本書はワイド版岩波文庫305として2009年1月16日に刊行された。

 この夏漱石を読み返しているが、家族設定は普通となじみやすい作品になっているが、最後には逡巡せざるを得ない、理解不能な終わり方をしていた。

 行人とは、長野一郎であろう。

 弟の長野二郎の目でこの物語は語られていくが、二郎が一郎の妻直に引かれるにつれ、目の役割は兄、一郎の親友Hさんに変わる。

 二郎は、自宅で働く貞のため、大阪に住む岡田夫婦を訪ねる。

 貞の結婚相手である男、佐野がメガネに適うかどうかの使者の役割である。

 二郎は、その役割より、役割終了後の友人、岡田との高野山詣でが旅の重さがあった。

 ところが岡田は大阪で入院してしまう。この小説は岡田入院後に岡田を見舞う二郎と岡田との会話、会話の話題になる患者の女、美人の看護師のどうでもいい話が延々と続く。

 ようやく、話が核心に入る。

 一郎、直夫婦、二郎の母が来阪し、和歌の浦観光に行くわけである。そこで一郎は二郎に直のことについて確かめるため明日二人だけで和歌山に行くように依頼する。

 自分の意思を持たない二郎はいやいや兄の指示に従う。

 ところが和歌山に行く日に台風が襲う。

 和歌山に行った二郎と直は和歌の浦に戻れなくなり、和歌山に泊まる。

 二郎は和歌山での様子を兄に説明することなしに東京に戻る。

 その件が原因になり、二郎は一郎と仲たがいし家を出る。

 一郎は独身のお貞さんをこの上にもなく純粋だと言いながら、

 「結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。」

 と結婚の恐怖を語る。

 こうして、一郎の具合は悪くなる。

 心配した、二郎は兄の親友であるHさんに兄を旅行に連れ出してくれと頼みこむ。

 誠実なHさんは一郎を旅に連れ出す。

 この物語は、Hさんから二郎にあてた手紙で終わる。


 一郎は、妻直との人間関係の中から、人間を信じることを回復したかった。ところが、直は人間の心の葛藤に無頓着でありすぎるため、一郎ときちんとした人間関係を作ることができなかった。

 明治の知識人は、すざましいぐらいの文明の進歩と社会の変化の中で安らぐ場を見つけたかったのだろう。

 一郎の知識、知性、人間を理解できる人間はいなかったのである。


 漱石の作品は、会話を読み解かなければ、なかなか理解することはできないと思った。

 当時の、社会にも一郎を思いやっても、理解できる人間はいなかっただろう。

 この作品は『こころ』と同じように最後はHさんの手紙で、すべてを説明しようとしている。あまりにも作者のエゴを感じる。それは、理解し得ない人間は小説の中で描いてはいけないのではないかというのが私の持論であるからである。

 Hさんはこの手紙は一郎さんが寝ているから書けている、このまま一郎さんが起きてこない方がいいのではないかとまで言っている。