コロナで社会が巣籠り需要に向かっている中で、映像文化は結構頑張っていたりする。刺激がなくても感動があれば、人は元気をもらって頑張れる。オジサンたちも童心に戻って、感動さえできれば、心は若く保てる。
さあ、感動できるだろうか。
[鬼滅の刃]
興行収入が、歴代最高、異次元の400億円になろうかという大ヒット作品。
Netflixで、テレビ放映版が公開された時から、かなり騒がれていたので、私は最初の何話かを興味本位で見ている。しかし、何が良いのかさっぱり分からなかった。これは実はショックで、自分の中では「『鬼滅の刃』問題」として、結構重苦しくのしかかっていた。
それで劇場版はリベンジのようなつもりで見たが、これは良かった。特に母親が煉獄杏寿郎に言う、「弱いものを守ることは、強く生まれたものの責務なのだ」という言葉。そしてその言葉を忠実に守った煉獄杏寿郎の生き方。人は「泣ける」といい、「心に刺さる」という。
煉獄杏寿郎は、いつも笑っているようなその顔を見るだけで涙が出てきそうだ。子供たちは煉獄杏寿郎を人生のロールモデルとして、大きくなったら煉獄杏寿郎のようになりたい、と思うだろう。それはとても健康的なことだ。私でさえ今からでさえそう思うのだから。
[ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
昨年公開されて、鬼滅の刃ほどではないが、かなりの評判になった京アニのアニメ。私は今年に入ってからの再上演で見た。
兵士として戦闘で戦うことだけを目的として育てられた少女が、戦争後、手紙の代書屋を行う中で「愛している」という言葉の意味を理解し、人間としての感情を回復していく過程を描いている。社会学者の宮台真司がYouTubeで、「そこが感動的」と評しているので、興味を持って見た。
うーん、なかなかいい。しかし、そんなにいい?と思っていたら、ウラがあった。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が涙腺崩壊とまで言われるのは、劇場版よりは、テレビ放映版の全13話の中のたった1つのエピソード第10話なのだ。戦闘員としての訓練場面や、戦闘場面の中にあって、この第10話は、代書屋をして感情を回復する上で、決定的に重要で感動的なエピソードを描いている。他のYouTubeでは大の大人の男が、この第10話に「湖1つ分泣いた」と公言しているほどで、わずか23分の物語が、最後は悠久の時間の中にいつまでも終わらない余韻を残す。
作画も物語も少女漫画風。しかしこの「神回」とまで言われる第10話は、男をも、と言うよりは、男をこそ泣かす。そして、それが今の社会にあって非常に健全な現象だと思う。
第10話の23分は、このままで完全・完璧だ。絶対に誰も手を触れてはならない。
[Luv Bias]
上白石萌音、玉森裕太を主人公とする「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」というTBS系テレビドラマの主題歌。中性的な玉森裕太を含む男性7人のグループ、Kis-My-FT2が歌っている。
このドラマ自体は、ファッション界を舞台にしたよくあるトレンディーものだ。特に毎回必ず見ていたわけでなく、たまたま最終回ということで見たら、いろんなことが結局はハッピーエンドにつながって、みんな幸せになってこれで終わり!というところで、「いつか未来が見えなくなるときは…」というこのエンディング曲が流れた。思わずハッとして、YouTubeでは聴けたものの、SpotifyでもAmazon MusicでもiTunesでもなかったので、シングルを買ってしまった。おかげでステレオで聴ける。3連符-2連符のリズムが心地いい。
(このドラマを見たのは、「あやしい彼女」という映画の中で、多部未華子の歌がぶっ飛ぶほど良かったので(小さい頃からミュージカル「アニー」のオーディションを何回も受けるほど歌好きだったようだ)、「私の家政夫ナギサさん」という風変わりなドラマを見ることになり、その時間帯に後がまとして放映されたことがきっかけだ。)
昔は、貧しかったが、未来は見えた。今は、どんなに恵まれているように見えながら、未来は見えない。それが若い人たちの不安となって、確固としたものの中にも価値が認識されるのだろう。
考えてみれば当たり前だが、ハッピーエンドは(特に栄華盛衰が激しいファッション界にあっては)、見えない未来の始まりでしかないのだ。
[花束みたいな恋をした]
この映画の「インスパイア・ソング」(主題歌ではなく、映画に触発されて作った歌という意味らしい)とされている「勿忘」(わすれな)を、Awesome City Clubというグループが歌っている。私は実は、元メンバーの1人(マツザカタクミ)をよく知っていることから、オジサンたちにとっては宇宙人のようなこのグループの隠れサポーターであり、デビュー以来のCDをほとんど持っている。「勿忘」は、YouTubeで再生が1千万回をゆうに超えている。
この映画を見たのはそんな訳からだ。しかし、この映画が実に良かった。いつまでもいつまでも、心に残る余韻を残した。
主人公を演じるのは、有村架純と菅田将暉。学生の時に偶然知り合い、結婚して…、というごく平凡な物語。自由に生きてきた男は就職して、女は会社の日常に流される男と次第に距離を感じていく。平凡でないのは、作家の固有名詞に満ち溢れた、ぎっちりと詰まったその会話と、それが描き出す世界。脚本は、坂元裕二の書き下ろし。社会現象を巻き起こした「東京ラブストーリー」の脚本を書いた人で、映画の脚本は初めてという。映画の舞台挨拶によれば、文化が日常生活からなくなる瞬間を描いたのだという。現代版の神田川。
そうだった。かつては、みんなそうだった。若い頃はみんな何かを作ろうとしてもがいていた。でも、忘れていくんだ。居心地のいい日常の中で、新しいものを作らなくてもいいんであれば、戦うなんて楽なもんだ。人生に感動なんて必要だっけ? そして最後は、忘れたことさえ忘れてしまう。
この映画は、私たちが忘れたことさえ忘れてしまったという事実を思い出させてくれた。いつまでも、いつまでも、余韻が引いた。いい映画を見たと思った。
振り返れば、コロナの時代は、文化的には豊穣だったと言えるようになればいいと思う。