本書は昭和63年9月25日に新潮文庫から刊行され、平成15年には40刷を記録しているから根強い藤沢ファンがいるのであろう。

 彫師伊之助を主人公にした作品はこの作品で3作目で、岡っ引きを辞めた彫師伊之助を縦横無尽に活躍させていた。

 本書は岡っ引きを辞めて、5年後の伊之助を登場させている。

 伊之助は岡っ引き稼業よりも、彫師としての人生を選び取った。

 しかし、行き倒れになっていた島帰りの長助を助け、自宅に置いておいたのが仇になり、定町廻り同心を手伝う羽目に陥る。

 長助が何者かの手にかかり、殺されてしまったのだ。

 その下手人探しを、伊之助は少ない手がかりを、一つ一つ丁寧に当たりながら、真実を解き明かしていく。

 伊之助の人間像を確かな筆致で描く、謎解きに伊之助の人間を絡ませながら、読者を藤沢ワールドにしっかり取りこんでいくのである。

 4作目の人間伊之助はもう読むことができないのが残念である。

 朝から暑い日だった。

 こんな日に外出とは自分ながらやれやれ、と思った。

 約束の時間は午後5時。

 わたしは1時間前に出なければならない。

 午後4時前に出た。

 自転車である。

 かごには、汗ふきタオルとバッグ。

 10分自転車をこぐ。

 目をめがけて、額から汗が玉のように吹き出る。

 タオルでふく。

 10分こぐ、汗を拭くをくり返して。

 午後5時10分前に約束の場所に到着。


 仕事は、30分で順調に終わり、解散。

 自転車を来た時よりも、軽やかにこぐ。

 最後の20分は残念ながら、灯りをつけた。


 今日は、わたしの高校からの友人から電話があった。

 9月21日に会う約束をしたのだが、忙しい日であった。


 この暑いのに、都心に出かけざるを得なかった。

 ショートパンツとよれよれのTシャツがわたしの夏のインフォーマルウエア。

 外出となると、ズボンとポロシャツにならざるを得ない。

 世間と付き合うのは大変なのである。

 電車に乗った。

 お昼の時間は電車は座れる。

 わたしの視野は座る5人を見事にとらえる。

 一人は携帯操作、一人はわたしと同じ読書、三人は午睡である。

 携帯電話、スマートフォンの操作者が減っているのである。

 夏のお疲れはわたしにもある。

 暑さに疲れるのかと言えば、疲れるのである。

 体が重くなり、はつらつさが無くなる。

 寝不足、寝付かれなさが疲労の原因になるのだろう。

 60パーセントの人が暑さ疲れなのであろう。

 携帯操作者が減っていると思った電車の中であった。

 散歩道に枯葉がところどころに目立っていた。

 8月7日は立秋だったが、窓は開けっぱなしの毎日だった。

 昨日今日とさすがに窓は閉めた。

 今日は歩いた。

 すると、建物があった場所が、更地になっていた。

 しばらく立ち止まり、記憶にある記憶をたどった。

 えーと、そうだ、ここには黒い板の建物が建っていて、左側に婦人服の店、右側に和食の割烹があったのに。

 二つの店はわたしには無縁であった。

 それでも、その建物が更地になって、わたしの目の前にある。

 愕然として、歩みを進めると、落ち葉が目につく。

 いちょうの木の下にも落ち葉。

 さくらの木の下に落ち葉が多い。

 見上げると、さくらの木に枯葉が目立つことに気がつく。

 そうか、秋がこの街にも押し寄せてきているのか。

 時間は容赦なく、この街を変えていると、

 わたしは気がつかざるを得なかった。

 本書はワイド版岩波文庫305として2009年1月16日に刊行された。

 この夏漱石を読み返しているが、家族設定は普通となじみやすい作品になっているが、最後には逡巡せざるを得ない、理解不能な終わり方をしていた。

 行人とは、長野一郎であろう。

 弟の長野二郎の目でこの物語は語られていくが、二郎が一郎の妻直に引かれるにつれ、目の役割は兄、一郎の親友Hさんに変わる。

 二郎は、自宅で働く貞のため、大阪に住む岡田夫婦を訪ねる。

 貞の結婚相手である男、佐野がメガネに適うかどうかの使者の役割である。

 二郎は、その役割より、役割終了後の友人、岡田との高野山詣でが旅の重さがあった。

 ところが岡田は大阪で入院してしまう。この小説は岡田入院後に岡田を見舞う二郎と岡田との会話、会話の話題になる患者の女、美人の看護師のどうでもいい話が延々と続く。

 ようやく、話が核心に入る。

 一郎、直夫婦、二郎の母が来阪し、和歌の浦観光に行くわけである。そこで一郎は二郎に直のことについて確かめるため明日二人だけで和歌山に行くように依頼する。

 自分の意思を持たない二郎はいやいや兄の指示に従う。

 ところが和歌山に行く日に台風が襲う。

 和歌山に行った二郎と直は和歌の浦に戻れなくなり、和歌山に泊まる。

 二郎は和歌山での様子を兄に説明することなしに東京に戻る。

 その件が原因になり、二郎は一郎と仲たがいし家を出る。

 一郎は独身のお貞さんをこの上にもなく純粋だと言いながら、

 「結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。」

 と結婚の恐怖を語る。

 こうして、一郎の具合は悪くなる。

 心配した、二郎は兄の親友であるHさんに兄を旅行に連れ出してくれと頼みこむ。

 誠実なHさんは一郎を旅に連れ出す。

 この物語は、Hさんから二郎にあてた手紙で終わる。


 一郎は、妻直との人間関係の中から、人間を信じることを回復したかった。ところが、直は人間の心の葛藤に無頓着でありすぎるため、一郎ときちんとした人間関係を作ることができなかった。

 明治の知識人は、すざましいぐらいの文明の進歩と社会の変化の中で安らぐ場を見つけたかったのだろう。

 一郎の知識、知性、人間を理解できる人間はいなかったのである。


 漱石の作品は、会話を読み解かなければ、なかなか理解することはできないと思った。

 当時の、社会にも一郎を思いやっても、理解できる人間はいなかっただろう。

 この作品は『こころ』と同じように最後はHさんの手紙で、すべてを説明しようとしている。あまりにも作者のエゴを感じる。それは、理解し得ない人間は小説の中で描いてはいけないのではないかというのが私の持論であるからである。

 Hさんはこの手紙は一郎さんが寝ているから書けている、このまま一郎さんが起きてこない方がいいのではないかとまで言っている。

 朝、テレビを見ていたら、料理番組でハンバーグを作っていた。

 ハンバーグは高校2年生の時に作った。

 料理担当の祖母が盲腸で入院した。

 母は祖母の付き添いで病院に行き、父と姉は働いていたので、晩飯はわたしが作ることになった。

 母が使っていた暮しの手帖社の料理本がわたしのテキストになった。

 まず、自分が食べたい順番を決め、2週間分作ることにした。

 初めに作ったのが、ハンバーグである。

 

 今日も、涙を流しながら玉ねぎをみじん切りした。

 火加減、焼き方は料理番組どおりにしたら結構うまく焼けた。

 3個作り、昼に2個食べたが、うまかった。

 今後、テレビの料理番組とコラボし、自分のためにおいしいものを食べたくなった。

 

 昨日から公民館主催の詩のワークショップが始まった。

 講師は詩人の福間健二さん。このワークショップを始めて今年で12年目になる。ワークショップ形式の市の勉強会を他の市に広げようとしているのだが、一向に広がらないとため息をついていた。

 ワークショップ形式は講師と参加者、参加者と参加者とがコミュニケーションを取りながら進行していくものである。

 福間さんはきちんとした段取りでコーデネイトし、あっというまの2時間であった。

 まず、参加者同士が、好きな場所とか、好きな食べ物とか、好きな時間帯とか各人がテーマを決めて、それぞれが質問をぶつけあうことから講義が始まった。

 30人いる参加者が最低で5人に質問する。

 わたしは、「あなたの好きな食べ物は?」の質問で10人から回答を得た。

 そこから作った詩を参加者全員が、自己紹介を兼ねて発表するのである。

 わたしの詩は以下のとおり。


あなたの好きな食べ物は

アンクル


初めの女性は、みそ汁、と答えた

りんご、鯵、とさらに女性が語る

男性はカレーライス

だいこんおろし、と言い切り、

おとうふ、と訂正した女性

パン、なす、りんごと

りんごに戻ったと思うと

若い男性が

バウムクーヘン、と言った

驚いた

最後の女性は

ぎょうざ、と答えた

なぜかそれを聞けて

ホッとした


 2週間に1度の講座であり、5回作品提出を義務付けられている。

 久しぶりに楽しめそうな市民向け講座である。

 昨日、加山雄三さんの散歩のテレビを見た。

 なんと、小田急線代々木八幡駅周辺のお散歩。

 やはり、代々木八幡宮も訪問場所だった。

 そこで応対したのは女性。頭のよさが加山さんとの応答からわかる。代々木八幡宮は直木賞作家平岩弓枝さんの実家なのである。

 応対した女性の苗字も平岩さん、弓枝さんの姪御さんなんだと勝手に解釈した。

 そこで、図書館に行き、シリーズものの御宿かわせみを借りに行った。

 そこには『新・御宿かわせみ』があった。人生は連続である。平岩さんは江戸で終わりにせず、明治にまで人を生かし、物語を続けているのである。

 主人公は変わっているが、その子孫が正義という遺伝子を受け継いで活躍するのである。

 こういっては、誤解が生じるかもしれないが、男の作家であるならばせいぜい同時代の3世代ぐらいしか書かないだろう。

 平岩さんは明治時代にまで御宿(おんやど)かわせみを描こうとしているのである。

 わたしの愉しみが増えたのは、代々木八幡宮はわたしの小学校時代のお気に入りの場所であったからである。

 平岩弓枝さんの名前は親から聞いて知ってはいたが、読んだことはなかった。

 それでも、縁というものがわたしを平岩さんに近づけてくれた。

 『若の恋 取次屋栄三3』(祥伝社文庫)の書評者が、なんと京都地検の女であった。

 書評は、普通は時代小説評論家が書くのだろうが、本書は名取裕子さんが筆をとられた。

 書評は「あたしゃ益々惚れちまったよぉ」と、勢いのよいタイトルが付けられていた。

 著者の岡本さとるさんは、脚本家、演出家でもあるため、名取さんは仕事の関係で付き合いを持ったようである。

 書評の最初で名取さんは岡本さんを

1.博学で穏やか、自分より2歳年下。

2.演出家としては優しく、忍耐強い人。

3.世の中の不条理にふつふつと怒りを持っている人。

 しかもユーモアがある、と披露している。

 この書評は、岡本さんが名取さんを指名したようだが、名取さんへの以来の仕方がまたいい。

 三択あり、

1.喜んで引き受ける。

2.いやいや引き受ける。

3.さとる可愛さに引き受ける。

 依頼した岡本さんの人間性と受けた名取さん人間性が絶妙に絡み合っている。

 名取さんはきちんと本書収録の辻斬り、人形の神様、若の恋、浅茅ヶ原の決闘を読み解いている。

 このような遊び心のある著者と名取さんの関係を知り、わたしは岡本さとるさんが益々身近に感じてしまった。

 今日の午前に仕事の報告書を裁判所に送り、やれやれである。

 あとは遊ぶことを考えなければならない。

 観たい映画を検索した。ない。

 観たい音楽もない。

 観たい演劇もない。

 困った。

 自分は後どこへ行きたいのか。

 イタリア、アジア、福島中の湯温泉、知多半島、瀬戸内の島、九州1周、山陰、知多半島が頭をよぎる。

 しかし、しっくりこない。

 行きたい所がないほど、人生をお粗末にする。

 自分が行きたい所を見つけ出すのが、いまの自分には必要だと思った。

 それにしても暑い。