わたしが手に取ったのは平成17年4月25日、127刷の新潮文庫である。初版からは211刷である。
巻頭のみごとさが、巻末に通じるあっぱれな作品であった。
巻頭は「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
巻末は、那美さんは茫然として、行き汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」。
この作品は主人公、余の非人情がどこまで貫けるかが主題であったと思う。余は画工として最後に那美さんを絵に描けることを告げる。
まさに、非人情を極めつくして小声で言うことができた。
漱石さんは貫き通した。
さて、世界の美術である。
余は画工である。彼の独白にはさまざまな芸術家が現れる。
向井去来、シェレー、レオナルド・ダ・ヴィンチ、陶淵明、王維、徳富蘆花、尾崎紅葉、松尾芭蕉、長沢蘆雪、広瀬惟然、オフェリア・ミレー、伊藤若冲、ウィリアム・ターナー、丸山応挙、サルヴァトル・ロザ、運慶、葛飾北斎、千利休、与謝蕪村、雲谷等顔、池大雅、雪舟、青木木米、頼山陽、岩佐又兵衛、高山樗牛、狩野派
僧侶、思想家、画家、書家、漢詩など漱石の教養はとどまることなしに次から次にほとばしり出る。
漱石が目にした風景が、絵とか言葉に置き換わるのである。
わたしは、那美さんに感じる新しい女と漱石の古いタイプの女性観とのあいだに、なんともいえないほほ笑みを感じた。
非人情とは不人情とは違う。不人情は人間世界での人情である。
非人情は人情とは別個の感情なのであろう。
この教養、知識、感受性、表現力にただわたしはうなるだけであった。