビザなしで観光客を受け入れる国を増やそうとしているらしく、その基準がビザ発行手続き者のうち発行拒否率が10%を下回った国だそうです。
一般的な日本人の感覚からすると、10人に1人、アメリカに入国を断られる国があるということにも驚きますが・・・
ハンガリー、スロヴァキア、ブルガリア、ラトビア、ポーランドなどといったEU加盟国ですら、旧共産圏の国々の場合、いまだに10%以上の人々がビザ発給を断られるそうです。
ハンガリーで10人に1人、ポーランドで4人に1人、ルーマニアでは3人に1人がビザを発給してもらえない。
逆に言うならば、アメリカというのは、それほど「行きたい」国だということでしょうし、それだけ不法に「居続けてしまう」ということなんでしょう。
もう一ついえるのは、アメリカが3人に1人しか受け入れない国(たとえばルーマニア)を全面的に行き来自由にしてしまったEUというのは、すごい許容力です。
こういう許容力がEUの活力源なんだろうと思います。
当然、従来の西側諸国に犯罪をもたらすといったマイナス面もあるのでしょうが、それでも経済的国境を無くして、出入りを自由にしたことによって得たプラス面のほうが多い。
ユーロ高だけを見てもそう思います。
最近では、EU全体を経済圏と見ることが定着してきて、日本は世界の3番目と言われることが多くなっています。
もはや、日本を世界第2位の経済大国とか言っているのは日本人だけでしょう。
国という単位ではなくて経済圏という単位での括り直しが進んでいる。
アジアという単位での括りでも日本は外されやすいですから、EUに抜かれ、やがて中国に抜かれ、更には東南アジアにも抜かれ…
どんどんと日本の存在感が薄くなっていきますね…
”金”曜日…
人類がこれまでに採掘した”金”(元素記号=Au、きん)を全部かき集めると一辺が20メートルの立方体が出来るそうです。
これはちょうどタンカー一隻分くらいらしい。
全世界の金をかき集めても、わずか20立方メートルにしかならないというのは、随分と少ない気がします。
その金の需要が世界レベルで増えている(らしい)。
さすがに、私は金の相場に手を出したりしていないので、金の価格がどんな感じで推移しているか詳細を知りませんが、最近、高いらしいですね…
中国をはじめとする新興国にお金持ちがたくさん生まれていて、そうした人々が金の宝飾品を好んで購買したりするのも要因の一つ。
ドルの信頼感の低下が金を上昇させるもう一つの要因でしょうか。
金の需要のほとんどが投機筋らしいですが、中国の勢いで世界的にお金持ちが増えれば、実需でも金が手に入りにくくなったりするかも知れませんね。
ベンチャー企業のジレンマ
会社が立派になると新しいことに取り組むことが苦手になるようです。
なぜか。それはSOX法を代表とするような会社内秩序の構築を迫られて、世間が理解できないものや説明できないものが排除されるようになるからです。
ベンチャー企業としてがんばるという行為は、実に矛盾に満ちています。
なぜか。そもそも反骨精神を持ち、既存の勢力を打破していこうというモチベーションが原動力であるにもかかわらず、がんばり続けた結果、そのベンチャー企業はいつの間にか既存勢力側に回ってしまう。
既存勢力側とみなされるようになったベンチャー企業は、一種の違和感を抱えながらも、社会からの要請に応えるべく、”立派な会社”として認められるような常識的な社内整備を実行していきます。
(これをしないと、社会ルールから逸脱した増長し続ける勢力ということになって、最終的には社会から弾き飛ばされてしまう。)
そんなことで、ベンチャー企業は一生懸命に社内を整備していきます。
その結果、会社はいつの間にか怪しいもの、当てにならないもの、とにかく変なものたちを嫌っていくようになります。
ところが、その会社は、本来、ベンチャー企業として既存勢力がやらない”変なこと”をやったことによって成長したはず。
しかし、いつまでも”変なこと”をやる企業と見られるわけにいかず、それを否定せざるを得ない。
すると、ベンチャー企業らしさが損なわれ、自分たちが忌み嫌っていた”ちゃんとした会社”にどんどんと向かっていく。
このジレンマは辛いものがあります。

世の中で画期的と言われるものや、既存勢力を打ち負かすようなものというのは、大抵生い立ちにおいて、胡散臭いものです。
そうした胡散臭さの許容がなければ新しいものは生まれないともいえます。
世の中に恥ずかしくないだけの企業としての構造を維持しつつ、胡散臭いことも許容できる企業というのは、すごいですね。
読書感想文…
今更ながら、読書感想文というのは、なかなか良いものですね。
子供の頃は、大嫌いでしたが、最近感想文を書いておこうかと思うことがあります。
その時々によって、同じ本でも感じるところが異なりますし、その本を通じて獲得した知識をまとめておくこともできる(はず)。
世間は夏休みということで、「最近でも小中学生は読書感想文などというものを書くんでしょうかねぇ~」とインテリジェンスの某役員に聞きましたら「ありますよ」とのこと。
ところが、最近の中学生たちはまともに課題図書を読むなどということはせず、インターネット上で「あらすじ」を探し出し、更には、それらしい感想文の元ネタをコピペして提出したりするそうです。
そもそも、感想文がPCからのプリンタ出力でOKということも驚きで、自分がいかに時代から取り残されているのかを実感します。
これだけのインターネット社会ですから、コピペの読書感想文も当然なんでしょうね…

とにかく膨大な文字情報がネット上にUPされていますから、拝借するネタには困らんでしょうし、いくらでも文字量を稼ぐことが出来る。
文字量をかさ上げするのがラクチンな時代だから、読むほうもいい加減になっていくんでしょう。
いまどき、まともに読書感想文を読んでいる先生がどれほどいるのか…
(これはとんでもない偏見かもしれませんが…)
そろそろこのフロクもコピペで済ませようかなぁ…
単なる雑感
最近、フロクに出そうと思って書いていながら、「やはりやめとこう」ということで、出さずに終わっているメモが随分溜まっている。
もう10本くらいは、「やはりやめておこう」という状態で眠っています。
で、これを掘り起こして、少し手を加えてアップしようとするのですが、やはり結局「やめておこう」となる。
だったら、さっさと消去してしまえばいいのですが、どうも自分で書いたものに変な愛着が沸いてきて、捨てられない。
「捨てる」と言う行為は重要です。
使わない情報など捨ててしまわないと、次に新しいものが生まれない。
どんどん捨てるべきです。
別の言い方をすれば、どんどん忘れないといけない。
忘れないと新しいところに進むことができなくなってしまう。
そんなこんなで、今日はここまで。
ご案内…
BS朝日さんの「賢者の選択」という番組に出させていただきました。
それで、先方から「鎌田のフロクで紹介を」ということで、ご案内申し上げます。
自分自身「賢者はないだろう」と恥ずかしく思うわけですが、出させてもらいましたのでご報告いたします。
何でもWEB上でも見られるとの由。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
http://www.kenja.tv/details.php?mode=profile&kaiinid=3546
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
ご覧になる場合、簡単な登録をしないと、いかんようです。
毎度思うのですが、人間というのは、単純でもあり複雑でもあり…
それぞれの人としての本質は不変なんでしょうが、一方、どんな人でも多面的と思います。
自分自身、二重人格とは言いませんが、多様な側面を持っていて、色んな自分が局面に応じて前面に出てきます。
そのある面が表出している、切り取られている状態が、雑誌記事であり、TV番組なわけです。
このあたりが、マスコミに扱ってもらう上での難しさのように思います。