メモ!
私はよくメモを取ります。
というよりも、「よくメモを取るね」と言われます。
理由は簡単で、忘れてしまうから。
衝撃が大きいから…画期的なアイデアだから…腹の底から面白いから…
「だから、忘れないだろう」というのは間違っています。
今年も半分を経過しましたが、年初に立てた抱負を(抱負を立てる人がどれほどいるかという問題はありますが)覚えている人がどれほどいるでしょうか。
メモにして掲示して肌身離さず持っているくらいでないと簡単に忘れていく。
「あの時、すごくいいアイデアを思いついたのに!思い出せない…」ということが多くって。
それでできる限りメモを取ります。
ところが、そのメモの存在を思い出せないという致命的な問題が生じる場合があります。
更に、過去のメモを見て、あたかも「初めて見る」くらいの衝撃を再度受けたりすることもあります。
自分の書いたメモを見て「勉強になるなぁ~」などと感心したりするから笑えます。
まぁ、そんなことでメモを取るのはお進めです。
ネーミングライツ…
先日の東京ユニオンスクエアでの会話の内容を思い出しました。
というかフロクに、先日の件を書いたら、参加者から丁寧にも当日の会話内容についての”議事録”が送られてまいりました。
有難いことです。
実に他愛もない話なのですが、何かとネーミングライツが横行する今日、「球場や劇場のような場所だけでなく、もっと広くネーミングライツを販売すればよいのに…」という話になりました。
たとえば、財政的に苦しい第3セクターが運営する交通機関。
まず、路線名のネーミングライツを販売する。
たとえば、岐阜県の長良川線とするならば、近隣(?)ということでトヨタ自動車さんあたりに命名権を買ってもらって、トヨタカローラ線とか…
更には、駅名の命名権も売っていく。
カローラ駅とか、エスティマ駅とか…
「地名と一致しないのはわかりにくい!」という反対があることは重々承知していますが、そんな財政状態じゃない場合もあるんでしょう。
ならば、まさに「名よりも実を取る」というのはいかがでしょうか。
更に財政的に破綻している市町村。
たとえば、我が故郷たる神奈川県小田原市。
※小田原市は財政的に破綻していることはないと思われますが…
※あくまで、荒唐無稽な例ですので、怒らないでください…
小田原市を例題として考えれば…
地元には富士フイルムのでかい工場があります。
ということで、富士フイルムさんにネーミングライツを買ってもらって、”富士フイルム市”というのはどうでしょうか?
それで、税金が安くなるならば、賛成する市民もいるんじゃぁないでしょうか…
「企業に市名を渡すわけにはいかない!」などという威勢のいい地元の人々が、「市名を買い戻そう!」などと運動したりしまして。
で、「小田原といえば、かまぼこ」「よしっ、かまぼこ業界団体でネーミングライツを買おう」などという話になって”小田原かまぼこ市”にするということになるかも知れない。
そうなると、5年ごとの契約更新で次々に市名が変わるなどということが起きて、「とてつもない社会コストだ!」というような批判が起こるんでしょう…
更には、左翼系団体から「何でも商売のタネにするな!」「資本主義による退廃だ」といった大反対も起こるんでしょう…
というような、話をしておりました。
NYかぁ?
昨日ですが、東京ミッドタウンの東京ユニオンスクエアという店に行きました。
(ミッドタウンでユニオンスクエアというのは、かなりベタな感じですが…人気のお店らしいですねぇ。)
そもそも、インテリジェンスのある部門で、「できる奴らの会」みたいなものがあって、クオーターごとに賞賛を目的とした食事会が設けられている(らしい)。
その部門の会議に出席していたら、今回の「できる奴らの会」はなかなか予約が取れない店に予約を入れることができたとの由。
ところが、その部門の偉い人たちが、「その日までに、今クオーターの”できる奴”を決めることは無理」みたいな発言をして、企画セクションが苦労して予約した個室がキャンセルされそうになったわけです。
企画セクションとしたら、「やってらんねぇ」的な出来事ですが、最近の当社は意外と大人なので、「鎌田さんが他の目的でお使いなら、どうぞ」というわけです。
まぁ、そこで、急ごしらえにて、各部門の優秀な成績を収めているメンバーを集めて、懇親会を開きました。
その場で、すごく良いアイデアに出会った(はず)のですが、その内容が思い出せません。
残念至極。
参加メンバーに思い出してもらうしかなさそうです。
料理は、イタリアンなんでしょうか…
雰囲気は良かったなぁ。
個室は快適でした。
あれがあれ…
物忘れが激しいという次元ではないのですが、
どうも、「あれがあれで…」とか「なにがなんだから」とか、
やたらと指示語が多い気がして参っています。
なかなか名前が思い出せない。
なかなか製品名が出てこない。
などなど…
でも、そういう時は、何としても思い出したほうがいいそうですね。
そういう状態を放置するのはよくない。
なかなか覚えられないという点では、毎朝、愛読している日経新聞のチンギス・ハーンでしょうか。
堺屋太一先生執筆の歴史小説。
連載開始以来、読み続けています。
が、その中に登場する人物の名前を覚えるのが大変なのと、さらに地名が出てくるわけですが、それが何が何だかわからないことがある。
やはり、初めて聞く名前でも、何らかそれに関連する知識があったり、聞きなれた言語ならば頭に入ります。
また、地名について言えば、多少でも地図が頭に思い浮かぶならば、あまり気にせず、情景を思い浮かべながら読むことができます。
ところが、全く聞きなれない人名や地名が並ぶと、それが何だったか思い出しながら読まないといけないから大変ですね。
何だか、頭が悪い気がしてきて困ります。
各論の強さ
私自身、これまで、各論に強いということを”売り”にしてきたわけです。
自社の顧客について、商品・サービスについて、社員の属性について、各組織の状態について…
今日、現場で何が起こっているのかという次元に理解があるということを自慢にしてきたわけです。
ところが会社もそこそこ大きくなり、社員が4000人くらいいて、売上が1000億円近くになると、全ての各論に強いというのは無理になってきます。
「それでよい」という見方もあります。
現場に入りすぎるのもイカンとも思います。
しかし、やはり現場の各論には敏感でありたいし、把握していたいという、危機感のようなものが染み付いているようです。
要は、現場の情報から隔絶されることへの危機感なんだろうと思います。
今週、ある件で、ある企業の社長とお会いしました。
それは、当社の某役員からの依頼で、そちらの企業と進めようとしているプロジェクトを是非とも勝ち取りたいということで、社長への面会を設営させてもらったわけです。
私はそのプロジェクトの概要の概要くらいしかわかっていなかったので、いつもの調子で「一つよろしくお願いします!」みたいな抽象的な”お願い”で終わるだろうとみていたのですが…
先方社長は大変に詳しくプロジェクトの状況を掌握していてびっくり。
極めて具体的な仕事の話になって、「なるほど、そういう状況なのか」と合点がいくような始末でした。
やはり、具体的な各論は何事であれ、とても勉強になります。
とまぁ、そんなことで、自分の各論に対する強さを確認したくなったというわけです。
選択しないという”選択”
選択肢が複数存在し、どれを選ぶか迷ったとき、人は「何も選択しない」という”選択”をしがちだそうです。
フロクを継続しようと、ささっと書き上げようとして、いくつか柱となる材料を探すわけですが、「これっ」という柱が見つからず、弱めな材料が複数存在している場合、手が止まります。
いつだか、思いつきで一眼レフのデジタルカメラを買いたくなって、見に行ったわけですが、何せ一眼レフのデジタルカメラなどそれまで全く買おうと思ったことがないわけで…
何の下知識もなく、しかも衝動的に「買おうかな」という状態ですから、カメラの用途もノーアイデア、したがってどんな性能を求めているかということもなく…
そんな具合ですから、買う気だけは確かにあるのですが、どれを選べばよいかさっぱりわからず、結局撤退しました。
イメージでは、やはりキヤノンだろうと…しかし、やはり技術上の信頼感で言えばニコンかも…などとブランド選びで躓いている状況でした。
つまり、やはり、迷うほどの選択肢があると、選ばないことを選んでしまう。
人間の選択に向けた行動上の心理というのは、本当に面白いものです。
でかい社会コスト
3月決算企業の株主総会が集中する6月下旬、役員選任についてのご案内を数多く頂戴します。
当社は数年前に役員就任についてのご案内を郵送するのはやめました。
その代わり、WEB上で適時開示してご案内とさせてもらっています。
この役員就任(あるいは退任)のご案内は大変貴重な情報源であることは確かですが、一方、「大変な社会コストであるなぁ」と感じます。
いっそ、役員ドットコム(相当センスのない命名ですが)でも作って、あらゆる会社がそれにアップして、お互いに見るという制度にしたらどうでしょうか?
もしかしたら、そういう仕組みがすでにあるのかもしれませんが…