あと、7週ほどでさくらが咲く。
一昨日、友人からメールがあった。
わたしの街は知る人ぞ知るさくらの名所である。
大学通りのさくらと東西を結ぶさくら通りがその名所の実体である。
「さくら通りのさくらが軒並み伐採されている。せめて、咲き終わってからきればいいと思いませんか」
そう書かれていた。
わたしは躊躇してから「安全とさくらの耐久性が考慮されたのか」
とメールをした。
その返事では物足りなかったのだろう。友人は再度メールを送ってきた。
「これではさくら通りではなくなってしまう」
わたしも桜通りのさくらが切られていることは知っていた。
しかし、わたしはさくら通りのさくらが通りに向かって倒壊した現場に居合わせたことがあった。
寿命は生物共通の宿命である。
人もさくらも寿命が尽きるころ立っていられなくなる。
人は病院か自宅か老人ホームで死ぬ。
さくらは管理者によって寿命を決められ、切り取られる。
わたしは寿命を自分で受け止めないといけないと思っているが、さくらは自分ではわからない。
いくら年月がたっていてもさくらはたわわに美しい花びらをつける。
その花びらがつく前に、さくらは死んでしまった。
しかし、多くの仲間は今年も花を咲き誇らせる。
人間は子孫を残し、さくらは枝根からまた育っていく。
命の継続は多様なのである。
ただ、自分の責任逃れでさくらを切っていいモノかどうかはわからない。