いやあ、どて焼はうまい。

 昼にいただきました。大阪の知人が一味唐辛子と合わせて食せばよろしいとのアドバイス通りに食した。

 美味であった。

 40年の空白が一挙に埋まった。

 大阪に住んでいたことを話したことが、こんなことで空白が埋まるとは夢にも思わなかった。

 どて焼がこんなことでわたしを変えるとは夢にも思わなかった。

 食べるとは、思わなかった。

 しかし、ご飯を食べてもらいたいとお土産を買ってくれた意図が、わたしをかえてくれた。

 こんなことがあるのだ。

 一番不思議に思っているのはわたしだ。

 ご飯が進み、お酒が進んだのである。

 まさかと、思っているのはわたしである。

 これは、自分にとって摩訶不思議な体験であるのだ。

 この40年ぶりの体験は、わたしを奮い立たせ、驚かせてくれている。

 わたしの胃は、いま勇気で満々である。

 それはあと一袋ある、どて焼を温めてみようかと言う試みをそそのかす甘い思いがいまわたしを行動に駆り立てようとしてる。

 年甲斐もないと、叱る気持ちと、えへへへへと抑え込む気持ちががせめぎ合っている。

 大阪土産をいただいた。

 明石海峡海の幸、新鮮ちりめんとたこ焼き割烹たこ昌が販売している大阪名物どて焼である。

 なんとなく二つの土産は正しい選択とは思えない。

 大阪であるなら塩昆布、たこ焼きであろう所を、酒飲みのわたしのことを考えてこの二つを選んでくれたようである。

 日本酒を買い込み、食べてみた。

 合うんだなあ。

 山椒が利いたちりめんは、お酒を進ませてくれる。

 そして、どて焼は、さらにお酒を進ませてくれる。

 わたしは3年半大阪で暮らしたが、大阪の大学を出たり、大阪を飲みフィールドにしている友人と飲みに行くと、必ずどて焼を頼んでいた。

 わたしは、ネーミングになじめなかったし、見栄えもよくなかったため食べたことはなかった。

 それが誤りであったといま思う。

 大阪人の好きなものをわたしは避けていたのである。

 この間違いを今回のお土産は正してくれた。

 どて焼は2食分入っていた。

 明日も楽しみは残っている。

  

 わが街から千葉に越していた友人が、札幌に移住することになった。

 岡山の倉敷が誕生地であるので徐々に東に向かっているわけである。

 人柄がよく、このまま別れるのは切ないので、わが街の住人と相談し、3人で送別会をすることにしたのである。

 東京のよさを、日本橋たいめいけんで体験してもらおうと、わたしが会場を決めさせてもらった。

 幹事のわたしは責任上、スムースに会場まで引率する必要があると考えていたため、約束の時間より30分早く地下鉄日本橋駅に着き、目的地を探した。しかし、出口が閉鎖されていたため、他の出口から地上に出た。わからない。約束の時間は迫ってきた。

 あきらめて、駅員さんにたいめいけんの行き方を聞いた。

 よくわからないうちに、3人が姿を見せた。

 4人いれば、一人は聞き上手がいる。

 無事に到着した。

 2階を予約しているとは誰にも言っていない。

 わたしはさっさと2階に上がるために店内に足を踏み入れ振り向くと連れはいない。

 なんと、1階のフリースペースに並ぶ列の最後尾に3人は並んでいたのである。

 何とか注文をし、落ち着いたところで引っ越しの話、市役所の話など送別会らしくなってきた。

 そこへ、料理が運ばれてきた。

 舌鼓を打ちながら、食べる。

 ワインを飲む。

 話が弾む。

 驚いたのはメインが終わったら、デザートだと思っていたのが、なんとラーメンが出てきたのである。

 4人とも量に驚いたが、味のよさがあったので、完食。

 3人からは餞別の品としてモヘアの暖かい帽子を贈った。

 東京駅まで歩き、丸の内口で記念撮影して別れた。

 本日は仕事であった。

 普段は1時間15分かけている距離を、45分で走破した。

 必死にペダルを漕いだのは、出かける時間を間違えたことが原因である。

 昨日までは午前7時45分に出かけると決めていたのが、目覚まし時計が遅れていたため、午前8時10分出発になってしまったわけである。

 一瞬遅れると連絡したほうがいいかと思ったが、やってみないと分からないと、勇を鼓して挑戦したのである。

 広い歩道を走れるため、歩行者には迷惑をかけずにすむ。

 朝方なので歩行者は少なかった。

 信号では5回停められたが、一気に走り続けることができた。

 待ち合わせの人間は1分前に到着、わたしは5分前に到着していた。

 仕事であれば、約束の時間を守ることが最優先である。

 その時間に遅れることもなく到着したこともうれしかったが、実は体力の衰えを気にかけていたので、おおまだいけるなと内心にんまりしたのである。

 ところが、自宅に帰ってから、両足のふくらはぎが痛い。

 使っていない筋肉を酷使したからであろう。

 明日が思いやられる。

 寒さは人間の自由を委縮させる。

 ところが、光さえあれば、人間の心は羽ばたく。

 寒いけれども光が注ぎ込む一日になった。

 満員電車も文庫本を読むスペースがあった。

 得した気がする。

 今日は地下鉄、森下まで。目的地は芭蕉記念館。

 そこで「明治の日本語、漱石の日本語」の3回目の講座を受講しに行ったのである。

 大学の文学部の先生は、ここまでやるのかと思っていた。

 漱石の作品の促音、撥音、長音を検証し、漢字の字体の使い分けを一つ一つ提出する。

 相変わらず、本日も音と字体の話だったが、講師の本音はそのことを漱石が意識していたかどうか、漱石は意識していなかったのではないかであった。

 漱石は、わたしにとって日本でいまある作家の中で最高峰に位置している。

 漱石は夫婦と言う、最も近くて遠い関係を書き続けてきた。

 残念ながら、『明暗』は未完に終わったが、わたしは、漱石は夫婦にあっても理解し得ると考えていたと思っている。

 それが男尊女卑の明治に生きた漱石であったが、彼の本音は人間は理解し合わなければならない、と言うものではなかったのだろうと思う。

 則天去私がその答えではなかったのではないかと、わたしは信じている。

 風邪が治らない。

 お医者さんに行くしかないと思った。

 吉田兼好は3人の友達を持ちたいと言った。

 その中で医者と言ったのである。

 内科の医者であっただろう。

 残念ながらわたしには医者の友達はいない。

 電車に乗って出かけた。

 16日に喉が痛くなった。

 説明を聞いていた医師は「長いですね」

 と、きつい一言。

 喉、鼻水の症状を緩和する薬を処方してもらった。

 終わって、歩いていると、グループホームから電話をもらった。

 「Aさんが食欲がなく、今日、病院に連れて行き、レントゲンと血液検査をした。検査では以上ないと言われた。風邪薬を再処方してもらい様子を見守ります」

 くれぐれも見守りをお願いした。

 買い物をする気もなくなり、帰路に着いた。

 しかし、こんな時に限って、外出が続く。

 明日は、芭蕉記念館まで行かなければならない。明後日は自転車で玉川上水まで行かなければならない。次は日本橋である。

 すべて、自分が決めたことであるのだが、これでよかったのだと言えない自分がため息を継いでいる。

 テレビを見ていたら、わが街に乾燥注意報が出ていることを知った。

 気象庁が法律に基づいて出している。

 湿度が少なく、火災の恐れが高まっているので注意するようにと国民に知らせてくれているのである。

 ここのところ、のどが渇くと思っていた。

 なるほどと妙に納得した。

 気象庁の注意報、警報は地震、津波には慣れていたが、まさか、乾燥度合いを毎日調査し、湿度が低いと注意報、警報を出してくれていたのである。

 シルバーには水分補給しなさい、火事を出さないように日の取り扱いには注意しなさいと言ってくれているのだろう。

 災害は忘れたころわれわれを襲う。

 その警報、注意報を知ることにより、備えることはできる。

 気象庁はいい仕事をしている、と思った。

 1枚の年賀状に、1月末に北海道札幌に引っ越します、と書いてあった。えっと思ったが、松の内は放念しておいた。

 しかし、放念しっぱなしには出来ないので、共通の友人に連絡した。

 「3月末ではないんですか」

 と、見当違いのことを言う。

 わたしも読み間違えたと思い、年賀状を手にして確認した。

 やはり、1月末と書いてある。

 友人は本人にメールを送り、1月27日引っ越しを確認した。

 引っ越しする人間の意思を尊重して日本橋で送別会を開くことにした。

 そこで、わたしは引っ越しする人間の共通の友人も誘うことにした。

 その人は昨年末に職場を退職した人である。

 職場を退職した人、引っ越す人。

 キーワードは送別である。

 両人の歓送会を考えたのである。

 つまり、わたしから考えると、もう2度と会えないかもしれない、と言う思いがよぎったのである。

 きちんと会い、きちんと送別会をする。

 一回一回の出会いに決着をつけておこうというわけである。

 今日も38人出席していた。

 ほとんど60打後半以上である。

 講師も70代後半。

 まさにシルバースクールである。

 序段から一九段が本日の学ぶ箇所。

 講師はこの段を下記のように整理した。

 兼好の本書におけるスタンスを確認しようと説明してくれた。 

第十九段

 文学的、美意識的なつながり

第一段、第二段、第十八段

 おだやかな倫理意識

第三段、第八段、第九段

 色欲(男女関係)のおもしろさとにがさ

第四段、第五段、第六段、第七段

 無常観をベースにした人生観

第十段、第十一段、第十五段

 暮らしの美意識

第十二段、第十三段、第十七段

 孤独の自覚


 兼好には六つのテーマがあり、この随筆を書き連ねたと言うのが講師の主張である。

 わたしは、かなりちがう読後感を持っている。

 どんな生き方が自分にとってをかしなものであるかを綴ったと思っている。

 読み方はいろいろあっていいが、わたしはしっかり受け止めたいと思う。


 

 独り暮らしの最大の課題は病気になったときである。

 昨年は寝込むことはなかった。

 ところが今年は昨日から寝込んだ。

 仕事はある。

 ゴミ出しと買い物である。

 今日は可燃物のゴミ出しである。

 午前10時のスーパー開店に合わせてゴミ出しをすることにする。

 30分は外に出ていたことになる。

 外出から戻ってきたので30秒以上の手洗いとうがいをする。

 うがいは、父母の指導があったので、身についている。

 痛い喉のため、浅田飴を買ってくる。

 わたしは子供のころから扁桃腺をやられるので、ここを治せば何とかなるのである。

 突然、仕事をしていた時の扁桃腺炎のひどさに悲鳴を上げながら文部省に行ったことを思い出した。

 そんな気力はもうない。

 そして、また寝込むと決めたとたん、電話。

 仕事の電話であるので、出た。

 その情報は被後見人にも伝えなければならないので、電話した。

 つまり、仕事であれば、風邪何をもするものかな、のである。

 アぁ、疲れた。