冬季オリンピックの現在までの日本人メダリストの受賞者年齢のほとんどが10代である。

 その受賞者の語る言葉は重かった。

 とくに、羽生選手の、ライヴァル、プルシェンコ、銀メダルのパトリック・チャン選手に対する想いは強い。

 ライバルを思いやり、いたわり、学ぶ心が羽生選手にはあるのである。

 「ノーミスのプルシェンコを目標に今後の活動をしたい」

 と、語っていた。

 先輩に学び、ライヴァルと競い合う19歳の羽生はこれからさらに伸びる余地があるのである。4年後の成長した羽生選手にまた会いたいと思う。

 わたしはスケートやスノウボードよりはスキーになじみがある。

 したがって、キング・オブ・スキーの複合の銀メダルもうれしい。

 関係者は20年ぶりのメダル獲得を喜んでいたが、わたしは実力をつけて獲得した能力こそ喜びたい。

 さあ、あとは41歳のチャレンジャーと真央、鈴木、村上の演技だ。

 磨き上げた技術と精神力で乾坤一擲の技を披露してもらいたい。

 



 

 2月14日はバレンタインですよねえ。

 世の中の動きとかけ離れると、世の中から離れてしまう。

 そこへ、宅配便とメールが届いた。

 チョコレート{宅配}と手作りクッキー{メールでわたしの郵便受けに入れたとあった}である。

 うれしかった。

 わたしのことを忘れていない人間がまだ二人いることは、勇気をくれた。

 上の写真は、アンプレスィオンのチョコレートと上部に手作りクッキーが入った袋である。

 雪は深々と降り積もっている。

 寒さがわたしを包んでいる。

 しかし、心は温かい。

 いい人間関係を作っておいてさえいれば、人生は捨てたものではない。

 雪は、なおも降り積もっている。

 明日が大変だと思う気持ちを抑え込む力が、このバレンタインの贈り物にはあった。  

 仕事で八王子市まで行った。

 先週の大雪以来JR八王子駅は東京郊外の代表として取り上げられるようになっている。

 同じ郊外のわたしの住む街より気温が1、2度低い。

 八王子に着いて驚いた。

 道路の雪かきはきれいにされているのだが、寄せられた雪がまったく融けていないのである。わたしの街にも雪はまばらに残っているのだが、歩いていても寒さは感じない。

 ところが、八王子は冷気に包まれているのである。

 都心と言えば、新宿や渋谷。郊外と言えば八王子か立川。

 八王子と言えば、学園都市として有名で、4年制大学が17も市内に点在している。

 明日からまた首都圏は雪に見舞われると、天気予報が叫んでいる。

 積雪が増え、路上は雪まみれになるようだ。

 寒さを実感する八王子であった。

 歩いた。歩ける。

 午前8時30分に自宅を出て、午後11時に帰宅して歩数計を見たら24356と表示されていた。

 今日は東京都江東区の芭蕉記念館で「明治の日本語、漱石の日本語」の5回目の講演を聞きに行ったのである。

 午後12時に終わったのだが、午後6時に友人と会う約束をしていたので、芭蕉記念館から門前仲町まで歩き、富岡八幡宮まで行った。

 途中で小津安二郎の生家を確認したりして、なかなか楽しいウォーキングであった。

 深川飯を食べようと思っていたのだが、どうもご飯を食べる気がしなかったので、もう10年ぐらい食べていなかったモスバーガーの店に入った。

 そこで1時間ぐらい時間をつぶすつもりだったのだが、つぶせたのは30分だけ。待ち合わせ場所の神保町に行くことにした。

 古本屋をしらみつぶしに回れば時間がつぶせると思ったのだが、探している本もないし、読みたい本もない。

 やたらと夏目漱石の文庫本ばかりが目についた。

 漱石はたぶん売れているのであろう。

 山の上ホテルに行ってお茶を飲もうと考え古本街から向かった。

 方向しか覚えていないので、行き当たりばったりである。

 すると、あの佐伯泰英さんの鎌倉河岸捕物控シリーズに出てくる白酒の豊島屋があるではないか。思わず入店。白酒を購入した。

 感じのよい店員さんのおかげで歩く力も甦った。

 神保町駅に戻り、友人と会い、友人の父親介護の愚痴を3時間聞き

帰宅した。

 明日も出かけなければならない。

 本書は光文社文庫から2013年5月20日に刊行された。

 この作者の名前からは想像もつかない人情話から本書は成り立っている。

 本書は三話からなっている。

 第一話 さだめ水

 第二話 おかめ晴れ

 第三話 浄土傘

 元武士であった浪介はそば屋に弟子入りし、いまはそば打ちの師匠の娘おぎんと世帯をもち、やぶ浪という小体のそば屋の主に納まり、昔の剣術道場の知り合いであった北町奉行との縁で十手を預かっている。

 第一話はやぶ浪に客としてきた男を救う話である。男は洪水で妻と娘を失い、二人を救えなかったことを悔いている。生きる希望のない男は3度川に飛び込んだが、泳ぎが達者だったため死にきれなかった。かけそばを娘と食べたことを思い出し、かけそばを食べてから死のうと男はやぶ浪にやってきた。4度目の自害も阻止された男に北町奉行は洪水を防ぐための河川作業をするように勧める。

 第二話は、捨て子を拾い、やぶ浪に助けを求めに来た浪人の話である。妻子を失った男は希望を失っていたが、この捨て子とその母親と知り合うことで、この二人のために生きようと考える。

 第三話は傘職人の話である。やぶ浪の卵とじそばを好む、傘職人の父親のために同じ傘職人の息子はやぶ浪に卵とじそばを取りに来る。父親は息子が創った傘に入りながら天寿を全うする。

 出過ぎない浪介がとてもいいのである。人情の基本を理解しているこの主人公はお客の気持ちを知ったうえで、そばを出す。

 わたしにも昔は行きつけのそば屋とラーメン屋はあった。

 なぜか、麺と言う細長い物体は人と人との縁を結ぶ霊魂があるのではなかろうか。

 本書は2002年9月18日にワイド版岩波文庫215として刊行されたものである。本文500ページ超の大作である。

 段落が少なく、一気呵成に漱石が書ききったのではないか。

 苦沙弥家に拾われた名前のない猫の目を通し、教師の苦沙弥家にやってくる人間の長広舌のおもしろさを描いた作品である。

 おもしろさの第一は、美学者、迷亭、理学士、水島寒月、寒月の友人、越智東風(おちとうふう)が主な訪問者であり、苦沙弥先生と丁々発止と自分の専門分野の知識を披歴してやりあう。

 この専門分野が漱石の幅広い知識を生かした場面であり、古今東西の知識を披露する。

 おもしろさの第二は明治38年に発表されたこの作品には当時のインテリの生きざまが取り上げられている。江戸時代は士農工商であったが、明治になって実質的には「士」はなくなり、農工商は発展を遂げている。「士」の代わりに注目されたのが、学士さまである。

 学士ではより世間に注目されにくいので、「博士」が結婚の条件になる。

 苦沙弥も、迷亭も、寒月も、東風も、猫もそういったことには関心がない。

たぶん、自己本位に生きることしか考えていないのである。

 おもしろさの第三は、漱石の不朽のテーマ、夫婦、男女間の葛藤である。寒月と婚約者との関係とか、苦沙弥夫婦との会話、猫の男女関係でこの課題を提出している。

 つまり、男があこがれ、男が馬鹿にする女性とは何ぞやである。

 漱石は書き手としたらはや書きの人であったそうな。

 猫を水甕の中で昇天させ、漱石はこの物語に潔く幕を下ろした。

 東京は都知事選の投票日である。

 買い物を兼ね、午前10時に家を出た。

 とりあえず、ベランダの雪かきはした。

 都心で24センチの積雪が記録されていたので、外に出るときゴム長靴を着用しておいた。

 ところが、1階のアプローチが雪かきされており、出入りに不自由はなかった。

 わたしは、3階に住む人が雪かきをしてくれたのだと直感した。

 気分がとてもすっきりした。

 しかし、道路は雪よけなどしていない。

 人が踏みしめた細い通路を歩くしかない。

 わたしの前を自転車を降りた婦人が歩いていた。

 雪が積もったら自転車には乗らないが、わたしの経験から導き出された信条である。

 投票所の目の前でわたしは追い抜いた。

 投票に来る人は大雪の割には多いと思った。

 さすがに、スーパーは10人ぐらいのお客さんで、レジ精算までスムーズに済ませることができた。

 帰りは右手に団地の建物が見える道を帰ったが、驚くべき光景が目に入った。

 アプローチから出ると左右に4.5メートル道路が左右に走っている。

 その道の雪を、団地の人間6、7人がスコップを持ち、片づけているのである。

 ただし、わたしの号棟の前は誰もおらず、雪道のままであった。

 わたしはスコップを持っておらず、雪かきは出来ない。

 今度は買っておこうが今日の課題であった。

 反省の意味を込めて、アプローチ部分の雪かきを備え付けのちりとりでしておいた。

 8日に起きて見たら。銀世界の序章であった。

 一面を雪が覆い尽くしていた。

 湿気をたっぷり吸った重い雪が、外出をしない人々のおかげで外出路までまっ白になっている。

 午後4時に積雪は8センチ。

 今晩に寒気団が首都圏に来ると言うことなので、雨に変わらなければ、積雪10センチを超えるだろう。

 内憂外患とはこんな日のための言葉ではないかと思う。

 部屋にいれば、その寒さに震え、外に出ればスリップと横殴りの降雪に悩まされる。

 雪にしろ、雨にしろ、風にしろ、最近の気象はしつこさが継続する。

長時間にわたり環境に傷跡を残すのである。

 このままだと、雪は融けずに、当分の間凍り付いてわれわれを悩ますであろう。

 わたしは、当分の間はゴム長靴で外に出かけることにする。

 わたしを含めて3人の昼そばの予定が二人っきりになってしまった。

 お相手は、さくら切りを訴えてきた相手である。

 よく話を聞いてみると、わたしが見ていた根元から切られたわけではなく、大小の枝を軒並み切られたわけである。

 現場はわたしのお散歩コースではなく、わたしが見る機会のないところであった。

 必ず現場を見に行くと妙な約束をしてしまった。

 今日の昼そばのメニューは天ぷらと暖かいそば。

 これがうまい。12時を過ぎたとたん満席になってしまった。

 甘いモノ好きの友人は、金曜日だけ出店しているタイ焼きまで買って帰るとメールしてきた。

 午後3時のおやつと言って嬉しそうであった。

 思わず。わたしも帰りがけに並んで買ってみた。

 待ち時間は10分。

 「調理師をしていた。子供からお年寄りまで買ってもらえる食べ物を考えていたら、タイ焼きにたどり着いた。自力で勉強しいま6年目を迎えている」

 楽しい話を聞いた後は、郵便局で振込。

 持参したお年玉付き年賀はがきの3等当選2枚出して、窓口の女性を喜ばした。

 「年賀26枚もらった中で2枚当たった」

 50枚で1枚当選らしいことからするとくじ運の悪いわたしなのだが、

 「今年はいいことありますよ」

 と窓口の女性に激励してもらった。

 

 さくらの木は軒並み切られていたが、たぶん今年も花をつけるであろう。

 久しぶりに単行本を手にした。

 この単行本は光文社から2013年12月20日に刊行された。

 作者のことは何も知らなかった。

 リアスの子とはリアス式海岸を故郷にしている少年少女のことかとタイトルから想像した。

 単行本のテーマは宮城県の海岸に位置する5年目を迎え,新3年生の担任になる中学の男性教師とその教え子、つまりリアスの子との関係を濃密に描き出した佳作であった。

 教育空間には問題生徒が存在することにより、教育とは、教師とは、生徒の人格とは何かと問いかけられることが可能になる。

 この単行本の作者は中学の現場で教師経験をしていただけに、問題生徒(転校してきた女子生徒。服装、態度に指導が必要になる)を扱う教師たちの連携、リアスの子たちの転校生へのまなざし、どの人間にも異物的人間を見る観方ではなく、人間を見る観方が主流を占めている。

 陸上長距離走のクラブ活動で問題女生徒は能力発揮する。

 問題を一つずつ不器用に解決しながら信頼関係を築き上げる教師とリアスの子ら。

 わたしの好きな人間ばかりが出てくる小説であった。