右手に日暮里駅を見ながら、線路を下に見て陸橋をわたる。渡り終えたところに谷中墓地がお墓を見せる。

 谷中は江戸時代の門前町である。

 駅の近くに天王寺があるはず。次の訪問ポイントである。

 地図を見ながら迷い込んだのは谷中墓地。内心あせる。

 お寺お寺と心のうちでつぶやくがありそうもない。

 ぶらぶら歩くのもこの日のテーマではあるが。

 歩いた揚句、目にしたお寺は本行寺、すっかり天王寺から離れている。地図を見ながら二人で確かめる。連れは地図が読める。わたしは従う。日暮里駅沿いの道を進み、また谷中墓地に入ってしまった。

 それでもつきあたりをめざす。左を見ると墓地から出られる。

 出たところに天王寺と立派な寺がおわした。

 ここは幸田露伴の『五重塔』で有名なお寺である。

 境内に入るが、五重塔跡はない。

 仏花を売る場所にいた若い僧侶に聞く。

 「昔は天王寺は慶大がものすごく大きく、そこの道をまっすぐ行って交番のあるところまで敷地を持っていました。五重塔は交番の手前の公園の中にあります」

 なるほど。

 あった。

 わたしは『五重塔』が好きである。その場に立てて幸せであった。

 そこは谷中墓地内である。

 広津和郎、中江兆民などわたしの好きな人の墓はあるが、今日は徳川慶喜の墓を見ておきたいと思っていた。

 迷うことは許されない。

 そこで交番にいたお巡りさんに聞いた。

 「ここをまっすぐ行き、突き当りを左に曲がります。そのまま進み、ごみ箱がありますからそこを右に曲がると、徳川慶喜の墓の指示がありますからその通り行けばわかります」

 親切に教えていただく。

 話しは横道だが、わたしの姉が先日交番で道を聞いた。

 「パトカーがあれば送ってやるのだが」

 お巡りさんはそうつぶやいたらしい。

 姉は説明を受けて道を進んでいると、後ろから自家用車がクラクションを小さく鳴らした。

 お巡りさんが姉を訪ねた場所に連れて行くため、追いかけてきたのである。

 ぐらい、お巡りさんはとても親切である。

 徳川慶喜は奥さんと並んで穏やかに眠っていた。


 さ、谷中銀座である。

 工事中の朝倉彫塑館を過ぎると左手を見る。

 「わあ。いい商店街」

 連れの歓声である。

 谷中コロッケ、かりんとう、喫茶店など観光客目当ての店が並ぶが魚屋さん八百屋さんなどは地元のお客さんをしっかり見ている。

 なんとも中途半端だが、それなりに納得のいく商店街であった。

 次回は森鴎外記念館、青鞜発祥の地、漱石「猫の家」、串揚げの話である。

 5月31日は晴れ、しかも湿気は低い。

 行楽日和の典型のような一日であった。

 散歩はしばしば方向を間違える。

 JR鶯谷に着き、午前11時に散歩をスタートさせた。

 帽子を持って行ったが、わたしはかぶるのをやめた。

 鶯谷北口に出て、子規庵に向かう。

 歩いて5分ぐらいで着くはずの子規庵にたどり着いたのは20分立ったころである。近くのおばさまが丁寧に教えてくれた。わからなければ訊ねるが、知人と散歩するときの私の流儀である。

 戦後、正岡子規の臨終までを看取った家を往時の形に再建したした。東京都指定史跡になっている。

 病床にありながら子規は多様な能力を花開かせた。八畳間には高濱虚子、中村不折(子規庵の向かいに書道博物館がある)、河東碧梧桐、夏目漱石、森鴎外など文人墨客が集ったところに子規の文人としての能力と人間性が奥深い魅力を秘めていたのであろう。

 庭も拝見でき、明治のころの新しい文芸に向かおうとする息吹が感じられた。入館料500円。維持費に充てられる。庭に下りたいと言ったのは知人で、板で作られた日本住居や蚊取り線香がたかれている緑多い庭を楽しんだ。

 1時間ほどいたので、昼飯にする。谷根千に行ってからと考えていたが、鶯谷駅に戻れば豆富料理の笹乃雪がある。

 せっかく、鶯谷まできたので、知人を案内することにする。

 今日は平日なので、さすがにお客さんは少ない。

 椅子席を希望しかなえてもらう。

 朝顔御膳を頼む。

 白酢あえ、冷奴、あんかけ豆富、胡麻豆腐(自家製柚子味噌)、絹揚、雲水(湯葉巻き 豆乳蒸し)、うずみ豆富(お茶漬け)、豆富アイスクリームと豆富づくし。

 うまいのである。バラエティーに富んでいるのである。

 「お豆腐って、好きなんですけど、こんなにおいしいお豆腐ははじめて」連れはうれしそうに話しながら、箸も止まることはなかった。

 わたしは、本当は昼酒を聞し召したかったが、連れは下戸。

 豆富(笹乃雪さんはこの字をあてる)にのみ集中して食べたので、わたしも豆富のうまさに感動すら覚えた。

 正岡子規は美食家である。豆富の味を徒歩3分で楽しみに来ていたのである。さらに彼は自宅でも3色、鰻やら果物やらおいしいものを母親と妹さんに作らせていたようである。

 さあ、谷根千へ。

 日暮里駅の手前、羽二重団子を左に曲がり芋坂を少し上る。

 羽二重団子を子規は食べていたとここにも子規の名前は出ていた。

 子規死して、美食の名をいまも残す。不思議な男である。

 後、2回はこの項を続けたい。

 本書は角川文庫から平成18年2月5日に改版5版として発行された。

 『こゝろ』の初版は大正3(1914)年、岩波書店から発行されたようだ。


 最初に読んだ『虞美人草』は藤尾が死んだ。たぶん自殺であろう。

 二作目の本書は「先生の遺言」あるように、また自殺である。

 藤尾は自らのプライドのために死を選び、先生は明治天皇への殉死を選択した乃木希典氏の行動に促されて、明治で負った罪をあがなうために死での旅に出る。


 本書も先生は謎の人である。

 謎のひとつは、だれも連れずに行く毎月の墓参りである。

 先生は気に入った下宿に、中学高校の親友Kを同居させ、共に大学に通う。

 先生はそのころ、下宿の娘との結婚を考え始めていた。

 しかし、先生はその娘とKとの仲の良さに危惧を覚え、最終的には二人の留守中に、娘の母親に結婚の承諾をとってしまう。

 その晩にKは自殺してしまうのである。


 先生は、父母亡き後、叔父さんに財産を取られるなどの仕打ちに会い、人間不信に陥っていたが、先生自身、Kを死に追いやり、叔父と全く同じ生き方しかしてこなかったわけだ。


 漱石の頭の中には、どんな場面にも人間の勝敗しかない。

 わたしは、小説家とは人間の勝敗にのみこだわるのか聞きたい。

 いやあ、本書は成功したとは言えない。

 さ、明日に近づいた。

 明日は、いまのところ晴れのち曇りである。

 明日は梅雨前線がぬけて、梅雨よ明日だけはバイバイのようなのである。

 明日は知人と約束した12月、3月、4月を通り越して4度目の約束である。谷中、根津、千駄木、いわゆる谷根千である。ようやく明日行けるのではないかと、期待が膨らむ。

 それにしても、明日を晴れにするのは、わたしではない。

 わたしの同行者である。

 この人の、わけわかんないエネルギーが晴れを呼び込んだのではないか。

 休みを取った以上は無駄にはしない。

 この心意気やよし。

 昨晩、知人からメールがきた。

 「何が何でもいく」

 わたしの返信である。

 

 晴れてもらうしかないのである。

 昨日、関東も梅雨入り。おいおい、明日は1日中休み。

 いや、有給休暇を梅雨さまにさしあげる。

 ぜひ、庶民を見つめてください。梅雨大明神さま。

 31日の天気が気になって仕方がない。

 まず、曇りのち雨だったのが、降水量40%の曇りになった。

 それが29日には、なんと晴れのち曇りである。

 こういう時は、予報は止めた方がいいと思う。

 当たるも八卦、当たらぬも八卦は占いだけでいい。

 天気予報が31日に限ってくるくる変わるのは、わたしの心をもてあそんでいるようで嫌だ。

 つまり、変更の理由を言わないのである。天気予報は。

 天気は結果とその解説に終始すればいいのに、予報と言った予測を図々しくし始めてから権威がなくなった。

 天気の予報など、当たっても外れても、だれも気に掛もしない。

 だからと言って少しは責任感は持てよとテレビ局、天気予報士には言いたい。

 

 今日は暑かった。

 今年初めての半そでポロシャツ、ただ、持ち物があるので夏用ブレザーを着た。シルバーは荷物があるからブレザーを着るのである。

 いつも私は同年代に同じ服装を見る。 

 シルバーはポケットの多い服装なのである。

 

本書はワイド版岩波文庫283として2007年4月17日に第1刷が刊行された。

文字が大きいし、シルバー向きの本であった。

この作品は、職業作家として朝日新聞社に入社した漱石の第一作目である。

諦念の人、甲野欣吾、道義の人、宗近一、欣吾の妹の新しい女、甲野藤尾、秀才の小野清三、愛する相手であれば尽くす女である一の妹、糸子、謎の女、欣吾と藤尾の母といったところがこの話の作り手である。

話しは欣吾と一が比叡山に登るところから始まる。

2人は親友である。

諦念の人と道義の人では、話はかみ合わない。

それでも、面白い会話が延々と続く。

場面変わって、東京の甲野邸。藤尾の詩心を満足させる相手に選ばれた小野が話をしている。藤尾が攻撃し小野は守り一辺倒である。藤尾は小野を愛し、小野も藤尾を愛している。

京都に滞在している欣吾と一は、旅館の隣の家に住む言を弾く女性、小夜子に興味を持つ。

嵐山でも出会い、東京に帰る欣吾と一の汽車に小夜子も乗り合わせる。

小説は作者の作ったレールに乗っかってしまうものだ。

実は小野さんの恩師、漢学者井上孤堂は、孤児となった小野さんを世話し学費を援助した人間で、小夜子は娘なのである。老境に入った孤堂は、娘を託せる相手は小野しかいないと思っており、その問題の決着をつけるために上京し、転居するのである。

結局、道義の人、宗近の行動で、小野と小夜子は結婚の約束をし、欣吾と糸子も結婚をするであろう。

父親同士で結婚することを決められていた一と藤尾は、藤尾の死で終わってしまう。


わたしは本書を読みたくなったのは、北枕の藤尾を、

「逆に立てたのは二枚折の銀屏風である。中略。色は赤に描いた。紫に描いた。凡てが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。ー花は虞美人草である。落款は抱一である。」

荒井経さんが上記の文章から推定試作をされた絵を観て、感動し、藤尾の死に思いを巡らせたかった。

漱石の女性観は、たぶん、徐々に変質を遂げ、『門』『明暗』で新しい女性像を求めていたのではなかったのか。

ますます、漱石を読み進めなければならない。

 すでに沖縄は梅雨入りした。

 27日は九州、四国中国地方が梅雨入りした。

 九州、四国中国地方は3日から10日ほど例年より早まっている。

 問題は、関東である。

 31日は谷中、根津、千駄木、通称「谷根千」巡りを予定している。

 東京下町散歩である。

 天王寺(幸田露伴の五重塔の舞台)、谷中墓地、谷中銀座などを巡るつもりである。

 ところが例年6月10日前後が巻頭梅雨入りであるそうだが、来週末の天気予報を観た。30,31日は曇りのち雨、降雨確率60%。


 梅雨入りが早まりそうの予報と週末の天気予報から素人のわたしはまちがいなく31日は梅雨入りを受け止めざるを得ない。

 なんで、こんな予定を立ててしまったのか。

 働いている友人に合わせたのである。

 休める日から割り出したのが31日。梅雨になっているかもしれないとは、沖縄の梅雨入りを目にした時に強く思った。

 なんせ、雨が降ったら中止が今回の約束である。

 インターネットでも東京の31日の天気予報を見てみた。

 曇り、降水確率40%。

 都合のいい、情報を信じることにした。

 明日からもハラハラドキドキが続く。

 女心と梅雨空は予測不可能である。 

 今日は日曜日。家族持ちは楽しい食事をしている日である。

 わたしは一人暮らしなので、時々以外は独食である。

 知人が、

 「一人暮らしはテレビはつけっぱなしにしていなければだめよ」

 と言っていたが、どうも2,3年前からテレビ番組の質が落ちているため、テレビはニュースとドラマ以外は遠ざけている。

 ところが、今日は楽しい食事が続いた。

 まず、ランチは22人の大集団の食事を楽しんだ。

 炒飯と野菜サラダ、唐揚げ、エビのフライ。おいしさを高める楽しいおしゃべり。

 乾杯のあいさつ、しまいには、歌まで飛び出した。

 「大勢で食べるとおいしいねえ」とは96歳の老婦人の言葉である。


 さて、ディナーは姉との会食。

 会場はファミリーレストラン。姉は車で来るため、駐車場が必要なのである。

 午後5時半から9時45分。

 わたしと姉とは数少ない和食のメニューからふんわりサバ焼定食を頼む。

 1時間で終え、コーヒーを飲んでも1時間半もあれば話は終わるはずであったが、なんと3時間を超える会食となってしまった。

 女同士はいろいろとあるようで、さんざん愚痴を聞かされた。

 なんといっても、スポンサーは姉なので聞くことに徹した。


 こうして、トータル5時間のランチとディナーは終わったのである。

 わたしが手に取ったのは平成17年4月25日、127刷の新潮文庫である。初版からは211刷である。

 巻頭のみごとさが、巻末に通じるあっぱれな作品であった。

 巻頭は「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

 巻末は、那美さんは茫然として、行き汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」。

 この作品は主人公、余の非人情がどこまで貫けるかが主題であったと思う。余は画工として最後に那美さんを絵に描けることを告げる。

まさに、非人情を極めつくして小声で言うことができた。

 漱石さんは貫き通した。

 さて、世界の美術である。

 余は画工である。彼の独白にはさまざまな芸術家が現れる。

 向井去来、シェレー、レオナルド・ダ・ヴィンチ、陶淵明、王維、徳富蘆花、尾崎紅葉、松尾芭蕉、長沢蘆雪、広瀬惟然、オフェリア・ミレー、伊藤若冲、ウィリアム・ターナー、丸山応挙、サルヴァトル・ロザ、運慶、葛飾北斎、千利休、与謝蕪村、雲谷等顔、池大雅、雪舟、青木木米、頼山陽、岩佐又兵衛、高山樗牛、狩野派

 僧侶、思想家、画家、書家、漢詩など漱石の教養はとどまることなしに次から次にほとばしり出る。

 漱石が目にした風景が、絵とか言葉に置き換わるのである。


 わたしは、那美さんに感じる新しい女と漱石の古いタイプの女性観とのあいだに、なんともいえないほほ笑みを感じた。

 非人情とは不人情とは違う。不人情は人間世界での人情である。

 非人情は人情とは別個の感情なのであろう。

  

 この教養、知識、感受性、表現力にただわたしはうなるだけであった。

 『夏目漱石の美術世界展』を観て、作品を読みなおそうとしている。

 まずは『草枕』だと思い、読み始めた。

 3日目の昨晩、読み終えようと読み進めた。

 実は、初日からこんなに漱石って難しかったかとあきれていたのである。

 今回は、作品の中の絵、詩など芸術分野を読み取ろう考えているから、その分野の描写が、これでもかというぐらいたくさん出てくる。

 難しいことば、古今東西の画家、詩人、挙句の果てに書家までストーリーにあわせて頻繁に出てくる。

 漱石の教養の深さにはあきれる。

 本作品は漱石の教養の集大成ではないかと思った。

 昨晩は悪戦苦闘したが、その知識をなぞり、理解する作業は、知性を十分に刺激するものであった。

 四分の三まで読んだところで寝入ってしまった。


 本当の本の刺激は、脳を疲れさせるところにあるのではないか。

 漱石、恐るべし。