これは名作・迷作 -24ページ目

『イン・ザ・プール』; 間違いなく面白い!!

イン・ザ・プール










これです。最近テレビでもやっていましたが、とんでもなく面白い本です。誰もが胸に抱いていて、かつ誰にも相談できない悩み事を、天真爛漫な伊良部先生がそんな悩みを鼻くそのように扱い、悩んでいる人を初めは怒らせ、最後には納得させてしまうという、今までにない、奇想天外な医者と患者のストーリーです。


5つの短編から構成されていて、ストーリーごとに違う患者が違う悩みを抱えて伊良部先生を訪ねます。大人だけではない、子供だって悩みを持っています。「フレンズ」という章では、ケータイ依存症になった今どきの高校生が手の震えがとまらずに、両親になかば強引に精神科の診療に行かされる。友達とのコミュニケーションに欠かせないケータイ、それがないとパニックになってしまう若者。しかしその理由を突き詰めていくと、孤独を恐れる小さな人間が現れる・・・。読んだあとは小さな恐怖感が残ります。とても他人事ではない。


他にも勃ちっぱなしで日常生活に障害が出てきてしまった会社員、ストレスによる体調不良を直すために通い始めた水泳に中毒になってしまった会社員、いつも誰かにストーカーされていると被害妄想を抱くタレント志望の女性、たばこの火の後始末やガスの元栓など、確認しても不安になってなにも手がつかなくなってしまう中年ルポライター・・・などなど精神的な障害がいろいろな形ででてきてしまっている患者さんたちが登場します。


彼らは決して社会的に弱い立場にある人たちではなく、はたから見ると自信に満ち溢れていて、かつ傲慢な人が多いです。しかしその傲慢さが鉄壁となり他の人のアドバイスが受け入れられず、どんどん自分の殻にこもっていってしまう。また、その孤独感を逃れるためにその殻は厚くなる一方。そこで登場するのが伊良部先生。伊良部先生の登場は昔の童話を思い出します。『風と太陽』でしたっけ?道行く男のコートを脱がせようと、どんなに風を強く吹かせても、それはよりコートの必要性を増すだけ。結局は太陽の暖かさが男のコートを自然な形で脱がせたという話です。


伊良部先生は天才なのか、はたまた本当の馬鹿なのか、途中まではかなり疑問です。しかし、どの話でも最終的に自分の悩みの原因に自分で気づかせるところをみるとやはり初めからなにもかもわかっていたのだと思わざるを得ません。


悩んでいるときこの本を開いてください。間違いなく、悩みは消えます。伊良部先生と一緒に遊んであげてください。


私のイメージでは伊良部先生は西田敏行しかいないと思っていたのですが、阿部寛もなかなかよかったな。


続編の『空中ブランコ』もお勧めです。さらにパワーアップしていて、笑いどころが満載です。

楽しい登山

今日はなんと登山に行ってきました。山登りなんて大きらい!だった私が山に興味を持つきっかけになったのは韓国のサイシュ島で上ったハルラ山。標高約1700Mくらいの大して高くない山なのですが、初めてケーブルカーも使わず下から上まで登った山だったので、本当に感動しました。無我夢中で登って、ふと下を見下ろしたときのあの景色、見たら絶対山登りが好きになります。

ということで帰国以来ずーーーっとどこに行こうか迷って全然行ってなかったのですが、月曜日から仕事が始まるということで駆け込みで行きました。登ったのは奥多摩の御岳山。

奥多摩というのは青梅線のもっと先で、まさに山に囲まれた町です。青梅駅を過ぎたころ、一気に視界が変わり、木、木、山!初めのころはまだ目に付いた家たちもどんどんまばらになっていき、後は見渡す限り山!御嶽駅で降車し、バスでケーブルカーまで行き、そこから400mを6分で登っていきました。降りたらもうそこは山を見下ろす位置。さっきまで見ていた山の中にいるのがすごく不思議な感じでした。

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山小屋でもりうどんとアイスを食べ、いざハイキングコースを出発。思ったより山道は整備されていてとても歩きやすい。ケーブルカーでかなり上のほうまで来ていたみたいで、上り坂もほとんどなかった。杉の木やヒノキなど、花粉症の時期だったら卒倒しそうなくらい密集していた。でも空気はおいしい。深呼吸したらヒノキのすがすがしい匂いが胸に入ってきてすごく気持ちよかった。


目指すは御岳山頂上にある御嶽神社。今まで何もなかった山道ですが、次々に民宿が現れてきた。古い民宿はいい味が出ていていいなと思っていたらいきなり今度はお土産やさん通り登場!

山の中とは思えない華やかぶりにうきうきしてしまいました。なんだか京都とか奈良とかのお土産やさんを思い出させるような古くて懐かしい感じのお店が並んでいました。石段を10分くらい登っていくと御岳山頂上到着。頂上にお寺があるなんて、意外というか昔の日本らしいというか。

帰りは行きとは違うコースで、日の出山へ綱渡り。ここも標高があまり変わらないので40分くらいなだらかな道を歩いていっただけで到着!しかし日の出山の頂上はここが?!と思うくらい小さくて狭い。まあベンチがたくさんあったから休憩所としてはいいかな。だけどここを目指してくるにしては寂しすぎる。私が到着したときも人が一人いて、その人もいなくなり結局私は一人ぼっちになってしまった。。。

御岳山と比べると日の出山は登る人も少ないようで、山道があまり整備されていない。初めのころあった標識もだんだんと数が少なくなっていき、狭い山道を下って行く私の胸に不安の嵐が。遭難?しかし道は一本しかない(はず)とおもってひたすら下っていった。最終的には着いたけど。

まあ、振り返ってみると、御岳山って、ケーブルカーがあるのもいいし、民宿が山の中にあるのもいいし、お土産やさんがあるのもいいし、本格的な食べ物やさんがあるのもよくて、山登り以外にもいろんな楽しみ方があって登山初心者の私みたいな人にとってはかなりいい山です。ソフト登山というかんじで。

日韓関係について

日本は悪くない?

今日は日本と韓国の関係を考えてみる。いままで日本は悪くない悪くない悪くない!と思い続けてきた。だってあの時は戦争だったし、弱い韓国が悪いんじゃんと思ってた。新聞でも、本でも、雑誌でも、そういう考えが最近の主流なきがする。でも、主流になると、考えなければいけない気がしてくる。これは政府の国民操作なのではないかって。私たちは自分の意思ではなく、大多数の人、または権威者が考えることに賛同する傾向がある。操作されやすいのである。最近多い主張は日韓併合は韓国の発展を促進した、という。それで全てはハッピーじゃないかというもの。だがしかし、それは結果論だ。私は今まであまり気にしたことはなかった。一つの国が他の国を支配するということを。

韓国併合の重み

「日韓併合条約」にはこう書いてあったという。「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全カツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」

これを読むと、早い話が日本の天皇が韓国人にとっての天皇になるということである。私がショックを受けたのは、「完全カツ永久ニ」というくだりである。日韓併合は結果的には36年間で終わった。というか終わらされた。もしもともと36年間の期限付きで支配し、それが終わって発展に寄与していたのなら、日本政府も堂々としていて良い。しかし、36年で終わったのは日本敗戦の結果であり、いわばたまたまなのだ。予定外だったのだ。予定では韓国はなくなり、そこは日本の国土のはずだった。韓国人はいささか主観的で的を得ていない主張も多いのだが、私は客観的にこう言いたい。日本政府は勧告の36年間の統治やその間に行った非道に謝罪するのではなく(もちろんこれも謝罪に当たるものだが)、韓国を「永久に」「完全に」支配しようとしたことに謝罪するべきだ。

韓国は36年だが、台湾は50年だ。しかし私たちは忘れてはいけないと思う。数字にごまかされてはいけない。それは偶然の数字なのであって、「永久」に支配しようとしていた事実は変わらない。そしてそれを聞いたときの韓国人の恐怖と悲しみも忘れてはならない。

日本人個人としての韓国人への態度

国家の責任とは別に、韓国人の個人から日本人の個人へ謝罪を求められるときがある。または日本を嫌悪している韓国人に会うときがある。そんな時、日本人個人はどのような対応をすればいいのだろうか。私の経験で、初めて会った韓国人と、日本が悪い、悪くないの討論をしたことがあった。私は自分で何を言ったのか忘れたが、多分、「あのころは他の国も戦争をしていて、日本の横暴振りをとめることができなかった。だから他の国も悪いし、それよりも戦争という時代が悪かったのだ。」と、韓国人の気持ちも分からず、日本の責任逃れをしたような気がする。しかし今だったらこう言うだろう。「韓国人はあの当時本当につらい思いをしたと思う。今の韓国の発展を見て、本当に日本から開放されて良かったと思う。あれは日本の過ちだった。二度と繰り返したくない。そして日本国民も同じ思いである。だから韓国も日本を許してほしい。韓国が経済大国になったことによって日本と韓国はいわばライバル的存在になった。お互いがお互いを必要としているのが現状だ。日本の謝罪を受け入れ、協力的な良きライバルでいてほしい。」

謝罪は悪くない。悪いのは謝罪によって卑屈になることである。謝罪は相手の心を溶かすこともある。謝罪をステップに次への発展させるのがあるべき態度なのではないかと思う。また、どんなときでも相手と同等の立場で話すことが大事である。自分の主張も大事だが、相手に敬意を持ち、相手の気持ちになって考えることが和解への第一歩であると考える。確かに、韓国人はそうではない。歯に衣着せぬ言い方で自分の意見だけを言い、相手の意見を真っ向から批判する。それが美徳とされているからだ。しかし私たちは日本人である。同じ言い方をしてもぜっっったい負けるのである。そしてそこに何も残らない。逆に、日本人のように心のこもった言い方をすれば、向こうも言い返せないのではないかと思う。もしかしたらいつものように強い反撃に出てくるかもしれない。しかし、韓国人のいいところはそのときは強い言い方をしても、後で相手が言ったことを良く考えて、冷静になったときに相手の気持ちを理解することである。文化が違うから態度も違うというわけではなく、誰に対しても誠心誠意を伝えること、これが結局は一番の解決策なのではないかと思う。


こんな普通のことを言うなんて私はまだ若いのであろうか。

おしゃれな映画

といって、まず浮かぶのが『欲望』です。なんかタイトルだけ見るとAVビデオみたいなんですけど、原題は『Blow up』で1966年のイギリス映画です。

欲望










『Blow up』というのは”膨れ上がる”という意味もありますが、”(写真を)現像する”という意味もあります。そう、これはプロのカメラマンが主人公の話で、写真の現像が物語の鍵になっているのです。まあ内容はさておき(というかこの映画はほとんど内容がありません)、この映画のスタイリッシュ度は100%です。まず登場人物のファッションがかっこいいし、プロのカメラマンという設定もかっこいい。しかも舞台は60年代のロンドン!まさに場面の一つ一つが写真のような作品です。映画『オースティンパワーズ』でオースティンがカメラマンだという設定はまさにこの映画のパロディです。見るとそっくりなので笑っちゃいます。

時計じかけのオレンジ









次に『時計仕掛けのオレンジ』。これも最高にかっこいい映画です。内容はかなり残酷だったり暴力場面が直視できないんですけど、この映画ははっきり言って芸術品です。これも1972年のイギリス作品です。音楽、部屋のインテリア、ファッション、全てにおいて今見ても全然古くない!まさに不朽の名作です。


どちらの映画もポスターがかっこいい!でもポスターと内容は全く結びつかない。

ADD&ADHD

最近新聞なんてほとんど真剣に読まないんだけど、今日の朝新聞(読売)を読んでいたら、たまたま見つけた。「大人のADDを考える会」。http://www.yomiuri.co.jp/iryou/sasaeru/20050524sq31.htm

ADDとは

不注意や多動性、衝動性という特性は誰にでもあるものでそれらがまったくない人はおりません。なのでその程度がその人の生活環境の中で少し強いときに、生活上の困難さが出てくるという意味で、不注意や多動性・衝動性という特性は、必ずしも病気ではないと考えられます。そこで私たちはこれらを「症状」とはいわず「行動特性」と考えています。そのため、このガイドブックではあえて「行動特性(あるいは特性)」と呼ぶことにします”http://www.adhd.jp/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=9  より)


以前に書評を書いた「片づけられない女たち」に出てきた病気である。

病気というには症状が表面に出てこないので、「めんどくさがり」とか「動作が鈍い」という言葉で片づけられてしまいがちなんだけど、これはれっきとした脳の障害である。


その他の具体的な特性(症状)としてだらしない、整理整頓ができない、ミスが多い、ストレスに弱い、刺激が多い道を選ぶ、モノを無くしやすい、金銭の管理が出来ない、遅刻が多い、不器用、危険な行為をする、計画・準備が困難、仕事が完成しない、退屈にたえられない、気分がかわりやすい、気ぜわしい、不安感、鬱、心配性、目標に対しての達成感が感じられない、かんしゃくもち、怒りっぽい、マニュアルに従うのが苦手、自尊心の低さ、不正確な自己認識、対人関係に一喜一憂しやすい、暴力行為をおかしやすい、アルコール中毒や薬物中毒になりやすい、しゃべりすぎる、手足を無意味にそわそわ動かす、順番を待つことが苦手である・・・・・・・などがあらわれる場合があります。http://www.adhd.jp/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=9  より)


「片づけられない女たち」ではADDは治る病気であり、適切な診断を受ければ症状を軽くすることができるという。しかし現実はそのような診断をしてくれる病院は日本にはまだほとんどない。しかも二次的症状がうつ病などの症状と似ているため誤診されるケースも少なくないようだ。私が通っている心療内科の先生もこの病気のことはご存知ではなかった。

今日読んだ記事にはこの病気のための自助活動のことが載っていた。自助活動、今までなんとなくきいてきた言葉だけど、こういった他人から理解されにくい病気に関してはその病気をもった人たちが集まり、お互いの悩みを聞いて理解しあうことが一番なのかもしれない。


今回新聞に掲載されたことによって、多くの人がこの病気を知り、そして社会的認知度が上がることを心から願う。自分のためにも。。。


悲しい映画

最近、あんまり映画を見ていないので、今まで見た映画の中で「悲しい映画」というものを考えてみた。

何をもって悲しいというかはちょっと漠然としているんだけど、ここではひとまず、「救いのない悲しさ」をテーマにしてみる。

まず、悲しいといってすぐに浮かんだのが、「ひまわり」。

ひまわり










どこの国だか忘れちゃったけど、戦争によって愛し合っている夫婦が離れ離れになっちゃって、戦争が終わって妻が夫を探しに行ったら、夫はすでに敵地で自分を助けてくれた人と結婚をして子供までいたという話。

それから「シェルブールの雨傘」も系統は似ている。

シェルブールの雨傘







あれも戦争で恋人同士が別れ別れになっちゃうんだけど、女は男の子供を身ごもって、別の男性と結婚。戦争から帰ってきた男も別の女と結婚。そしてラスト、男が女と再会するが。。。

どちらの映画も、戦争という逃れようのない状況で、愛し合う男女が別れるというテーマ。どんな映画よりもつらくて悲しい。悲しいというと涙が流れるというイメージがあるけど、本当に悲しいときは涙も出ない。ただやりきれない思いがするだけ。そういう意味では「泣きたいときに見る映画」としては人に勧めにくいのである。

「フル・モンティ」; ごめんなさい。期待しすぎました。

フル・モンティ









イギリス北部の町シェフィールド。6か月も失業していた絶望的な金欠男6人が、なんと「裸で金を稼ぐ」ことを思いつく。「フル・モンティ(すっぽんぽん)」で明るい未来をつかむことは、果たして可能か…? Amazon.co.jp より)”

という話。


う~ん。評価が非常に高い映画なんだけど、見終わった後のこの物足りなさは何だろう。理由を考えてみた。

ひとつ、シリアスなのかコメディーなのかよく分からないので素直に笑えない。イギリス人らしいユーモアもほとんどない。コメディーにしては暗いんです。話も人物も。
ひとつ、役者の中に二枚目がいない。「少林サッカー」を見たときのがっかり感にも似てる。そういう設定なのは分かるが、やはり映画ってビジュアル面も大事。
ひとつ、主人公が一人勝ちしてしまって、脇役の個性が生かされていない。一人一人のドラマ、もう少し描いてほしかった。
それから、子供が出てくるのに、最後まで親子の絆で感動できるところもなかったなあ。

話の流れは邦画「ウォーターボーイズ」に非常に似ている。男が集まってこの世で一番恥ずかしいことを公衆の前でやるというところが。しかし、ストリップというところがとても欧米らしい。


う~ん。期待しすぎたのかな。いや、そうではない。もう少し面白く作れたはずだ!

『マンガで韓国語がしゃべれる』;すぐ使える文例集 ; ホントに使える!






この本すごいです。マンガだけにギャグがすごく多いのですが、それが面白くてつい韓国語を覚えちゃう。という、本末転倒の良くできた学習書なんです。イメージ的には予備校の名物教師がギャグをおりまぜて授業を進めていく感じに似ています。それから文法説明をする動物たちの絵が愛らしく、表情が非常に豊かです。文法事項も「~です」と、簡単なところから「~によって違う」のような複雑な表現まで、1冊の中で、日常に必要な表現をほぼ網羅しています。
ただ、終始(堅いほうの)丁寧語ばかりが使われているので、少し違和感がありました。この本を勉強しても相手によって使い分けることができないのがちょっと難点かな・・・。

「リトルダンサー」; 父性愛の美しさとイギリス社会の不条理さと見事に融和した作品

リトル・ダンサー









この作品の見所はやっぱり父親の子供を思う気持ちに尽きる。はじめはこのお父さん、子供のことあんまり好きじゃないんだなと思っていたから、途中からの豹変振りにはびっくりうれしかった。逆にそのギャップがあったから感動したのかもしれない。

しかしこの作品の面白さは、その舞台背景、つまりイギリスの階級制度を批判しているところにあると思う。イギリスでは階級制度がいまだに根強く残っている。階級が違えば言葉も違うし、入る大学さえも違う。労働者階級で生まれたら死ぬまで労働者階級というのがその人の運命である。つまり選択の余地がない。ダーラムなどのイギリス北部地方の町はまさに労働者階級のるつぼなのだ。
それゆえ映画の中で主人公がロンドンのバレエスクールに入るというのは、イギリスの常識を覆すことになる。面接官が明らかな軽蔑の表情を持って父親に質問をするところでそれは見て取れる。表面的には日本の一般家庭と金持ち家庭の違いくらいにしか見えないが、イギリスのそれは日本の違いとは似て非なるものである。まさにブリティッシュドリーム。
・・・この映画はドラマ性と社会性を持ち合わせた素晴らしい作品である。

福生のこと

私は東京都の福生市で育ち、今も住んでいます。福生を知らない?福生は「ふっさ」と読みます。場所は中央線の「立川駅」から青梅線に乗り換えて6個目の駅です。ちょうど立川と青梅の中間に位置しているのが福生です。


プロフィールにも書きましたが私は福生が好きではありません。


福生の特徴を一言であらわすと、人が、「田舎の人」から「のどかさ」を引いたような感じです。福生の人々はドライである。街の様子もカラッとしている。やさしくないわけではないんだけど、はっきり言って何を考えているのかが分からない。私には異星人のように映る。私は福生で生まれたわけではない。6歳のとき、隣の隣にある日の出町というところから引っ越してきたのである。それゆえどうしても地元意識がわかないのである。


人は福生が好きだという。確かに横田基地という米軍基地があり、その周辺にはしゃれた店が立ち並んでいる。私も時々そこへ買い物に行く。確かに楽しい。しかし、そんな場所は私にとっても外国のように感じられてしまう。


自分の街が好きになれないというのはとても悲しいことである。しかし、そんな私も超ドライ。知らず知らずのうちに、自分の中の福生精神は育っていたのである。ああ、もっと悲しい。