久しぶりに銀座に出かけた。

 出かけるとき、スイカと小銭入れを見事に忘れていた。

 認知症予備軍である。

 それでも認知症は今に近いことは忘れると言うことからすれば、わたしはひょっとするとまだ大丈夫である。

 銀座は人が多かった。久しぶりの3月中旬の気温に誘われて出てきたのだろう。

 わたしの目についたのは、銀座で働く20,30代の女性であった。

 しなやかに、3人、4人連れのおばさんを追い越していく。

 おばさんは自分のペースで歩く。他人などまったく気にもしていないのである。まあ、これでいいのだとは思うのだが、少しは他人のことを考えろよ、とわたしは思っている。

 漱石のことが頭から離れないからである。

 漱石の個人主義は、自分を尊重するぐらい、他人を尊重しなければいけないということである。

 われわれ、シルバーはとくにそのことを意識しなければいけないと、わたしは思う。

 ところがだらけきったおばさんは他人の存在など気にかけていない。

 今だから、個人主義の真の意味をわれわれは自問しなければいけないのではないかと、銀座でで思った。

 明後日からは暖かくなるようだが、今日は寒かった。

 桜の木にはつぼみがたくさんついているが、桜色ではない。

 それでも、あと1か月もすれば、まちがいなく春は押し寄せる。


 タイトルにした本は2005年4月15日にワイド版岩波文庫254として刊行された。

 漱石氏の深い洞察力と真摯な態度を読み取れるとともに、明治の人たちの熱心な知識獲得の姿勢を感じ取れる。

 本書には漱石の講演録、日記などを収録している。

 漱石氏は、講演の最初に、必ず、講演の準備はしてきた、しかし面白い話ができるかどうかわからないが、緊張してお聞きくださいと断る。

 そして、明治の知的な人間に対して、いま考えなければならないことを話す。

 その話は、テーマに沿って見事な展開を見せる。

 たとえば「文藝と道徳」では、道徳とは何であるか、道徳の本質とは何か、文藝の中に道徳は取り入れられている、といったように次々に話を展開していく。

 わたしは、いまの文化人の中で話を聞きたいような人間はいない。

 漱石の話は、たぶん当時であれば聞くことができなかったであろう。

 しかし、読むことはできる。

 漱石は道徳の中の、忠孝貞を挙げている。その道徳の考え方は時代によって変化はするが、とりわけ、江戸のころの忠孝貞は明治40年になればゆるくなってしまっているが、道徳なき文藝は成立しないと断言している。

 作品から作者を知ることも必要だが、時代の人の話から聞き取れることも多い。

 冷たいと感じる一日であった。

 冷たいと感じれば、家で暖房をつければいいし、電車や図書館などに逃げ込めばいい。

 天候の冷たさからは暖かい場所があるのである。

 これが、社会や人間の冷たさであると逃げ込む場がない。

 社会の冷たさとは、国の制度であったり、市町村の条例であったりする。

 人間の冷たさは、もっと切ない。

 学校でのいじめ、他人の無視などが本人からすると逃げ場のない人間関係の中でもだえるだけである。深い悲しみの中に落ち込むのである。

 この冷たさは人間から生きる意欲を奪い取り、その人の生命さえ無価値にしてしまう。

 冷たい心を温める人間関係さえあれば、こういう最悪の状況にならないであろう。

 物理的な冷たさであれば、物理的に温めればいい。

 しかし、社会や人間の冷たさに対抗できるのは、人間の暖かさである。

 冷たい気候の中で、それ以外の冷たさに思いをいたしてしまったのは、なぜであろう。

 知らない人間が、東京マラソン参加者と同じぐらい自殺している。

 その数は無限と思えるぐらい多い。

 わたしたちは余裕がないため、それらの人の人生に思いを寄せることができない。

 それでも、人間は冷たさとは距離を置いて生きようとしている。

 人間関係とは家族、友人知人、学校、職場、地域だけにあるのではない。わたしは見知らない人間関係の中にこそその考え方を生かしていきたい。

 わたしの大好きな番組は日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」である。

 今日は高崎線の途中下車である。

 大宮で降り、ぼんさい村へ。

 突然、このぼんさい村の近くに住んでいる友人のことを思い出した。

 彼は物静かで知的な人間であり、わたしとよく出版企画を検討していた。

 わたしが早期退職してしまってからは、付き合いは無くなってしまった。

 仕事上の付き合いの人間とは職場を離れてしまっては関係が途絶する。

 関係が途絶えない人は個人的に付き合っていた人だけであろう。

 それでも思い出すのは、ぼんさい村と言うワードが深く心に残っていたからだろう。

 名前も忘れてしまったが、会えばすぐに思い出すだろう。

 元気でいてくれるといい。

 5日目は予定なし。

 ところが熟睡したのか午前6時には気持よく目を開けてしまった。

 寒いので外を見ると、雪が融けている。

 ガスストーブをつける。

 暖かくなる。

 気分よく過ごせそうだと思った。

 パソコンの電源を入れる。

 立ち上がりの遅さはいつもどおりなのだがいらいらしない。

 まず、メールを見る。

 1通返事が必要なメールに返事を書いて送信する。

 あとは読者になっているブログの更新状況を見て、ブログに入る。

 更新してあるブログを読む。

 いろいろなブログの作者の息遣いが元気をくれる。

 さて、朝食の支度。パンを焼き、みそ汁を温め、目玉焼きをつくる。

 味わう。

 さて5日ぶりの洗濯である。

 Yシャツを洗うため、えり、そで用洗剤を買っておいた。

 3枚のYシャツのえり、そでを洗い、洗濯機に放り込む。

 今日はとくに順調である。

 風呂桶に残った水を使う。エコだ。

 洗い上がるまで掃除。

 それから探し物。

 じつは昨日から浅田飴の缶とアダプタのふたがいつもの場所に見当たらなくなっているのだ。

 テーブルの上に置いておいた。

 アダプタのふたはすぐ見つかったが、浅田飴の缶は選択の終わるまでには見つからなかった。

 洗濯物を干す。

 読書。

 昼はスパゲティ。

 読書。

 洗濯物の取り入れ。

 さて、おでんに火を入れよう。

 この何にもない穏やかな生活こそわたしの宝物なのである。


 今日は被後見人の手術の日である。

 医師に指示された午後1時半に合わせて、午後12時半に病院に着いた。被後見人の娘さんが着いた。

 病室に行く。

 わたしが被後見人と話をしていると、娘さんが着いた。

 看護師が手術用の着替えで来る。

 われわれは病室から出る。

 看護師が後ほどお呼びしますとわたしに言った。

 待合所で待つ。

 しかし、手術の時間になっても連絡は何もない。

 わたしは不安になって、病室に行った。

 被後見人がいる。

 「痛い、痛い」と言う。

 わたしはまずいと思い、ナースステーションに行って

 「午後1時半の手術なのに何も連絡はないし、患者も痛がっている」

 と申しいれた。

 「被後見人の手術は午後3時半です」

 と、看護師は言った。

 どうも医師が時間を間違えたのである。

 この間の病院の対応は、患者および家族をないがしろにするものである。

 わたしは起こるときには怒る人間である。

 この不手際をわたしは申し述べた。

 

 結論は病院の不手際であったが、本来患者と患者の関係者にとったらこの不手際は糾弾されていいものだが、わたしはこらえた。

 手術を成功してもらうためにはここで意思を責めてはいけない、医師には平常心で手術に立ち向かってもらいたい、この優しさは被後見人のためにしたことであるが、腹が立った。

 



 骨折であれば、わたしは自然治癒がふつうであると思っていた。

 ところが医師の説明によれば、高齢者になると、1か月半から2か月間の寝たきり状態になるため、床ずれ、筋肉の減退、さらに心筋梗塞などの合併症を併発する確率が高まるそうである。

 骨折部位の痛みをなくし、より早く寝たきりをを防止し、普通の暮らしに戻すのが最近の医療の高齢者に対する基本的な考え方であるそうな。

 わたしはシルバーになってしまったが、手術なるものの経験はない。

 そこで、本人には医師から説明してあるとは聞いていたが、本人のベッドに行き、意思からの説明のポイントを明快に説明した。

 わたしは人間は動物であると思っているので、自分の足で動けることこそ人間の最重要命題であると考えている。

 

 娘さんは手術の同意書にサインした。

 それにしても今日も寒かった。

 高齢者に対する医療支援は常に最先端を走っている。

 その医療技術をもってすれば、多くの高齢者の生命は救われる。

 手術の後はリハビリが重要になる。

 その説明を聞き少し安心した。

 医療で救われた高齢者が、生きることに楽しみをもってくれたらいいのだが、と思わずつぶやいてしまった。

 

 母の通夜は雪が降り積もった。

 先だっての雪は融けずに、午後になると風を冷たくする。

 わたしは雪は嫌いではないが、滑ることには気を使う。

 雪かきをしない団地通りはあちらこちらに凍っている様が見て取れた。

 わたしの革靴は4足あるのだが、どれも滑っている記憶しかない。

 革靴で出かけるべきなのだが、雪女の母が怖くなって、父親のゴム長靴に頼ることにした。母親の通夜には雪が降った。しかも積もったのである。わたしは本日の礼服に身を包み。長靴をはいて通夜に臨んだ。

 ところが、礼服のズボンのすそをゴム長靴の上にして駅まで歩いたが、弁慶の泣き所が痛い。

 駅についてズボンのすそを長靴の中に入れた。

 完全に長靴スタイルである。

 もともとスタイリストではないわたしは気にならなかった。

 よほど雪の深いところから出てきたのではないかと思ってくれたのだろうか、気にする人はいなかった。

 そして、今回の雪である。母親が雪を呼び寄せていると考えざるを得なかった。

 姉の家の上棟式は今週の土曜日である。なにか、台風を呼んだり、雪を呼んだりしているに違いないと思った。

 わたしは坊さんの読経に和すように「母ちゃん、頼むよ。もう雪など降らせないでおくれよ」

 とお願いした。

 いま、天気予報を見ている。雪は降らない。

 ああ、やはり、追善供養はしておくものである。

 わたしの被後見人が入院した。

 初めての経験であった。

 入院の手続きから始まり、入院時にかかわるすべての備品を買い揃え、被後見人が気持ちよく生活を送ってもらえるようにしなければならない。

 わたし自身はこのような立場に立ったことはないし、経験はない。

 ところが、こんな初心者であっても病院はすべてのステージでアドバイスしてくれる、

 マニュアルがあるのではないかと思えるほど、スムーズに物事は進む。

 あっけにとられるぐらいストレスはないのである。

 わたしは看護師に指示された、必要備品を買いに売店に行った。

 カップ2、吸い込み1、入れ歯入れ1、入れ歯洗浄剤1、ティッシュ1、

これで、当面の生活は大丈夫である。

 すぐに備品に名前のシートを張ってくれる。

 その速さ、その手際。うっとりした。

 入院サービスは入院者にも、関係者にも至れり尽くせりである。

 発見の第一はこれである。

 自宅に戻り、今後のことを考えた。

 ともかく、気持ちのいい入院生活を送っていただきたい。


 さて、人の世話ばかりしてもいられない。

 自分の生活も維持させなければならない。

 遅くなったが、洗濯をした。

 洗濯機は快調に動き、22分で仕上げてくれた。

 今は干し終ったところである。

 わたしは洗濯機は開けたまま乾かす。

 そこでふと、洗濯機の中を覗き込んだ。

 ごみ取り部分が目に入った。

 そういえばこの部分を念入りに見たことはない。

 外してみた。

 真黒である。

 そういえば、8年間何もしていない。

 長しで、石鹸をつけ洗ってみた。

 白くなった。

 洗濯をすれば衣類はきれいになると思っていた。

 ところがこんな汚い中で洗濯を続けていたのかと反省した。

 こういう感覚を持ち続けていないと、あと5年はこのまま使っていた。

 いい発見ができたと、自分を誉めた。

 グループホーム職員からの電話をもらった。

 上着のポケットに入れていたのだが、気がつかなかった。

 かかってきたことに気がつかないと、点灯で知らせてくれない。

 携帯を開けない限りは、表示を見ない。

 習慣で、意味もなく着信があったかどうか見る。

 なんと、30分前に着信があったことに気がついた。

 留守録に残してくれていたので、自宅に帰り着いてから留守録を聞いた。

 先日誕生日をお祝いした人がベッドから落ちて太ももを傷めたと、連絡をくれたのである。やばい。

 慌てて、連絡をし、近くの病院に受診させるように頼んだ。

 それにしても、この携帯電話は失敗の買い物であった。

 一番充電容量がある携帯を買ったら、音量といい、着信表示といいまるで役に立たないのである。

 困った携帯電話であるが、買った自分のうかつさを反省している。