寒さは人間の自由を委縮させる。

 ところが、光さえあれば、人間の心は羽ばたく。

 寒いけれども光が注ぎ込む一日になった。

 満員電車も文庫本を読むスペースがあった。

 得した気がする。

 今日は地下鉄、森下まで。目的地は芭蕉記念館。

 そこで「明治の日本語、漱石の日本語」の3回目の講座を受講しに行ったのである。

 大学の文学部の先生は、ここまでやるのかと思っていた。

 漱石の作品の促音、撥音、長音を検証し、漢字の字体の使い分けを一つ一つ提出する。

 相変わらず、本日も音と字体の話だったが、講師の本音はそのことを漱石が意識していたかどうか、漱石は意識していなかったのではないかであった。

 漱石は、わたしにとって日本でいまある作家の中で最高峰に位置している。

 漱石は夫婦と言う、最も近くて遠い関係を書き続けてきた。

 残念ながら、『明暗』は未完に終わったが、わたしは、漱石は夫婦にあっても理解し得ると考えていたと思っている。

 それが男尊女卑の明治に生きた漱石であったが、彼の本音は人間は理解し合わなければならない、と言うものではなかったのだろうと思う。

 則天去私がその答えではなかったのではないかと、わたしは信じている。