わたしは図書館で手に入る一般向け日本野鳥の会のフリーペイパーの季刊誌『Toriino(トリーノ)』のファンである。

 これは柳生博さんが第5代公益法人日本野鳥の会の会長に就任してから発行し続けていると、わたしは思っている。

 このフリーペイパーはビジュアルフリーマガジンと銘打っているだけに著名な4人の写真家に担当させている。

 作家であり、写真家である藤原新也さんは、わたしが見てから、ずっと登場していてくれている。

 書に行ってみたり、藤原さんはこのページを見ていても始終揺れ動いているようである。

 わたしは、『印度放浪』『全東洋街道』以来からの藤原ファンである。

 旅先で踊り子に関心を持った藤原さんは、その踊り子の出身地まで行ってしまうとか、インドでは河原にある死体を野犬が食い漁っている姿を見て自由を語るとか、山梨県のとある町を訪れたとき松田聖子の歌声を聴いて感じたことを書いていたとか、さまざまな印象をわたしに残してくれている。

 つまり、わたしの想いの中に、いつもとどまり続けてくれている言葉を残しているのである。

 『Toriino』vol.27で藤原さんは、また印象を色濃くしてくれた。

 彩の章、憶の章に続く流の章が藤原さんの登場ページなのであるが、東京湾での散骨が今回のテーマであった。

 藤原さんの大学時代かそれ以後の友人のお姉さんからの依頼の手紙が届いたのは、10年前。

 その手紙は、自分の死後へのお願いであったそうな。

 「私が死にましたら、散骨をお願いできませんでしょうか」

 都内に住んでいたその方は、藤原さんの作品を愛読しており、藤原さんが都内在住であることを知り、手紙を出したのであろう。

 わたしは、この願いを受け止め、その願いをかなえた人間藤原さんの心の豊かさにうたれた。

 そして、わたしは人間、藤原新也さんが好きなのだと改めて感じている。

 今日も蒸し暑い。

 少し歩くと、じわーっと汗ばむ。

 不快度はうなぎのぼりである。

 久しぶりに地元一番店の本屋に行った。

 今週は外出が多く、結構あわただしい1週間になった。

 国立大学が数百メートルのところにある、この書店はこの地域に私が小学5年生の3学期に都内から越してきて以来の付き合いである。

 まず、漫画の月刊誌、続いて、漫画の週刊誌、中学高校の参考書、大学の文芸書と、わたしの成長に合わせて、本を提供してくれた。

 いまのように、図書館中心の読書とは当時は全く違っていた。

 自分の本は買うものと思っていたのである。


 休日のせいか、老若男女地元の人らしい多くの人が本選びをしていた。

 女性誌のコーナーに女性が群がり、文庫本、新書本のコーナーには老若男女がちらほら散在していた。

 わたしは文庫本の新刊さがし。

 文庫本の装幀はカラフルに、漫画チックに、イラストチックが圧倒的に多い。平積みを見ていると、それらの本の著者の名前は聞いたことがない、見たこともない。

 時代から取り残される、老人の自分を意識する。

 上田秀人さんの『奥右筆秘帖 決戦』を購入してきた。

 姉の建築も、高齢者が住みやすいことを念頭にハウスメーカーの営業さんと設計師さんと話し合ってきた。

 高齢者はいずれ、車いすになる可能性がある。そこまで考えて設計してもらいたいが姉の要望である。

 それがどうも受け止めてもらえず、見栄えで設計しているがわたしの不満でもあったわけである。

 玄関のアプローチも階段にしているし、物干しに対する配慮もなかった。高齢者住宅の内部にのみ、バリアフリーをうたっているわけである。

 つまり、30代、40代の人間が住むことを前提に設計しているのである。

 わたしは、その設計に住む人間の年齢を全く考えない危険を感じていたし、姉も感じていた。

 姉は、「営業さんも設計師さんも熱意も誠意も感じられない」と、煮詰まっていたプロセスで営業さんに言った。

 そこを乗り越えて、今日が請負契約前の話し合いを持つことにしたが、これはハウスメーカーからの申し出である。

 相手のペースで商談は進んでいるのである。

 姉は疲れ切り、もうこの値段でもいいと言ったが、わたしはまだ値段交渉はする必要があると言った。

 言った以上は責任を果たすべく、わたしは午後8時からの交渉に立ち合うことにした。

 わたしは営業さんとはこれで4度目のご対面である。

 この日、最終的な見積もりが提示された。

 いろいろと値引きはされていたが、わたしの勉強した建て坪単価からすると高い。

 それゆえ出精値引きをお願いした。

 結果はわたしが考えていた値段以上の値引きが実現した。

 値引き交渉など、もう10年していない。

 つくづく、値段とは会ってなきがごとしだと思ったしだいだが、納得した材料で建ててくれればいい、その確認は都度していけばいいと考えている。

 大好きな東京駅に行ってきました。

 過日、加山雄三さんの番組で、東京有楽町銀座を散歩していた。

 始まりはJPタワーKITTEであった。

 このビルは今年竣工したビルで、2年前までは中央郵便局があったのである。

 わたしの世代は卒業年の1970年のときは70年安保の学園闘争の日々であった。

 授業はできない。それでも試験はある。その試験は郵送で提出となっていた。確か、中央郵便局から郵送するようにと書かれていたのであろう。わたしは、中央郵便局まで来て回答を郵送した。

 それだけに、生まれ変わってしまった東京駅丸の内南口前に忽然と現れたビルには当時の面影は何もない。

 きれいで、人が集まりやすくなったKITTEが佇んでいた。

 4階が香玉雄三さんが紹介した旧郵便局長室。
アンクルのブログ

アンクルのブログ

これがKITTE4階から東京駅を撮った写真である。

下の写真に東京ステーションホテルがあるはずである。

相性がいいのである。東京駅とKITTEは。

それにしても、このビルへの訪問者は増えているのではないかと思うほどに、女性でいっぱいであった。

流行の先端に立ちたいと考える女性たちの執念の場ではないかと思わず考えてしまった。

 サイクリング日和になった。

 自宅から約2時間で多摩モノレールの玉川上水駅まで行ける。

 玉川上水まで行き、そこから上流の羽村まで行くことにした。

 玉川上水は江戸時代に玉川兄弟によってつくられた上水路であり、そのころの思い出に浸りに行ったのである。

 上水沿いに道が整備され、歩く人が多い。そこをサイクリングするのは気が引けたが、走った。

 当然、無茶はしない。

 ゆっくり、さらにゆっくり自転車を走らせる。

 昨日までの雨のせいか水量は多い。

 豊かな水を眺めながら走るのは気持ちがいい。

 昼はコンビニで購入したサケ弁当とペットボトルのお茶をベンチが作られている昭島でとった。

 羽村まで約3時間で着いた。

 多摩川を眺めて、帰りは多摩川沿いに帰ってきた。

 3時間。

 合計で8時間のサイクリングをやり遂げたわけだが、なんともいえない満足感に包まれた。


 6月26日は東京も一日肌寒い雨の日になった。

 出かける予定はあったが、雨なので出かけるのを止めた。

 傘をさす、傘を持ち歩くと言ったことは面倒である。

 ついでに濡れるのも嫌だし、下手をすると、靴の中まで雨が侵入することがある。

 そんな日に外出しなくてもよいとは、とてもうれしいことである。

 ただ、読みたい本がないので、時間がなかなかうまく進まない。

 目についたのが角川文庫の小林秀雄の『無常といふ事』。

 この本はずっと手元に置いてある。

 若いころ読んだ本で、理解するまでにいたらなかった本を読みなおそうと考えていたが、小林秀雄の本はその中の一冊である。

 読んでみた。

 しかし、わからない。

 もう一度読んでみた。

 何も残らない。


 梅雨本番のこの日、「無常といふ事」を2度読んだことが思い出に残ればいいかと、自分を慰めている。

 佐伯さんの人気シリーズの一つである「密命」の最終になる26巻として祥伝社文庫から平成23年12月20日に刊行された。

 寒月霞切りを編み出した剣客、金杉惣三郎の青年期から晩年までの戦いと家族・他者を丹念に書き込んだドラマであった。

 惣三郎は天覧試合で、予想外の行動をとる。

 第一位になることが予想されていた息子の清之助に惣三郎は弟子とした神保桂次郎をあてようとした。

 結果は決勝まで進んだ桂次郎であったが、それまでの試合で桂次郎は傷を負い亡くなってしまう。

 その行動の謎解きと決着が最終巻の大きなテーマとなっていた。

 剣客として生きることを自らに覚悟した惣三郎は、家族から離れ生きる。

 その最期は、何とも痛ましい。

 一芸に秀でいても、剣の道で晩節を全うすることは、難しい。

 戦いの中で生命を終わらせることが剣客としての生きざまの美であろうと作者は、晩年の節操をそこに求めた。

 生まれ故郷で晩年を送らせるか、家族のもとに帰らせるか、道に倒れさせるか、いろいろとあるとは思うが、剣を手にして死なせた作者は生み出したとき、その死に際を考えていたのだろう。

 今日は働く人たちに会ってきた。

 午前は姉の家の建築関係の人である。

 40代前半の男性2人である。営業マンと設計マンである。4

 午後は生命保険会社の2人である。

 責任者と営業の女性である。

 得するためにいかに相続するかはわたしの知りたい話である。

 2年後に相続の法律が変わる。ポイントはここにある。

 つまり控除額が引き下げられるのである。

 それに対して得を獲得するために何をすべきか。

 わたしは建売を買った人間だし、相続は普通にやった人間である。

 わたしは他人のために今行動しているのである。


 わたしは、他人のためなら、上手に行動できる人間である、

 高校時代から自分のためには何もできないが、人のためなら知恵を使える。

 今回も、自分のためではないが、人のために人の知恵を使おうと思っている。

 良い家をできるだけ安く、生前贈与をいかにうまくやれるか。

 わたしはお金の計算はできないと思っている人間であるが、目標がわかれば何とかできる人間である。

 久しぶりに、人のために自分の力を発揮しようと考えている。

 2013年6月23日は東京都議会議員選挙日である。

 わたしの選挙区には、自民、民主、生活クラブ、共産の候補者が立っている。

 候補者の個性は知らないが、国政政党は参議院選挙の前哨戦と位置付けているので、今回は投票しようと考えていた。

 わたしは、格差社会を作ったのは自民党政権であると考えている。

 この格差社会とは差別社会であると思っており、人間の社会から消し去る価値観は「差別」意識であると考えている。

 アベノミクスにわたしは疑問を持っている。金融緩和とか、成長戦略とは、企業の強化策であると思っている。

 一企業が残って、万骨(従業員)枯れる、が今回の政策である。共産主義は滅んだが資本主義は、自由主義ととともに生き残る歴史と実績がある。それは理解できるのだが、資本主義、自由主義が軍国主義とつながることをわたしは恐れている。

 憲法九条を変えて軍事力を背景にする外交は、相手を脅し、その力をもって目標を達成するものであろう。

 アメリカを目標に、中国はそのあとを追いかけている。軍事力が力による平和を維持する力になっていることは、人類にとって幸せであろうか。

 アメリカは朝鮮戦争以来から、ベトナム戦争、湾岸戦争などで多くの自国民を亡くしている。その代りの勢力をアメリカは求めているとわたしは考えている。

 新しい価値観をつくらねば、歴史は繰り返す。

 若者が行動すれば、歴史は変わってくるのではないかと思う。

 本書はワイド版岩波文庫284として2007年5月16日に刊行された。

 『門』は漱石作品の中で、わたしが大好きなものであった。

 崖下の家で宗助、御米夫婦はお手伝いの清と3人で暮らしている。

 宗助の弟、小六は叔父佐伯と宗助が約束していた大学卒業までの世話をできないと言い始め、佐伯は挙句、病死してしまう。

 坂井の家の門(崖の上に建つ大家の坂井の自宅前門)、宗助は二人で門の前に佇んでいる時(大学の友人、安井が京都で御米と暮らしていた家の門)、寺らしい門を高く構えた(参禅に訪れた円覚寺の院や庵の門)と3か所に門が書かれていた。

 門の書名は、小宮豊隆がつけたらしいが、漱石は書名どおりには書けないとぼやいたそうな。

 門は入り口であり、入れば出口になる。

 本来は円覚寺の山門をイメージしたのではないかと思う。

 しかし、宗助は公案「父母未生以前本来の面目は何」を考えるが、結局老師に「その位の事は少し学問をしたものなら誰でもいえる」と切って捨てられる。

 宗助が円覚寺に逃げ出したのは、坂井の家に弟が蒙古から戻り、そのとき安井も一緒に来ると、坂井から告げられたからである。

 宗助は大学2年のときに、安井が同棲し始めた御米を、安井から奪い、一緒になり、親からは絶縁され、安井とはそれ以来音信不通となっていた。

 ひっそり生きる宗助、御米夫婦はよく話、仲がいい。しかしお互い世間の常識に反して結びついた弱みがある。

 宗助は問題を先送る。これは宗助の個性である。

 この夫婦にも、給料が5円上がる、小六が坂井の書生になるなど事態は明るくなる。

 それにしても、『門』は大学時代には、文章の難読に悩むことも、宗助の個性に疑問を呈することもなく、ひたすら円覚寺の参禅で宗助が悟りを得ることを望んだ。

 長く生きると、宗助を嫌いになり、御米が立ち現われ印象を強くする。