あと、7週ほどでさくらが咲く。

 一昨日、友人からメールがあった。

 わたしの街は知る人ぞ知るさくらの名所である。

 大学通りのさくらと東西を結ぶさくら通りがその名所の実体である。

 「さくら通りのさくらが軒並み伐採されている。せめて、咲き終わってからきればいいと思いませんか」

 そう書かれていた。

 わたしは躊躇してから「安全とさくらの耐久性が考慮されたのか」

 とメールをした。

 その返事では物足りなかったのだろう。友人は再度メールを送ってきた。

 「これではさくら通りではなくなってしまう」

 わたしも桜通りのさくらが切られていることは知っていた。

 しかし、わたしはさくら通りのさくらが通りに向かって倒壊した現場に居合わせたことがあった。

 寿命は生物共通の宿命である。

 人もさくらも寿命が尽きるころ立っていられなくなる。

 人は病院か自宅か老人ホームで死ぬ。

 さくらは管理者によって寿命を決められ、切り取られる。

 わたしは寿命を自分で受け止めないといけないと思っているが、さくらは自分ではわからない。

 いくら年月がたっていてもさくらはたわわに美しい花びらをつける。

 その花びらがつく前に、さくらは死んでしまった。

 しかし、多くの仲間は今年も花を咲き誇らせる。

 人間は子孫を残し、さくらは枝根からまた育っていく。

 命の継続は多様なのである。

 ただ、自分の責任逃れでさくらを切っていいモノかどうかはわからない。 

 昨日、わたしの女友達がメールをくれた。

 わが街のさくら通りのさくらが軒並み切られていると。

 3年前にさくらが倒れていた。その場に遭遇し、年月の無常を感じていた。

 ところが、彼女はその無常さを訴えてきたのである。

 しかしわたしは安全のためには仕方がないと返信した。

 高齢化社会のわれわれ高齢者は、迷惑者だと認識している。

 これを言うなら、無常は何としなければならないのである。

 わたしは高齢者として、命ある限り生きなければならないと思っている。であるならば、命は自分のものであるかもしれないが、天がわれに与えてくれたものである。

 そんな、わけのわからない自己問答の最中に、わたしが初めて見た雪が午後3時過ぎに東京に降ってきた。

 雨交じりである。

 電車は遅れ、雪は降る。

 時間を気にする必要のないわたしは、時間のままに流れる。

 待ち遠しい最寄りの駅に着いたとき、雪は止んでいた。

 東京は雪おろし、雪かきをしないでいい。

 この幸せを喜ぶべきか。

 雪は人間の心に訴える何かを持っている。

スキーで見る北国の雪と、数度しか見ていない東京の雪は違う。

 東京の雪は、こんにちはと語りかけたい淡さを持っている。

 『徒然草』を読んでいたら、突然、二つの光景が目に浮かんだ。

 ひとつは、折り畳み式の円形のちゃぶ台で正座し、食事をするわたしとわたしの両親、祖母、姉の姿である。

 家族の姿があったのである。

 仕事に追われていた父親の姿があったので、この日は非番であったのだろう。

 母と祖母が腕によりをかけて、父親の大好物の肉じゃがをつくったのか、不機嫌そうなわたしがいた。

 それでも、いただきますから始まって、ごちそうさまでしたに終わる夕食は楽しいものである。

 あああ、いい時代はわたしにもあったんだが、書き残すほどのものではないかと苦笑したら、

もうひとつの光景、調布市の甲州街道沿いの沿道で、大声で「寺沢がんばれ、君原がんばれ、円谷がんばれ」と叫ぶ自分に行きあたった。1968年のオリンピックの思い出に心が動いたのである。

 当時、高校2年生であったわたしは、スポーツ見るのは大好き人間であった。見たい競技は、陸上競技、バスケット、サッカー。このチケットを入手するのは、申し込んで抽選に勝たなければ手に入らない。

 結局、くじ運のなさで手に入らなかった。

 学校側はなんとかオリンピックを生徒に見せてやりたったのだろう。

 学校に近い場所でマラソンを見学させるようにしたのである。

 まず、ローマ五輪の覇者、アベベがわたしの目の前をよぎった。

 「アベベ、がんばれ」

 そして、日本人ランナーが上位で駆け抜ける。

 折り返し点直前で見ていたので、折り返してきたアベベ、日本選手を2度見たことになる。

 円谷は国立競技場のトラックでイギリスのヒートリーに抜かれたが、銅メダルを獲得した。

 円谷はメキシコ五輪の年に自殺した。君原は銀メダルを獲得した。

 昭和の人間はさまざまな生き方をし、己に忠実でありたいと生きてきた。

 2020年は元気であれば、陸上競技場とサッカー場に足を運びたいものである。

 東京は曇り空だが穏やかな冬の日である。

 東北や北海道は雪が降っているのだろう。

 ボランティアで雪の片づけと思っているが、高所恐怖症、金力なしでは行動できない。

 そこで考えた。

 名利を追わずは兼好の主張したことである。

 わたしは、兼好は諦念が彼の行動を決めたと思っている。

 名利を追えずに人生を終わるのは、無念の気持ちしか残らない。

 頭脳明晰な彼は、名利を求めず、人生を全うするにはどうしたらよいか考えた。

 答えは、この世の中にない価値を、価値として見直すものを残すことだったのではないか。

 天皇、摂関家には価値がある。

 自分と同じ名利にはそう価値がない。

 そこで、仏の道を価値とし、自らはその道をよしとしたのではないか。

 後付けは容易であった。

 もののあわれにこそ、価値にし、それ以外のことは価値なしと書き綴っていったのではないだろうか。

 隠棲してしまえば、従来の価値はなくなる。

 残るのは、捨てられている価値の見返しと評価である。

 この平成の時代にも価値は名利である。

 政治家も官僚も、経営者も名利を求めて命をすり減らす。

 80を超しているにもかかわらず、細川護熙さんは都知事に立候補した。反原発こそ政治家として主張しなければならないと考えたのだろう。お殿様の気まぐれと言うよりは、人間としてこれからの世の中の動きに危機感を持ったからだろう。

 来週はこの結果が出る。

 名利が勝つか、人間意思が勝つか。結果は五分五分であろう。

 先週の土曜日25日に、グループホームに出かけたかったが、わたしの喉風邪が悪化したので中止していた。

 そこで、今日が風邪も全快したし出かけようと考えていた。

 ところが、施設から連絡が入った。

 「ノロウイルスの患者が発生したため、当分の間面会を禁止したい」

と。

 患者は複数出ておるが、わたしがケアにあたる方は感染していない。

 調理器具、排せつ介助時、調理などの場面で徹底した予防策を講じているとのこと。

 最低限のスタッフが感染を避け、この非常時を乗り越えてくれるように励ます。

 この世の中、ニュースでは実感がわかないが、身近に起これば実感が湧く。

 早い終焉を念じるしかないが、病院、保健所も近いしとと体制のよさを上げて祈るのみである。

 本書は中公新書として2006年12月20日に刊行された。

 ここのところ、1331年の『徒然草』と「明治の日本語、漱石の日本語」といった世界に浸っているため、本書を読むに至った。

 本書の構成は、

 序章 「国語」を話すということ

 1章 国民国家日本と「国語」・国語学

 2章 植民地と「国語」・国語学

 3章 帝国日本と「日本語」・日本語学

 4章 帝国崩壊と「国語」・「日本語」

 5章 「国語」の傷跡ー大韓民国の場合

 終章 回帰する「国語」

 である。

 わたしは、明治創業期の日本語の変遷を知りたかったのだが、目次に示されているように大東亜共栄圏を目指したころの話が中心であった。

 筆者の若さゆえか、資料が限られており、次回を期待した。

 それでも、このような本を読むと、いろいろな空想に心を遊ばせることができる。

 わたしは吉田兼好の美と生き方を極める本が出ないかと思ったし、

漱石の日本語がこれからの人々に受け継がれるのではないかとも思った。

 高校時代まで国語を習い、いまはわけのわからない外来語やIT用語に悩ませられているが、一本芯のある美しい日本語に巡り合いたいものである。

 わたしの買い物場所は自宅から6分のスーパーとドラッグストアである。

 いまのところ自転車は使わず、徒歩である。

 まずは歩くことを基本にしているのである。

 最近は週2、3度行っていた食品、野菜の買い物は、週1度になってしまった。

 買う量が増えてしまったのである。

 牛乳、2リットルのペットボトルは必需品なので必ず購入する。

 野菜、魚、肉類も購入しなければならない。

 買い物袋は二つ持っていかないと収納できない。

 本日も以上の買い物を済ませ、自宅に急いだ。

 その6分間が重すぎるのである。

 肩が痛くなり、両手の荷物を3回は持ち替える。

 とても、刺身やステーキのことなど考える余裕がない。

 心配になるのである。

 何歳までこんなことが続くのか。

 自立して自活していくのには食料品の買い物が前提になる。

 その買い物が重さで買いに行けなくなるのではないか、を突然気になったのである。

 クルマ付き荷台などを使えば、何とかなりそうだが、これを人前でやることには、勇気がいりそうである。

 まして、2階までどう引き上げるかも重要な課題となる。

 超少子高齢化社会の準備も考えておかないとならない。

 次から次に、解決しなければ課題はあるのである。

 旅行のこと本のことは引っ込んでしまった。

 駅一つ立って、二つ目に座れた。

 こんなことがわたしにあっていいのかと、思いながら座った。

 だれも立てと言わなかったので、新宿まで座ったままであった。

 都営新宿も座れた。

 ええ。

 なんと午前10時前に目的地に着いてしまった。

 しかたがないので、松尾芭蕉の俳句を読みふけった。

 なるほどと思ったのは芭蕉の名句は見事にセレクトされていることが分かった。

 名句であるかもしれないわたしの知らない句は、やはり、なじまない。しっくりこないのである。

 名句は五七五がすんなり入るが、初見は雑味が入る。

 意味を考えたり、字句を考えたりしているのである。

 名句はすでにわたしの中で確立しているのである。

 と思うながら、『明治の日本語、漱石の日本語』の4回目を聞いた。

 わたしは、まったくわたしの知的好奇心を満足させてくれない講義であると考えていた。

 国語学者は、こんなことまでこだわるのかと。

 つまり、漱石の表記のこと細かいところまで厳密に検証する。

 わたしは漱石の明治の日本語がどこまで漱石が描こうとした人間を描きえたのか、が知りたいところであった。

 ところが、漢字の新旧、現行で漱石が書き損じた箇所に主に目がいき、わたしの関心は満たされなかった。

 しかし、この講師の著作は、3月から次々に刊行される。

 なんと、4冊である。

 たぶん、わたしのような関心を持つ読者がいると、出版社は考えたのであろう。

 しかし、どう考えても夏目漱石をこの視点でとらえるのは正しいのかと思っている。

 この講師の話は2月12日に終わる。終ってから、わたしの感想を書きたい。

 誕生日プレゼントを買いに出かけた。

 世界のユニクロである。

 ところが、その人には初めての買い物のため、サイズが不明。

 Sと考えていたのだが、Sサイズがわたしの買いたいものかどうかわからない。

 胸囲は当然わからない。

 しょちゅう見ているが、サイズまでは見たこともない。

 結局、買うのを止めた。

 どう考えても,MにするかSにするか迷う。

 迷ったら購入しない。

 やはり食べ物をプレゼントすることにしたのである。

 久しぶりに買い物に出かけたが、不快なことは自転車。

 歩道の中央に置いたまま、狭い歩道に停めたり、人のことをまるで考えていない。

 腹が立って仕方がなかった。

 しかし、わたしは考えた。

 停めた人には事情があったのではないか。

 そう考える自分を驚いた。

 そうだ、他人の欠点ばかり目にしていたのだ。

 欠点は目につく、しかしそれを責めてばかりいたら自分は何も変わらない。

 そうか、欠点を見るのではなく、その裏を今度からは観ようと思ったのである。

 わたしの運転時のモットーは「焦らず、あわてず、怒らず」である。

 これで約40年間無事故で過ごせた。

 わたしが嫌うことは「くどい、しつこい、うるさい」である。

 しかし、いまやこの言葉をわたしは実践していることに気がついた。

 どて焼である。

 知人が、さらなる食の知恵をわたしに教えてくれた。

 どて焼に少量の豆腐を加えるとおいしいと。

 試すしかないでしょう。

 慌てて、お豆腐を買いに行った。

 買ってきて、ひたすら午後5時30分を過ぎるのを待った。

 今回は面倒なので、レンジを使った。

 あっという間に、肉豆腐が出来上がった。

 熱熱である。

 残念ながら泡盛はなかったが、日本酒の熱燗である。

 この肉豆腐がうまい。

 当然、一味唐辛子は挿入している。

 柔らかいすじ肉、こんにゃく、そして豆富が合うんである。

 お酒がすすみ、肴が進む。

 40年の空白は埋められ、まして「くどい、しつこい、うるさい」ほど見向きもしなかったどて焼が、気がついたらくどく、しつこくうるさいぐらいうまいと言い始めている。

 年齢がたつほど、この変化のさまは醜いいのである。