大会初日の女子マラソンで福士加代子さんが2時間27分45秒で銅メダルを獲得し、4位に木崎良子さんが2時間31分28秒で入った。

 世界陸上は個人がその競技の勝負をかけて挑むものである。

 70人以上が参加した女子マラソンで、日本は二人入賞したことになる。

 世界の長距離トラックで日本を引っ張ってきた福士加代子さんが、マラソン挑戦に2度失敗しながら、世界陸上のマラソン出場を果たしすごい結果を出した。

 福士加代子さんの才能を磨き上げてきた努力に敬意を表したい。

 その福士さんでも、トラックでは表現できなかったパフォーマンスを女子1万メートルで新谷仁美が見せてくれた。

 残り500メートルのところまで新谷さんはレースをリードし、5位入賞を果たした。

 優勝したエジプト女性は最後の400メートルを55秒で疾走した。新谷さんは67秒であった。12秒のスプリント力が新谷さんの課題になったわけである。

 しかし、9500メートルの地点まで、世界陸上の舞台で日本女子が映像に残ったことは奇跡である。

 福士さんと同様、新谷さんの世界に挑戦するのだとの意志の強さを感じた。

 新谷さんはレース後涙を見せていた。勝負へのこだわりがある以上、新谷さんのこれからが楽しみである。

 いま、テレビは夏の高校野球と世界陸上を明るいうちにやっている。

 高校野球は、選りすぐりのチームが出ているので見逃せない。

 一方、世界陸上も見逃せない。

 結局、どうなったかというと、高校野球を中心に見ている。

 世界陸上のメインキャスターの織田君が、自分の興奮ばかりを我々に押し付けるからである。

 400メートル予選に出場した金丸さんが予選を走り終え、準決勝に進出なるかならないかの微妙な瞬間に、言うだけ言って引っ込んだ。


 本書は祥伝社文庫として2013年5月20日に刊行された。

 大山まいりというタイトルが目を引いたから手に取ったのである。

 神奈川にある大山は、霊山信仰地になり、江戸時代は江戸の庶民の一大観光地になったようである。高尾山は対象にならなかった。

 以前、佐伯泰英さんが『居眠り磐音江戸双紙』で大山まいりを描いていた。

 岡本さとるさんの大山まいりは人情話を組み込んで、すばらしい虚構を創りあげていた。

 当時は歩くが目的地にたどり着く唯一の方法である。

 行きは大山街道をまっすぐ行き、帰りは江の島、鎌倉と東海道を歩き、行きは阿夫利神社へのお参り、帰りは厄落としで観光する。

 一生で数回しか旅行できなかった江戸人の知恵である。

 本書は、分限者とその娘、居酒屋の女将、そしてこの物語の主人公取次屋(問題を抱えた人間を助ける仕事)の元武士、取次屋の番頭、取次屋の友人の6人の講である。ここに一人の中年女性が加わる。

 中年女性が主人公である。大山まいりを無事に終えた、7人は帰路を東海道をたどり帰る。藤沢が中年女性の真の目的地になる。

 6人の力を借り、中年女性は目的を達する。

 大山まいりの儀礼とか、雰囲気がよく出ていたし、その中に、江戸の人情が絡み、よくできていた。


 

 わたしは5階建ての公団の2階に住んでいる。

 10世帯が団地自治会の班を構成しているのだが、わたしが顔見知りなのは、1階と2階の世帯主だけで、3階から上の人は全く知らない。

 昨日、午後6時ごろ買い物に行こうと階段を下りるとm1階の世帯主が話をしていた。

 お互いの無事を喜びあって、わたしはそそくさと買い物に向かおうとすると、Aさんが、

 「帰りに自治会の回覧板を持って行ってください」

 と、頼まれた。

 そうか、1階の世帯主お二人は階段の上り下りができなくなっているのである。

 回覧は、反核、脱原発のためのカンパをお願いするものであった。

 現金があるときは、きちんと手渡しが原則になる。

 わたしは、本日の午前11時過ぎに5階まで上り、5階の世帯主に回覧板を手渡した。

 わたしの初対面の男性であった。

 このようなことでもないと、まったく顔も知らずに何年も同じ生活スペースで暮らしていることになる。

 本日は快晴。

 すごい暑さである。

 わたしは昼を自宅で摂ってから銀座に向かった。

 ほんとうは高校野球を見ていたかったのだが、東京の人口が減るときに、この消費を低下させてはいけないと思ったのである。

 小口消費を、故郷に帰ることを予定している人は、明日の移動のために今日は消費行動をせずに自宅に帰る。

 わたしが、その人の2,3人の代わりをしなければいけないと、気負ったのである。

 銀座はいつも人人である。しかし、今日は三越、松屋の買い物袋を揺らしながら闊歩する人は少ない。松坂屋がないのがさびしい。

 わたしはまず、交通会館に行く。

 1階に大阪がえげつない店を構えている。私は大阪で2年暮らしている。大阪は大好きなのであるが、このアンテナショップは大阪をちゃんとアピールしていない。ともかく、モノを売ればいいと考えているようであり、私は買いたいと思わない。

 北海道も1階であるが、最近私は足を踏み入れない。

 大阪になっているのである。

 わたしは、「むらからまちから館」に行く。店頭には今日は果物と梅干が陳列されていた。いつも二つ並べているがいつもミステイクとわたしは受け止めている。同じテーマで並べればよいと思っている。

 わたしがこのアンテナショップで購入したのは。石川のいしる、青森の柚餅子、香川の葱平餅、小平産のブルーベリージュース。満足した。

 精算時、カウンターの女性が聞いてくれた、すぐお飲みになるものはございますか、

 「ブルーベリージュースです」

 包まずにわたしに差し出してくれた。

 そして、わたしは石川とか富山とか静岡とか、福岡とか秋田を眺めながら、沖縄に向かうわけなのである。

 ここでサーダーアンダギーやら沖縄そばやら豚肉味噌やらを買う。

 ここで、わたしのザックはいっぱいになる。


 暑い。消費はした。今日の食卓の豊かさを想像するだけでいい。

 足は東京駅に向かっていた。

  いま、汗が噴き出ている。

  午後4時を過ぎているのに、猛暑は本格的である。

  今日は午後2時に郵便局に行こうと、行くまではすんなり用意した。

  ところが、出際に立ち止った。

  暗証番号を忘れていたのである。

  年寄りは困ると思いながら、振り込むには暗証番号は必須である 

 と立ち止ったのである。

  暗証番号の通知を探したがない。

  自らをののしる声が響くが、探す。

  暗証番号を代えることができるはずだが、やったことがない。

  やはり、暗証番号の通知を探すしかない。

  あったはずの、ファイルを探す。

  一点一点丁寧に探し直す。

  あった。

  汗が吹く出す。

  あああ、いやになる。

  世間に出れば、わたしは何の問題もない人間である。

  用事を済ませ、スーパーに行く。

  増す増す、普通の人。


  いま、甲子園では開幕3試合目が進んでいる。

  箕島高と日川校である。両者県立である。

  わたしは関東在住であるので日川の応援である。

  いまのところ2対0で日川がリードしている。

  第三者の立場にいることは楽である。

 平日に働いている人間と会うには、午後6時過ぎになる。

 昨日は、大雨が降り、午後6時前にやんだ。

 3か月ぶりに二人の友人に会った。

 わたしの希望で日本料理「大根の花」が会場になった。

 わたしの家からは5分で行ける。

 働いている人間は必ず遅刻する。

 わたしの40年働いてきた信念である。

 予定がある日に限って、突然直前に仕事が舞い降りる。

 約束した一人が見事に15分遅刻してきた。

 固い信念を持つわたしは、このようなことでは嫌みの一言も言わずにニコニコ笑っている。ウス気味悪がられるのである。

 おまかせにした料理は、先付、三種盛り、お造り、焼き物、煮物、赤出汁、香りもの、ごはんの順番に出てくる。

 どれも、板前の腕のよさが堪能できる。

 話が弾み、話が尽きない。

 わたしは柏井壽さんの読後を引きずっているので、和食の話、京都の話をした勢いで、来年は3人で京都を食いだおそうとのたまわってしまった。

 お二人は本気にしなかったようで、今日からの暑さにくれぐれも注意するようにメールをくれていた。

 おいしいものを食べたら、わたしたちの年代はカラオケでしめる。

 カラオケに誘ったら喜んでついてきてくれた。

 なんと、わたしはリズムに乗れなかったが、二人の友人のうまいこと。聴き惚れてしまった。

 おいしい和食、うまい酒、親しい人の声に酔わされた半日であった。

 2002年9月20日に光文社新書として刊行された。

 柏井さんとはもっと前に出会いたかった、と思わせるような気分にさせてくれた。 

 柏井さんは、「京」はブランドであり、そのブランドが京都では観光客相手にとんでもない誤解を作っていると警告している。

 いまは「おばんざい」は京料理の定番と言っても差し支えないが、このおばんざいが曲者なのである、と柏井さんは断言する。

 なぜか、おばんざいは、番菜、つまり京都の家庭料理なのである。

 その家庭料理を商売としてお客様に出すなどの文化は京都にはない、と筆者は言い切る。

 おばんざいは京都の家庭料理だと思って食べればいいのである。


 では、京料理とはなんなのか。

 筆者は、有職料理(精進料理、茶懐石)、伝来(卓袱料理)が京料理と定義する。つまり、有職料理、精進料理、懐石料理、伝来料理に淵源があるとしたうえで、現在を考えるわけである。

 かなり、現在に重きを置いた思考方法なので納得はしたくないが、筆者の考えなので仕方がない。

 そして、料亭料理、割烹料理などいろいろと、体験から論証する。

 そしてなぜか、中華そば、焼売、日本そば、ふわふわとろとろのオムライス、はてはハンバーグまで紹介する。

 京都にいると感じたい、なにかを感じられれば、それが京料理なのだと筆者は言っているように感じた。

 ただ、筆者は京料理は日本料理、和食であると考えている。

 最終章で、筆者は3人の店を紹介している。その3人の店には京料理があるのではないか。

 京都人が言っているのだからまちがいない。

知人から電話があった。

お土産を買ってきたと。

大阪に行ってくるとは聞いていた。

喫茶店で待ち合わせた。

コーヒーのおいしさで評判の店である。

ご夫婦でやっている。

客商売をやるなら夫婦のどちらかは愛想がよいはずだが、このご夫婦が笑顔を見せることはない。

おいしいコーヒーを出せば、お客さんは増えると考えたのだろう。


アンクルのブログ


お土産は二つ。

宿泊は大阪だったが、奈良まで観光しに行ったようである。

東大寺と興福寺を、中学の修学旅行以来に行った、とうれしそうに話してくれた。

お土産は写真のしおりと湯葉。

天理市に住んでいたわたしからすると、奈良と言えば奈良漬。

しかし、本好きのわたしはうれしかった。

最近の本にはスピン(ひものしおり)がついていない。本の装いが退化しているのは、本の売れ行きが芳しくなく、コストカットの対象がスピンに行ったのだと思っている。

しおりはいつも用意しておかないと困ることが多くなった昨今である。

しおりには、マグネットがついており、ページにしっかり装着する。

マグネットしおりは三つあり、「使い倒してください」と、知人がメールをしてきた。

 今日の午前にNHKアーカイブスで1983年放送の『アンダルシアの虹 川(river)』を再放送していた。

 スペイン好きのわたしは、アンダルシアと聞けば、フラメンコを連想してしまう。

 この作品は映像の詩人と言われた佐々木昭一郎さんの原作、演出で作られたそうだ。

 中尾幸世さんを起用し、ドキュメントのような映像を創りあげていた。

 ピアノ調律師の栄子が、ジプシーの音を訪ねる旅で出会うジプシー一家との出会いと別れの物語であるのだが、栄子は出会ったジプシーの手や顔をスケッチする。

 えー、天は三物も与えるのかと驚嘆した。

 栄子は美人、ピアノの調律が職業、そのうえに絵も描く。

 脚本上は栄子は調律師、その役をこなす中尾さんはイラストレイター。つまり、現実と脚本が混然一体として映像の中に取り込まれてしまったようなのである。

 1983年にジプシーの宿命をきちんと理解したうえで、音を探す日本人の女性を絡ませる。どこまでも深く人間を考えさせる映像であった。

 youtubeに行けば「アンダルシアの虹」か「佐々木昭一郎」か「中尾幸世」かで映像を見ることができる。

 ぜひ、ご覧あれ。

 今日は以前からの約束を果たすときになった。

 小学一年男子に鉄棒の逆上がりとキャッチボールを教えることを実践することになった。

 まず、鉄棒の逆上がり。小学一年ではほとんどの子ができると言うことである。

 やらせてみて、今日できることはないと思った。

 少なくとも蹴上がったときに、腰の位置が鉄棒に平行のところまで来ないと、頭を後ろにしてしまうことを注意するだけではとてもできるとは言えないからである。

 せいぜい、基本をアドヴァイスするところまでしかいかなかった。

 そこで、お手本を示そうとして、わたしが逆上がりをすることになった。

 2度目にようやくできたが、トホホであった。


 次に、キャッチボール。

 キャッチボールなど、ここ20年はしたことがない。

 補球の基本動作を教えることができても、スローイングがままならない。一年生の補球技術にわたしが勝手に危惧を持っているので、取りやすいところに投げようと意識すればするほど、うまくいかない。


 こうして、自分の運動能力はまちがいなく、小学一年レベルだと認識せざるを得なくなった。

 まずい。