暑いから、人間と出会う天候ではないと思っていた。

 ところが午前8時にメールが届いた。

 「水ようかんを作ったので届けたい」

 たぶん一人暮らしを心配して、口実を作ってくれたに違いない。

 キリストの教えを自らのものにしてきた人妻からである。

 「わお、うれしい。午前11時に来て」

 と、すぐさま返信した。

アンクルのブログ


 まさに手作り。

 形がアンバランスだし、売り物にはならない。

 しかし、この暑さの中、作ってくれた心を感じる。

 ほどよい甘さと、冷たさに。

 ありがたいご近所さんがいるのはありがたいことである。


 午後5時に外出先から帰宅した。

 一杯しようとしたら、電話がかかった。

 20年後に嫁さんにしたいと考えている幼女からである。

 すぐに、晩飯を一緒にするようにした。

 母親が断れないそば屋を指定した。

 午後6時に約束した。

 車で来るので、1台限定の駐車場を確保するたまにわたしは動いた。

 やはり、食事は複数で摂るが理にかなっている。

 楽しい食事であった。

 子どもたちが成長している姿を見るのは感動だ。


 今日は予定外の人々と会えた。

 この二人はわたしが大切にしたいと考えている人間である。

 多分、老齢に足を踏み入れたわたしを心配して声をかけてくれたのだと思うが、ありがたい。

 ようやく人を大切にする心がわかり始めたわたしである。

 岩波新書1291として2011年1月20日に刊行された。

 筆者は1980年代前半にフランスはパリで「ジプシー」と道ですれ違い、その数年後にはモンパルナスの巨大テントの中で催されていたジプシー音楽祭を観に行ったという。その後、筆者は運命に導かれるがごとくジプシーとの関係をつくりながら今日に至っている。

 第4章ではジプシーミュージックとして、ハンガリーのジプシー楽団、ルーマニアのラウターリ、スペイン・アンダルシアのフラメンコ、、ロシアのロマ劇団、ジプシーアーティストなど幅広く紹介している。


 少数民族のジプシーは流浪の民であり、ヨーロッパ各国で非定住の暮らしを継続しているため、正確な人口すらつかめていない。

 筆者は差別されている中で暮らすこのような芸能民の将来に危惧を抱いている。

 わたしはグラナダで観光タブラオでジプシーが踊るフラメンコを観た。彼女らの笑顔を見ることはなかった。

 この本をまず、ジプシー入門として、少し勉強してみるつもりになった。

 東京は5日連続の猛暑日になった。昨年は4日連続の記録があるので、5日は新記録であり、明日も猛暑日になる可能性が高いので、6日連続になるのはほぼ間違いがない。

 背中からの汗はあたり前だが、両腕から汗が滴り出ている。

 額から汗が落ちる。

 動いてもいないのに、汗が体中から吹き出ているのである。

 こんな日は、家でじっとしているに限ると思っていたのだが、仕事で郵便局に行かなければならなくなった。

 郵便局にもコンビニにもお客さんはいない。

 みなさん、熱中症に用心して出歩いてないのではないか。

 猛暑日には冷たいモノが欲しくなる。

 アイスクリームを買い置きしてあったので、外出のご褒美の名目で食べた。

 おいしかった。

 午後2時を過ぎたころから風が通るようになった。

 熱い肌には冷たく感じられる。

 いまや、胸からも汗がしたたり落ちている。

 こんな日が9月の中旬まで続く。

 今日さえ凌げば、この夏も過ごせると信じることにしよう。

 

 「終」は人生の最後で使われる漢字であろう。

 辞書を引かず、わたしの中にある語彙を挙げてみる。

 終末、終焉、終了、終盤、終電、臨終である。

 終わり、終わるの意味であろう。

 臨終はまさに、生命の終わりを医師が確信をもって使う言葉である。

 生命は、若いころにはあまりありがたく感じずにいた。

 生きているのは当たり前、その生命を楽しむことしか頭になかった。

 ところが人間はみな死ぬ。

 にもかかわらず、生きているうちに楽しまねばと本能がわたしにささやき続けてくれたと言うしかない。

 死ぬまでは楽しむが、いつの間にかわたしの生きる力になっていた。

 ところが、65歳を過ぎたあたりから、生命の残りを考えるようになった。父親は83歳で亡くなった。

 あと、長くても18年しか寿命はないわけである。

 60有余年は、モノだけが増えた気がする。

 このモノの始末をつけることが終焉を迎えつつある自分の仕事であることに気がついた。

 本、衣服、紙類、壊れた電化製品がわたしを取り巻いている。

 モノを大切にが、祖母、両親から受け継いだ血である。

 いまでしょう、はさておいて、涼しくなったら開始しようと思っている。

 足腰が晩年になる前に、自分を片付ける、そんな気分にさせてくれる。

 わたしが好きな小説は高杉良さんの『あざやかな退任』であるが、

「あざやかな終焉」こそ自分に残された課題であると、生命が躍動する真夏の日に考えた。

 「地震、雷、火事、親父」とはわたしが子供のころ、圧倒的に怖いモノの代表であった。

 この四つのなかで、親父の怖さはかなり減ってしまったが、地震、火事の脅威は、ますます増し、夏を迎えて雷がその脅威をわたしたちに襲いかかろうとしている。

 昨日は、釣りに来ていた4人の人が、雨を避けようとして木の下にいたところ、その木に雷が落ち、落ちた雷の側激で1人は亡くなり、2人が軽傷を負ったとニュースが流れた。

 大昔、父親と自宅にいて、稲光を1時間にわたって、上窓を通して見つめ続けた記憶がよみがえった。

 怖さもあったが、怖いもの見たさが上回っていたのだろう。


 落雷の対処法は、黒雲が頭上を覆い、雷鳴を聞いたら、近くの建物の中に入る。車の人は車内に入る。これが雷を避ける最善の方法である。

 夏の災厄は、熱中症と落雷の二つであろう。

 この災厄から身を守り、いい秋を迎えたいものである。

 梅雨明けと同時に真夏日になり、熱帯夜となっている。

 少し歩くだけで、汗が噴き出す。

 タオルが手放せなくなった。


 熱中症とはここ4、5年で言われ始めた病名だと思うが、室温28度でも発症する可能性が高いので要注意である。

 熱中症のレベルは、1.立ちくらみ、気分が悪くなるから2.頭痛、立っていられなくなる、3.嘔吐、言語障害と重症になる。

 嘔吐、言語障害になれば、救急車をためらわず呼ぼう。

 1.2.の場合は涼しいところで休み、水分と塩分の補給をする。

 水分と塩分の補給をすることが予防につながるようなので、ペットボトルと塩は外出時には必携であり、部屋にいる時もこまめに補給しよう。

 わたしは、今日から自分でできる予防対策は始めた。

 麦茶に少量の塩を入れ、暑いと思ったら扇風機をかけている。

 あとは、熱帯夜対策である。

 真夏の夜にいい夢を見るために水分は十二分にとってから眠りにつくようにしようっと。

 本書は角川SSC新書184として2013年5月25日に刊行された。

 サブタイトルに「日記が語るもう一つの維新」がつけられている。

 なぜか、彦根藩井伊家の菩提寺は東京都世田谷区にある豪徳寺である。

 豪徳寺は寛永10(1633)年に井伊家菩提寺にされた。

 小田急線に豪徳寺駅があり、新宿から各駅停車で15分、徒歩10分で豪徳寺につくことができる。

 わたしは、豪徳寺に知人がおり、この知人宅で毎年忘年会をするため、会の前には井伊直弼の墓にお参りをしている。井伊直弼は幕末の悪者である。安政の大獄で。日米通商条約を朝廷の承認なしでやったと。

 しかし、NHKの第1回大河ドラマ『花の生涯』は歴史で学んだ直弼像を一変させた。

 『花の生涯』は井伊直弼役に歌舞伎役者、尾上松緑を配し、体制の大獄で活躍する長野主膳を佐田啓二が演じ素晴らしい視聴率を稼ぐ。

 したがって、わたしは井伊直弼に悪感情がないのである。

 さて、本書の主人公は大場与一、美佐夫妻である。

 大場与一は安政4年7月17日に彦根藩世田谷領の代官を世襲し8月28日に美佐を娶る。

 この二人は公私にわたり筆まめであり、本書刊行のきっかけになったわけである。

 美佐は長生きで、与一夫人になってからの40年以上の日記を残しており、1年ごとに綴じられている。

 与一は日々の仕事の日記を残しているのである。

 代官の仕事は、収税と江戸井伊上屋敷からの人足用意である。

 世田谷料はおよそ2000石である。この石高で農民が食って、井伊家在京の費用を賄うわけである。

 与一はあるときはできないと言いながら職務に精錬する。

 正月の上屋敷訪問、領地の見回り、上屋敷からの人足の徴用、領地内の彦根藩からの火災時の対応など忙しさは一通りではなかったであろう。

 大場家は当初は農民と浪人との身分の中間でしかなかった。与一のころには彦根藩士の身分を得ていたが、低かった。

 与一代官の時代は、桜が門外の変、大政奉還、ペリー来航、天狗党の乱、江戸城明け渡し、上野戦争など息つく暇もなかった。挙句の果て幕府は鉄砲稽古と称して農民兵の育成を各藩に押し付ける。

 世田谷領でも、稽古場が作られ、稽古人として金持ち層が選ばれる。

 本書はもう一つの維新と言っているが、維新後の大化けの暮らしなどはほとんど触れる材料がないと言っていい。書名も世田谷代官夫人がと言った方がいいのではないか。

 大きな歴史のうねりの中では、代官といえども歴史の流れの息付きを感じることなしにただ、自分の職務を懸命に果たすしかないと知った。

 それでも美佐さんは夫亡き後、大場家を残すために奔走したそうな。その意気やよしと思う。家族の絆は、残すべき家から生まれるのだから。


 原著者は、サラ・モスとアレクサンダー・バデノックで、訳者が堤理華である。

 本書は原書房からお菓子の図書館の一冊として2013年1月29日に発行された。

 著者も訳者も、チョコレートの専門家ではないので、専門分野における深みには欠けるが、面白い本に仕上がったのではないか。

 本書の構成とその解説内容は以下のとおりである。

 第1章 チョコレートの誕生

 チョコレートの木とはテオブロマ・カカオで、赤道から20度以内、標高300メートル以下のとこでしか育たない。

 カカオと人類との出合いは西暦250年頃のことで、マヤ人(メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスなどに展開)が実を貨幣として使ったり、飲用していた。

 カカオの実を採集すると、採集地でまず醗酵と乾燥をさせる。その実を集落まで運搬し、女性がカカオの実を割り、中にあるカカオ豆を取り出す。その豆を炒り、道具を使ってすりつぶす。

 トウモロコシ粉のペーストに香料を加えたものにすりつぶしたカカオを入れ撹拌する。

 出来上がったカカオ・ペーストを薄めて、暖めたり、冷やしたりして飲むのである。

 カカオ豆とヨーロッパ人との出合いは、1502年8月15日であると記録されている。貨幣としてマヤ人が利用していることを知ったのである。

 1519年アステカ族に遭遇したスペイン人は2年後アステカ文明を滅亡に追いやる。この前後からスペイン人はチョコレートと出合い、飲用の文化を取り入れていったのである。

 カトリックの教えを現地で拡大しようと多くの宣教師が出向く。説教のとき現地の女性が自宅からチョコレート飲料を持参し飲む。これを禁止した宣教師に抗議し、寄付を止めたり、ミサに参加しなくなったりした。

 

 第2章 ヨーロッパ上陸

 16世紀後半にスペイン人はこのチョコレート飲用文化を本国に持ち帰る。王家、貴族、僧侶に限って、この文化が普及していく。スペインからイタリア、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、スイスなどヨーロッパ諸国に普及していった。

 イギリスでは、18世紀初めに、チョコレートを使うレシピが誕生してくる。飲用だけだったものから食べ物になってくるのである。

 

 第3章 チョコレートビジネス

 19世紀になり、帝国主義が世界を席巻すると、カカオの栽培も中南米だけでなく、西アフリカにも波及する。

 つまり生産地をヨーロッパにより近いところに確保し、消費地に近づけたのである。

 カカオ豆をすりつぶす圧搾機の開発など加工工程の機械化が進むとともに、イギリスのJ・S・フライ&サンズ社が圧搾したカカオペーストにカカオバターを混ぜ、固形チョコレートをつくる方法を考案した。

 これを現在のミルクチョコレートの元祖にあたる品質にまで高めたのが1879年スイスのダニエル・ペーターで、粉ミルクとチョコレートを合わせる方法を成功させた。

 数々の口融けのよい固形チョコレートの開発に成功し、大量生産の方式に乗せることによってチョコレートビジネスは花開いて行ったのである。

 チョコレート会社のユニークなパッケージデザインを紹介し、当時のターゲットをどこに置いていたのかがわかるのはおもしろい。

 

 第4章 永遠の魅惑

 第二次世界大戦の前後にチョコレート生産はほぼ完成した。

 著者が問題にしているのはカカオ生産地の労働環境条件である。

 低賃金、長時間労働を、女性、児童に強制している生産地がいまだあるので、チョコレート会社はしなければならないことがあるのではないかということである。

 幸せを、夢を与えるチョコレート作りに携わる人間には幸せを感じ、夢を持つべきだと考える著者の考え方はいい。


 チョコレートの文化をつくってきたのは、帝国主義であり、絶対王政であった。この事実を認識したうえでチョコレートは食べなければならない。ココアとチョコレートが大好きなわたしとしたら、この文化を継続してくれた多くの人々に感謝したい。

 本書は2002年2月25日に中公文庫から刊行された。

 発効後、すぐに買ったのではないか。

 いままでずっと本棚に入ったままであった。

 ここ数か月は、海外旅行への欲求が急速に萎えていた。

 これではまずいと思い、本棚をのぞいたら本書が目に入った。

 わたしはスペインには2度行き、プラド美術館にも2度行っている。

 この本を読めば、萎えた気持が奮い立つかと思い、読んだ。

 筆者は1956年から3年間、スペイン政府給費留学生としてマドリッド大学でスペイン美術史を学んだ。

 その多くをプラドで学んだ方である。

 冒頭筆者は「夢にまで見たプラド美術館を登りながら、逸る心の片隅で「これでよかったんだ」と言いきかせるもう一人の自分がいた。」と述べている。筆者の夢がスペインでかなうなどと思っていなかったのだろう。

 本書では国立プラド美術館に収蔵されている3人の美の天才、エル・グレーコ、ベレスケス、ゴヤの作品を取り上げて解説する。

 3人が生きた歴史、政治、社会的背景をじっくり考え併せて作品の持つ意味を解説していく。

 17世紀から19世紀はカトリック国スペインでは異端審問が頻繁に行われ、美術の分野で女性の裸体画として残されているのは、ベラスケスの『鏡を見るヴィーナス』とゴヤの『裸のマハ』 だけだと言う。イタリア、オランダ、フランスの美術と違うスペインの特性を筆者はそこに見て、スペインカトリックの特別な世界に王家、大貴族の存在羽治外法権だったと筆者は推論する。

 ベラスケスとゴヤは首席宮廷画家であり、有力な保護者がおり、裸体画制作を可能にし、その絵が現在まで残ったと言っている。

 プラド美術館には当初王家が保存していた美術を委譲され、いまに至っている。

 それにしても、プラド美術館は広大であり、素晴らしい美術作品が山のように展示されている。

本書には上記の3人のほかに、バルセロナに作品の多くあるガウディ、ピカソ、ミロに言及している。

 スペインの天才の話であるが、その天才が歴史上価値があると筆者は言っているようである。

 筆者はプラドで夢と出会い、夢の実現をその後の人生で果たしてきた。そのような人の著作を読んで、すぐにスペインに行く気にはならないが、少なくとも腰は上がった。

 今日は、深い勉強ができた。

 わたしが思い込んで、いいと思ったことが、わたし自身に権限もないし、周囲の人にも多大な損害を与える結果を引き起こすと分かった。

 やはり、自分の仕事を謙虚に見つめ続けること、経験豊富な人の意見を聞くことが大切と思い知った。


 自分の思い込みで、自分が正しいと思ってはいけない。

 この気持ちを今後持ち続けたい。