今日の寒さは一入こたえるー。

 足下から寒さが直球で頭を直撃。明日も雪が降るらしい。

 『時計じかけのオレンジ』がわたしの頭を大打撃。

 原作では女店主、栞子が足をけがすることになっているが、なんと4回目に次回につながる最後の場面に、男が栞子を石段からけり落とす、せっかく暴力場面がないとわたしが安心してみていたにもかかわらず衝撃的な場面を見せてくれた。ショック。


 主人公『時計じかけのオレンジ』はイギリスのアンソニー・バージェスが1962年に刊行した作品。

 1971年にアメリカのスタンリー・キューブリックが映画化した、この時代の少年の行き場のない生き方を描いた小説である。

 この小説は、21章からなっているのだが、当初は20章の少年が非行に走ったままの状態で出版された。日本でも初版は20章のままで刊行された。

 21章の完全版は少年がいままでの非行人生を改め、普通の人生を始めるところで終わるらしい。


 『ビブリア古書堂の事件手帖2』に登場した少女の妹が今回のストーリーでは主たる役割を演じる。

 妹は『時計じかけのオレンジ』で読書感想を書き最優秀賞を受賞する。この妹がCDを万引きした。姉はこれを疑い、栞子に真実を調べてほしいと依頼する。

 万引きした少女は、妹の感想文は過去の感想文集からの盗作であることを黙っている代わりに妹に万引き犯として名乗り出よと取引したのである。


 この謎を栞子は見事に解くのだが、盗作された読書感想文は栞子が書いたものであった。


 栞子は、姉妹に、盗作したこと、万引きしていないことをきちんと告げて問題解決するように言う。

 このあたりになると、わたしの栞子、いや剛力さんへの想いが揺らぐ。もう少し、幅のある取り組みを示唆してやってもらいたいと考えてしまうのである。

 それにしても、女性を階段からけり落とすとは、このシナリオライターは何を考えているのかと思う。

 けり落とす行為にある意識は、憎悪しかないと思うが、このドラマを観るのは、今回で止める。残念である。

 

 


 

 そろそろバレンタインデーがやってくる。

 せんだって、コレンチェさんのブログで、ホワイトデーに向けての記事があった。

 コレンチェさんはスペイン、バスク地方のチョコレートショップの長男と結婚された日本女性である。現在はその店のチョコレートは日本でも販売されている。ここしばらくは、バレンタインデー用のチョコレート作りの話が中心であった。

 間抜けなわたしはコレンチェさんに、

 「待ってました・ホワイトデーの記事。ところで、ヨーロッパでもホワイトデーはあるのですか」

 と、メッセージ機能で聞いてみた。返事がなかったのでインターネットで調べた。

 ホワイトデーは日本のお菓子メーカーが作った、男性から女性にバレンタインデーのお返しをする営業用の日であると解説してあった。

 わたしはホワイトデーがきたら、本命、義理にスペイン、バスク地方のチョコレートを贈りたいと思っている。

 『徒然草』で吉田兼好は、良い友達とは、1ものをくれる友、2医者、3知恵のある友の3タイプがよい友と書いている。

 わたしは、2,3はあてはまらない。しかし1なら自信がある。

 ホワイトデーの贈り物にスペイン・バスク地方のチョコレート。贈る方がわくわくしてしまう。


 昨日、年に数回しか会えない女友達に会った。

 「男(自分)は、勤めてないと、バレンタインには縁がなくなるなあ」

 と、わたしが嘆くと、彼女はバッグから、何かを取出しわたしに

 「はい、早いけどバレンタインデー、ハートのステッカーを張ってもらったのよ」

 と、わたしに差し出した。

 京佃煮の名店「やよい」の袋。おじゃことふきのとうが入っていた。


 これで、余裕をもって2月14日を迎えることができる。

 持つべきは、よい友である。

 



アンクルのブログ


2013年2月9日に銀座に出かけた。

銀座コリドー街にある銀座アートホールで開催されている

「がれきに花を咲かせようプロジェクト」の作品展を見に行ったのである。

がれきはコンクリートの破片が多い。

その破片に春夏秋冬に咲く花を描いた作品である。

描いたのは福島県立保原(ほぼら)高等学校美術部のメンバーである。

なぜ、美術部のメンバーががれきに花を咲かそうと考えたのか。

人はさまざまに想像していい行動である。

廃棄物になっているがれきに花を描く。

咲く花は美しく、生命の願い、希望の象徴である。

美術部のメンバーは、その生命の輝きをがれきに描くことで、

明日への勇気、希望、元気、明るさを訴えたかったのであろう。

若者のすごい発想力である。

花をがれきに描くことは2011年4月から美術部が始めた。

がれきを美術部顧問ががれきを洗う。放射性物質を除去するという手順をきちんと踏んでから生徒に渡された。


若者たちは、2011年5月23日に東京電力福島第一原子力発電所で復旧作業に従事している作業員にあてた絵手紙を届けた。

さらに、12月には福島県内のすべての消防署、自衛隊部隊にクリスマスカードを届けた。

2012年5月には福島第一原子力発電所に絵手紙のパート2を贈った。


若者たちは自身も体験した震災経験を受け止め、乗り越える心があったのではなかろうか。

若さのまぶしさを感じる。

しかも、その心は、復旧に携わる原子力発電所の作業員、消防署員、自衛隊員にまで及ぶ。



アンクルのブログ

上の写真は3年生のメッセージ


若者の純粋で前向きの心が、

花がれきの作品には込められていた。

その純粋さが伝わってきた。

郷土に共に生きる人を元気づけたい、明るくしたい、

社会の基本をこの災害で若者は理解し、いま自分たちができることをなした。


ありがとう、福島の若者。



 われは大衆消費社会の子なのだと、澤田さんの『京都 知恵に生きる』を読んでいて突然思った。

 少年時代は、10円玉を握りしめて、駄菓子屋に行ったり、自転車に装備一式をくくりつけた紙芝居屋の到着を待っていた。

 ひもじい思いは一切なかったし、貧乏だとも思っていなかった。

 高度経済成長社会は、自分の居場所を探せる社会だったと思う。

 就職先に困ることはなかったし、自分がやりたい仕事にもつけたし、お金に困ることもなかった。

 大学に入学した時には、両親がアイビールックのブレザーとスラックスをプレゼントしてくれた。

 本は買うものだと思っていたので、図書館で借りることは全くなかった。図書館は勉強をするところだと思っていたのである。

 高校2年からスキーに出かけ、自宅には卓球台もあった。

 友人とかデートには喫茶店かパブを利用していた。

 子どもが生まれてからは、頻繁にファミリーレストラン、回転寿司、不二家のレストランで、愉しく食事をしていた。

 夏は那須高原に旅行し、冬はスキーにしばしば出かけていた。


 つまり、人並みの生活を楽しむ経済力が用意されており、それを自由に使って、物を買い、サービスを利用してきたのである。


 背伸びをしたことは一度もない。自分の身の丈に合った生活をしてきたわけである。


 いま日本は不況にあえぎ、貧富の格差が激しい社会になってしまった。1億総中流であったわたしが生きてきた社会よ、もう一度と思うことはいかがなものであろうか。


 今日は銀座の街を歩いてから新宿駅ルミネの飲食フロアに行った。そこには若い女性のグループだけしかいないお店が結構あった。いまの消費社会は「女性消費社会」ではないかと考えた。

アンクルのブログ


上の写真はケヤキの木である。

昨日、植木業者が4人、クレーン車に乗って、丸一日かけて剪定をしていた。

すっかり、きれいに整えられてしまった。

剪定は、2月末までに済ませなければならない。


人間が、ケヤキを理解し、きちんと手入れをしているから

秋には美しい黄葉を見せてくれるのだろう。


しかし、黄葉が終わると、落ち葉がすごい。

歩道を埋め尽くす。

清掃員が何日もかけて拾い集め、堆肥にするのである。


木と人間が共生している。

この共生関係があるから、多くの人々に季節の楽しみ、気づきをもたらしてくれるのだろう。


さて、ここしばらくは、観たい映画がなかった。

ところが、2月23日から公開される映画はぜひ見たいと思った。

佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子が演じる『草原の椅子』と

西田敏行が演じる『遺体 明日への十日間』である。

タイトルから見ても、人間のつながり、居場所をテーマにしているのではないかと思える。

1日で2本を続けてみたいと考えている。


 2000年3月25日に中公文庫から出版された澤田ふじ子さんの手になるエッセーである。

 澤田さんは、この本を長い繁栄のあとの閉塞にある日本の状況を憂えて、読者が考え直すヒントになるように書き下ろしたようである。

 まず、澤田さんは京都の知恵・歴史から学ぼうとした。そのモデルにしたのが、江戸時代の1700年代を生きた神沢杜口(かんざわ・とこう)。杜口は、40歳まで京都町奉行所の与力として働き、隠居となって毎日20キロの散歩を日課とし、『翁草』200巻を書き残した。

 澤田さんは翁草200巻を題材にしてこの本を書き上げたわけである。

 澤田さんの考えに近いと思ったのも題材にした大きな動機であったようである。


 わたしは書名に飛びついた。新しい側面から京都を見直す何かを求めていた。京都を訪ねたときの観光のヒントが欲しかったのである。


 京都を語る言葉に、

 「着倒れ」

 「馬の骨」

 「茶漬け」

 がある。

 この言葉を本書は導入に使う。

 「京の着倒れ」は、京都西陣の織元が当時、地方の織元が参入し、競争が激しくなってきたため、西陣織元が考えたセールストークであったそうな。京都と和服はよく似合うが、それは他国人がそう思ったのではなく、西陣織元が作り上げた言葉が、いつの間にか京都を語るときにわれわれが使っているのである。

 「どこの馬の骨」は、京都人が外来者に使う言葉である。タカピー言葉である。天皇と貴族による政治を奪い取ったのは、武士である。その武士が乗っていたのが馬。京都の人間からみて、武士は憎い存在。それゆえ「どこの馬の骨かわからない輩は」と使われたのであろう。

 「茶漬け(ぶぶ漬け)」は、飯時に訪ねた人間に京都の人間が言う言葉だと言われている。このとき、食べずに帰れば正解であるが、食べてしまうと陰で何を言われるかわからない。

 澤田さんは、この言葉に内在している歴史的意味とか、京都人自身がどう思っているか情報提供してくれている。


 3つの言葉には、奥深い京都の知恵が込められている。

 京都人と言わないのは、東京と同じで、地方から京都に定住した人が多い、都の特徴を踏まえているからである。


 筆者はあとがきで、京都人・神沢杜口が持っていたハングリー精神がいまの日本人には失われてしまっていると指摘している。



アンクルのブログ

上の写真は2013年2月6日午前8時に撮影した。

庭にはまっ白な雪が敷き詰められ始めたが、道路にはバスが頻繁に行き来している。

1月14日に続き今年2度目の雪のせいか、生活のリズムを乱されることはないようである。

電車は普段の70%の運行だが、モノレールは通常通り走っている。


雪の日で一番困っている人は、自転車利用者だけであろう。

30分ほど、雪景色を眺めていたが、自転車は1台も見ることがなかった。


わたしは、25年ほど前、出勤するときは曇っていたので、駅まで自転車で行った。その日は神奈川県の相模原に用事があったので、午後遅くから出かけた。仕事の付き合いのある方が奥様を亡くされたのでお悔やみを言いに行ったのである。

日本酒を持参したので、お浄めを始めることになった。

午後8時を回ったころから、雪が舞い降り始めた。雪見酒としゃれていたが、積もりそうな降り方だったので、午後10時に失礼した。

自宅に帰る駅に着いたのが、12時少し前。積雪20cmほど。

酔いにまかせて、自転車に乗った。

自宅まであと100メートルほどのところで、轍がまったくなくなっていた。

自転車が動かなくなってしまった。雪はわたしの体温と視界を奪う。

凍死の恐怖が頭をよぎった。

100メートルの恐怖は今も鮮明に残る。

雪が積もったら、自転車に乗らないがわたしの教訓になっている。

 4回目でようやくサブタイトルが「宮澤賢治の春と修羅」と、読み取れた。つまり、今回の主役は『春と修羅』(関根書店、大正13年初版)である。初版本のタイトルには[詩集]と刷り込まれている。

 この本の所有者、玉岡聡子が、栞子に本の査定を依頼する。聡子は亡くなった父親から自宅と本を相続する。聡子は自宅を処分し引っ越すわけだが、そのほんの一部を手離す決心をする。そこで、ビブリア古書堂の栞子に査定を依頼する。

 そのときに、2冊あった詩集『春と修羅』のうちの状態のよくない1冊が盗まれたことを栞子に告げ、探してほしいと依頼する。

 聡子は盗んだのは、兄か姉だと訴える。

 その情報をもとに、栞子と大輔が捜査を開始するわけだが、兄も姉も本の価値はまるで分らない人間。

 たどり着いたのは姉の息子が盗んだことが明らかになる。

 実は盗まれた『春と修羅』は宮澤賢治がいずれ、大幅に改定するために自筆で書き込みをしていた手入れ本であった。

 亡くなった玉岡氏には本好きの娘と孫に託す思いがあったのだ。

 栞子は、卓抜した想像力と人間観察力を駆使して、その謎を解き明かし、聡子に従姉弟との関係改善を迫り、問題解決にこぎつける。


 冷静かつ的確に問題の核心に迫る栞子、剛力彩芽さんの無表情の中に知的に輝く瞳の深さに、今回も引き込まれた。

 大輔さんの栞子に聞く態度も、このドラマを引き立てている。

 いずれ、困っている人間を助けないといられない大輔さんが栞子を助ける時が来ることを予感させる4回でもあった。

 

 今日の暖かさは、3月、4月の気温であると、ニュースが伝えている。

 自然は気ままで、われわれの常識をあざ笑う。

 暖かさは、わたしの気持ちを高めてくれる。

 金縛りにあったからだが、寒さから解き放たれると、軽く自在になる。

 ああ、いいなあ。

 幸せな気持ちが、ますます幸せな方向に向かって駆け上がる。

 

 そうなると、自分の人生も捨てたものではないと前向きな考え方になる。

 だから、わたしは桜の咲くころがあるから生き続けているのかと思う。

 人間の一生と同じで、上がり下がりは本格的な春が来るまで続くだろう。


 たまに、春を思わせる気温がある日があれば、わたしは生きる欲望がよみがえる。

 これから、桜の枝のつぼみの状態を見に行こう。

 いま、いろいろ考えることが多い。

 失敗したことは数多い。それを懐かしく思うこともない。

 まだ、将来に関心の多くがあるからだろうか。

 

 そんな中で、思い出になっているのは高校時代である。

 昨日、クラス会の幹事をしている友人と話をした。

 お互いの前には、高校の卒業アルバムが置かれていた。

 友人が、

 「同じクラスの女性には、一切興味がなかった」

 と、言った。

 「えー、俺なんて同じクラスの00さん一筋だったがな。ほかのクラスの女性とか、下級生なんかに興味を持つことなどなかった。おぬしませてたからなあ。でだれが好きだったんだよ」

 友人はアルバムを開いてある組のページを開き、一点を指さした。


 高校時代は、男にとっては女性が気になって気になって仕方がない頃だったと思う。わたしは、年上か、年下にしか、積極的な関心を持てなかった。

 年上からは子ども扱いされ、年下からは先輩扱いだけだった。

 つまり、石坂洋次郎の『青い山脈』『若い人』の世界に憧れていたにもかかわらず、現実は小説のようにはならなかったわけである。

 高校時代ならば帰りたい、だからクラス会を熱心にやろうとしているのか。

 まあいい、黄金の時間であった高校時代を共に過ごした仲間と、死ぬまで会い続けようと妙な決心をした。