平成25年9月17日(火)
伊勢神宮から熊野三山を目指すルートを伊勢路という。この道は伊勢信仰と熊野信仰が庶民の間に広がった江戸時代に大いに発展した。
とりわけ東国(関東)からの参詣者たちは、まずお伊勢さんにお参りし、そこから熊野に向かうというかなり長期間に及ぶ巡礼を実践した。
伊勢路を歩くといえば本来は、伊勢神宮から歩かなければならないが、今回は喧騒な市街地を省いてツヅラト峠から熊野速玉大社へ思いのまま歩く。
JR坂出を11:54発の快速マリンライナー28号で発ち、JR新幹線・近鉄大阪線を乗り継いで、16:24 JR紀勢本線・梅ケ谷に着く。
伊勢と紀州を分けるツヅラト峠と荷坂峠はここ梅ケ谷で分岐される。
梅ケ谷駅から西側を辿るとツヅラト峠、東側は荷坂峠を通る道である。荷坂峠を越える道は、江戸初期の紀州徳川家藩祖・頼宣の入国以降、街道のメインルートとなった。
今回はツヅラト峠を行く。昭和の初め頃まで生活道として使われたツヅラトの名は、「九十九折の峠道」に由来する。
その名の通り急カーブが続く伊勢路の難所であることを物語っている。
JR梅ヶ谷駅を出発して、大内山川の支流・栃古川に沿って里山の風景を眺めながら登り口へ向かう。
途中に熊に関する注意板が在り、「某年某月某日(1年程、以前の日付)、熊が目撃された」とあった。
以前も熊野古道・小辺路の三浦峠(標高1000m)の麓に、「熊に遭遇したときの対処方法」の注意板が在ったが、ここでも熊の出現には注意が必要のだろうか。
集落の定坂公園にトイレと東屋が在り、この日はここで野営とする。
東屋で野営
平成25年9月18日
(水) 1日目
7:20 ツヅラト峠の登山口に着くとここに「甦る神々の道・熊野古道」の案内板が立っている。
熊野古道案内板
「中世に開かれた熊野三山への信仰の道は、伊勢の地からここツヅラト峠を境に熊野へと足を踏み入れることになる。
ゆったりとした風土の伊勢と、神仏の国・霊魂の支配する国熊野とでは、峠を境にして自然までもが一変する。滝・豪雨・原始林・波濤といった熊野特有の大自然の様相は、ツヅラト峠を越えたとたんに旅人をして霊魂の地への入口を感じさせ、峠から遠望する熊野の海は伊勢からの旅人にとっては初めて見る普陀落の海である。
熊野街道の道標
つまり、ツヅラト峠は伊勢と紀州の国境であったと同時に、現実世界と理想・非現実世界との境でもあったといえるだろう。
古道の始まり
桧林とシダ
峠登り口から20分程で針葉樹林に囲われた道を登るとツヅラト峠頂上・標高357mに着いた。
ツヅラト峠の石柱
峠からは前方に紀伊長島町の赤羽川河口一帯が望め、その先には桂城半島の漁村が遠望出来る。
長島方面を展望
峠の東屋
峠を越え、長島町志子への下りは文字通り九十九折の坂道が連続して、峠の名前の起源がよく分かった。
険しい斜面を折り曲がって下ると、古道の側面が野面乱層積と呼ばれる手法で築かれた見事な石垣で補強され、千年の古道が今なお、原型を止めている。
野面乱層積
石畳道とシダ
昔の人々の道にかけた愛情と自然を生かした土木技術の確かさを我々に示してくれる文化遺産として価値ある古道である。
深い緑のシダ類が茂る中をジグザグに縫うように、自然石を組み合わせた中世のままという石畳が志子側登り口まで約300mに亘って続いている。
山の神の祠
ツヅラト峠終点
峠の麓にあるツヅラト峠花広場を越えて国道422号線に合流した後、右へ赤羽川沿いに進みのどかな里山の風景を眺めながら歩くと、赤羽の集落と標高90m島地峠を越えて、加田の集落に着く。
志子側登り口
志子側案内版
加田の集落から熊野古道の標識に従い、国道からJR紀勢線の踏切を渡り、標高73mと左程高くない一石峠に向かう。
一石峠へ
一石峠の案内版
人工林の中に続く古道をしばらく上っていくと間もなく一石峠に着いた。
この峠は熊野街道と海野浦へ下る道への分岐点でもあった。海野浦の人々にとっては、この峠を越える古道は明治、大正の時代を通じて唯一の生活道路として親しまれてきた道である。
海に向かって左手の道が海野浦に通じ、右手の道は山腹を辿り平方峠を経て、古里集落に出る昔の熊野古道である。
続いて平方峠を越ると舗装道路となり、蜜柑畑を抜けて踏切を渡って国道へ合流する。左手に古里の集落、古里海水浴場を眺めながら国道を進む。
三野瀬駅から三浦海岸を左手に眺めながら国道を歩いて、始神峠道へ入る。
始神峠への案内板
始神峠は江戸道コースと明治道コースがあり、始神峠で合流します。どちらも比較的歩き易いと云われるので江戸道を登る。
始神峠の古道
明治20年代に現国道42号線より山手を巡り、峠に至る道が開かれた。
荷馬車も利用できるその新道は明治道と呼ばれた。それまでは江戸道と呼ばれる古道が本街道としての役割を果たし続けてきたのである。
暫くは平坦な道が続き、人工林の中へ入って小さな沢を越えて歩いて行くと、やや急な上り坂が続く。
始神峠の案内板
間もなく、標高147m峠頂上に到着する。江戸時代から明治の中頃まで、営業していた茶屋の跡も名残をとどめている。
峠からは紀伊の松島の島々が熊野灘に浮かぶ優美な景色が開ける。
熊野灘
澄んだ日は志摩半島まで見渡せるそうで、初日の出を拝む格好の場所として地元の人々に親しまれていると云うのが、納得できる絶景であった。
距離を示す道
古道には所々に説明板や100m毎に道標があるので、歩いた距離の目安になるし安心して歩ける。
大船橋側の登り口
始神峠を下り、2km程歩いてJR紀勢線・船津駅から電車に乗り、尾鷲駅に移動して駅前のビジネスホテルに宿泊する。