東京は曇り空だが穏やかな冬の日である。

 東北や北海道は雪が降っているのだろう。

 ボランティアで雪の片づけと思っているが、高所恐怖症、金力なしでは行動できない。

 そこで考えた。

 名利を追わずは兼好の主張したことである。

 わたしは、兼好は諦念が彼の行動を決めたと思っている。

 名利を追えずに人生を終わるのは、無念の気持ちしか残らない。

 頭脳明晰な彼は、名利を求めず、人生を全うするにはどうしたらよいか考えた。

 答えは、この世の中にない価値を、価値として見直すものを残すことだったのではないか。

 天皇、摂関家には価値がある。

 自分と同じ名利にはそう価値がない。

 そこで、仏の道を価値とし、自らはその道をよしとしたのではないか。

 後付けは容易であった。

 もののあわれにこそ、価値にし、それ以外のことは価値なしと書き綴っていったのではないだろうか。

 隠棲してしまえば、従来の価値はなくなる。

 残るのは、捨てられている価値の見返しと評価である。

 この平成の時代にも価値は名利である。

 政治家も官僚も、経営者も名利を求めて命をすり減らす。

 80を超しているにもかかわらず、細川護熙さんは都知事に立候補した。反原発こそ政治家として主張しなければならないと考えたのだろう。お殿様の気まぐれと言うよりは、人間としてこれからの世の中の動きに危機感を持ったからだろう。

 来週はこの結果が出る。

 名利が勝つか、人間意思が勝つか。結果は五分五分であろう。