駅一つ立って、二つ目に座れた。

 こんなことがわたしにあっていいのかと、思いながら座った。

 だれも立てと言わなかったので、新宿まで座ったままであった。

 都営新宿も座れた。

 ええ。

 なんと午前10時前に目的地に着いてしまった。

 しかたがないので、松尾芭蕉の俳句を読みふけった。

 なるほどと思ったのは芭蕉の名句は見事にセレクトされていることが分かった。

 名句であるかもしれないわたしの知らない句は、やはり、なじまない。しっくりこないのである。

 名句は五七五がすんなり入るが、初見は雑味が入る。

 意味を考えたり、字句を考えたりしているのである。

 名句はすでにわたしの中で確立しているのである。

 と思うながら、『明治の日本語、漱石の日本語』の4回目を聞いた。

 わたしは、まったくわたしの知的好奇心を満足させてくれない講義であると考えていた。

 国語学者は、こんなことまでこだわるのかと。

 つまり、漱石の表記のこと細かいところまで厳密に検証する。

 わたしは漱石の明治の日本語がどこまで漱石が描こうとした人間を描きえたのか、が知りたいところであった。

 ところが、漢字の新旧、現行で漱石が書き損じた箇所に主に目がいき、わたしの関心は満たされなかった。

 しかし、この講師の著作は、3月から次々に刊行される。

 なんと、4冊である。

 たぶん、わたしのような関心を持つ読者がいると、出版社は考えたのであろう。

 しかし、どう考えても夏目漱石をこの視点でとらえるのは正しいのかと思っている。

 この講師の話は2月12日に終わる。終ってから、わたしの感想を書きたい。