オーディオの楽しみ

オーディオの楽しみ

一音楽ファンの目から見たオーディオのページです。いい音で音楽を聴けるのは至上の喜びです。

 

 

私はオーディオ製品は導入すると15年くらいは使う。しかしそのくらいになると、ちょうど故障も多くなる。直して使うことも出来るが、そろそろ買い替え時だろうかと思うようになり、この3~4年の間に3機種を買い替えた。音は格段に良くなり、非常に本格的になった。

 

<パワー・アンプ>

[Viola Forteから買い替え]

3機種のうち、もっとも最近に買い替えたたのは、アンプだ。

それまでのヴィオラのForteはずっと使おうと思っていたのだが、3回目の故障で諦めた。それで候補としては、AccuphaseとLuxmanだが、やはり私は海外製に未練があった。マークレビンソンも100万円程度で出していたが、内部がバランス接続である確証が持てない。この価格では完全バランスではないのではないかとの疑念があった。

それで、McIntoshやPASSなども考えたが、スイスのメーカーであるソウリューション Soulution 311という手があったことに気が付いた。Soulutionはかつてインターナショナルオーディオショウで初めて聴いて、非常に感激した覚えがある。しかしなんせ高いことで有名なメーカーであったし、とても自分が使うなどということは考えたことがなかった。だが最近比較的手に入りやすい3シリーズが出たということで、予想もしなかったことが現実的になってきた。まず初めに200万円弱でプリメインアンプが発売になり、そののち、パワーアンプも同程度の価格帯で発売になった。しかし円安で直に値上げになり、200万円台の前半くらいの価格になっていた。先のオーディオショウで聴いてから決めようと思っていたら、また値上げになるというニュースが聞こえてきた。200万円台後半になるらしい。いろいろ考えてもこれ以上の製品はないだろうということで、値上げ前、ショウの前に販売店で聴いて決めることにした。

販売店ではプリアンプは純正325との組み合わせで聴いた。ケーブル類の問題もあってか今一つの感もあったが、プリをオクターブに替えると一段と良くなって、決めることが出来た。(純正の組み合わせはオーディオショウでも確かめたのだが、本来非常にいい音がする。ちなみに私のプリアンプはマーク・レヴィンソンNo.320だ。このアンプは買って以来故障知らずで、この後もかなりの間使えるのではないかと思っている)

アンプ類は100万円台というのが目途だったが、Forteの買い替えということで、ずいぶん迷った。なんせForteは買った時点で120万円だったが、ForteIIになってからあれよあれよといううちに値上げして、現在では定価370万円になっている。並みの製品だと、どうしても買い替えと言えるのかどうか、値段からすればダウングレードじゃないかと思ってしまう。しかしForteIIはもともとそんなに高い製品ではなかったし、Soulutionは自分的には立派なアップグレードだ。なんせ200万円台前半でも、私がこれまで買ったオーディオ製品の中で最高価格となる。これはかつてオーディオショウで感激した経験があったことが決め手になった。

それで購入後の満足度だが、これは非常に高い。音はたまらない。ヴィオラのForteと比べても、美音ではないがダンチで本格的な音がする。私は我が家のオーディオからこんな音が聴けるとは思わなかったというほどの音だ。

まず左右、前後の音空間が格段に広がる。このあたりは真空管アンプを思わせ。基本性能が非常にいいことを窺わせる。そして低音は非常にどっしりとして、スイッチング電源に余裕があるらしく、スイス製らしい根を張ったような安定感がある。音色も、高音から低音まで混濁することがなく、女性ヴォーカルを聴いても思わず聴き入ってしまうほどだ。音の生々しさもなかなかだが、発音帯を拡大しているようなものではなく、奏者全体の音像を感じることが出来、バンドの場合は演奏の場がそのまま再現されるようなやり取りの空気感が伝わってくる。あたかもオーディオ・ルームにバンドを招き入れたような気分だ。音のキレがいいためか、出て来る音に生き生きとした感じがあり、コンサートの席で聴いているような錯覚を持つ(なぜそういうふうに聴こえるのかは十分には分からない)。高音の柔らかさと自然さは、これまで聴いたことのないものだ。人の声などあまりにも自然で、そこにいるのではないかと思うほど柔らかい。なるほど、よく「スタジオ品質」というのも頷ける。トランセンダントはけっこう大きいが、このアンプと釣り合うシステムはもっと大きなスピーカーで、スピーカーが格負け?というような気さえする。最初は「100万円はスイス税」としてあきらめようと思っていたが、今は全くそうは思わない。中身はびっしりと詰まっている。うっとりするような美音ではないし、びっくりするような生々しい音でもないから、一聴すると普通のアンプのように聴こえるかもしれないが、じっくり聴くと人を幸せにするような音で、クセになる。

Soulutionは、私が買った3シリーズのほかに5シリーズ(日本未輸入)が出されているが、フラッグシップの7シリーズのプリアンプが海外誌で最優秀賞を取っている。それで社長兼チーフエンジニアのCyrill Hammer氏のインタビューが出ていたが、5シリーズとの違いは徹底したノイズ対策であることを強調している。Hammer氏はいかにもはったりのない技術者という印象の人だが、7シリーズのアンプは日本円換算で1千万を優に超える価格であり、世界最高であることを最初から運命づけられたアンプだ。ひたすら真面目一筋に世界最高のアンプを作るのにふさわしい雰囲気の人だ。

スピーカーというのは、いわばオーディオ・システムの頭脳のない筋肉のようなもので、運動的な感覚はあっても、細かい感情表現までは伝えない。それに対してアンプは神経系統であり、結局システム全体の音楽魂をつかさどるのはアンプだと思う。レヴィンソンとヴィオラの組み合わせの時はヴィオラの押し出しがやや弱かった。レヴィンソンとソウリューションの組み合わせになって、まさに私のシステムの中核に位置する感が強くなった。ソウリューションにしてから不思議とレヴィンソンの音も浮き出るようになった。

スピーカーから出る音に魂を吹き込んでいるのはアンプだ(それより上流のプレーヤーを含めて)。オーディオ・ファンで単にいい音で聞きたいということだけを思う人はいないだろう。どんなに高くてもどんなに安くても、それだけなら何の価値があるだろう。ファンが求めているのは「感動」だ。

スピーカーは夢はあるが、名を伏せられると最も分からないのがスピーカーだったりする。私はそういうイベントに参加したことがあるが、名無しだと(ステージ上でどのスピーカーが鳴っているなど分からないから別に幕を張る必要もない)、誰もブックシェルフ型とフロアー型の区別さえつかない。

買い替えには、スピーカー用として300万を覚悟していたが200万で済んだ。CDプレーヤー用としては100万用意したが、37万で済んだ。その余った分を全部アンプに注ぎ込んだようなもんだ。しかしこのアンプは大正解だったと思う。

 

<CDプレーヤー>

[Metronome CD3 Signatureから買い替え]

CDプレーヤーは、メトロノーム MetronomeのCD3 Signatureを使っていた。これも相当に頑張ってもらったのが、88分収録の超長時間CDを読み渋ったこと(一度だけ読み込んだことがあったが)、国産と比べてCD盤面の汚れに弱かったことから(拭けばいいだけだが)、最新のプレーヤーに買い替えることにした。候補は、Accuphase DP450とLuxmanのD07X、それにTechnicsのSL-G700IIだった。MetronomeのCDプレーヤーは非常に有力だったが、デジタル出力端子がないので諦めた(旧モデルはデジタル出力で使っていた)。

Accuphaseは音は、奥行き感の表現では上級機種より良さそうだったことから候補に挙がった。Luxmanは国の内外で評判がいいので興味を持った。販売店で聴かせてもらった森麻季の声は忘れられない。Technicsは、デジタル技術を使ってDAコンバーターの後段で音波形(位相)を補正し、定位を良くする技術が魅力的だった。そうでなくともこの機器は前モデルからして全体に評判が良かった。音展で歯切れのよい音に魅力を感じたこともある。ただ一生ものということを考えるとLuxmanはぴったりくるような気もした。最終的には、私は定位を非常に重視するのでTechnicsにすることにした。

問題は一生ものにしては価格が安過ぎたことで、Metronomeの半分から3分の1以下だ。この製品の定価は37万円だが、37万円の割引なしで買った。なんせこの頃はモノ不足で、どのプレーヤーでも数カ月は待たされると言われた。割引率に敏感な私でも、内容を考えると37万をさらに値切ろうという気は不思議と起こらなかった。(あとで知ったが、Technicsは販売方針が変わったことで、どこでも定価販売になっているらしい)

買って感じたのは、定位の良さは際立っている。やや音が引っ込むだけで、音は格段に高級感を増す。音の重厚感ではフィリップス製メカニズムのMetronomeに敵わないが、解像度では明らかに上で、格下の感じはない。S/Nは非常にいい。振動対策は非常によく出来ているようで、回転機器の存在を感じない。電源ケーブルも良く吟味されているようで、高いものに替えても音は良くならない。筐体の剛性もいいようで、非常にしっかりしたきれいな音がすると思う。

 

<スピーカー>

[Avalon Avatorから買い替え]

最初に買い替えたのがスピーカーだ。

アヴァロンAvalonのアヴァターAvatarからトランセンダントTranscendentへと替えた。音の基調は同じメーカーだから変わらない。それは分かっていたから、相当に悩んだ。大金を払って買い替えるのだから、どうせならかなり変わった方がいいだろうかとも思った。

有力な対抗馬は、YGアコースティックス YG Acousticsだった。YGアコースティックスは私の憧れのブランドだが、主力のヘイリーHaileyはとても買えないので、カーメル2 carmel 2になる(carmel3は当時未発売)。トランセンダントは販売店で展示品をすぐ聴けたが、カーメル2は取り寄せてもらった。すぐに気が付くのは、改めて知ったのがその大きさの違いだ。カーメル2はトランセンダントに比べてこんなに小さいんだという実感。それでいて、価格は200万のトランセンダントと比べて100万以上高い。

有力なのはこの2機種だったが、更に聴かせてもらったのはたまたま展示していたマジコ A3で、低域の弾みに魅力は感じたが、音楽のニュアンスはトランセンダントの方が細かく伝えるように思った。

発売はかなり前だったから、Stereo Soundでの評価はもう分からない。それでネットで調べたら、10年くらい前の英文記事がアップされていて、非常にいい評価だったが最後の点が決定的だった。オーディオ評論家の評者が自宅のスピーカーとして導入したというのだ。それで、トランセンダントにすることにした。

それで購入後だ。なかなかいい音では鳴らなかった。Avatarは、ユニットがフランスのフォーカルで、音に甘さがあって気になっていた。しかしTranscendentは音に潤いがないように感じ、これならAvatarの方が良かったと真剣に後悔した。しかし結局エージングが原因だった。Transcendentのエージングは、1年半かかった。この後は、非常にいい音で鳴って、立体感の表現など鳴らしやすい。最終的にはどこにもこれという欠点がないスピーカーに仕上がって非常に満足している。

 

思えば、アヴァロンに興味を持ったのは初めて聴いたAscentに感銘を受けたからだ。Soulutionに初めて接した時も感動した。こういう感銘・感動体験はインターナショナルショウでいろんな製品を聴いていてもめったにできない。モデル名は違っていても、そういうメーカーの製品を買うことが出来たことは本当にラッキーだったと思う。

ということで、私のシステムの買い替えは大体が揃った。あとはネットオーディオ用のネットワーク・プレーヤーだ。Qobusがいよいよ上陸すれば、そのあたりの情報も増えてくるだろう。

オーディオというのは、あくまで音楽を聴くための前提に過ぎないものとすれば、当面は音楽に専念できる環境が揃った。

 

 

 

 

 

NVIDIAが話題になっている。なんでも半導体の売り上げでインテル、サムスンを抜いて世界一になったという。驚く話ではない。画像処理プロセッサー(GPU)の性能が、中央処理プロセッサー(CPU)の能力を上回るということは、20年以上前から言われていた。

ただ、GPUメーカーはNVIDIAだけではなく、なぜこのメーカーだけが突出しているのかという理由については、このメーカーの歩んできた歴史を知る必要がある。

 

私のようにパソコンを自作する人間にとってNVIDIAの名前は昔から非常になじみ深いものだ。IBM互換機というのは画像に関しては幼稚なもので、640x480ドット、16色のキャラクター・ユーザー・インターフェース(CUI)だけだった。当時としてはグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)というのは標準ではなく、別にグラフィック・ボードが必要だった。だから、GPUを持ったグラフィック・ボードを買ってきてマザーボードに取り付けた。互換機の標準ではないので、ドライバーはGPUメーカーが自力で開発して提供した。

で、問題はここからだ。これが往々にして動かないのだ。自作派にとってこのグラフィック・ボードを動かすというのは、最大の難関といってよかった。

当時の主なGPUメーカーとしては、対NVIDIAの最大手であるカナダのATIというメーカーがあった。さらに言えば、同じカナダでMatroxというメーカーもあった(少し価格が高かったが、これはこのメーカーのGPUは発色が良くてきれいだという噂があったからだ。私はいくら目を凝らしてみても確かめられなかった。私の友人も同じ意見だった)。

私はそれに加えてさらにチューナー・カードなどを使った。パソコンでTVを見るためのものだった。パソコン用のチューナー・カードは、グラフィック・ボードと組み合わせて動作するが、これを動かすのはもっと難関だった。さらには昔はサウンド・カードなどというものもあった。私は色々試すうちに、それぞれ10枚ほどのマザーボードやグラフィック・ボード、チューナー・カードなどを使った。

結果としてどうだったか。

NVIDIAのGPUを使ったグラフィック・ボード(ブランド名GeForce)はどんなマザーボードでも、どんなチューナーカードでも、どんな組み合わせでも、全て動いた。それに対して、ATI(ブランド名Radeon)やMatrox(ブランド名Millennium)のGPUでは、反対に1枚たりとも完全に動いたものはなかった。

これは会社の立ち位置とも関係しているだろう。ATIは、大手のメーカーなどにボードを供給するのが得意だった。つまり限られた特定の組み合わせが得意だった。画像処理自体はむしろ上という人もいたのだが。それに対してNVIDIAは、PC用にありとあらゆる組合わせで動く必要があった。ソフトウェア互換という意味では、鍛えられ方が違ったと言ってよい。先端的なゲームメーカーとの接点も多かっただろう。

だからNVIDIAは、メーカーという言われ方をされることが多いが、エンジニア9割の中で、実はソフトウェア・エンジニアの方が、ハードウェア・エンジニアよりも多いのだという。これは主たるターゲットであるゲーム市場で、NVIDIAが協業を重視してきた結果だろう。同社の言葉をかりれば、それらの企業とエコシステムを作ってきたということが出来る。3Dポリゴンなど、私は良く知らないが、凄まじい世界と思う。

 

パソコン自作派にとって、「動く」ということは最も重要な要素の一つだ。だから、どんな環境でも必ず動いたNVIDIAの存在は本当にありがたかった。昔から、協業やエコシステムを重視してきた結果だろう。

これがAI市場での優位性、半導体市場での競争力にどのように関係しているかはよく分からない。株価のことは更に分からない。しかしデジタルというのはオープン・プラットフォームで、日本企業はそのあたりに問題があるというのは、最近特に認識されてきていることと思う。

 

 

今年のインターナショナルオーディオショウは、11月3日~5日の3日間で、私はその中日4日に行った。

ずいぶんと人は入っていて、多くのブースでは立ち見となり大盛況だったが、祝日の前日はもっと多かったという。長いコロナ自粛期間が明け、ようやくオーディオの世界も日常を取り戻したという感じだ。

首相が所得税減税を打ち出すと支持率が逆に下がるという。確かに収入が増えない経済的弱者、年金生活者は物価高で困窮している一方で、多くの輸出関連企業は空前の利益を挙げており、人手不足も深刻だ。円安もさらに進行していて、世界が日本に一番求めているのは財政規律でありそのためのリーダーシップだというのも頷ける。

このオーディオショウは、言ってみれば憧れ製品の展示会だ。それがこんなに盛況なのは、経済は停滞してるというよりは二極化していると思わせた。お金はあるところにはあるのだ、ということはいろんな機会に感じることでもある。

今回のオーディオショウで印象に残ったのは、入場者の身なりだ。高価な製品とは言え、所詮はオーディオオタクが対象だから、今までは身なりは気にしないというふうの人が多かった。ところが今回は、カジュアルな服装であることには変わりがないにしろ、こざっぱりして落ち着いた雰囲気の人が多かった。みんな講演には真剣に聞き入っていて、買う気がまんまんという風情なのだ。

価格も高くなった。日本製品は200~300万くらいが上限と思うが、高級輸入オーディオはアンプ類はそれ以上というところで棲み分けが行われている。スピーカーは事情が異なるが、それでもかつては500万を超えるスピーカーはそもそも作れないと思っていたのが、1000万というのは珍しくはなくなったし、中には1億を超える商品まで現れている。ここまでくると女性が買える範囲ではなくなったのか、女性客は減ったように思う。

 

中味の話題に移せば、ネットワーク分野でコバス(Cobus)の参入が正式に発表されたようだ。これが高級オーディオにどの程度の影響を与えるかは未知数だ。タイダル(Tidal)は、MQAがなくなってFlacに移るらしいが、日本上陸は未定のようだ。ネットワークは若い人にとっては魅力だろうが、若い人は高級オーディオに関心を失っている。

音の入り口としては、年配者はレコードに向かっている。レコードにしても、プリアンプ、パワーアンプ(最近は高級プリメインアンプの台頭が著しい)、スピーカーは変わらないから、中心はそこになっている。CDプレーヤーを中心とするところは見あたらない。

私といえば、次の大物商品はネットワークプレーヤーだが、どうにも製品のラインアップが充実してこない。LANでいい音を出すのには、少しばかりのコツがが必要なのだが(音楽専用ハブはかませた方がいいのだ)、そのあたりはこれからだろう。ネットワークはconnectサービスが必須に思う。

今年は、全ブースをくまなく回ることはせずに、講演を中心に回ったので、印象は散発的になる。

 

最初に聴いたのは、マランツのブースでのB&Wだ。入るといきなりヴァイオリンのソロで、まるで生の演奏を聴いているようだった。マランツの音は、どっしりとして豊穣。大半の人は、これで満足するだろう。

次にはソウルノートのブースで、三浦孝仁さんの講演だった。A-3のデモで、いい音で鳴ってはいたが、その特徴を体験する決め手となるようなびっくりするような曲を聴きたかった。ただ音のレベルは高く、ゴールデンサウンド賞をもらったというニュースを披露してもらった。

次にはリジェールで、スフォルツァートのデモ。ほとんど何も言うことなしのいい音だった。ここのネットワークプレーヤーは、クロックを別に用意しなければならないのが、買いずらい。私はクロックを持っていないのだ。ただ、色付けがなく、かえって印象はと聞かれた時に答えにくい。(ネットワークプレーヤーは、明るい音色のルーミンがもう一つの有力候補だが、ここには伝統的に出展していない)。

太陽インターナショナルは傳信幸さんの講演でAvalonのIsisほかのデモ。いつもながら曲目のリストが配られるのでありがたい。ここのシステムは上流から下流までレベルの高い組み合わせで理想的な音で楽しませてくれる。ここの立体的な音場再現には、いつも驚きと感動がある。

リンは、Exakt 350のデモ。信じられないようなマッシブで敏捷性の高い低音で驚く。これがLINNの美学だろうか。しかしここのスピーカーもプレーヤーも高くなった。

フューレンコーディネートはピエガオクターブ。アンプは高いだけあってさすがにいい音が出ている。ここのアンプはどんなスピーカーでも美しく鳴らすだろう(高くて買えないけど)。

最後は、ハーマンのJBLマークレヴィンソン。ここはもう閉幕時間に近かったが、誰も席を立たない。こんなに忠誠心の強いファンを抱えながら、なぜいったんショウから撤退したのだろうと改めて不思議に思う。ここでしか聴けない大口径のウーファーの低音は、ほとんど孤高の存在になりつつある。ここに集まった人たちはおそらく、一生JBLを聴き続けるのだろう。頑なに昭和の文化を守る雰囲気も居心地がよかったりする。

 

円安という逆風下ではあるが、まずは盛況でなりよりだ。入り口がCDからネットワークに移った時に、この盛況が維持できるように祈るばかりだ。

 

 

 

仮想アースについては、過去に書いた。その結果、Entreq の OlympusTen を AET のケーブル HIN-EW125NI (約5万円) でプリ・アンプにつなぎ、それでかなり満足していた。

ところがその後、ZONOTNE からも高級アースケーブルが出て、アクセサリー銘機賞のグランプリを取ってしまった。44,000円(1m)とやはり非常に高価だが、仮想アースの効果は十分に実感していたので、使ってみたくなり買った。

それで買ってからの問題は、それをどこにどう使うかだ。私の手元には、上記OlympusTen以外では、光城精工の Crystal E が2台あり、余っているのでPCオーディオ用に使っている。そしてこのアース・ケーブルとしては、 AET の AIC-EW125Y56(約1万円) を使っている。

これをメインシステム用に転用することには何ら問題はない。使う場所として、OPPO Digital の SONICA DAC がある。MetronomeのCDプレイヤーは、現在は SONICA DAC に対するトランスポートとして使っており、これに対する仮想アースも考えられるが、トランスポートに対する仮想アースは効果はあることはあるが、見送ることにした。(※)

それで、SONICA DAC 用に光城精工の仮想アースを2個つなげて使い、2個の仮想アースを連結するのに AET の AIC-EW125Y56 ケーブルを使うことにした(このケーブルは高級とまではいかないが、音色的には何ら問題はなく、HIN-EW125NI が出る前は満足して使っていたものだ)。

つまり、結果として、OlympusTenに対してZONOTONEの高級ケーブル(プリアンプ用)、光城精工に対してAETの高級ケーブル、それを2台つなげるケーブルとしてやはりAETの中級ケーブル(DAC用)という組み合わせになった。


結果は驚きだ。スピーカーから出る音は次元の違う音になった。低音は深くて力強く、音全体の実体感は顕著に増し、奏者との距離は格段に縮まった。レベルが上がったというより、アンプを変えて別次元の音になったと言いたくなるほどだ。それぞれを単体で試したときは、こんな変化は生まれなかった。

別にいろいろと組み合わせて比較試聴を行った結果ではなく、単なる手持ちの製品を組み合わせただけだから、何がこんなに良かったのかもよく分からない。

ZONOTONE の音は堂々としており、ピリッとした感がある AET との組み合わせに妙があるのかも知れない。

 

こういう変化は、音の根本を変えるもので、その自然さからすれば、変えようと思って意図的に出来るものではない。仮想アースというのは、いったい何者なのだ? アースケーブルでなぜこんなに違うのだ?仮想アースというものの可能性を改めて知った次第だ。

 

※ CDプレイヤーを別にDACを用意してCDトランスポートとして使うことには、かなりのメリットがある。何といっても、回転機器の存在を感じさせなくなることで、スピーカーから出てくる音は、かなり落ち着いたしっとりとした音になる(といっても感覚的なものだが。大きな違いとは言えない)。もう一つは、SONICA DACは高価なものではないが、Metronomeの内臓DACよりも新しい分よく感じる(個人差があるかも)。MetronomeのメカはPhilipsのCDM-12で、これはやはり使いたい。
 

 

久しぶりに入場制限のないオーディオショウ。入場者は多いが、熱気は感じられない。なんせ記録的な円安で、輸入品の価格はものによっては禁止的な領域に入っている。比較的に元気がいいのは、国内メーカーだ。

それでも、展示の華は大物、スピーカーとパワーアンプということになろうか。

 

初めはいつもマランツのブースで、B&Wを聴く。マランツのプレーヤーとアンプは30万円クラスだが、非常に出来がいいようで、B&Wの800シリーズをいい音で鳴らす。これでいいじゃんと思うのだが、いつもここを基準点として、これ以上の音、これ以上の個性を探すことが恒例となっている。

それで太陽インターナショナルで、アヴァロンのIsis Signatureを、ナグラ、dCSで聴く。CDであるが、さすがに音場に奥行きが感じられて良かった。ただ、CD以外のソースはどうだろう。

CDプレーヤーは、いつ故障してもおかしくないので、常に買い替えを考えている。それで、アキュフェーズラックスマンを覗いた。アキュフェーズは、B&Wを使っているから、延長のようなものだ。新しいパワーアンプを中心としたデモで、いい音だが楷書の音。ラックスマンの音は元気がいいが、聴かせてもらったのはソースが静かなものだったので、機会があったら他のソースも聴きたい。

前回は整理券がなくて入れなかったヤマハは、運よく間隙を縫って10分ほど聴けた。NS-2000Aは、説明の人の言う通り、音場感を重視し、まさにそこにいるようなステージ感を出していたのでびっくり。内部の吸音材を極力排して実現したということだった。

ソウルノートは、やはりパワーアンプのデモが中心。弩級のアンプであるが、シングル・プッシュプルで弱音がよく出るようにしたという点ははっきりと確かめられた。このメーカーは、日本のメーカーの中では注目度ナンバーワンだろう。カタログ・データに拘らないという考えは、聴いていて楽しい音にもはっきりと表れている。

アッカは、私がいつも注目するYGアコースティックスを展示するが、新しいブックシェルフ型が登場した。かつてここのCarmelを真剣に検討したが、最大の問題はやはり価格だった。価格にしては小さすぎるのだが、今回もそこだろう。音はさすがに切れ味がいいと思ったから、この音が分かる人にはいいだろう。

アークジョイアは、Estelonを聴かせているが、これを動かしているのはSoulutionのアンプだ。ここは私の好きなアンプ・メーカーで、さりげない音だが、並々ならぬ実力を感じさせて頼りになりそうだ。

 

輸入業者にとってみれば、記録的な円安で大変だろう。内外のオーディオ・メーカーにとっても、相変わらず音の入り口は不在のままという、構造的な問題がある。今回ばかりは、どうにも元気がわかない。

 

 

 

 

 

昨年は中止されたので2年ぶりとなったインターナショナルオーディオ・ショウ。事前予約制で入場者を制限したのに加え、いくつかのブースでは講演をも事前予約制としたため、いつものようなぎゅうぎゅうの会場とは違った雰囲気があった。私は講演の予約まではしなかったので、いくつかのブースは聴きそこねたが、この方がむしろゆったりしていいのかも知れない。

私は最近、スピーカーをようやく買い替えたので(AvalonのAvatarからTranscendentへ)、スピーカーへの関心は低下した。それで次の買い物(たぶん最後の大物)は、ネットワーク・プレーヤー(DAC)関連となった。ただ、ネット関連はこのショウの目玉ではないし、アメリカなどではかなり有力な存在であるLuminが出展していないなど今一つ個人的には盛り上がらない点もある。

 

それでも、会場内をいくつか興味深く回った。やはりスピーカーはショウの華だ。

ステラのブースでは、生き生きとした素晴らしくいい音がしていたので、「やっぱりお金を出せばいい音が出るんだ」と思ってしばし聴き入った。TechDASのアナログ・システムで、スピーカーはWilson Audioだった。あとで知ったが、驚いたのはその価格で、TechDASのプレーヤーは数百万と知っていはいたが、Wilson Audioのスピーカーはなんと8,000万円(800万円ではない)、さらにこれは二番目に高いもので、本国のカタログにはこの上の商品もあるとのことだった。この実演のエネルギーを秘めた音がどういう仕組みで鳴るのか分からない。しかし、毎日この音を聴いていたら、世界観まで変わるだろうと思った。

太陽インターナショナルは、新しいAvalonのシリーズを聴かせていて、緻密・精密な鳴り方がする。Avalonにも4,500万円の製品がある。ここまできたら、まさに音に対する執念のようなものを感じる。まさに夢のような世界だ。

 

ネットワークがらみの製品の選択は悩ましい。

TIDALが上陸するとの噂があり、MQAによるその音質は間違いなく良くなるが、これが高級オーディオの救世主と捉える人々だけではない。もうネット・オーディオは無線が当たり前になっているが、ハイエンドでは有線に拘る人が多いだろう。MQAは実は不可逆圧縮で(という悪口がある。私は少しピントがずれているように思うが)、高級オーディオに取り入れるには抵抗を持つ人たちがいる。私自身は可聴域が非圧縮であれば全く気にならないし、音を聴けばそういう心配は吹っ飛ぶだろう。しかし、パッケージへのこだわりは無視できない。オーディオ・ファンのためだけにでもCDには残ってもらいたいし、それでもCDがだめならアナログという流れはある。

私は、現在OPPO DigitalのSonicaというDAC兼ネットワーク・プレーヤーを持っている。よくできた製品で、デジタル関連はたいていはこれで済む。しかしMQAには対応していないし、もう少し上のランクの製品が欲しいという気もする。

私は、TIDAL、MQA、roonを必須の御三家として製品選びをするつもりだ。すると選択肢としては、Brooklyn Bridge、Lumin、Esotericなどに限られてくる。ネットワーク・トランスポートを分けるという考え方もあるが、魅力のあるDAコンバーターではかなり高価であってもMQAに対応していなかったりする。

アメリカで一定の存在感を持つLuminは有力な選択肢で、X1がもう少し安くならないのだろうかと思っていたら、ネットワーク・プレーヤーとプリメインが一体となったオールインワン製品M1がなんと16万円ほどで出た。これでも音は結構いいらしい。

コンピューターというのは、そもそもが価格破壊と相性がいい。その影響を受けやすいネットワークをプリアンプと合体して、DAC付き、ネットワーク付きのプリアンプというのは、今後の有望株ではある。プリ合体製品はパワーアンプとスピーカーで、ネット上の楽曲は聴き放題だ。

未来のオーディオショウは、スピーカー、パワーアンプ、ネット複合型のプリアンプ、CDプレーヤーそれにアナログあたりが中心だろうか。

 

 

コロナで社会が巣籠り需要に向かっている中で、映像文化は結構頑張っていたりする。刺激がなくても感動があれば、人は元気をもらって頑張れる。オジサンたちも童心に戻って、感動さえできれば、心は若く保てる。

さあ、感動できるだろうか。

 

[鬼滅の刃]

興行収入が、歴代最高、異次元の400億円になろうかという大ヒット作品。

Netflixで、テレビ放映版が公開された時から、かなり騒がれていたので、私は最初の何話かを興味本位で見ている。しかし、何が良いのかさっぱり分からなかった。これは実はショックで、自分の中では「『鬼滅の刃』問題」として、結構重苦しくのしかかっていた。

それで劇場版はリベンジのようなつもりで見たが、これは良かった。特に母親が煉獄杏寿郎に言う、「弱いものを守ることは、強く生まれたものの責務なのだ」という言葉。そしてその言葉を忠実に守った煉獄杏寿郎の生き方。人は「泣ける」といい、「心に刺さる」という。

煉獄杏寿郎は、いつも笑っているようなその顔を見るだけで涙が出てきそうだ。子供たちは煉獄杏寿郎を人生のロールモデルとして、大きくなったら煉獄杏寿郎のようになりたい、と思うだろう。それはとても健康的なことだ。私でさえ今からでさえそう思うのだから。

 

[ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

昨年公開されて、鬼滅の刃ほどではないが、かなりの評判になった京アニのアニメ。私は今年に入ってからの再上演で見た。

兵士として戦闘で戦うことだけを目的として育てられた少女が、戦争後、手紙の代書屋を行う中で「愛している」という言葉の意味を理解し、人間としての感情を回復していく過程を描いている。社会学者の宮台真司がYouTubeで、「そこが感動的」と評しているので、興味を持って見た。

うーん、なかなかいい。しかし、そんなにいい?と思っていたら、ウラがあった。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が涙腺崩壊とまで言われるのは、劇場版よりは、テレビ放映版の全13話の中のたった1つのエピソード第10話なのだ。戦闘員としての訓練場面や、戦闘場面の中にあって、この第10話は、代書屋をして感情を回復する上で、決定的に重要で感動的なエピソードを描いている。他のYouTubeでは大の大人の男が、この第10話に「湖1つ分泣いた」と公言しているほどで、わずか23分の物語が、最後は悠久の時間の中にいつまでも終わらない余韻を残す。

作画も物語も少女漫画風。しかしこの「神回」とまで言われる第10話は、男をも、と言うよりは、男をこそ泣かす。そして、それが今の社会にあって非常に健全な現象だと思う。

第10話の23分は、このままで完全・完璧だ。絶対に誰も手を触れてはならない。

 

[Luv Bias]

上白石萌音、玉森裕太を主人公とする「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」というTBS系テレビドラマの主題歌。中性的な玉森裕太を含む男性7人のグループ、Kis-My-FT2が歌っている。

このドラマ自体は、ファッション界を舞台にしたよくあるトレンディーものだ。特に毎回必ず見ていたわけでなく、たまたま最終回ということで見たら、いろんなことが結局はハッピーエンドにつながって、みんな幸せになってこれで終わり!というところで、「いつか未来が見えなくなるときは…」というこのエンディング曲が流れた。思わずハッとして、YouTubeでは聴けたものの、SpotifyでもAmazon MusicでもiTunesでもなかったので、シングルを買ってしまった。おかげでステレオで聴ける。3連符-2連符のリズムが心地いい。

(このドラマを見たのは、「あやしい彼女」という映画の中で、多部未華子の歌がぶっ飛ぶほど良かったので(小さい頃からミュージカル「アニー」のオーディションを何回も受けるほど歌好きだったようだ)、「私の家政夫ナギサさん」という風変わりなドラマを見ることになり、その時間帯に後がまとして放映されたことがきっかけだ。)

昔は、貧しかったが、未来は見えた。今は、どんなに恵まれているように見えながら、未来は見えない。それが若い人たちの不安となって、確固としたものの中にも価値が認識されるのだろう。

考えてみれば当たり前だが、ハッピーエンドは(特に栄華盛衰が激しいファッション界にあっては)、見えない未来の始まりでしかないのだ。

 

[花束みたいな恋をした]

この映画の「インスパイア・ソング」(主題歌ではなく、映画に触発されて作った歌という意味らしい)とされている「勿忘」(わすれな)を、Awesome City Clubというグループが歌っている。私は実は、元メンバーの1人(マツザカタクミ)をよく知っていることから、オジサンたちにとっては宇宙人のようなこのグループの隠れサポーターであり、デビュー以来のCDをほとんど持っている。「勿忘」は、YouTubeで再生が1千万回をゆうに超えている。

この映画を見たのはそんな訳からだ。しかし、この映画が実に良かった。いつまでもいつまでも、心に残る余韻を残した。

主人公を演じるのは、有村架純と菅田将暉。学生の時に偶然知り合い、結婚して…、というごく平凡な物語。自由に生きてきた男は就職して、女は会社の日常に流される男と次第に距離を感じていく。平凡でないのは、作家の固有名詞に満ち溢れた、ぎっちりと詰まったその会話と、それが描き出す世界。脚本は、坂元裕二の書き下ろし。社会現象を巻き起こした「東京ラブストーリー」の脚本を書いた人で、映画の脚本は初めてという。映画の舞台挨拶によれば、文化が日常生活からなくなる瞬間を描いたのだという。現代版の神田川。

そうだった。かつては、みんなそうだった。若い頃はみんな何かを作ろうとしてもがいていた。でも、忘れていくんだ。居心地のいい日常の中で、新しいものを作らなくてもいいんであれば、戦うなんて楽なもんだ。人生に感動なんて必要だっけ? そして最後は、忘れたことさえ忘れてしまう。

この映画は、私たちが忘れたことさえ忘れてしまったという事実を思い出させてくれた。いつまでも、いつまでも、余韻が引いた。いい映画を見たと思った。

 

振り返れば、コロナの時代は、文化的には豊穣だったと言えるようになればいいと思う。

 

 

 

オーディオ・ファンは、何が音に影響を与えているのかをいつも考えているものだ。それで、電源回りは経験的に音に非常に大きな影響を与えることを知っている。私は、電源コンディショナーとして IsoTek の Aquarius を使っているが、これは上位の Sugmas と違って帯域バランスにはほとんど影響を与えない。私は、自分のシステムとしてもう少し低音がどっしり鳴ってほしいという感覚を持っていた。しかし、低音の改善は大変だ。(私のスピーカーは以前はAvalonのAvatarだったが、現在は同じAvalonのTranscendentになっている)

オーディオ雑誌を読んでいると、いくつかのオーディオ専門店が、「仮想アース」なるものを推奨していることを知った。アースならとれているし、さらにそれを加えたところで、私の環境で音が良くなるというのはピンとこなかった。しかしいくつかの専門店が推奨しているし、試してみることにした。

 

[Kojo Crystal E]

まずは、光城精工の仮想アースで3万円ほどだ。

それでびっくりだ。低音が非常にどっしりとして量感も増し、なおかつリアル感も増して堂々とした音になった。アースという考えてもみなかったところに改善の余地がこんなにあるというのが、まずもって驚きだ。下手な電源アクセサリーよりははるかに改善効果が大きい。

「仮想アース」というのは、遠くの地面にアースをとるより、機器のすぐ近くでアースをとる方がよいという考えのアクセアリーのようだ。音がそこを通るわけではなく、アースケーブルを機器(私の場合はプリアンプ)のどこかに接続するだけのものだ。中には金属板が何枚か入っているらしくて、一見したところよりは重い。

1つで十分満足のいく効果が得られたが、人間欲が出てくる。Crystal E というのは、2つを直列につなぐとなお一層効果があるというので、すぐさまそのことが検討課題になった。しかし、これも芸がないなあという気になった。それで、仮想アースではもっと有名なスウェーデンのEntreq社はどうなのだろうと考えだした。

 

[Entreq OlympusTen]

Entreq はいくつかの仮想アース製品を出してきた歴史があるようで、現在のものはそんなにサイズは大きくないが、効果としては大きいときのものよりもむしろあるとの評判だ。光城精工の場合は一種類だから迷うことはないが、こちらはいくつかあって価格も高いので迷う。光城での効果に驚いていたので、思い切って15万円ほどの出費になるが、一番高い OlympusTen を買ってみた。

届いて恐る恐る試してみると、音色などの改善効果はあるが、低音はえっというほど効果が少ない。そこから色々と改善の遍歴が始まってしまった。

まず分かったのは、5千円から1万円程度のアースケーブルが、音質改善に非常に大きな影響を与えるということだ。光城の Crystal E に付属するケーブルは、低音の改善が著しい。それで、同じく光城から出ている1万円弱の高級アースケーブル(音質からすればそう呼びたくなる)を使ってみることにした。低音はやはりいいし音色なども高級ケーブルらしく磨かれているが、なぜか満足は得られない。

もともと、 Entreq に付属するアースケーブルは、オヤイデ製で結構いいものだ。高音の美しさなど音色は磨かれているが、ガッツのある音ではないし、低音はまったく物足りない。エー・イー・ティー aetのアースケーブル(6千円程度)なども試してみて、落ち着いた響きがさすがにいいことは分かったが、つないだ直後では全ての要素が満足できるというところまではいかない。

アースケーブルは複数本使えるということなので、これと、光城の高級ケーブルを2本使ってプリアンプに2カ所接続し、しばらくはその形で使った。空気感、自然なリアルさなど、完全に満足とまではいかないが、これで低音に対する不満はほとんどなくなったのだから驚きだ。

 

「仮想アース」というのは、まるで考えもしなかったが、目の覚めるような効果であり、低音の改善を求めている人にとっては製品によってはかなり狙い目なのではないかと思う。オーディオ・アクセサリーでも、まだこういう分野が残されているんだ。

 

(付記)2021/5/5

その後結局、プリアンプに対してはOlympus Tenと付属のオヤイデのケーブル、CDプレーヤーはなし、というところで落ち着いた(光城精工は、パソコン・オーディオに転用した)。

教訓としては、本体かケーブルかは分からないが、かなりのエージング(ブレークイン期間)が必要だということだ。どのくらいと言われても、今はもう分からないが、アンプ並み最低300時間は必要なのではないかと思う。音色評価は、短期間では難しい。反省することしきりだ。気を付けなければならないのは、ケーブルに依存するなど、音色に中立ではないということだ。

Olympus Tenとオヤイデの組み合わせは、ブレークイン期間後はかなりよく、十分に満足している。

 

(付記2)2021/11/20

そうこうするうちに、AETから新しいアース・ケーブルAIC-EW125Y56 が約1万円弱で発売になった。AETに関しては、上記のように、やや明るさが欲しいと思いながら音楽性はさすがだと思っていたので、価格も手ごろなこともあり購入した。Olympus には端子の形状もぴったりと合うし、音色も音質も満足できるもので、これでいくことにした。

(AETは、その後、HIN-EW125NI という新製品が 52,800円というびっくり価格で登場し、オーディオアクセサリーの名機賞特別賞を取ってしまった。上の製品はいいのだが、もう少し..というところもあったので心惹かれる思いはあるが、まあ、この価格では簡単には買えないので、しばらくは静観しよう)

 

(付記3)2022/6/22 NEW

とは言いながら、結局 HIN-EW125NI を買ってしまった。価格が価格だけあった、素晴らしく言い。音が全体に自然になる。「自然になる」というのは、音の全てがいいということだ。音場感は特によくなり、奥行、左右の広がりなどかなりいい。

更には、アンダンテラルゴの接点安定剤(これは改良版が出たので飛びついた)を使うと、もっと良くなる。奥行、広がりなどの改善効果はかなり印象的だ。これは、2度塗りの時にも、もう一度感じた。仮想アースも接点安定剤も、ほとんど必需品といっていいくらいだ。

 

 

ヴィオラのパワー・アンプが2度目の事故を起こしてステレオが聴けなくなったので、暫定的にソウルノート SOULNOTE の A-0 を導入した。導入して驚いた。今までは、マーク・レヴィンソンとヴィオラの組み合わせ(合計で200万円くらい)で聴いていたのだが、この定価11万円のプリメイン・アンプ1台でほとんど変わらない音がする。私はブラインドで聴かされたら、このアンプの価格帯を全く当てれないと思う(この点は自信を持って言える)。

 

プリメイン・アンプを買う時には、当然にいくつかの候補の中で迷った。アンバランスでよければ、英国のケンブリッジ・オーディオから2万円以下のプリメイン・アンプが出ており、非常に評判がいい。しかし私は、暫定終了後もこのアンプをPCオーディオ用に流用することを考えていたから、どうしてもバランスが欲しいと思った。私は、アンバランスに対して偏見を持っている人間なのだ。

この1つ上にはA-1という、これもまた恐ろしく評判のいいアンプがあり、実売価格で違いは5~6万円だったからそちらとも迷った。しかしA-0の方が安いという以上に、アンプとしての商品性そのものに違いがあった。

A-0は、この価格帯では奇妙なことに、バランスの入力端子が2つ付いている(A-1は1つ。私は2つ必要だった)。しかし普通のユーザーにとって、定価11万円のアンプに、どういうバランス機器を接続、それも2台も接続するのかよく分からない。この価格帯のCDプレーヤーでバランス出力を持っている製品はまずないだろう。

それにこのアンプには、プリ・アウトの端子が2つも付いていて、さらにそのどちらもアンバランスだ。この2つの端子をどう使い分けるのか分からないし、バランス入力を2つも持ったアンプのプリ・アウトが、なぜアンバランスなのかも分からない。

どうもこのアンプは、ヘッドフォン・アンプにスピーカー端子を付けたような構成になっているようだ。上位のA-1は(さらの上位のA-2も)、パワーアンプにボリュームをつけたような構成になっているらしく、兄弟機とも言えないような位置づけだ。

 

音はいい。このアンプはエージング済みで出荷されているようなので(こんなのがあるんだ。知らなかった)、箱を開けて使った最初からいい(電源ケーブルもおそらくエージング済みだろうが、それは持ち合わせのものに替えた)。

私のような人間は、新しい機器はまずあら捜しから始まるが、低音の力感、高音の音色感、音場感(ステージの再現性)、音像の実体感(奏者のリアルさ)、チャンネル・セパレーション(定位)など、ほとんど申し分ない。出力は10W+10Wだが、足りないどころか非常に量感のある低音が聴ける。

ソウルノートSOULNOTEは日本のブランドであり、A-0は日本製だ。しかしこの製品には、私がこれまで日本製のオーディオ機器に持っていた不満、つまりカタログ・データばかり追って音楽がちっとも楽しくない(それに対して外国製はデータは良くなくてもとにかく音楽が楽しい)という不満がほとんどない。音のキレ、立体的な奥行感というような点でも何の不満も出てこない。聴いていて、これはホントに日本製だろうかというような感想まで出てくる。

 

そうこうするうちに、ヴィオラのアンプが戻ってきた。ヴィオラのアンプの修理は、単なる結線の取り換えのようなものでも7~8カ月は待たされるのを覚悟しなければならない。しかし今回は、2度目ということもあってか1カ月くらいで戻ってきた。スピーカーも戻ってきたので、またレヴィンソンのプリ・アンプとヴィオラのパワー・アンプを組み合わせて聴いた。やはり、A-0の魅力度は変わらない。レヴィンソンのアンプは、目の詰まった重い音が空中に浮遊するように鳴る。こういう特徴はA-0にはもちろんない。だが、ステージ上に奏者が並ぶような鳴り方にも魅力はある。長く聴けばレヴィンソン組になるかもしれないが、しかしA-0にも捨てがたい魅力は残る。

それで今度は、A-0のプリ・アウト機能を使って、ヴィオラのアンプと組み合わせて聴いてみた。ヴィオラのアンプにはバランス入力しかないから、アダプタを介してアンバランス・ケーブルによる接続になる。うん、ややほわっとした柔らかい鳴り方になる。なかなかいい音で、これがヴィオラのアンプの音だろうかと思う。しかし、しばらく聴いている中で、音そのものに関心が向かわない(向かえない)、よく言えば音楽の方に関心が向かうようになる。何か私が最近はあまり聴いたことがない鳴り方のような気がする。音が個々にではなく、全体としてまとまって聴こえる。よく言えば音楽的だが、ムード的でリアルさや解像感は感じなく、なにか薄い1枚のベールをかぶっているような印象もある。これは、アンバランスの音だろうか。ふんわりした明るくいい音で広がりもあるが、甘さも感じられて私の趣味ではなく、私は長期的には取らない。


で、またレヴィンソンとヴィオラの組み合わせで聴く。A-0組は音色が明るく、低音の量感などは勝り、多くの人はこちらの方が音がいいと感じるかもしれない。それに対してレヴィンソン組は声の実在感(リアリティ)や空間表現では勝り、オーディオ的にもこちらが上だ。レヴィンソンやヴィオラを買う時に、オーディオ的な快感に流されないような音を心掛けたはずだった。レヴィンソンは多少明るさに欠けるとしても、音に深みがありどっしりとしている。一音一音、なぞるように弾くように鳴る。質的な違い、方向性の違いだから、この音が欲しければ相応のコストがかかることも納得できる。予定通りこちらがメイン、A-0はPCオーディオに使うことにした。

でも、A-0に、バランスのプリ・アウトがあったらどうなったろうと考える。市場の嗜好からしても、以前より明るい音、軽快な音が好まれているように思う。この価格で、バランスのプリ・アウトを持つプリ・アンプとしても使えたら、商品性はかなり上がるのではないだろうか。

 

SOULNOTEというブランドは、インターナショナル・オーディオショウで知り、その時聴いたNOS(ノン・オーバーサンプリング)の音の良さで非常に印象に残っている。アンプでは、無帰還が最大のウリだ。

主宰者は、もとはプロのギタリスト兼アンプ設計者の鈴木哲(今はファンダメンタルというブランドを立ち上げている)という人の下で設計をしていた人のようだ。(このあたりは、マーク・レビンソンの成り立ちをいくらか思わせるところがある)

オーディオ界にあって、このブランドは、台風の眼と思う。

 

 

 

大ヒットしている映画「Yesterday」を見た。この映画は、もし世の中の誰もがビートルズの曲を知らなかったら、もしそれらを自分だけが知っていて歌ったらどんなにヒットするだろうか、というような発想から作られたという。ビートルズ・ファンを自認する私としては押さえておかなければならないと思った次第だ。

主人公だけが知っている歌として出てくるのは、まず「Yestereday」、そして「Let It Be」、「Help」、後半の方では「The Long And Winding Road」などだ。見ている最中、「この映画のオチは何だろう」と思っていたところ、特段ビックリするようなことも起こらなかったので拍子抜けしてしまった。これが大ヒット?と思ったが、見終わって映画館の観客を見て年齢層が若いのに驚いた。往年のビートルズ・ファンとは違うようなのだ。

映画の目玉として、エド・シーラン自身が出演することがある。エド・シーランの曲とビートルズの曲を比較するような趣向もこらしてある。いかにビートルズが偉大かというような意味付けのようでもある。だが、ちょっと待てよ、ホントにそうなのか?

 

主人公は自分だけが知っている曲を楽々と書いて、世界中にフィーバーを起こす。そしてコンサートを行うスタジアムは、熱狂的なファンで埋め尽くされる。その一方で、幼友達の女性と紆余曲折がありながら結ばれる。

これって、エド・シーラン自身のことじゃないか。

これを見てビートルズの映画と思うのはおじさんたちだけで、実はこの映画はエド・シーランという現代のニュー・ヒーローの誕生を描いているようなのだ。エド・シーランがいかに凄いかということを言うためにビートルズが引用されているようなものだ。

エド・シーランという人は、アルバム売上、シングル売り上げ、興行収益、観客動員数、すべてに渡って記録を塗り替えつつある。こういう人は、自分の才能にどんなに謙虚であっても、その数字相応の自信を持つものだ。映画の中で、ジョン・レノンを思しき人が出てくるが、主人公と向き合うと、えっと思うくらい冴えなくてショボい人物に描かれている。でもそれも道理だ。かつてジョンは、ビートルズはキリストよりも有名だと言って物議をかもし出した。エド・シーランが、もし自分がビートルズを越えたと思ったとしても非難するには当たらない。そう思ったっていいじゃないか。その裏付けとなる数字があるんだから。

 

そういうことで、エド・シーランを聴いてみる。アルバム「DIVIDE」は特に売れた。
全体に、自分と自分の身の回りのことを歌っている。自作自演だが、詞には特別びっくりするようなことはない。ビートルズの詞に関しては、ジョン・レノンは天才、ポール・マッカートニーは万人向けするもので良く出来ている、ジョージ・ハリソンは特段に詩作の才能はない、という具合で、立ち位置としてはポールに近いだろうか。映画に引用された「Yestereday」「Let It Be」「The Long And Winding Road」は、どれもポールのパーソナルな内容な曲なので、私小説的なエド・シーランの曲と対比するのにいいと思う。

エド・シーランの曲作りで印象的なのは、シンセサイザーやら打ち込みやら多重録音やらで、全部一人で歌って演奏しているのではないかと思われることだ。それは映画でも触れられていて、ビートルズが4人でしたことを、主人公は1人で実現しているというくだりだ。

たしかによく出来ている。例えば「Perfect」と題された曲。「ボクなんか君に値しない。今夜の君は完璧だ」と歌う。思ったままを歌っているようだが、よくよく聴くと曲も歌詞もよく練られていてそれこそ完璧だ。この曲には別に、ビヨンセと共演したバージョンも出ていて、ビヨンセの歌唱力もあってか、恋人から結婚、子育てと進んでいく歌詞には心が暖かくなるような雰囲気があり、つくづくいい曲だと思う。

ビートルズの時代とは、若い人たちが音楽に求めるものも違う。過多な熱狂もなく、過多な感傷もなく、乾いた感情で自分と自分の日常と向き合っている。これが新しい世代のスーパー・ヒーローなのだろう。

ビートルズは若い人たちにも人気がある。しかしあまりに神格化しすぎると、新しい音楽が作れなくなる。おじさんたちも達観しよう。エド・シーランが新時代のヒーローでいいじゃないか。