昨日、わたしの女友達がメールをくれた。
わが街のさくら通りのさくらが軒並み切られていると。
3年前にさくらが倒れていた。その場に遭遇し、年月の無常を感じていた。
ところが、彼女はその無常さを訴えてきたのである。
しかしわたしは安全のためには仕方がないと返信した。
高齢化社会のわれわれ高齢者は、迷惑者だと認識している。
これを言うなら、無常は何としなければならないのである。
わたしは高齢者として、命ある限り生きなければならないと思っている。であるならば、命は自分のものであるかもしれないが、天がわれに与えてくれたものである。
そんな、わけのわからない自己問答の最中に、わたしが初めて見た雪が午後3時過ぎに東京に降ってきた。
雨交じりである。
電車は遅れ、雪は降る。
時間を気にする必要のないわたしは、時間のままに流れる。
待ち遠しい最寄りの駅に着いたとき、雪は止んでいた。
東京は雪おろし、雪かきをしないでいい。
この幸せを喜ぶべきか。
雪は人間の心に訴える何かを持っている。
スキーで見る北国の雪と、数度しか見ていない東京の雪は違う。
東京の雪は、こんにちはと語りかけたい淡さを持っている。