「終」は人生の最後で使われる漢字であろう。
辞書を引かず、わたしの中にある語彙を挙げてみる。
終末、終焉、終了、終盤、終電、臨終である。
終わり、終わるの意味であろう。
臨終はまさに、生命の終わりを医師が確信をもって使う言葉である。
生命は、若いころにはあまりありがたく感じずにいた。
生きているのは当たり前、その生命を楽しむことしか頭になかった。
ところが人間はみな死ぬ。
にもかかわらず、生きているうちに楽しまねばと本能がわたしにささやき続けてくれたと言うしかない。
死ぬまでは楽しむが、いつの間にかわたしの生きる力になっていた。
ところが、65歳を過ぎたあたりから、生命の残りを考えるようになった。父親は83歳で亡くなった。
あと、長くても18年しか寿命はないわけである。
60有余年は、モノだけが増えた気がする。
このモノの始末をつけることが終焉を迎えつつある自分の仕事であることに気がついた。
本、衣服、紙類、壊れた電化製品がわたしを取り巻いている。
モノを大切にが、祖母、両親から受け継いだ血である。
いまでしょう、はさておいて、涼しくなったら開始しようと思っている。
足腰が晩年になる前に、自分を片付ける、そんな気分にさせてくれる。
わたしが好きな小説は高杉良さんの『あざやかな退任』であるが、
「あざやかな終焉」こそ自分に残された課題であると、生命が躍動する真夏の日に考えた。