唯一まだしている仕事は成年後見である。

 家庭裁判所への報告を8月末までにしなければならない。

 収支計算で苦労したが、間違いのポイントに気づき、これは解決したが、今日は報告書を埋める仕事である。

 最近は住所、氏名を書くぐらいしかしていないので、これが負担になる。

 小学1年からわたしは字がまったくうまくならず、このコンプレックスがますます字を書くことに無意識に抵抗感があるのである。

 深呼吸をしながらなんとか、書ききった。

 明日は裁判所に郵送だ。

 終われば、わたしの夏休みが始まるわけだが、もう夏バテである。

 8月9日からスペインに行っていた友人が帰って来た。

 友人は国際交流の地元活動に携わり、オランダ、ドイツ、イギリス、中国の留学生をお世話している。

 それら留学生は卒業して母国に帰り、就職や結婚をするなどチャンスがあると訪問していた。

 わたしには、つねにビールやワインを土産に買ってきてくれる。

 今回は、スペインの薀蓄でシェリー酒の話をしておいた。

 いま。喫茶店から帰って来たのだが、シェリー酒が目の前に置かれている。

 友人はコルドバ、グラナダ、セビリアなどのアンダルシア地方を中心に観光し、シェリー酒を買ってきてくれたわけである。シェリー酒は酒精強化ワインであり、わたしは好きである。

 友人はスペインの暑さには参ったと言っていた。夏に行ったことのないわたしであったが、堀田善衛さんのスペイン滞在記にはその暑さには参ったと書かれていたので納得した。

 友人はレンタカーを借りての観光だったので、無理をせずに回れたとのことであった。

 こういう国際観光旅行をしたいとは思うが、言葉に不安を持つわたしには似合わない旅行スタイルはしないで、やはり身の丈に合ったパック旅行をしようと再確認した。

 昨晩熱帯夜の中、標記2冊を読み切った。

 汗と涙が連続し、本書は紹介しないといけないと思ってしまった。

 祥伝社文庫から両書は刊行されている。『千の倉より』は平成23年7月25日に、『茶漬け一膳』は平成23年12月20日発行である。

 取次屋は武士、町人のトラブルを知恵と行動力、武芸を駆使して武士、町人が解決する物語である。

 千の倉には、

 浮世絵の女

 宝のありか

 千の倉より

 お咲と三人の盗賊

 の四話が収録されている。


 茶漬け一膳には、

 茶漬け一膳

 敵役

 面影の路

 帰って来た男

 の四話が収録されている。


 合計八話を読んだのだが、八話とも物語後半には涙が止まらなくなり岡本さんの力量に参ってしまった。

 茶漬け一膳は、女房に逃げられた大工の男の復縁の物語である。

 人生50代の江戸時代では40代の男は晩年である。大工の男は40台を超え、自らの人生を反省することしきりなのであるが、偶然に自分の息子に1両だまし取られてしまう。水茶屋を営む女房、不良生活を続ける息子を見た男は取次屋栄三に息子の更生を願う。取次屋は息子を捕え、だまし取った男への謝罪と月2度50文返済を約束させる。息子は父親とは知らない男の自宅を月2度きちんと返済のため訪れる。

 1年たったころ、息子は母親に職人になりたいと漏らす。母親は大工の男が息子を奪うために卑怯な手を使っていると思ってしまう。

 茶漬け一膳は、男が息子にいう言葉である。

 「ああ、いつか女房をもらった時も、茶漬け一膳を忘れるな。たとえ腹は膨れていても、あれこれ話ができるだろう」

 夫婦の絶妙な間の重要性を教えてくれている。

 千の倉よりは、両親に死に別れた兄妹の物語である。丁稚奉公に出ていた兄であるが、兄を育てていた主が死ぬとその主の不良息子は兄をくびにしてしまう。しかし、兄は知恵と愛嬌と度胸と長屋の人情とで生きる。金を稼ぎ、その金を奪い取ろうとする悪がきとは戦う。不良息子にくびを切られた老人の世話までする。

 取次屋は奉行所与力から養子の斡旋を依頼されていたのである。

 

 人情が濃厚な作品である。今日もこれから本を借りに行こう。

 観ようと思っていた映画がいまテレビで終わった。

 高倉健さん主演の『あなたへ』である。

 わたしは、北海道の犯罪者にした高倉健さんが好きになれなかった。

 北海道は、わたしはアイヌ民族の領土であったと思っている。いまの日本の都合で日本にしてしまったと、わたしは考えている。

 沖縄も同様である。

 

 『あなたへ』は富山県を舞台にした晩婚の夫婦の物語である。

 わたしから見て名優が多数出演していた。

 いまの歌謡曲が衰退になったのは、ワンマンショウが無くなってからだと思っているが、この映画も高倉健と田中裕子だけで十分成り立つと思うがさまざまな人気者を起用している。

 

 にもかかわらず、この映画はよかった。

 晩婚の夫婦がそのうちの一人が死んだらどうするのか、生き残った人間はどうするのかという行動の映画である。

 テーマは「散骨」である。

 平戸で生まれ育った妻が死ぬ間際に,NPO法人に遺書を託す。

 夫には自分の骨は生まれた海に散骨してくれ、と個人の意思が届く。10日以内に平戸で次の手紙を見てくれ、というもの。

 妻を深く愛していた夫は妻のため富山から平戸に、妻と仕事を辞めたらキャンピングカーで日本を旅行しようと約束して改造していたワンボックスカーで富山を出発する。

 なんと、建さんが運転するのである。1200から1300キロの距離を、亡くなった妻とともに行くのである。

 車上荒らしの男、イカメシ売りと旅行途上に会う。刑務官である主人公は無口であるが魅力的な人間を建さんは演じる。

 平戸に着き、散骨のための出港を漁師から拒否されるが、イカメシ売りの人間に紹介された人間を訪ね、ようやく妻との約束を果たす。

 わたしは、高倉健さんの映画はかなり見ているが良さはピンとこなかった。

 しかしこの映画で愛する女性を失った初老男性、日常の付き合いの礼儀正しさに、それを表現する言葉、表情、動作、つまり演技に健さんの深さを感じた。

 わたしも散骨志望であるが、肉親は姉しかいない。姉には頼んでいるが、もっと具体的に言っておかねばならないと思った。

 わたしは、結婚はいちばん深い人間関係を作る行為だと思っているが、そうなったとしても、個人はあくまで個人にしか過ぎない。

 健さんも裕子さんの散骨を平戸沖との願いを手紙でしたことに疑問を思う。しかし、男は黙ってすることはするのである。しかし残された方はどうすればいいのだろうか。

 健さんの演技はよかった。ぜひ、三国さんが生涯映画俳優として生きたように生きてもらいたい。

 

 夏も半月になった。

 戸外では蝉が一定のリズムで鳴いている。

 昨日買い物に出た。

 道路にやたらと蝉の死骸が転がっていた。

 わたしは季節の中では夏が一番良いと思っている。

 服装は軽装でいいし、毎日汗をかけばシャワーを浴びればよい。

 わたしは、中学生のころから冷房が嫌いで、いまも用心をしたうえで窓を開け扇風機だけで猛暑を絶えでいる。

 夏は、生命が躍動する、人間は動き、動物は繁殖に命を懸けている。

 ところが、うるさく鳴き続ける蝉の死骸を見たときは意外であった。

 動物はその姿をさらすことなく消えていく。

 なぜ、蝉はその死骸を人間の目に触れるところに置くのか。

 夏の生き物に与えるものは豊かであるはずなのに、蝉の声が少し小さくなったのではないかと思う。

 蝉の生命力に変調をきたしているのではないかと少し心配である。

 沖縄土産の泡盛をロックで飲んだ。

 胸の中を突然、沖縄で充満し始めた。

 6年前の秋に沖縄、宮古島に行った。

 行く前にある作家のエッセイを読んでいた。

 そのエッセイにはオーストラリアのエアーズ・ロックを訪ねた際に、持ち帰った小石が机の上に置かれていると書いてあった。

 宮古島の美しい海を眺めていた時に、海岸に打ち上げられたサンゴが美しい白さで点在していた。

 上記エッセイを突然思い出し、自分の土産に持ち帰るため、形を確かめながら、いくつかを拾った。

 そのサンゴは今でも大切にわたしの机の上に置かれている。

 泡盛は酔うには格好の酒である。

 沖縄でしか入手できない銘柄でもある。

 沖縄を泡盛酒とサンゴで思い出すぜいたくな時間を過ごしている。


 8月10日から13日まで友人が沖縄に行っていた。

 沖縄大好きのわたしは、沖縄の海の麗しさと沖縄そばのうまさを強調しておいた。

 今日、沖縄帰りの友人と昼を一緒にすることにした。

 働いている友人と無職のわたしでは自由に会えるのは昼である。

 おいしい懐石料理の店は今日までお盆休みであったため、おいしい洋食に変更した。

 注文は友人がハンバーグ&エビフライ、わたしはハンバーグ。

 ただし、無職の特権を活用して生ビールを頼んだ。

 友人は食後のコーヒーである。

 友人は沖縄の海の美しさ、食べ物のおいしさを実感したと言ってくれた。レンタカーもカーナビ便りで、レンタカーショップで聞いた糸満市にある沖縄そばの店に行ったと言う。

 その後、ホテルのさまざまな設備のあるプールで楽しみ、海でも海水浴を楽しんだと、持参の写真を指さしながら解説してくれた。

 そして、お土産を渡してくれた。

 わたしが旅行に行ってお土産を買う時は、お土産の対象者を明確に意識し、旅の余韻が伝わるような品物を選ぶ。

 ここは写真で、包装のままと、包装を開けたところをお見せして説明しようとしたが、携帯で撮った写真が不鮮明なので目論見が果たせなくなった。

 お土産はヘリオス酒造の琉球泡盛古酒「くら」とシィクワシャ―入ぽん酢であった。

 泡盛好きのわたしのことを考えながら、体にいいぽん酢を追加してくれたに違いない。

 沖縄にいながら、わたしのことを考えてくれていた、と思えば、ありがたみは増すものである。

 いま、これもわたしが大好きなスペインを旅行している友人がいる。 

 午後7時に散歩した。

 お月さまが終戦の日を想って、霞んでいた。

 太平洋戦争で亡くなった人は、日本では310万人もの多くの方々が記録されている。軍人軍属が230万人、一般人が80万人である。

 中国では政府記録で2100万人、朝鮮半島では35万人から36万人。

 台湾で29000人。

 シンガポールでは華僑が4万人から5万人。

 マレーシアでも華僑が4万から5万人。

 フィリピンは111万1900人。 

 タイは7928人。

 インドネシアは200万から400万人。

 ミャンマーは5万人。

 ベトナムは200万人。

 インドは250万人強。

 日本が起こした戦火で多くのアジア人の生命を奪い去ったことは記憶しなければならない。

 沖縄戦での被害状況も記録されている。

 日本の軍人が65908人、沖縄人の戦闘に加わった方々が83474人、

一般人が94754人。

 記録とは大まかなものであり、実態はわからない。

 それでも、戦争には誰でもが納得できる正当性はない。

 まして、いまも世界のあちこちで力で相手をねじ伏せようとする勢力が跋扈している。

 戦争と平和は人類の果てしない課題である。

 公民館主催の詩のワークショップに電話で申し込んだ。

 即、受講可となった。

 ワークショップとは事前準備をした参加者が討議を重ねる形式の小規模な研修会であるから、たぶん、自作の詩をもって参加するのだろう。

 2年前から短歌を学ぼうとして、短歌の学習会に参加し、その延長で有志が集まり、歌の会を始めたが、人間関係が原因で破綻した。

 人間関係は創作活動が絡まると非常にややこしいことになる。

 自分の作品に関して、自己主張が先行し、指導者の人間性を否定しがちになる。

 指導者は無礼な参加者を許さなくなり、歌の会は崩壊した。


 また、そういう人間関係が起こる可能性はあるだろうが、まあ、やってみようと思う。

 人間は複雑な生き物であるからと思っている。

 その複雑さを詩にすることを試みるのも面白いのである。

 8月10日からニュースはふるさと一色であった。

 わたしのふるさとは親の代から東京であった。

 大阪、天理にいたころは東京に里帰りしていた。

 しかし、いまは東京に住んでいるので、帰るという行為をする必要はない。

 明日、実家に行って、祖先と会えばいいわけで、15分の移動時間で済む。

 まあ、味気ない。

 しかし、混雑に合わないだけいいとするか。