20センチ×30センチの白板が冷蔵庫の上部にかかっている。

 この白板には両親と高校の友人の没年月日が書かれている。

 命日には黙祷するためである。

 少し、友人との思い出を書いておきたいと思う。

 高校の友人とは、3年間クラスを共にしただけで、在学中はそれほど親しくなかった。

 優等生の友、劣等生のわたしでは気が合うはずはなかった。

 ところが、卒業後に妙に気が合うようになったのだ。

 友は文学部に進み、中国語の修得にはげみ、クルマの運転が得意であった。わたしと言えば、修得するものもなく、クルマの免許も大学4年生の時にようやくその友の助けで取得できたのである。

 友とは京都奈良旅行をした。西陣織に関心があった友は西陣へ、わたしは苔寺へと、各々が目的地で自由に動き回った。

 教師になった友は、わたしが勤務する会社をためると連絡すると、突然奈良県にある独身寮を訪ねてきた。

 「俺の友人でお前だけがまともに勤めている。勤め続けろ」と。

 何とも不思議な理屈であったが、うれしいと思った記憶が鮮明にある。

 いなくなって20年経ったことになる。

 君がいてくれていたら、俺の人生にもっと充実感があったはずなのだが、と思わざるを得ない。

 わが街の気温は24度。

 夏日ではないが、いま蒸し暑くなっている。

 午前中は長袖に長ズボンで外出した。

 図書館に行ったのである。

 網野史学にノーを突きつけた本郷和人さんの『武士から王へ お上の物語』(ちくま新書)と網野善彦著『増補 無縁・公界・楽』を借りに行ったのである。

 わたしの目でもう一度網野さんの著作を読み返して考えたいと思ったのである。

 これは、これからの話なので、今日は書くことがないと思っていたのが、午後三時前に書くことができた。

 家にいるだけなのだが、長袖、長ズボンでは暑くなってきたのである。

 そこで、半袖、半ズボンに変えてみた。

 快適なのである。

 5月にこんな格好になった記憶がない。

 とりあえず、5月24日は「半袖、半ズボン」初着用の日になったのである。

 本書は2014年4月30日に河出書房新社から刊行された。

 1行1行に筆者の願いを込めた渾身の一作であろう。

 朗読で聞いたなら、耳に怒涛の如く流入する大叙事詩になるだろうと夢想もしてしまった。

 本文から12行分だけ抜粋する。


 私はむろんのこと

  黒牛も

   逸れ鳥も

    トリカブトの花も


     そして

      シラビソの樹上で眠るあの売僧ですらも

       たちまち三味線の音色に心を束縛され


        そんなかれらは

         さまざまな思いにふさがれた心を解き放ち

          情緒の世界に深入りせんがために

           ありったけの聴力をかたむけて

            じっと聴き入る


 この舞台は高原の「巡りが原」であり、登場するのは私、逸れ鳥、トリカブト、売僧、シラビソ、三味線を弾く芸人瞽女である。

 語り手の私は巡りが原であろう。

 この巡りが原には自死志願の人間が訪れ、トリカブトで自死すのだが、上記の生あるものどもは死になどしないで、生をまき散らす。

 瞽女は私の観察に寄れば、聖なる生き方をし、聖なる未来を約束されている人間である。

 懐が深すぎて困った本であるが、下巻も読まなければならないと思ってしまっている。

 相変わらず、丸山健二さんの妙な小説に悩まされている。460ページのうちの200ページまできて、おぼろげながら小説の輪郭がわかりかけてきた。

 そうすると、安心が先に行って突然行動が外に向く。

 読みかけの本を置いて、銀行とグルメシティに出かけた。

 カレンダーを眺めたら、明日が給料日にあたる。

 明日は混むので前日に用事を済ませたほうがいいと、頭がささやいていたのである。

 こんなときは、そのささやきに素直に従ってしまう。

 買い物袋をぶら下げて、気持ちよく晴れる外の世界に足を踏み出す。わたしと同年代の男女がむやみに目につく。

 昨日外出できなかったつけを今日晴らそうとしているのである。

 銀行はがらがら。

 待ち時間なしでCDから引き出す。

 グルメシティは銀行と異なり込んでいた。

 4月以降、木曜日は安売りデイなので混むし敬遠していたのである。

 皆さんの買い物かごは満杯がほとんどである。

 レジを見る。

 どのレジも5、6人並んでいる。

 男性が2人並ぶ列の最後尾につく。

 このときレジ係の女性の顔を確認する。ベテランの接客が上手なわたしがAにランクづけしている顔である。

 お二人のかごには2、3品しか入っていない。

 ほぼあっという間にレジ通過。

 それにしても消費増税後に人々は安売り日に群がっているのである。刺身と肉、どちらを先に食べるのかそれが問題である。

 昨晩、何の気なしにgaccoのマイページにアクセスした。6月2日までに論文の結果が出るという通知をもらっていたのだが、成績をクリックすると論文の成績が出たので、合計88%で修了点を大幅に上待っていた。第1回の課題でさんざんな結果(25%)に終わったが、第2回目からレポートまでの出来は満点で来ることができたわけである。

 ディスカッションを読むと70歳ぐらいの受講者が多いことがわかる。

 わたしは日本歴史が好きだが、初めて歴史を学んだとかいう人が多い。高齢者がなぜ学ぶのだろうか。

 余命は少ない。子どもたちは学ぶことが力になる。

 それでもなぜ学ぶのだろうか。書き込みを見ると、新しい歴史という分野を学びたいという意思が読み取れる。わたしも歴史は初めて学ぶ分野である。そういう意味では子供たちとまったく同じである。

 新規に学ぶと言うことは、自分を知るために重要な営みなのかもしれない。

 知らないこと、わからないことを学ぶことは知的好奇心を満足させるだけでなく、新しい自分を見つけ出す力になる。そう、生きる力になるのである。

 そういうことを感じたためにわたしは8月25日に開講する経営入門を受講するし、同じころ開講する京都の景観と文化も受講したいと考えている。

 これは時間の消費ではない。時間の有効活用である。

 知識を学び、自己を知る。これは教育の大きな目標であるが、自己啓発こそ学ぶことの最大価値ではないかと私は思っている。

 知識を学ぶことは本来費用を支払うのが当たり前であるが、gaccoが無料の公民館になるか、有料の教養講座になるか1年後に答えは出るだろう。

 

 疲れることを先週下とは思えない。

 ところが、まず風邪気味。熱はないのだが、だるい。

 気が引き締まらない。

 だらだらと過ごしてしまった。

 丸山健二がやたらと、わたしに読め読めとそそのかすのだが、書き方をすっかり変えて今年登場した丸山の作品は趣をすっかり変えてしまっていた。

 あの精緻な文章はなくなり、死のような文章がこれでもかこれでもかと続く。

 1年に1作品の作家は、魂の彷徨を文体から変えてしまった。

 頭が硬くなっているわたしはついていけないのである。

 ちらほらと放棄の一文字がよぎる。

 そういえば、gaccoのオンライン学習にはわたしのようなシルバーが多く受講しているようだ、

 礼儀正しく本郷和人先生、スタッフにお礼を述べたり、受講者同士で交流を深め合ったりしている。

 したがいまして、わたしも年に負けずに新しい丸山健二を探究することにしたい。

 読んでいる本とは丸山健二著『トリカブトの花が咲く頃 上』河出書房新社、460ページである。下が残っているのである。

 昨日はバスに乗り動き始めた瞬間に、スペイン・リオハワインを忘れたことに気がついた。

 ワイン大好き人間なのに、場を盛り上げるツールを忘れるとはと大いに反省したものである。

 人と会う時は、ほとんど身一つで行けばよい。

 今日は仕事で玉川上水まで自転車を走らせた。

 過ごしやすいいい天気であった。

 出かけるまで時間があったので、ショルダーバックの中を確かめ、腕時計まで着用でき、忘れ物はなかった。

 昨日の失敗を大失敗とみなしていたので、わたしの五感は失敗するなと研ぎ澄まされていたのである。

 ホント、最近は人の名前は思い出さないは、出際に忘れ物があることに気がつくは、と認知症を疑うことが多くなっている。

 人との約束があるときはカレンダーに記入してあるので、日々それを見て確認している。

 いまのところ、約束を忘れることはないので、自身の評価は認知レベルは並みとなっている。

 明日からカレンダーは空白である。

 緊張感がなくなるので要注意であるが、このダラーとした時間がたまらなく好きなのである。

 いま、自宅に帰ってきました。

 今日は午後から友人の誕生前祝いがあり出かけた。

 どこかで聴いたことがある。

 お祝いを遅れてやってはいけない、前にしなければいけないと。

 5月29日の誕生日は平日なのでいつやるかと相談して18日にした。

 子どもたちは目を白黒していたが誕生日にはケーキがつきものなので今日でもいいという感じ。

 29日には祝ってやってほしい。

 わたしはスペイン・リオスワインを忘れてしまった。バスに乗った瞬間思い出した。いけない、ワインを忘れた。

 友人の自宅の近くにはショッピングモールがある。着いてから、そこに行き、ワインを売っている店を見つけ買った。

 おいしいスパゲティとサラダ。ワインを楽しみながら味わう。

 いい時間である。

 そして、ケーキ。子どもたちがローソクを立てる。

 友人が吹き消す。

 ケーキはスパゲティより早く瞬く間に無くなる。

 そうだ、誕生日のお祝いを持ってきたっけ。渡す。

 喜んでくれる。

 ほんと、生きていることをお祝いできる相手がいることは幸せである。

 ともに喜びあえる時間を持てたことに感謝する。

 今週は懐かしい友、殺陣ライブを堪能し、満足の週になった。

 本日がその最終日。

 いよいよ、午前午後と続けざまに人に会わなければならない。

 天気は良好。

 風が強い。昔。上州名物と言われていた空っ風である。

 土を舞い上げるので、家の中のサンにたまり往生した思い出がよみがえる。

 そんな気候の中まず、聞き分けのよい小学低学年と聞き分けいまいちの年長さんを預かる。

 この二人はわたしのお気に入りである。

 母親の会合の間の3時間預かったのだが、実はこの若さが私の老化を阻止してくれているので、気持ちだけは若いのである。

 風が吹いているので、用意したバドミントンはできず。

 そこで、鉄棒をしようとしたが、小学低学年は「やろう」、年長は「まだそんな気が起こらない」。

 おやつにすることにした。

 ところが用意しておいたゼリーの種類など覚えていない。

 すっぱいものが小学低学年には合わなかった。

 そんなあんなで無事に午前中は終わる。

 さて、午後は姉の家の鍵の引き渡しである。

 完全バリアフリーで抗酸化住宅である。

 新築時のにおいがまるでしない。

 スイッチの扱い方、シャッターの下ろし方など丁寧に説明してもらい無事に引き渡しは済んだ。

 昨年から、よう粘り強くわたしはこの建築に付き合ったと思う。

 父親が言った、たった二人の姉弟だから仲良くしてくれが胸に響く。

 あとは引っ越しを手伝い、わたしの姉一筋の人生は終わる。

 それにしてもいい家の建築につき合わせていただいたとしみじみ思った。

 演劇もすっかり観なくなった。

 今年、時々読みに行く大平真嗣さんのブログに本人が所属している林邦史朗さんの殺陣ライブがあることを知った。

 時代劇はすっかり人気をなくし、テレビでも町人ものをしている程度である。

 なぜか、江戸時代以降の歴史は不必要になったのか、それとも時代劇が現代を投映することができなくなったのか。

 わたしは図々しいと思ったが、大平さんにたった一人のチケットの取り置きをお願いした。

 気持ちよく、大平さんは取り置きますと、知らせてくれた。

 だから、今日の朝は信頼にこたえなければならないと緊張していた。

 方向音痴のわたしは、2時間前には恵比寿の駅に着いていた。

 久しぶりの恵比寿だったので、ブラブラすることにした。開演は午後2時である。

 ぶらぶらと思いながら、方向は代官山シアターに向かっていた。

 13時過ぎには、目的地に着いてしまった。

 会場の前にはテラスがあり、多くの若い男女がくつろいでいた。

 目的を一緒にした若者の邪魔をしてはいけないと思い、それから30分はブラブラした。

 午後1時40分に着こうと考え直し、ゆっくりゆっくり坂道を登った。

 わたしのブログ名で取り置きをしてくれていると思い、「アンクルです。大平さんに取り置きをお願いしてあるんですが」

 無事にチケット入手。

 なんと、江戸料理を用意してくれていた。アルコールはなぜかベルギービール。おいしかった。

 部隊が始まる予鈴が5分前になる。わたしは2杯目のビールを飲んでいた。一気に飲み、2列目の席に着く。

 まず驚いたのは最初に出てきた3人の若い女性が真剣を使い、びっしりと細く巻いた畳を切ったことだ。

 真剣で切るすごさを林さんは観客にまず認識してもらいたかったのであろう。

 林さんは一芸に秀でている。団員の多くはお茶目といっているように時々話芸も披露してくれたが、安心できるのである。

 教え方がうまいんだろうと納得した。

 多くの舞台に大平さんは登場していたが、攻撃といい、切られ方といい才能を感じた。

 とくに、林さんがいろいろの武器を解説するときには大平さんは武器を林さんの求めによって差し出す役をやっていた。その姿勢、その差し出し方、受け方はやはり一芸を究めようとしている青年であった。

 あっという間に2時間がたってしまった。

 わたしはお礼と乾燥を大平さんに言いたくて、観客を迎えるために出入り口で待っていたスタッフに「大平さんは」と聞いた。

 アンクルと名乗り「おもしろかった。また」と言って帰って来た。

 若手はいずれ師匠を超えなければならない。

 3、4人は必ず超えるのではないかと、わたしは思った。

 がんばれ、日本歴史の担い手よ。