昨年度のTNR数は41匹で、会として最小の数字になりました。しばらく200匹台が続いたことを思うと、ここまでキターと歓喜の声を上げたいところですが、現実の話をすると昨年度はとても大変な現場ばかりでした。

 

何度入れば終わるのこの現場!!と、時にイラッとしながらもやり切りました。

 

青梅市内のTNRはほぼ終わっているのに、いまだに着手されていない場所は、ちょっとした盲点に位置しているのかもしれません。。。。

 

 

そして昨年度、TNR活動をしているだけなのに「庭の玉砂利をお前が全部変えろ」という理不尽な恫喝を受けました。野良猫の糞尿被害を訴えてのことでした。

 

事前リサーチで要注意人物だったので、すぐに最寄りの交番と市役所に報告しました。

 

市内山間部に位置し、野良猫よりもはるかに野生動物が生息していると思われる地域で、巡査の方も野良猫は少ないですよと話されていました。

 

こちらは広い町内会で2匹のTNR行いました。登山チックな道を上り下りし、体力的にもキツイものでした。

 

風光明媚で、豊かな自然。ほとんどの住民の方は、野良猫に寛大で救われた思いでした。

 

 

 

 

 

 

「家猫が脱走して帰ってこない」とご相談を受けたのは、確か1/24日ぐらいだったと思う。一年で一番寒さが厳しい時期だったので、一刻を争うと思った。

 

飼い主さんは整形外科に通院中で、探し回るのに苦労されているご様子だった。ただピンポイントで効率よく動かれていて、ポスターを貼らせてもらった動物病院の看護師さんが、その日に捕獲器を届けてくれたそうで、すでに設置済みとお聞きする。

 

猫砂を庭に少しまくことと、設置した捕獲器に猫ちゃんが使用している毛布などを掛けるようにアドバイスする。

 

脱走猫ちゃんは8か月の黒猫とお聞きする。保護された経緯をお聞きすると、思い当たる記憶がある

 

「もしかしたら!!!!8月にボランティアさんたちが必死で探していた子猫ではないか」と。。。。

 

翌日、ボランティアさんたちが動いてくれて、捕獲器の追加設置行ってくれた。飼い主さんと話をされて、保護された時期、月齢、しっぽの形のすべてが一致し、探していた子猫に間違いないということでした。

 

そして翌日の夜に、ボランティアさんから捕獲器に入ったとの知らせを受けました。

 

保護するまでに飼い主さんの心配でたまらない気持ちは痛いほど伝わってきました。

 

そしてボランティアさんたちがずっと心配していた子猫。思いがけない形でしたが、子猫が幸せをつかんだことを知り、なによりのギフトとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻に引きずり込まれた、気の毒な夫の休日。

まぁ、猫は大好きなんですけどね。

 

ある土曜日の午前10時30分。

行きつけの動物病院近くで、徹夜明け仕事の私をピックアップ。私は仕事でやらかしてしまったことがあり、肉体的にも精神的にもズタボロ状態だった。

 

すでに夫は、不妊手術のため二匹を動物病院へ預け、一匹の血液検査と検便を済ませていた。結果を聞くと両方とも問題はなかったと言う。

 

その上、家を出る前に多頭数いる保護猫のご飯とトイレ掃除を済ませている。

 

夫にこの後の予定を聞くと、帰宅後、一息ついたらトライアルのため30分~40分かかるお家にお届けに伺うと言う。

 

そして、その後は緊急入院される方の飼い猫を保護しに向かうとのこと。

 

「なかなかハードスケジュールじゃないの」と言うと、「そうなんだよ」と言う。

 

土曜日の午前中、結構渋滞していて家までの時間がかかるなぁと思う。

 

帰宅後、すくに私はダウンし横になる。

物音で目が覚めたら、もう外は真っ暗だった。

 

手術を終えた猫を夫がゲージに移していた。

隣のケージには緊急保護した飼い猫の三毛ちゃんがいた。

 

私が寝ている間にすっかりボランティア活動を終えた夫。

気の毒に、夫の休日はあっという間に終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

そこの現場はもうお手上げ。

10年以上前になるのかな。

通りがかりで猫が多頭数いると知ったのは。

 

「無料で不妊手術できますがどうですか?」との声掛けに「うちはいいです」と。取り付く島もなかった。

 

その場所は青梅市の郊外に位置しド田舎で、ご近所トラブルに発展する可能性はないため優先順位は低いと判断。そのままになりました。

 

それから時はたち、確かコロナ感染が広まった初期のころだったと思う。上手く説得してくれる方が現れて、おおにし先生の出張手術に合わせて準備を進めていました。

 

しかし3日前ぐらいに突然のキャンセル。

理由は理由になってなかった。

 

メス猫だけでもどうですか?と聞いてもらったら、メス猫はいないとの答えだった。

 

で、私は匙を投げた。

 

 

そして最近になり、市役所から聞いた話。

他市のボランティアさんから、そこでのTNRの協働の申し入れがあったそうだ。今度こそ突破口が開くかと市役所は快諾されたそうだ。

 

結果は手術に反対という意思は固かったようで、今回も手術には至らずとお聞きした。

 

結果は残念でしたが、協働を申し出てくれたボランティアさんと、快諾した行政に私は静かな感動を覚えた。

 

会の発足時を思うと信じられない市役所の神対応。

 

一番のクレーマーだったおばさんは、もう言うことがありません。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年、何という年明け何でしょうか。

今回は、ただの始まりなのではと思ってしまいます。
 
防災意識の手綱をもう一度しっかりと締め直さないといけないと思いました。。。。
 
 
石川県は輪島塗を中心として、伝統工芸が代々受け継がれている地域ですよね。私は何度か受け継ぐ職人さんと仕事をしたことがあります。
 
一度仕事道具に関することで、職人さんから注意を受けたことがあります。それは道具に対するメンテナンスが不十分であるということでした。
 
思いがけないことでしたが、伝統工芸はそこから始まるのかと、とても納得したことを覚えています。
 
伝統工芸は日本の宝です。
皆様ご無事を心から願うばかりです。。。。
 
 
 
そして、昨年10月から関わっている多頭飼育の現場は、やっと最後の一匹が捕まり終了しました。計7匹を引き取りました。。。
 
 
青梅市ではTNRをご自身で行うという市民には、どうぶつ基金の「無料不妊手術チケット」をお渡ししています。(当会の悲願でした!!)
 
でも今回の多頭飼育のように自力で解決できない場合、当会がその受け皿になってきました。
 
よく地域猫セミナーなどで耳にすることですが、行政側から協働するボランティアがいないという話。
 
団体として発足してから、その受け皿の役割を担ってきたからこそ、市役所も前向きに変わってきたのではと思っています。
 
団体として願ってきた方向になってきました。
 
2024年、新しいステージに立ったと言えます。
 
仕事は激務でボランティア活動には限りがありますが、いろんなことがあっても、前を向いて笑顔で2024年過ごしていけたらと思っています。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

今年も残すところあと一週間になりましたね。

 

当会の活動状況ですが、TNR頭数は激減していますびっくりマーク

子猫の保護に限っては、こちらも激減していますニコニコ

 

会を立ち上げた10年前は、TNRは到底追いつかず、市内のあちらこちらで子猫が生まれていました。

 

ここ三年ぐらいで、生まれてくる子猫は、ボランティアが保護できる頭数になってきているのではないでしょうか。

やっと目指してきた社会が現実になりましたが、今後はこの状態をキープしていくことが、大切なことです。

 

 

逆に増えているのが、成猫の保護依頼です。飼えなくなった飼い猫、ご飯を上げられなくなった地域猫、そして多頭飼育崩壊の成猫。

 

高騰しているフード、猫砂、医療費など会の運営はさらに厳しくなってきました。譲渡できない成猫の保護は慎重にならざる得ないのです。

 

今、世の中は二極化と言われています。富裕層とそれ以外というように。

 

資金が潤沢なボラ団体とそれ以外。

 

当会のようなそれ以外は、来年あたりから淘汰される時代が来るかもと、思ったりしています。

 

 

 

 

先月から多頭飼育崩壊現場に関わっています。

崩壊現場は会として4件目。前回から、6年以上はたっていると思う。

 

今までとは明らかに違うのは、市役所の動き。

近隣住民から臭いの苦情が市役所に入ったそうだ。

市役所から私に情報提供がされた時は、飼い主さんの説得と「どうぶつ基金」の多頭飼育崩壊枠の「無料不妊手術チケット」の申請に動いていた。

 

過去3回の多頭飼育崩壊を思い出すと、はらわたが煮えくり返る思い。市役所の対応は最低最悪だった。近隣住民が訴えても「飼い猫は担当外」というスタンスで、問題の解決に向けて動こうとは一切しなかった。

 

時がたち、市役所の対応がこんなにも変わるなんて。。。

 

今回、市役所も私も、飼い主さんのお気持ちが変わるのをおそれていたけど、それは徒労に終わる。

 

捕獲のすべてを飼い主さんが担う。

こちらはキャリー、捕獲器、タモなど、必要なものを用意し、使用方法を伝授。

 

残りは雄猫1匹となった。飼い主さんは最後までやりきるという意思を持っている。

 

 

「いのちを考える会・青梅」は、公益財団法人どうぶつ基金の「さくらねこ無料不妊手術事業」に参加している「青梅市役所」と協働して多頭飼育救済を行いました。

どうぶつ基金が発行する「さくらねこTNR無料不妊手術チケット」を使用し、不妊手術費用、ワクチン、ノミダニ駆除薬については全額どうぶつ基金が負担しました。

 

 

 

 

子猫が餌場に現れるのを待っていた。

ママ猫が子猫たちを連れてくるのには、人目につかないちょうどいい餌場がある。ここには一回だけ、子猫5匹を連れて現れたという。

 

周辺一帯に子猫の目撃情報を募るチラシをポスティングするも有力な情報は無し。

 

それから一か月近くたち、とっても残念だけど、子猫は生きていないと判断せざる得ない。

 

同じような苦い思いは、これで何度目だろうか。

 

ママ猫が子猫を連れて、何度か現れてくれたら、全頭保護の確率はグッと上がるのになぁ。。。

 

子猫の保護が一度きりのワンチャンスしかないなんて。

ワンチャンスではとても難しい。

 

昨年から子猫の情報は激減している。

 

猫ボランティアにそこそこ余裕があるので、保護さえできれば、家猫としてのしあわせが待っています。

 

 

 

 

 

 

黒猫オスカル3歳。

先日、虹の橋を渡っていきました。

 

オスカルの名前の由来は「ベルばら」からではありません。

「ブリキの太鼓」のオスカルからです。

オスカルという名前に祈りを込めました。。。

 

 

オスカルは体重1.5㎏から成長しませんでした。

ずっと外見は3ヶ月の子猫のまま。

 

血液検査は特に異常はありませんでしたが、そんなに永くはないという漠然とした思いはありました。

 

なのでオスカルが食べたがる物はなんでも与えました。

それが身体に良くないとかは関係なく。

 

多頭飼育の環境で生まれて、私のところでも常に成猫に寄り添って寝ていました。

 

ちょっと食欲が落ちていると思ったら、あっという間に逝ってしまいました。

 

 

映画「ブリキの太鼓」はヒットラー占領時代のボーランドが舞台だったと思う。主人公オスカルは、3歳で自ら成長を止めてしまう。戦争が終わり、また自らの意思で成長を始めるところで映画は終わる。反戦の映画?だと思うがシュールでグロテスク。そして名作。

 

残念ですが願いむなしく、黒猫オスカルは、再び成長することはできませんでした。

 

 

 

 

 

「ナイフで切ったように

夏が終わる」

 

夏の終わりはいつだって突然で、

あまりにもあっけなく訪れる。。。

 

1982年パルコの広告のコピーです。

私の世代では心に突き刺さった、有名なコピーの一つではないでしょうか。

 

ナイフで切ったように夏は終わるはずなのに。。

あれから40年たち、日本の春夏秋冬は、すっかり様変わりしてしまいました。。。

 

 

さて少し前の里親会ですが、高齢の男性がいらっしゃいました。立派なお仕事をされていて、お人柄も申し分なかったです。

 

ご家族は高齢の奥様のみで、何かあった時に、引き継いで飼える身内はいないということでした。

 

「譲渡は難しいです」とお伝えすると落胆したご様子でした。その時、知り合いのボラさんが言っていた、レンタル猫の話を思い出しました。

 

それなら紹介できるかも。。。

 

先住猫がいると話されていたので、突っ込んだ話をお聞きしたところ、先住猫ちゃんは出入り自由なことがわかりました。

 

うぅ、、、万事休す。

 

本当に残念ですが、ボランティア団体からの譲渡は難しいことをお伝えしました。