2週間前からランチを友人と約束していた。

 2人とも会席料理がいいと言うので、その意見を尊重することにした。

 2人とも、母であり、市役所の職員であるので、ディナーはだめなのである。

 わたしは指定された店に12時前に着いた。

 約束は午後12時15分である。

 早めに行って注文し、席をとっておこうと思ったのである。

 のんきな2人は何も考えていないにちがいない。

 わたしは1か月以上会っていないので、できるだけ一緒に食事を楽しむ時間を確保したいと考えたのである。

 あれー、店のシャッター閉まっている。

 シャッターの中央に紙が貼られている。

 「本日は定休日です。またのご来店をお待ちしております」

 とっさに浮かんだのは、

 「あの2人を信じていたんだが、定休日とは」

 だった。

 そこに電話。

 「アンクルさん、自転車の鍵が開かないんで格闘中です。あっ開いた。これから行きます」

 「大根の花は定休日。近くのオレンジ・ハウスに変更。自転車置き場のある裏手で待っている」

 「了解」


 こうして、和風会席が洋風のランチに変わってしまった。

 2人はエビフライとコロッケのランチ、わたしはカレーライス。

 この周辺は火曜日・水曜日は定休日が多いことを認識した。

 結局、わたしの近況を報告するだけで、約20分のランチタイムはあっけなく終わったのである。

 次回の和風ランチを約束してあわただしいランチは幕を閉じた。

 それにしても、毎日休みのわたしはすべての人、店は働いており、わたしのために存在してくれていると思い込んでいた。反省。

 舞台は高知県である。

 カツオのたたき、坂本竜馬、くじらとなると漁業県である。

 観光の主役となるほどのものはない。



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 そこで作ったのが、映画『県庁おもてなし課』なのであろう。

 原作は有川浩(ありかわ・ひろ)さん。女性である。

 原作の良さは、若者の心理と行動をきちんととらえているところにある。

 ただ、お役所仕事から抜け切れない、スピード感、民間の企業意識のなさを強調しすぎだったのはいただけなかった。

 おもてなし課の掛水史貴(錦戸亮)は高知県出身の人気作家、吉門喬介(高良健吾)に観光大使の就任を依頼し、了解を得る。

 そして、就任依頼後34日間、掛水は吉門に何の連絡もせず、放置する。

 そこへ、吉門からの電話で、

 「役所の人間でない若い女性の登用、パンダを県に呼ぶことを発想した人間のことを調査しなさい」

 の2点を課題としてつきつけられる。

 朝の通勤時間帯で自転車通勤をする掛水をものすごいスピードで追い越し行った県庁アルバイトの明神多紀(堀北真希)をおもてなし課で

採用。

 パンダを呼ぶことに失敗し、県庁を追われた清遠和政(船越英一郎)にアプローチするが、清遠の娘、佐和(関めぐみ)に水を浴びせかけられてしまう。

 こうして主人公が出そろったところで、物語は進展する。

 おもてなし課の観光コンサルタントに就任した清遠は、高知県すべての自然を観光資源にするプランを提示する。

 掛水と明神は奔走し、ぐっと距離が短くなる。

 東京に在住していた吉門が高知空港に降り立つ。

 向かう先は、民宿清遠。

 佐和に告げたいことがあったのである。

 結局、清遠を追い落とす県庁内勢力に敗れたおもてなし課は、

 吉門の出演するテレビに掛水が同席。頼りないが、真摯におもてなしを語る掛水の姿を知事が見ている。

 いまも、おもてなし課は存在し、活動している。

 ということは、掛水と多紀、吉門と佐和もうまくいっていることを願いたい。この4人を演じた俳優はこれから先楽しみである。

 しかし封切り直後であったが、観客は23人であった。

 普通の人を主人公にすると、ドラマは平板になる。

 普通のドラマを盛り上げる工夫こそ監督、キャスト、脚本の責任であろう。

 寝るのは遅かったが明るさに目を覚ましたのは午前6時。

 エンジン音が聞こえた。外に出るとエンジン付きカイトが2台飛んでいた。

 海岸まで3分で行ける。3人で出てみた。

 風は穏やかで気持ちがいい。海は輝いていた。潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 「ここに別荘を持つと決めた動機は日の出が自分だけのものになるからだよ」

 なんとなく実感できた。

 伊藤左千夫の歌碑があった。

 最近建った老人ホームもあり、この周辺で一番高い建物で、津波の際の避難場所だそうだ。

 1時間余り砂浜散歩をした。

 わたしが海なるところに連れて行ってもらったのは本須賀海岸の近くにある片貝海岸である。

 脚が気持ちよく沈み込む砂の感触がたまらなかった。

 大学生のとき、西伊豆の海岸に行った。私の海のイメージが壊れた。小石と岩の海岸であったのだ。

 午前7時過ぎに、別荘の主の手作りをいただく。

 トースト、目玉焼き、ベーコン、キャベツの千切りとレタス、いちごとスイカ。しゃべりながらの朝食はいつ以来だったか。

 午前8時30分出発。

 別荘が見えなくなったところでドライバーの友人が車を止め、

 「まず、銚子に行きましょう。銚子漁港の近くにある土産物の店で土産を買うということでいいですか」

 わたしたちの世代は民主的合意によって行動するわけである。

 午前10時前に銚子に到着。

 日曜日なのだろう、漁船がこれでもかというぐらい停泊していた。

 ウオッセ店という海産物、土産物店が20ほど入っているショッピングモールに行く。

 手作りだというひもの、佃煮を買う。そのほかにはびわプリン、びわゼリー、ひじきも購入した。

 友人はひものはもちろん、まだ生きているいかまで購入していた。

 友人は午前10時40分、今年4月27日開通した圏央道、東金JTC~木更津ICを利用して東京湾アクアラインに移動するコースを設定する。

 圏央道に入る前にガソリンを入れたり、迷ったりであったが、圏央道に入り、新しい高速道をひた走る。あまりの単調さに助手席に座るわたしに睡魔が襲い掛かるのだが、ここで寝ては友人にすまないの想いで耐える。

 木更津到着。12時ジャスト。

 「昼は海ほたるで食べましょう」

 10分ぐらいの待ちで1階の駐車場に停車させることができた。

 5階の木更津庵で深川丼を食べる。

 午後1時30分、海ほたる出発。

 こうして、海底道路を走って川崎に到着した。

 自宅まで送ってもらい、自宅に着いたのは午後4時少し前であった。

 

 持つべきは、いい友であるとしみじみといま感じている。

 5月18日、午前7時5分、自宅を出発。待ち合わせ場所に向かう。

 遅刻を食い止められたと、内心は得意であった。

 17日は午後10時には床に就いたが寝られない。寝てしまったら起きるのは午前8時になるのではないかとの恐怖心があったのである。

 本を読み、面白いので最後まで読んでしまった。午前4時、寝るわけにはいかなかいようにしたのである。疲れる。

 15分待つと、迎えの車が到着。高校のクラス会の幹事の中心でやってくれている友人である。車が好きでドライブが好きで安全運転の権化のような人間である。

 今日のコースをきちんと説明をしてくれる。

 横須賀まで行って、そこからフェリーで房総半島の金谷まで行く。

 出発。

 午前11時20分のフェリーに乗る。

 乗り方などを教えてくれる。乗船料4100円。

 晴れている海には釣り船や東京湾を出入りする大型船でいっぱいである。こんな光景は見たことがなかった。

 船の航路は右側通行なのもよくわかった。うっとり見つめるわたしを被写体にして友人が写真を撮ってくれる。

 わたしの乗ったフェリーは東京湾を出入りする航路を横切る航路である。安全に航海した。

 午前11時には金谷に到着。また、友人がルートを説明してくれる。

 「昼はクジラでいいですか。これから外房の和田まで行きます」

 わたしは、小学校の給食でクジラを食べている。友人は幼いころは長野の佐久市育ちで、肉と言えばクジラであったらしい。

 友人はカーナビを最短距離で設定し、スタートする。

 狭い道を抜け山沿いに入る。

 若葉がいろいろな色でわれわれを迎え、楽しませてくれる。

 午後1時に友人が予定してくれた和田の「くじら屋」に到着。

 わたしはかつ定食、友人は刺身定食を注文する。

 かつ定は4切れ入っていた。一切れを口に入れたが、固くて紙きれない。のどに詰まりそうになる、家の近所で食べたステーキの悪い思い出がよみがえる。強引に飲み込む。つまらなかった。

 友人は心配する。

 残りはすべて柔らかくすんなり食べられた。

 さて、出発。

 「友人の別荘には午後4時ぐらいに到着としていますので、約85キロ、カーナビではキロ15分なので4時前には到着予定です」

 海沿いを快適に進む。まんまんと水をたたえた海は今日は静かだ。

 白子と表示されていた地域に入ると、サーフィン大会をやっていた。

 そこから数キロは左右の街並みはサーファー・リゾーチが延々と続く。サーフィンショップ、リゾートホテル、レストランが軒を連ねているのである。楽しみを持つ人間を迎えるリソースは整えられているのである。

 午後3時半、友人の別荘がある地区に到着。

 しばらく探したが見つからない。

 電話をすると、すぐその道に友人は出てきた。100メートり離れたところを探していたのである。

 途中で買った千葉のびわを別荘の主に渡し、挨拶終了。

 本須賀海岸を散歩したり、友人の手料理やできあいを、わたしが買って行った白ワイン飲みながら午前2時まで話が続いた。すばらしいお風呂に入った後就寝した。

 次回は帰路を書きたい。

 明日の早朝から1泊旅行に出かける。

 旅行から帰ってからでもよかったのだが、返す本を準備しておいたので図書館に行くことにした。

 返す本は8冊。積み上げておいたのだが、その積み上げた本はテーブルの四つ角の右側に置いておいた。

 何度かその本の横を通り過ぎていた。

 本の数を数えずに手提げ袋に入れた。

 図書館の返却口でも、普段であれば数を数えて返却口に入れているのだが、8冊が頭に刷り込まれていたので無造作に戻してしまった。


 図書館は10冊まで貸し出し可能。

 夏目漱石の『こころ』『草枕』『愚美人草』の3冊を入れて、合計で9冊借りた。

 自信たっぷりに貸し出し口に行った。

 最後の1冊が貸し出し不能になっている。

 見ると返却したはずの本が未返却になっている。

 「まちがえなく返却したんだけどなあ」

 職員は返却したばかりのコーナーに走り、調べたがない。

 わたしも自信が揺らぎ、家に戻って調べてみると言った。


 家に戻ってテーブルの上を見た。ない。

 テーブルの下の床を見た。あった。

 何度か通ったとき、一番上に置いてあった本を落としてしまったのだ。

 すぐに、図書館に行き、お詫びした。

 自分の行動に自信を無くす出来事であったが、今後は一層、思い込みの無いように準備、行動することを自身に言い聞かせている。

 昨日は午後12時40分ごろ入場したが、館内はいたるところに人人であった。

 わたしと同じシルバー世代が多く、夫婦連れ、女性同士、一人の男性の順番であろうか。

 あの夫婦は漱石の男女・夫婦関係をどのように見ているのか、訊ねたくなるほど、夫婦で漱石ファンがいることに驚いた。

序章 「吾輩」が見た漱石と美術

第1章 漱石文学と西洋美術

第2章 漱石文学と古美術

第3章 文学作品と美術 『草枕』『三四郎』『それから』『門』

第4章 漱石と同時代美術

第5章 親交の画家たち

第6章 漱石自筆の作品

第7章 装幀と挿画

 以上が展示の構成であった。

 ただ、まず、エレベーターで3階まで上り、それから地下に下り、2階から出るはお客さんのことを全く考えていない印象をもった。

 美術品は2点印象に残っている。

 第2章に展示されていた与謝蕪村作『漁父臨雨行』。

 個人像だと思うが、3人の漁父が雨の中出かける絵である。

 筆線は生き生きし、表情が繊細に描かれ、蕪村が増す増す好きになった。(作品には展示期間があり、この作品は6月2日まで)

 もう1点が荒井経作『酒井包一作愚美人草図屏風 推定試作』

 死を迎える藤尾が枕辺に置いた屏風を今年荒井さんが描いた作品である。

 赤い花びらとその残像を美しく描き、藤尾の生命がいままさに終わるさまを描ききっていると感じた。

 この展示は、漱石を美術世界をとおして着想しようとする企画展である。面白い展示であった。

 上で作品展示の期間があると書いたが、途中から展示される作品もある。もう少し漱石の作品を読み返し、もう一度見たくはある気分である。


 

 2013年5月14日から7月7日まで、JR上野駅から徒歩10分弱の東京芸術大学大学美術館で開催されている。

 大昔、この美術館の開館を記念して,同館で所蔵している高橋由一の『鮭』を観に行った。

 開館当日で、入場できたのは並んでから40分は過ぎていた。鮭は素晴らしい大きさの油絵であっった。


 今回は入場初日は混雑すると思い。2日目に行ったわけである。

 今日も暑かった。

 JR上野駅、上野動物公園出口から出て、東京芸術大学に向かう。

 約10分ほどで大学美術館に到着する。

 大昔は、仕事でよく通った道筋である。

 ほとんどの人は動物園に、そのほかの人も東京国立博物館に向かう。人通りは徐々に減る。

 わたしと一緒に入った人は一人のみ。
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 『夏目漱石の美術世界展』。

 正直言って、タイトルから何のイメージもわいてこなかった。

 ようは、漱石の文学作品にはいろいろな美術作品がちりばめらられており、その美術作品を展示したのである。

 わたしはうかつに漱石の作品では人物の考え方にしか関心が向いていなかった。美術に関して記憶は一つもないのである。

 それでも、浅井忠、青木繁には感じるものがあったし、与謝蕪村にいたっては人間を感じることができた。

 漱石の死後、草枕の挿絵を描く作業などが行われたらしいが、あの美人が亡くなったときの屏風が描かれていたが、その絵だけは印象に残った。

 漱石の自筆の絵や書も展示されていたが、それは余技。必要なかった。

 漱石ファンであればぜひ足を運んでいただきたい。

 

 本書は2001年1月1日に小学館文庫から発行された。

 8年前に読んだのだが、また読み返したくなった。

 網野史学は、民衆に視点が置かれ、新しい解釈を次々に発表してきた。

 網野さんは『無縁・公界・楽』『日本中世の非農業民と天皇』『日本の歴史をよみなおす』など力作を刊行し、世間に新しい歴史を提示し続けてくれた。

 平氏が台頭するまでは、日本は天皇が政治を行っていた。

 天皇に税や通行料を免除されていたのが、一芸に秀でていた「道々の人」、つまり遍歴民、漂白民であった。古代中世は天皇に直接仕える公御人、神人、寄人がおり、道々の人はそれら身分になり、保護され、自由に日本全国を移動し、自分の職能を使い生きていたのである。なんと生き生きしていた社会。わくわくする。

 また、近世になると士農工商の身分制度が確立するのであるが、農業民とされた人々は、百姓と呼ばれていたが、この百姓は本当に農業をする人々のことだけを指し示す名称なのか、網野さんは検証し、異論を提示した。


 本書も豊富な古文書を読み解いた末の成果である。底辺にあるのは、荘園、江戸時代の古文書から確信を抱くに至った網野さんの信念である。

 北条時頼から得宗北条執権政治確立までを、蒙古襲来と絡めて見事に解き明かしてくれている。

 朝廷との関係、西国への支配などが蒙古襲来によって劇的に変化し、武士の統治が全国に波及したという。日本に外国が武力で侵入してきたのは、この蒙古襲来と第二次世界大戦で敗北したGHQのみである。この二つの歴史は日本を劇的に変えた。

 蒙古襲来は、得宗執権政治を確立し、天皇から武家政権への移行を確実にさせた。

 この変更は、いままでの社会体制を変えていったのである。

 道々の人たちは天皇との関係を否定され、あげく、いまある身分差別を助長する方向に行ってしまったし、百姓は農業民にされ、水飲み百姓は零細農民にされてしまった。

 蒙古襲来は中世から近世にいたる重要な事件だったと網野さんは言っているのである。

 網野さんの歴史観は庶民がいかに自由に境目のない行動で、社会を活性化してきたか言うことである。

 わたしはもっと早く網野さんに出会いたかった。しみじみと思う。

 今日も読書感想を掲載したかったが、朝起きたときに身体が重かった。頭も重かった。

 まとめる力が低下していると、残念ながら自分を納得させた。

 寝込みたかったんだね。

 安心してベッドに逆戻り。

 十分寝た。


 いまは、自分に本当に風邪気味だったのか、問いかけている。

 熱だって37度超えていたし、半袖シャツがいけなかったんだ、と

 言いわけしている。


 人間は予定を立て、それを実行することによって、達成感を享受する。その繰り返しで、なんとか昨日を、今日を、明日を生きていける。



 本書は1998年11月10日に文春文庫から刊行された。

 陰陽師とは、百鬼夜行とかアヤカシを静め、世の中を平安の状況にする役割を持った超能力者である。

 陰陽師安倍晴明とその友人、源博雅が主人公である。

 博雅は三位の位を持つ、人に頼まれるといやとは言えない個性を持っている。晴明とは友人であることも広く知られている。そのため、博雅にアヤカシで悩まされている人間は晴明への仲介を頼まれる。

 博雅は「晴明よ、お前の領分の仕事みたいだ」と言って、晴明に頼み込む。

 本書には、天邪鬼、下衆法師、陀羅尼仙、露と答へて、鬼小町など七話収録されている。

 声明はことごとく自らの能力で解決するのだが、アヤカシ出現の本質を見極め、やさしくことを納めるのである。

 続編がるので、読まねばと思っている。