ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -8ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

何が良い楽器かということを公に定めることはできません。人によって目的や価値観、音楽の好み、美意識、聴覚の個人差、骨格や体質の違いなど様々な基準が存在します。人間である以上は社会的な意味もあるでしょう、音の響きは建物も重要な役割を果たします。

高級ブランドのファッションショーを見たときに、それをアートだと考える人もいるし、こんな奇妙な服装をしていたら笑われてしまうだろうと考える人もいるでしょう。最高であるという反応と最低であるという反応が同時に起きます。お金持ちのパーティーに参加するのであれば目を引くようなものが求められるのかもしれませんが、日常生活では白い目で見られ不便でもあります。

何が良い自動車かと言った時に企業の重役と観光業や砂礫採掘業では違うでしょう。リムジンのような車では多くの観光客を乗せることができないし、砂利を多く運搬することはできません。強大なエンジンパワーのある車でも目的によって全く違います。鉱山で使われる巨大なダンプトラックがあります。家よりも大きなものです、最高の車でしょうか?

それに対して昭和の頃日本では会社の役職に応じて車種が用意されていました。平社員から重役まで、トヨタだけでもカローラ、コロナ、ビスタ、マーク2、クラウン、センチュリーなど役職にあわせた車を買うことができました。センチュリーが最高というわけです。昭和の会社員であればそのような価値観を共有していました。それ以上というとキャデラックのようなアメリカ車が憧れの対象でした。80年代からはメルセデスベンツにとってかわられました。これと同じようにクレモナの新作楽器がその頃から販売されています。しかし、このような価値観は国ごとによって全く異なっており、日本でも現在では崩壊しています。弦楽器の世界はまだ昭和の価値観が残っているということですね。

スピードが速いことが優れていると考える人たちもいます。音量があるとか鳴るというのが優れた楽器というのと似ています。
レースではブランド名ではなく実力で勝負が決まります、弾き比べするのと同じです。世界最高峰のモータースポーツと言えばフォーミュラ1(F1)です。しかしながらドラッグレースというのがあって1/4マイルの直線を走るもので圧倒的に速度はF1カーよりも速いです。しかしカーブを曲がることができません。F1カーは様々なカーブに対応するようにできているので最高速度は犠牲になっています。走るレース場によって優れた車が変わるということです。音楽の様々な要素や心地の良さなどを考えていくと音量だけで判断できないということになります。

楽器もそのように使う人によって求められるものが違います。

所得などの社会的な意味での高級車に対して「車好きの間で人気」というのがあります。そういうものを共有する人たちが趣味のカテゴリーを形成しています。そのコミュニティでは何が優れているかは共有されていることでしょう。それでも趣味趣向によって細分化されているはずです。一方で同じ趣味趣向を共有することで仲間意識も生まれることでしょう。

特にスポーツカーのようなものはメーカーの看板車種になります。
しかし販売台数を見るとごくわずかで実際に買う人は少ないです。今でも、ネットのニュースのようなものではフェラーリだのポルシェだの新型車が発表されると勝手に出てきます。実際に買う人はわずかで情報としては全く役に立たないのに閲覧数が稼げるようです。ストラディバリやデルジェスなどの情報も同じです。実際に子供に楽器を買う親御さんにとっては全く必要のない情報ですが、強い興味を持つ人がいます。

自動車であれば、値段がエンジンのパワーの差となっているなど測定可能な違いがありますが、「弦楽器では本当に違いがあるかどうかも怪しいんですよ」と私は教えています。

「昭和の高級品」の趣味以外でもいろいろな可能性があることをブログでは紹介しています。視野を広げて自分で現実に買える楽器を考えてください。


このような文化では同じ価値観を共有することで仲間意識を持ったり、お互いを認め合ったりすることもできます。クラシック音楽のその時代では「教養豊かで洗練された上品な趣味」を理解できるということを演奏会の参加者は確認しあっていたとも言えるでしょう。今日においても、音楽のジャンルは仲間意識を生み出すことでしょう。
一方で親子の間などで音楽の趣味が違うと軋轢になります。そのようなエネルギーも音楽の世界では見られています。これに対して他人の価値観を尊重するという必要性があると考えられます。自分は好まないジャンルの音楽の愛好家に対しても、尊敬の念を持つということです。

ヨーロッパで基本的な美意識というのは古代ギリシャのものがあります。日本人には全くなじみがなく、学校教科書でちらっと見たくらいのものです。西洋の人が作るものと、日本人が作るものでは根本的な違いがあるというわけです。
現在では西洋の人も古代ギリシアの文化を知っているわけではありません。しかしながら根底にはまだまだそのようなものがあるかもしれません。日本の製品は「クール」と形容されることがあります。これは西洋人の基本的な美意識が欠落していて、斬新さを感じるからです。一方「ビューティフル」と言われるときは古典的な西洋の価値観が反映されているようです。このような西洋的な美しさは日本人でも女性の方が感度が高く、男性は興味がある人は少ないでしょう。興味がない人にも何も感じられないものです。
古代ギリシャの国々はローマ帝国に征服されると、ギリシャ人がローマ人の奴隷になります。ローマ人は奴隷のギリシャ人に芸術を教えさせました。奴隷を先生にして物を学ぶというのは「尊敬」という考え方が今の人には理解できません。こうしてローマでもギリシャの芸術が受け継がれました。軍事力ではローマがギリシャを征服しましたが、文化ではギリシャがローマを征服したということです。
ローマも滅びて中世の時代が続き、遺跡から古代の彫刻などが発掘されます。それに驚いて芸術に変革が生まれたのがルネサンスというわけです。古代ローマの彫像を見たことがある画家と見たことが無い田舎の画家では絵が全然違うというわけです。東方教会のイコン画やブリューゲルのような農民を描いた絵とボッティチェリやラファエロのイタリアの作品を見比べてみてください。単に絵が上手いとか下手ということでない違いがあるのに気づくでしょうか?
クラシック音楽がいつから始まるかは諸説ありますが、バッハが音楽を生み出した音楽の父と言っていたころがあります。日本で楽器を習うと壮大な西洋のバックグラウンドは全く知らずに、バッハ、モーツァルト、ベートーベン・・・などを発明家のような「偉人」として教わります。プロの音楽家を要請するなら需要の多い作曲家について勉強するのは当然でしょう。それに対してルネサンスを受けつぐイタリアではギリシャ神話に歌を付けて演じました。それがオペラのはじまりです。今では教養としての音楽史はすくなくともモンテベルディから教わることでしょう。バッハよりもずっと前です。フランスにはイタリアの名家から王家に嫁いだとともに音楽家などがやってきてイタリア風の音楽をもたらそうとしましたが、バレエという歌や踊りを伴った演劇の方が人気があってオペラの普及は苦戦したようです。そのように各地に文化が伝わるとともに土地ごとに独自の進化もしていったようです。それも面白いですね。

バロック芸術はカトリック教会の宗教政策と王侯貴族の教養文化との両方がミックスされています。それらは現代の日本人には全く馴染みがないし、現在の政治体制を肯定するために歴史では「悪」と憎まれ教えられました。日本で普通に暮らしていたら触れることもありませんが、西洋では今でも教会や宮殿・城が街の真ん中に残っていて見ることができます。

それに対して、美を感じるのはそれでも個人差があります。
ギリシャの彫刻を見ても、ただの人の形が彫ってあるだけだと思うかもしれません。ギリシャ的な美意識は形のバランスによってもたらされると考えられていたようです。さらにプラトンのイデア論という理屈によって自覚されていました。現代の科学的な思考では理解不能なプラトンの哲学ですが、結果的に美を意識することに役立ったことでしょう。私は結果主義ですからそれもOKです。

彫刻でも仏像ではインドから中国日本へと伝わる間に独自の形になってきました。もともとはガンダーラにいたギリシャ人が作ったとも聞いたことがあります。初期の仏像はギリシャ彫刻のようでした。仏像はジャンルとして確立したために実際の人間とは違う独特のスタイルになっています。同じ彫刻家がその時代に生きていた僧侶を彫ると生き写しのようにリアリティが感じられるものがあります。個人レベルでは日本の仏師の技量はギリシャの彫刻家と変わらないということでしょうが、文化としての美意識が違います。つまり、ギリシャ時代の彫刻は生きた人をリアルに再現したのではなく、美しい姿に創作したのです。それに触れたイタリアの芸術家が世界をリードした時代があったということです。それに追いつこうとギリシャやローマの文化を学ぶことが19世紀くらいになると西洋では教育の基本となります。ギリシャ神殿を模した建物が各地に多く作られました。各国の政府機関や文化施設、裁判所やミュージアムなどもにもあります。大英博物館もそうですね、アメリカにもたくさんあります。
一方それらの文化は近代や現代の芸術家、戦後には保守的なものとして若者たちの目の敵にされます。日本が近代化を図り、芸術を学びに西洋に渡ったときにはすでに過去のものと考えられていたかもしれません。昭和以降も新聞社とデパートが興味本位の美術展を開くとわけも分からず人が殺到したものです。


この時代にヴァイオリン製作ではストラディバリを理想としたモダン楽器が確立します。近代や現代の芸術とは違う保守的な立場の考え方です。今でもとても保守的な考え方が弦楽器業界の主流となっています。

ルネサンスに話を戻しますと、イタリアの絵画作品と北方フランドルの作品を比べてみてください。違いが判るでしょうか?
小学校の頃の延長でどっちが絵が上手いかで言えばむしろフランドルのほうが精巧に描かれているかもしれません。しかしイタリアの絵画には何とも言えない優雅さと生き生きとして愛情に満ちた人の姿が感じられます。
ドイツのデューラーでもリアルな迫力の画力はありますが、イタリアの絵画のような気品はありません。

こんな話をするといつも私が弦楽器について話していることと違うように思うかもしれません。シュタイナーについては私は緻密で精巧に作られていると説明しています。シュタイナーは近くで見て精巧に作っているのに対して、アマティやストラディバリは何とも言えない美しさがあります。それがギリシャ的なバランスなのかもしれませんし、私がそういう風に思い込んでいるだけなのかもしれません。
南ドイツのオールド楽器では上等なものはやはり近くで見て細工が細かく精巧で丸みのカーブが丁寧に作られていたりしますが、離れて見るとなんとなく不自然な感じがします。イタリアの楽器は細部まではそこまでこだわらずに全体のバランス感覚で楽器を作っているように思えます。しかし、最高レベルの楽器の話であって、デルジェスを含め多くは安上がりに雑に作られたものです。モンタニアーナのチェロでもお世辞にも形のバランスがいいとは言えません。見た目は諦めて音が良いという機能性だけの名器です。私にとってはそのへんてこな形が面白くてニヤニヤしてしまいます。
チェロではストラディバリと並ぶ最高額のものですが私にはゆるキャラみたいなものです。
もしイタリア的な美意識の大ファンであるならイタリアの楽器でなくてはならないという人がいても私はおかしくないと思います。本当にそれが分かっているならです。
不思議なことにこれが作曲家になるとバッハやヘンデル、モーツァルトなどドイツ系の人たちばかりが評価され、ヴィヴァルディなどは軽いと馬鹿にする考えがあります。当時はローマで活躍していたアルカンジェロ・コレルリに人気がありイギリスではコレルリの代わりにローマからヘンデルがやってきて大人気となりました。コレルリはさすがに無理でヘンデルでもフィーバーになったのです。でもコレルリは今ではマニアックな作曲家にすぎませんね、残っている楽譜が少ないのが残念過ぎます。
今ではヘンデルの方がはるかに耳にする機会が多いことでしょう。モーツァルトがボローニャのアカデミア・フィラルモニカに勉強に行きましたが、先輩にはコレルリがいます。モーツァルトは古典派音楽の発明者でも何でもありません。同じ時代の他の作曲家もみなそっくりの曲を作っていました。バッハもベートーヴェンもそうです。

ドイツ音楽のファンなら楽器もドイツ楽器のファンでないというのは不思議です。それは自分で何かを感じたのではなく知識として擦り込まれているだけじゃないでしょうか?イタリア文化を理解してイタリアの楽器の良さを分かっているのでしょうか?

私がどんな楽器を良いと思っているかは、私がコピーを作りたいと思うかどうかという事にも関係してきます。関心にはいろいろなものがあります、純粋に音響工学的に興味があるということもあるでしょう。美的なことで言えばいかにアマティの美意識を理解できるかということに情熱を注いできました。それはストラディバリやグァルネリ家の下地にもなっています。私はそういう意味ではイタリアのヴァイオリンの大ファンです。
しかし現実にいろいろな楽器を見ていくと、それとは違う魅力もたくさんあることが分かってきました。オールドのドイツの楽器やフランスのモダン楽器にもそれぞれの魅力があります。音楽家が音が良いと言っていて、実際に音がよくて驚くことがありますが、ただの安物で職人としては自分の楽器の見方が狭い視野だったことに気付かされます。音響的に見ると楽器も全然違って見えてきます。音楽家の人たちとの交流によって思いもよらないことに気付かされることが多くあります。これは職人にとって貴重な体験です。

イタリアでは1800年頃になるとヴァイオリン職人が少なくなり、1850年頃にまた増え始めます。アマティの教えも世代ごとに薄まっていき田舎風の楽器が細々と作られていました。そこにフランス風の楽器製作が伝わったのがモダン以降のイタリアの楽器製作です。その中で質が低いだけのものや素人が作ったものが高価な値段になっていると私には何にも魅力を感じません。値段が高すぎることを無視すればイタリアのモダン楽器でも面白いもので木材の着色やニスの組み合わせは偶然によって見え方が違う部分が多く私は多くヒントを得ようとしています。100年程度の古さの楽器でも不思議と心地良く美しく見えるものがあり、新作楽器の製造では大いに参考になります。またミラノの流派はアマティのモデルで作っていることが多くあります。ヴィヨームやチェコのホモルカもアマティのモデルで作っていてアマティの解釈の仕方にも興味があります。

何が良いか悪いかを決めることに私はあまり興味がありません。どんなものかより知りたいという好奇心の方が上だからです。
音楽や楽器に限らずとかく作品についてやたら評価を決めたがる人がいます。大相撲のように誰が横綱でそれにふさわしいかどうかという議論です。

しかしクリエイターにとってはその時作りたいもののヒントになるようなものは皆価値があります。評価を定めるいうことは創造性の欠如です。創造性の才能が一番ない人が作品や作者の評価を定めているのですから無視して良いと思います。


買うべきじゃない楽器については、ネックがおかしいと継ネックが必要になります。継ネックの修理代を差し引いて楽器を買わなくてはいけません。
ボディストップ、つまりf字孔の位置がおかしい楽器は直すことができません。これは致命的なもので手を出してはいけません。短い方は手が小さい人にとっては弾きやすくなります。身長が2mあるとか、ビオラを弾いているので弦長の長いヴァイオリンでも問題ないという特別なケースは除きます。

あとは弦の張力に楽器が耐えられていないものです。アーチの形状が重要で裏板の中央は板が薄すぎても魂柱のところが押されてしまいます。
左右のf字孔の間隔が狭すぎるとバスバーを取り付ける位置がおかしくなります。これも嫌です。

修理が大変な損傷を多く受けているものも常にどこかの傷が開いてきます。修理は困難を極めます。
素人や下手な職人が修理したものは壊れたてのものに比べてはるかに困難です。

ネックがまっすぐに入っている楽器というのも実際には少ないです。ヴァイオリンやビオラなら変に手首をひねって演奏しているかもしれません。

外から見るとおかしくないように見えても欠陥や故障があることが多いです。文句なくパーフェクトに作られている楽器は少ないです。職人として気持ちが良いのはきちんと作られているものです。もし修理する場合でも決まった作業をやるだけです。これが粗悪品だと故障個所以外にも欠陥だらけです。その時壊れた場所だけではなく製造時の問題で直さないといけない所がたくさんあります。直し始めるときりがなく、はじめから作る方が簡単です。

そうやって職人が嫌う楽器の音が良かったりするので音楽家とは喧嘩になります。演奏家と職人はちょうど漫才師のコンビのようなものです。

職人でもさっきも言ったように美意識は人によって様々です。私が気にすることも他の職人は全く気にしません。そのようなことの積み重ねが音の違いになっているのでしょう。私は無神経な人の作る楽器のような音は出せません。音は好みであり、無神経な職人が作った楽器の音を気に入る人がいます、むしろ多数派かもしれません。だから弦楽器なんてなんでも良いと言っています。

それと、私が好きではないのは自分を立派に見せようとする人です。安物を高く見せるだけではなく、理屈を語っていかに自分の楽器が優れているか豪語したり、自分の腕の良さを誇示したり、大して腕も良くないのに誰からも文句を言われないように微妙な所を突いて作ってある楽器です。

美しいものに夢中になり我を忘れている人の方が私は好きです。










こんにちはガリッポです。

夏にはこちらの人は皆何週間も旅行に行ってるので楽器のメンテナンスの期間になります。

1987年にハンドメイド作られたビオラですがこんなことになっています。

ニスが剥げて白い木材の色が出ています。


ニスのダメージは楽器ごとに違いますし、使う人によっても違います。この楽器では衝撃が加わったところのニスがペリペリと剥がれ落ちています。一つはニスに弾力が少なく硬めの場合に起きるでしょう。また下地とニスが強く結びついておらず剥がれることがあるようです。下地の処理は目止めと言われます。木材に色のついたニスを直接塗ると木材に染み込んでいきます。木材の場所によって染み込む量が違いまだらになって汚らしくなってしまいます。これはよくDIYや素人の作った家具に見られるものです。

このため木材へのニスの染み込みを防ぐために目止めが行われます。そのための材料は様々であり十分な耐久性が無かったり、上から塗るニスと親和性が低く弾くような性質の場合には剥がれる原因になります。この楽器でもその疑いはありますが、30年以上使われている楽器であればこうなっていてもおかしいことではありません。したがって塗り直すなどの対応はコストがかかり過ぎます。


補修後はこのようになりました。小さな写真ではわからないレベルです。



悲惨だった楽器も見違えた事でしょう。
ニスを塗り直すような必要はありません。

とはいえ完全に新品のように戻ったわけではありません。表面にはいまだにヘコミが残っています。完全に新品のように直すのは難しいです。しかし弦楽器というのは音楽のための道具であり、飾っておくものではありません。刻み込まれた歴史は消し去ることはできません。

f字孔の上の辺りに何やら傷のようなものがあります。これは過去に補修されたものです。私の行った補修とは様子が違います。これは白い木の色がむき出しになったときに、慌てて濃い色を塗ってしまったため、傷のところの方が他のところよりも濃くなってしまったのです。このように修理する人によっても様子が変わってきます。これもまた歴史として楽器に刻まれて行きます。古い楽器はこのように異なる時代に多くの補修を受けているので人工的に古く見せかけたオールドイミテーションよりもずっと複雑になります。

なぜこのようになるか図で説明します。一番上のようにニスがはがれたとします。そこに補修のニスを塗ります。2段目のように傷の周囲までニスがついてしまいます。これを研磨すると重なった部分を削り落とすことができますが、もともとのニスまで削れます。3段目のようにオリジナルのニスが薄くなります。こうして補修したニスのほうが色が強くなります。仕上がりに差が出るのは注意深さの差ということです。

オリジナルのニスの厚みが薄すぎるとちょっと擦っただけで色が無くなってしまい、どんどん被害が大きくなっていきます。薄すぎるニスの楽器ではいつ修理が完成するか予測ができません、手を入れれば入れるほど被害が広がっていくからです。修理代も膨れ上がっていくはずですが、そこまで請求もできずに無償労働になっていきます。薄いニスの楽器の補修は地獄です。薄いニスのほうが音が良いと言って薄くニスを塗る職人は罰として補修の仕事を自分でやってほしいものです。
実際には一番下のようにニスがはがれているだけではなくへこみ傷が木材にまで達しています。傷の深い所では補修したニスの厚みが厚くなるので色が濃く見えます。したがって初めに無色のニスで傷を少し埋めてから補修ニスを塗ったほうが良いですね。それが厚すぎると傷が白いままになってしまいます。予測はとても難しいものですし、傷が完全に埋まるまで繰り返すには何週間もかかります。それは大げさすぎると傷がついた時に色だけを付ければ目立たなくなりますが後で周りのニスが擦れて色が薄くなり、傷に汚れが入って傷が浮かび上がってきます。

一番傷が目立つのは新品の楽器についた傷です。これを直すにはとても苦労しますが、一つだけの傷なので集中して作業ができます。今回のように無数に傷があると一つ一つ異なる傷の深さにあわせて対応を変えて完璧にやってはいられません。一方で30年以上経って全体的に古びて来ていますから直しきれない傷も雰囲気にマッチしてくるでしょう。もはや新品のように修理することは諦め「古びた味」と捉えるようにするしかないですね。古いものでも大事に手入れをしているものが醸し出す古さと、ただ傷んで汚くなっている古さは違います。趣きのある骨董品としてプラスの印象を受ける場合とガラクタのように見えてマイナスの印象を受ける場合の差がそこにあります。

アンティーク塗装の楽器の場合にはずっと簡単です。傷が増えたことはより本当の古い楽器のようになったということですし、人工的にやったものと違って自然です。しかし木材の白さがむき出しになっている状態では見苦しいので、汚れが入って黒ずんだように少し落ち着かせるだけで補修は済みます。また過去に修理がされたように敢えて赤っぽくすることもできます。アンティーク塗装の楽器はガシガシ使うのには良いです。

コーナーは傷みやすいものです。直すには木材を足さないといけません。しかし早いうちに直すほど継ぎ足す木材が少なく済みます。場所によって足している木材が違います。


修理後はこのような感じです。

エッジにも木材を足しています。新しくつけた木材に気まぐれのアンティーク塗装を施すといかにも新しい木材を足したという感じがしないでしょう。ここもまたこれからも傷がつき補修を繰り返すことになります。

こちらも30年以上前に作られたハンドメイドのヴァイオリンです。赤いですね。

赤いニスですがニスが剥げて白くなっているところがあります。

年輪の線の間が白くなっていて木材がむき出しになっています。これを修理するのは厄介です。

これは表板の表面に凹凸があるため高くなっているところが擦れてニスが剥げているのです。先ほどのビオラでは全くこのようにはなっていません。
これは仕上げ方の違いによります。

表板の表面はカーブしているためやすりのような道具は使えません。そこで鋼鉄の板の角で削ります。これをスクレーパーと言い西洋独特の工具で日本の木工にはありません。床や家具など幅広く使われていました。
表板は年輪の縦の断面が縦線となって表れています。これは冬目と言い冬の間は木材の成長が遅く密度が高くなっていてその間は白くて柔らかい夏目になります。それに対して熱帯地方では年中暑いのでラワン材のように年輪がはっきりしません。特に針葉樹ははっきりとした年輪ができ板にすると縦線になります。
スクレーパーでこれを削ると柔らかい夏目の部分は押し潰れてしまいあまり。削れません。一方硬い方の冬目は鋼鉄によって削り取られます。夏目のところはスポンジのように柔らかすぎて削れないのです。それで硬い冬目が溝になります。
それに対してビオラの方はそのあとサンドペーパーで仕上げてあります。サンドペーパーは柔らかい夏目が削れやすいので表面がつるつるになります。昔はサンドペーパーは無いのでオールド楽器ではそのようになっていたと考えられます。しかし数百年の間にも溝は汚れや補修ニスで埋まり、完全にニスが剥がれ落ちてから擦られて柔らかい夏目の部分が摩耗して当時の表面は残っていません。木材は暗く変色し、ニスが剥げたときに汚れが浸透しています。ニスの表面にも汚れがついていますので、このように真っ白になっていることはありません。
サンドペーパーで仕上げるときれいすぎるのでアンティーク塗装としてこのような処理をすることがよくありますが、実際のオールド楽器ではそのようになっていないことがほとんどでしょう。

今回のビオラと赤いニスのヴァイオリンはいずれもアルコールニスのようです。アルコールニスはアルコールに樹脂と色素を溶かしたものです。塗るときはさらさらした液体でアルコールが蒸発すると固形物が残り固まる仕組みです。アルコールニスは一日もすれば次の層が濡れるくらいには固まります。小さな面積の修理であれば1時間に一回くらい塗ることができます。新作楽器でも一日2回は濡れるでしょうか。アルコールニスが難しいのは塗るとそれまで塗った下の層を溶かしてしまうことです。筆や刷毛についたニスが多すぎて垂れてしまったりすると過去に塗った部分まで溶けて大惨事になってしまいます。オイルニスに比べて色ムラができやすいのですが、仮に失敗しても乾いていないニスをいじってはいけません。
表面には刷毛で塗った跡がつくので表面を耐水ペーパーや磨き粉で研磨しないといけません。このため木材の表面に凸凹があると高い所が削れて白木の色が出てきます。

ニスが乾くというのは表面が硬くなって触っても指紋などがつかなくなることですが、まだまだアルコール分は蒸発しきってはいません。それには何年もかかります。当初に比べるとニスが薄くなりデコボコのある仕上げになっていると擦れて白木が出てきます。ニスが無い所が出てきますので磨いても光沢が出ませんし、楽器を保護する効果も無くなります。回数を多くし時間をかけてニスを塗らないと十分な厚みになりません。
同じことはオイルニスでも全く起きないことはありません。むしろ顔料を使う手法が流行しています。染料というのは色素が溶け込んでいるもので、顔料は粉末が混ざっているものです。これは油絵の具のようなものです。薄い層で濃い色が付きますが、擦れるとすぐに色が剥げます。短時間で楽器が作れると業者にとっては安く入手出来て高く売れるので「天才」と映るわけですが修理するには地獄です。

有名な作者でも何でもない楽器でもこのようにメンテナンスを施して使い続けることでいつしか鳴るようになっています。急いで雑に作られたものならそもそも汚らしい印象なのでメンテナンスする意味もないかもしれません。正しいお金の使い方を理解してもらいたいものです。
新作楽器では鳴るかどうかではなく、音の質や性格が大事だと思います。中古楽器には無い種類の音のものなら新作楽器を作る意味があるでしょう。新作楽器で音に欲張りすぎることは弊害も起こすことでしょう。


こんにちはガリッポです。

4日間休みを取っていました。
一週間30℃を超える日が続いていたのでレンガ造りでエアコンもない建物は熱をどんどん貯めて日ごとに温度が上がっていきます。じわじわとこたえて仕事をしていてれば今頃は夏バテしていたことでしょう。
旅行などに行くこともなく、朝7時ころに散歩に出かけて風の通る景色の良い日陰にいて昼前に熱くなってきたら家に帰って暑さに耐えるというだけの暮らしでした。音響工学的なことについていもいろいろな試みをしていますが楽器製作に生かして発表するまでには至っていません。

しかし今年が例年よりも特別暑いということもなく、欧州熱波の様なニュースも聞かなかったことでしょう。海外の冷夏はニュースにならないのは不思議ですね。

雨が多いと洪水、雨が少ないと干ばつ、気温が高い、気温が低いと毎年何かがあり、農家は政府に支援を求めます。何なら豊作でも価格が下がって支援を求めるでしょう。それに対してヴァイオリン職人は政府から何の支援も受けられません。人数が少なすぎて選挙に影響が無いからです。

このような意見は自分の利益を求めるだけで正当性などはないと思ったほうが良いですね。聞く価値もありません。


弦楽器は未熟な産業で、ユーザーの求める水準とは全く違う現実があるのにいくら説明しても理解されないことを問題視してきました。

迷信がとても多く広まっていて、我々職人が学ぶ知識さえも怪しげなものが多いです。そこで私は徹底的な「結果主義」を推しています。
人は物事に原因を求めます。それが分からないと気持ち悪いようです。何か現象が起きた場合に「分からない」と放置するよりも迷信を信じるほうが安心するのでしょう。


音が悪い楽器が作られる理由は主に3つあるでしょう。
①手抜き
②迷信を信じている
③偶然

①の手抜きはコストを安くするためにも行われます。多くの場合外観よりも内部の仕事が雑になっています。不真面目でめんどくさがりな職人も多いです。ヴァイオリン製作学校や工房で先生や師匠に言われないとすぐに手を抜く人がほとんどです。このため学校の生徒よりも質が落ちるハンドメイドの楽器が多くあります。

②まじめに作っていても我々が学ぶ知識さえ迷信が多いのです。特に思い込みの激しい職人がいます。自分は音が良い楽器の作り方を編み出したとか、尊敬する師匠に教わったとか、ストラディバリの秘密を解明したとか自分は音が良い楽器の作り方を知っていると思い込んでいる人がいます。思い入れが強くなると希望的観測になってしまいます。
それは私も例外ではありません。
結果主義がいかに大事かということです。

③何も悪い所が無いのに音が良くないこともあるでしょう、それは偶然ですが理由は分からないままでしょう。そんなことも有り得ます。

そもそも音が悪いということも定義するのは難しいです。100人中100人が同じ楽器の音が悪いと感じることはまれでしょう。音が良いということも同じです。

そうなると好き嫌いの問題になってしまいます。

私は粗悪に作られていて、職人としてあるまじき行為だと憤慨する楽器があります。しかし弾いてみると音が良かったりします。私は許せない楽器で、私が弾いても音が良くないと思うこともあります。でも他の人は音が良いと気に入ることがあります。この楽器はここが良くないので音が悪いはずだと文句を言うことはできません。
逆にこれは見事な楽器だと思って修理しても弾かせてみると反応が芳しくないこともしばしばです。

仕事で体験するのはそんなレベルの話です。

チェロであるのは金属的なとても鋭い音を好む人がいます。チェロではスチール弦が99%以上使われていますが、新しい世代のスチール弦ほど金属的な耳障りな音が減少しています。弦メーカーはこれを改良だと考えています。
しかし、新しい弦は気に入らず古いものを使い続ける人もいます。
ベルギー駒というタイプの駒も90年代以降に流行ったのでしょうか?これも鋭い音がするもので未だにつけたがる職人がいます。フランス駒では柔らかく上品な音ですが、それでは他のチェロよりも目立たない地味な音になってしまうからです。

このため我々が試して、極端に鋭い音のチェロがあったとしても、そのようなチェロを選ぶ人がいるというのが事実ですから、調整して柔らかくする必要もありません。

強烈な音のチェロは安価なものにあります。たくさんの高価なチェロを試して気に入る音のものが無い場合には、意外と安価なものにあるかもしれません。特に100年くらい前の量産品には強烈な音のものがあります。ミルクールやザクセンの量産品を試してみるべきでしょう。

客観的に考えれば安物の楽器のほうが音が気に入るということも有り得ますが、一般の人で高い楽器に気に入る音のものが無い時に安価な楽器から探そうとはしないでしょうね。安いものには嫌悪感を持ち食わず嫌いして試そうともしないでしょう。「結果主義」なら話は違います。実際に才能あるチェロ奏者がそのような楽器を選ぶことはよくあります。私は職人として憤慨することです。

このように演奏家と職人は良い楽器について意見が分かれることもしばしばですから、「専門家」に過剰な期待はしないほうが良いという現実を知ってください。


最近分かってきた課題は、一般の人には楽器の違いが全く分からないということです。
この前もヴァイオリンを10本くらい売りに来た人がいます。興味が強くてとても好きな人で多くコレクションしているようです。そのすべてのヴァイオリンが修理して売り出す価値もないガラクタでした。さらにひどいのはニスを剥がして塗り直したり、自分流の修理を施してあったりしたことです。それをプロのレベルにやり直すのはさらに大変です。
興味が強い人ほどガラクタに惹かれて行くようですね。マニアほど違いが分からないようです。ランダムで選んだ方がマシでしょう。

ヴァイオリンをたくさん持っている人はすぐにこれは怪しいなと思います。不用品のようなものが売られていると後先考えずにすぐに欲しくなってしまうのでしょう。合理的に考えれば良いヴァイオリンが一つあってそれを弾きこむことが最良です。いくつか持っていてもどれか一本ばかりを弾くようになるのが普通です。
趣味だから買った喜びを再び味わいたいとなるのでしょう。自動車でもしょっちゅう買い替える人もいるし何かのコレクターではすでに持っているのに同じものをいくつも買う人もいます。

ギターなどは何本も持っている人は多いですね。10年くらいしたら飽きて違うものを買います。ヴァイオリン族の弦楽器もそうなってくれるとたくさん売れて良いのですが…。

それに対して、用途に応じていくつものヴァイオリンを使い分けるというのが難しいです。弓であればプロの演奏者なら大抵何本か持っていて音楽の時代などによって使い分けていることが普通です。現代の曲では弓を痛めるものがあります、安価なカーボンのものが必要です。

しかしヴァイオリン製作の世界は保守的で「ストラディバリが最高である」という考えが固定して、またストラディバリモデルの作り方から派生した現代の作風も固定しています。ディーラーの方でも値段が高いか安いかだけで音の方向性について語られることもありません。


職人は値段が高い作者でも、見ればそれが並の職人が作るものと変わらないことが分かります。この前も2000万円くらいするようなチェロがありました。ミラノのモダンチェロです。見るとごく普通のチェロです。ニスを見て残念な感じがするのは私も同じ失敗をしたことがあるからです。オレンジのニスを均等に塗ってありますがなぜか立派に見えないのです。私もそこから研究が始まりました。
見た目が普通のチェロですが、試してみると音もごく普通のものでした。
チェロにはよくあることで、有名なイタリアの作者のものでも見習の職人レべルのものがあります。チェロは作業量が多いので手抜きをしていることも有り得ますし、実際に雇っていた見習の職人が作った可能性があります。それを私たちは分かります。

でも演奏家の人は2000万円のチェロというと何か特別なものと思い込んでしまうのでしょう。持ってきた人はヴァイオリン教授です。この人もたくさん楽器を持っていて困ったものです。高価なオールド楽器を使っていたこともありますが、今は作者不明のモダン楽器を使っています。そんなものです。


大きな勘違いが二つあります。
中古品では量産品やただの粗悪品に高価な作者の偽造ラベルが貼られていることがとても多いです。そうやって言ってるのに引っかかる人が後を絶ちません。

次の問題は本物だったとしても別に大したものではないということです。ですからニセモノのほうが音が良いということもあります。

安価な偽物は音が良いはずがないと思い込んでいるのならそれも間違いです。高価な作者の楽器の音が良いという保証は何もないのです。

そう言うと音で楽器を買うわけじゃないという人がいます。私は音よりも楽器の見た目の方の専門家です。見た目と値段の不釣り合いについてはもっとわかります。
でも演奏家の多くは音が良い楽器を求めていると肝に銘じなくてはいけません。

そのような職人のほうが演奏者の信頼を得て商売は繁盛していることでしょう。ニスは薄い方が音が良いと言う職人がいます。しかしすぐにはがれてしまいメンテナンスが大変です。厚くニスを塗り直すしかないですが、それで音が変わってしまうと私は「下手な職人」だと思われてしまいます。だからそのような楽器は作った職人本人が罰としてメンテナンスをするべきです。

楽器を選ぶ理由について、見た目については一般の人は違いが分からない、音でもないとすれば何なんでしょうね?

有名な演奏者が使ったとか、創作された作者の伝説とか、他に何でしょうか?人に自慢できるものというのなら当ブログを見てもしょうがないです。いくらでも他に情報があることでしょう。

結果がすべてと言うと、新作楽器は厳しくなります。実際に実用性という点では厳しいですし、新作楽器の中で音が良いものが数百年後にどうかといえば分かりません。派手な音がするものは数年後にも耳障りな嫌な音になるかもしれません。音の質で考えたほうが良いかもしれません。







こんにちはガリッポです。

職人は楽器店の営業マンやユーザーとは全く違う楽器の見方をしています。それも人によってさらに違います。
弦楽器の違いは一般の人にはさっぱり分からないようです。自分では違いが分からないので営業マンの語る訳の分からないウンチクを求めていきます。
この問題については未だにどうしたらいいのか分かりません。

私は外国に住んでいて、寿司のようなものはいくら食べたくても日本に帰国したときの楽しみにしています。それは渡欧した当初からインチキ臭い寿司で痛い目に遭っているからです。日本人ではない人が作る寿司以外の日本料理はたいがい自分で作ったほうがましです。

調べてみるとこの10数年の間にSUSHIが大きく様変わりしていました。グーグルなどで「SUSHI」で画像検索をしてみてください。色鮮やかな訳の分からない創作寿司がたくさん出てきます。一番地味なのが本当の日本の寿司です。日本人の寿司職人が海外に店を出してもウケを狙ってそういうものを出しているようです。ミシュランの星がついているのはそんな日本人の店です。外国での日本料理の評価はめちゃくちゃで、素人が家で作ったような天ぷらの店がミシュランの星を取っていたりします。

外国の人に物の良さを伝えるのは難しいですね。弦楽器はその反対です。

残念ながら写真の上が切れていました。週明けに撮り直せたら画像を差し替えます。

このようなヴァイオリンがありました。
どうでしょうか?



ラベルは何もついていません。
量産楽器のようにコストを安くするためのことは特になされてはいないようです。
f字孔は太くなりすぎています。一か所でも手元が狂って失敗してしまうとそこだけがえぐれているとおかしいので他も平均化していくといつの間にか太くなりすぎてしまいがちです。
しかしそれ以外では特にまずい所は見受けられません。スクロールは渦巻きを専門に作る職人のものではないようです。

時代も分かりませんが木材の感じからしても2000年よりは前のものでしょう。作られてから30年くらいは経っているのではないでしょうか?

作者が有名だとか何か特別高価な値段がつく要素はありません。しかし音響的な意味で楽器としては問題は何もありません。

ニスはアンティーク塗装の一種で塗り分けられています。赤い色のニスは薄く擦れて剥げています。このようなものは現在ではわりとよくあります。流行の手法です。すぐにニスが剥げてしまうのが難点で普通量産品ならもっと製品として品質に安定性があります。

裏板も赤いニスの層が薄いために擦れたところが剥げています。

光を落としてみるとf字孔の周りが黒ずんで見えます。これはおそらく薬品を使って表板に色を付けたのではないかと思います。木目の向きによって染み込みやすい所とそうでないところがあります。
パフリングやコーナーなどの仕事も問題なくできています。
ストラディバリにそっくりにしようとかそういうこともありませんのでそれなりに個性があります。

このようなものはどこの誰が作ったのか全く分からない何でもないただのヴァイオリンです。
弾いてみると割とよく鳴る感じがします。モダン楽器にあるように低音はビャーと鳴り、高音はかなり鋭いです。強い音がします。アジアや日本の人は強い張力のE線を好むようですからこのような音は日本人の好みとも言えます。鳴るということで言えば何でもないただのヴァイオリンで十分です。個人レベルでは好き嫌いの問題です。

商品としてみると何の肩書もセールスポイントもありません。ものすごく完璧な美しさでもないし、何かオールドの名器を忠実に再現したわけではありませんがプロの仕事です。営業マンやお客さんはこのようなヴァイオリンがあっても気にも留めないかもしれないかもしれません。しかし職人から見れば人生をかけて修行をした後に大変な作業をして作ったヴァイオリンに見えます。現代の作者で自分で店を持っているのなら自分の名前のラベルを入れるでしょう。なぜラベルが何もついてないのかも謎です。都市部に店を持たず、量産品の上級品なのかもしれませんし、はたまた大きな産地か田舎の町で内職のように一人で家で作って業者に卸していたのかもしれません。卸の価格は50万円にも満たないでしょう。

普通に作って30~40年も使い込まれていればヴァイオリンはそこそこ鳴るのはおかしなことではありません。それに何か特別な理由はありません。このようなものが日本の店頭に並ぶでしょうかね?これに作者の名前がついて末端価格が150万円以上にならなければ輸入しません。何かしら名前さえあればその人を名工だの天才だのなんとでも言えます。

営業マンや一般の人はこのようなものがあっても見ようともしないでしょうね。

私の言っていることのニュアンスが分かりますかね?

オールドの量産品?



これは仕事がとても粗いのが分かりますか?

f字孔もパフリングも雑ですね。

仕事は無造作で使い込まれて摩耗している部分もありますが細部や曲線の美しさに凝っている様子はありません。

スクロールもアマティやストラディバリのようにバランスが取れていません。

これはジョバンニ・バティスタ・グランチーノ作でラベルは読めませんが1600年代の終わりにミラノで作られたものです。値段はこの楽器では状態も良くないのでそこまでではないかもしれませんが良ければ2000~3000万円は軽くします。とても美しいヤコブ・シュタイナーと同じくらいの値段です。
これくらいなら私は100万円もしないザクセンのオールド楽器でも出来栄えも音も変わらないと思います。
このヴァイオリンは横幅が普通のヴァイオリンよりも1㎝くらい細くおよそソリスト用というものではないという点でもザクセンのオールド楽器と変わりません。しかし小さい割には木材がふにゃふにゃになっているのでそこまで窮屈さは感じません。渋い音色と柔らかさだけではなくスケールの大きさについても新作の板の厚いカチコチの楽器には負けないでしょう。


オールドの時代にはアマティやストラディバリ、シュタイナーなど王室や宮廷に献上したようなほんのわずかな作者だけが品質の高い美しい楽器を作っていました。オールド時代の無名の作者のものや別の作者のものにこれらの偽造ラベルが貼られたものは必ずと言っていいほど品質が劣ります。古ければ何でも名器というのではなくてオールド時代にはクオリティの差が大きくあります。

現在では量産品に当たるような安価な楽器はただ単に雑に作られました。貴族社会の時代には名器は特別な存在だったはずです。

それに対して近代以降の作者の場合は、無名な作者のものにも有名な作者のものと同等かそれ以上の品質のものがあります。リュポーやヴィヨームよりも完成度が高いのにそれほど高価ではないフランスの作者もいます。近代ではハンドメイドの楽器のクオリティが著しく上がっているわけですが、一方安価なものは量産品として高度に組織化されて製造されてきました。

このため現代の何でもないただのヴァイオリンでもグランチーノよりは高品質です。工芸品として見ると多くのオールド楽器はただの古民具でしかありません。

現在の人は工芸品としての美しさには興味が無く、性能や機能性を評価します。名演奏者もまさにそのような人たちです。グァルネリ・デルジェスやG.B.グァダニーニなどは粗雑に作られたものです。ベルゴンツィやモンタニアーナでも近代の水準で見ればクオリティが高い方ではありません。それらを名器と考えるなら見た目はどうでも良いということになります。それが音楽家の楽器の見方です。それを名演奏者が愛用したと商売人は名器として販売してきました。



品質は現代の普通のヴァイオリンのほうが高いですがスタイルは違います。


アーチの高さも多少ありますがめちゃくちゃ高いという事でもありません。

ボコボコしたようないびつなアーチでざっくりと鑿で削って作った感じがします。いちいちこだわらずに次々と作っていたことでしょう。

現代のものは途中まで機械で作って仕上げだけ人がやっても変わりない感じです。でも欠点は無いので文句はありません。

鳴る楽器が作れることは別に何か特別優れた結果ではないと思います。それを前回量産品でも十分だよという話でした。

あとは傷み方を見てみると300年という月日は現代の職人がとても似せて作れるようなものではないことも分かってほしいです。50、100年古く見せるのにどれだけ苦労することか・・・・。

ただ写真では実物の何パーセントも伝わりません。言葉だけではイメージしずらいので挿絵的にイメージ写真を載せているだけと思ってください。それもスマホの小さな画面ではなんでもきれいに見えます。できるだけいろいろな楽器の実物を見るようにしてください。私たちはメールの画像などで楽器を購入したりすることは絶対にしません。必ず実物を見ないといけません。

オールドの粗雑に作られた楽器と近代以降に粗雑に作られた楽器を見分けるのが難しいでしょう。そういう怪しい楽器が業者にとっては都合が良いわけです。買う時はただのガラクタで売るときは名器になるからです。見分ける方法は鑑定書だけです。それ以外は私がどう思うなんてことも意味がありません。

音について言えば普通に作ってあるだけでヴァイオリンは十分だと思います。あとは自分の楽器を信じて弾き続けるだけです。チェロはそのレベルのものもなかなかありません。音は好みの問題です。

当初から「ひどくなければなんでもいい」と私の言ってることはまだ伝わっていないようですね。


さてしばらく夏休みとさせていただきます。返信も更新もしないかもしれません、ご了承ください。
こんにちはガリッポです。

会社の倉庫を片付けていたらチェロが出てきました。

長年放置されていたようです。

ミッテンバルトの先代のレオンハルトです。フランス式のヴァイオリン製作を導入したモダンミッテンバルトの雰囲気が残っています。レオンハルトは今でも続いていて日本でも輸入されているでしょう。

スクロールもいかにも量産品で安上がりに作られています。
戦後、東西の冷戦が集結し、中国や東欧の製品が入るようになるまでは西側の国では西ドイツのものが「安価な量産品」でした。日本の鈴木バイオリンもとても安価なものを作っていました。

1982年製ですが、量産品として作られていて当時は安かったと思われます。アメリカや日本にも輸出され中古品が日本にも残っているかもしれません。

日本でドイツの楽器が安物だというイメージはこの頃のものです。そんなことでたいした値打ちもないとおそらくうちの先代の社長が倉庫にほったらかしにしてあったのでしょう。

しかし今となってみると中国製などはるかに安価なものが多くなっていますので40年経っていることを考えると貴重になってきました。フランス的な雰囲気がまだ残っています。

現在の日本でも商品価値があって輸入されているかどうかは別の話ですが、今でもドイツメーカーにはとても安価な製品があります。しかし製造国については公表されていません。我々の間では「分かるよな」という感じです。ネックやペグボックスなどに漢字で何やら印がついていることがあります。
高級車のベンツやBMWが南アフリカで作られていたり、アイフォンが中国で作られていることと同じです。それで言うとさっきのラインハルトのチェロは西ドイツ製です。

この時代のチェロにはこういうタイプの指板がついています。ネックも下がっているので修理が必要です。胴体の方は大丈夫そうです。戦前のものに比べれば修理は楽です。
昔の感覚で言えば100万円もしない感じでしょうけども、ルーマニア製のものでもそれ以上するくらいですから1万ユーロを超えないくらいでしょうかね?アメリカなどでは1万2000ドルくらいはしそうです。
これなら日本にもありそうです。

ミルクールの量産ヴァイオリン


次はミルクールの量産ヴァイオリンです。

これはいかにもミルクールのものという感じのするものですが、一般の人には難しいでしょうね?基本的にはフランスの一流の作者のスタイルがベースになっています。クオリティがそこまで無いので量産品と分かります。前回も言ったようにクオリティによって量産品を見分けます。
ミルクールの量産品も一つの形ではなくていくつかパターンがあります。モデルと言いf字孔と言いこういうのもあります。コピーのコピーのコピー・・・と繰り返していった結果もはやストラディバリの型には見えません。ミルクール独自の形です。
表板の材質は木目の粗い木です。木目の粗い木はモダン楽器ではわりと好まれて使われています。しかしこれはチェロに使うようなものです。

フランスの楽器にしては仕事は大味でf字孔もだらしなく大きく広がっています。

パフリングの先端も先が長くフランス的な感じですがバランスがおかしいです。縁からパフリングまでの距離が遠すぎるのです。

裏板の木材は量産品とは思えないものを使っています。最高級でないにしてもなかなかのものです。形はもうストラディバリというよりもどっちかというと二コラなどのガリアーノみたいです。楽器のモデルというのはちょっとしたことで見え方が変わってしまいます。製造クオリティも重要な要素です。しかし物理的に違いが出るほどではなくそれで音が決まるというほどの違いではありません。したがって職人やメーカーは希望する音にするためにモデルを設計したり選んだりすることは現実的な話ではありません。このような知ったかぶりの知識が溢れています。
仕事は大味ですがフランス的な特徴があります。このためミルクールの楽器を見分けるにはまずフランスの一流の楽器を理解する必要があります。
ニスはラッカー的なものでしょう。時代は1900年を過ぎているくらいでしょうか?ミルクールのもので1800年代のものはもっと木材が灰色~みどりっぽくなっているものです。おそらく薬品のようなもので反応させて色を付けていたのでしょう。

スクロールの縁が黒くなっているのはストラディバリを模したものでフランスのモダン楽器では基本です。
量産品にしてはきれいですが、一流のフランスの作者のレベルにはありません。
指板が薄くなっているので交換が必要です。

正面も直線的にピシッとしているように見えます。それでも一流のレベルではありません。
指板の幅が広いのがフランスの特徴で、ドイツやチェコのものはもっと細いものがついています。フランスのものでもバロック時代のものに比べれば細いですが、ドイツやチェコのものはもっと細いです。これは持ちやすさを考慮して細くなっていったのです。近年では体格がよくなりても大きくなっているので極端に細くはしません。
指板の幅に伴ってペグボックスの幅も違います。イタリアは規格を統一するというのが苦手なので職人によって違いますが、ドイツやチェコのものより太い作者が多いと思います。極端に細いネックの場合にはチェコのボヘミアの楽器である可能性が高いです。

これでも一流の作者のレベルにはありません。

ネックの取り付け方にも特徴があり19世紀のモダン楽器のスタイルが残っています。現在よりも急な角度で斜めにネックがついています。ドイツで1900年頃から量産されたものでは現在と同じものになっています。

ラベルは無く焼き印が押してあります。

本に焼き印が載っています。真ん中の三角になっているものです。わりとよく見るもので生産量がかなり多かったメーカーでしょう。時代もかなり開きがあるようです。

一流のフランスの作者のものに比べると質が何段階か落ちます。板の厚みも少し厚くギリギリまで薄くしていません。普通くらいでしょうか?
したがってフランスの一流の楽器の品質が落ちて厳格さを失った感じです。

この楽器で驚くのはサイズが大きいことです。横幅が普通のストラドモデルよりも1㎝ほど大きいです。

大味で仕事の粗いものですが工場製ということでストラドモデルの細かい特徴を理解していません。初心者が作ったようにも見えます。でも極端に安価な量産品の粗さではありません。まあまあ丁寧に作っているけども美的なバランスが分かっていないという感じです。

音は?

今回は指板を削り直し、ニスを掃除して、弦を新しいものに張り替えました。ペグは柔らかいローズウッドで摩耗してブレーキが効きにくくなっています。交換すべきですが持ち主は大丈夫なのだそうです。
指板もラストチャンスです薄くなりすぎてこれ以上は無理です。

修理が終わって弾いてみるととてもよく鳴るのが印象的でした。明るい音と暗い音の中間くらいです。新品でこの音なら暗い方でしょうが「ビオラのような」というほど暗い音ではありません。
量産品ではありますが、弾いたら楽しくなるような鳴りの良さがあります。ハンドメイドの楽器でもこのようによく鳴るものはそうそうないでしょう。頭で考えるのではなくて一度このようなものを弾けば「量産品だろうがハンドメイドだろうが関係ない」ということが分かると思います。

なぜこのようによく鳴るかというのはよくわかりません。同じメーカーのものがあって良いだろうと思って買うとそんなでも無かったりします。何か秘密があるのではなくてたまたまでしょうね。どこの産地にもあるので木材の産地がどうとかそいう事でも無さそうです。作り方の問題なのか、その後100年間で鳴るようになったのかもわかりません。
サイズがかなり大きいことの音への影響はよくわかりません。少なくとも低音が強い「ビオラのような音」にはなっていません。大きさによってビオラのような音になるわけではないと思います。カギカッコになっているのは実際にはビオラも明るい音のものが多く、深い低音のものは多くありません。

よく日本で明るい音が良いということが言われますが私にはピンときません。ヒトの耳はすべて音の高さが同じように聞こえるわけではなく、1000~2000Hzあたりが他の音よりもよく聞こえます。ヒトは測定器ではなく生存競争に生き残って来た生物です。そのことが周囲の環境を把握するのに有利だったのでしょう。スイカなどのように音で果物が熟しているかを把握することもできます。また赤ちゃんや子供、女性の声が聞こえやすい音域であることも生存率を高めた事でしょう。明るい音というのはおそらくその辺の音が倍音も含めてよく出ている楽器ということになるのでしょう。どうやってヒトが音を音波以上のものとして感じるのか興味深いです。このためもっと低い音が出るビオラのような音は地味に聞こえるという事なんでしょう。しかしこのように本当によく鳴る楽器というのはそんなレベルではなくて引いた瞬間に明らかに板がよく響いて音が豊かに出ます。そういうものが日本には少ないのでしょうかね?音色が明るいだけでは鳴っているとは思いません。暗い音でよく鳴る楽器はあります。

これも教師のお客さんのものですからよく弾きこんでいるからなのかもしれません。教師が量産品を使っているというのも楽器の実力からすれば全くおかしくないです。
こういうものは修理では来ますが売り物ではあまりありません。

一流のフランスの作者のものからすればクオリティは落ちますが、楽器の構造上は十分なレベルにあって、運よく鳴るようになっているようです。

それに対して作者を神様のように信仰の対象にして高い値段をつけて売っています。骨董品の値段などは過去にその値段で買った(愚かな?)人がいるので、それ以上の値段をつけて売っているだけですよ。音を評価して値段をつけているわけではありません。

この宗教を信じるためには、量産品は音が悪くないと都合が悪くなります。神様のような作者が意図的に音を作り出しているという体裁になっていないと困ります。量産品は部品ごとに別の人が作っていて、設計思想に統一感が無いために音が悪いというのです。

私も20年以上やってきてこれはであることが分かってきました。このことは迷信を捨て弦楽器を理解する上での根幹にかかわることです。量産品でも音が良いものがあります。分業でも十分なレベルにあれば問題はありません。意味は分かっていなくてもヴァイオリンのようなものを作れば好き嫌いの範疇であってそうそう極端に変な音にはなりません。一方一人の職人が作っても各部の組み合わせでどんな音になるか予想するのは困難です。変な音のヴァイオリンを作って欲しいと言われてもその作り方も分かりません。ヴァイオリン製作を習って初めて作ったヴァイオリンからヴァイオリンのような音になりました。フランスの弦楽器製作のレベルが高いのでそれより仕事が甘い量産品でも並みのハンドメイドの作者と変わらないレベルのものが有り得ます。1850年以降のものはイタリアをはじめフランス以外の作者もフランスの一流の作者のものから何段階か仕事が甘くなったものですから。宗教を信じている人の間ではストラディバリと同じイタリア人は生まれながらにして神様なんでしょうけども。私は職人を人間として見たほうがより真実のイタリアの楽器の魅力が理解できると思います。

でもミルクールのものは音が良いかというと、木材が朽ちて弱った感じのものが多い印象があります。それは薬品で処理した副作用かもしれません。この楽器はたまたまよかっただけです。

フランス製でも粗悪品は粗悪品です。この楽器は見た目よりは音が良いです。一流の職人のものと比べるとはるかに大雑把で美的なバランスは悪いけども仕事自体はそれほど悪くありません。新しめのミルクールのヴァイオリンにはあまり良い印象を持っていませんでしたが、結局一台一台音を確かめないといけません。
こんにちはガリッポです。

弦楽器ではニセモノが問題になりますが、資産として扱うにも問題があります。
持っているだけでなんとなく価値がありそうだとは思っていても金額として数字で表さないといけない場面もあるでしょう。
骨董品では専門家に価値を査定してもらう必要があります。


先週も一件問題が起きました。
裁判所から楽器の価値を証明する書類を作るように求められました。
400万円ほどの価値があると言われているヴァイオリンがあって、正式な書類を作って欲しいとのことです。しかし楽器を見ると修理代を差し引けばせいぜい10万円位のものです。
詳しくは言えませんが、依頼書には作者名も不明で金額だけをべらぼうに書いてありました。

一般の人は弦楽器の価値が分からないため、「専門家」の意見だけが頼りになります。それがデタラメでした。
師匠は「書類を作成する価値もない」と依頼者に説明しました。
これが弁護士なら30分単位で高額な費用を請求することでしょう。

その楽器を見ると量産品のように品質が安定しておらず、手作り感はあります。しかしヴァイオリン製作学校の生徒のものよりも劣るクオリティで材料もチープなものです。うちでは手作りだとしても量産品以下のクオリティのものなら量産品の最低ランクの値段にしか評価しません。

工業製品では機械で作られたものと手作りのものがあります。
例えば機械ではとても出せないような精度のものを高度な技能を持った職人が仕上げることもあります。一方手書きの文章が読みにくいように、手作りの方が品質が悪い場合もあります。
手作りなら機械で作ったものよりも品質が悪くても当然なのでしょうか?

弦楽器は1500年頃に形が出来上がったので、機械で作ることを前提に設計されてはいません。このため機械で高度な技能を持った職人以上の品質のものを作ることは困難です。小さい楽器ほど顕著で難しくなります。大きな楽器になると職人も細部まで精密に加工していてはコストがかかりすぎてしまいます。一方大きいほど機械で作るには適しています。このためコントラバスなどは無垢材でも100万円以下で作れます。

ともかく資産としては「専門家」のさじ加減一つで財産の金額が決まるのですから恐ろしいものです。クラシックの歴史ある国でもこんな状態ですから、弦楽器無法地帯の日本で楽器を資産として考えるのはリスクが高いですね。また子供やライフワークのために全財産を投入することがいかに危ないことか知るべきです。

私も日本の職人仲間に「信頼できる業者を教えて」と聞いても黙りこくって返事をもらえませんでした。心当たりがないのでしょう。

保険でも全損になった場合の補償額を巡って保険会社側が弦楽器の専門家ではない専門家の書類を元に補償額を決定したこともありました。弦楽器特有の条件を考えずに、一般の商品と同じように価値を査定していました。一般の商品ならカタログ価格から一定の期間を過ぎて価値を一定の割合でマイナスにするようです。損害額は保険を掛けたときよりもはるかに少なく計上されていました。戦前に作られたものでカタログ価格などは無く骨董品です。評価額が数年で下がることはありません。保険を掛けたときの評価額がそのまま損害になるべきです。楽器専門の保険会社でないとこういうトラブルは起きます。また、評価額は掛け金に影響してきます。少なくとも物価上昇分は楽器の価値が上がるので定期的に評価額を見直さないといけません。

他人事だと思ってさらっと読み飛ばしてしまうかもしれませんが、私にはどうすることもできません。


もう一つは趣味の分野としても成熟していません。
私は趣味がジャンルとして確立するにはメーカー、販売者、消費者の三つともが「バカ」である必要があると思います。
趣味の世界では「バカ」というのは誉め言葉です。釣りバカ日誌という作品がありますね。
メーカーはコストを下げて低品質なものを作れば多く儲かります。販売者は安いものを高く売れば儲かります。高学歴エリートで銀行出身の賢い経営者はそうするでしょう。

消費者はどうしたらいいでしょう?
たかが楽器なんてものに全財産を投入するというのがバカげています。
業者がずる賢く消費者だけがバカであると賢いメーカーと販売者に騙されてしまいます。
損するのに高品質にこだわるメーカーはバカでしょうし、正直に情報を提供して適正価格で売るのは「バカ正直」です。3者がバカなら成立するでしょう。

現状では消費者だけがバカなので搾取されます。
お客さんでもそのような人は少ないです。日ごろはぜいたくな生活はせず、音楽や楽器にだけにすべてをささげるような人は少ないです。特にヨーロッパの方がそういう偏った人は少ないと思います。

こちらでは夏休みに国外旅行に行くのが普通です。この前もお客さんが話をしていて、これからニューヨークに行ってそのあとは地中海のリゾートに行きますと言っていました。日本人と違って一週間どころではなく、何週間も行っています。学校の先生は夏休みも長いのでみなキャンピングカーを持っています。日本でキャンピングカーを持っているなんてどこの富豪かと思うわけですが地方公務員のレベルです。
旅行に行くためのお金には糸目をつけない代わりに楽器にはお金をかけません。夏休みには楽器の練習もしません。それがヨーロッパでは普通です。
夏に国外旅行にもいかず練習するなんてのはこちらでは変人の部類です。

日本人はとかくマニアックな人がいて一つのことにとても集中します。子供の教育でも楽器の練習が生活の中心になります。そこを突いてくるのが賢い業者です。


もともとクラシック音楽もお金持ちのパーティーの「出し物」に過ぎないと思います。芸術家がそんな仕事でも熱意を持っていたのは別の話です。その辺の感覚が日本人には分かりにくい所です。それがクラシック音楽を理解するヒントになるのではないでしょうか?

とにかくヨーロッパの人は集中力がありません。人が何人か集まるとすぐにパーティーが始まります。工房内はおしゃべりがうるさくて調整や試奏をする楽器の音が聞こえないくらいです。日本では考えられないくらいおしゃべりな人が次から次へと表れます。工員も無駄話ばかりしながら仕事していることでしょう。日本製品と違って品質が悪いのは当たり前です。仕事中におしゃべりして怒られるという発想がありません。おしゃべりな人が出世して偉くなっているからです。

好奇心が旺盛で聞いた知識が多く物事にこだわらず浅くとらえてバランス感覚があります。それが独特な西洋人の美意識ですね。


なぜ弦楽器の世界では大きな会社ほど品質が悪くなるかといえば、品質にこだわるバカな人の割合が少なくなっていくからでしょう。総合楽器店になるとさらに質が落ちますが、初心者には弦楽器専門店や職人の工房を訪ねるのは敷居が高いと感じるでしょう。最近ではアマゾンなどをはじめネットでも楽器を売っています。このため今でも99%は量産品です。品質にこだわる職人なら売るものは違ってくるでしょうがそんな人は大手の企業には就職しません。

イメージの話ですが1%は高品質な楽器があります。
その違いを見分けるのが職人の目です。作者が天才かどうかそういう事ではなく、コストを削減するために粗悪なものを作っているかどうかを見ているのです。また素人や不器用な「自信家」の職人のものは手作りでも自分に甘く同様に粗悪なものがあります。1かゼロではなく間があります。細かいグレードの違いを見ています。生産国はどこの国でも品質の悪いものと高いものがあります。品質の高い国と低い国があるのではなくどこの国でも粗悪品があります。粗悪品を作る人は、会ってみたらすごく常識があって感じのいい人かもしれません。むしろ高品質な楽器を作る人は頭がおかしい方の人です。

なので生産国名を見るのではなく楽器自体を見ます。これが職人以外の人と違う楽器の見方です。

品質が高いとは限りませんが何かのきっかけで有名になった作者のものはさらに1%以下、つまり0.001%にも満たないというのが私のイメージです。値段が品質を表すというレベルではなく桁違いに高価になるのはそのためです。無名な高品質の楽器なら100倍くらいは現存するし音が悪いわけでも無いので職人としては最もお薦めしたいものです。職人が選んだものの中ら名前にこだわらずにいくつか試奏して好みのものを探せというわけです。



しばらくしていなかった恒例の「3者のプロ」の話をまたしましょう。
弦楽器の良さを分かると思っているプロには3者あります。

①演奏家
②楽器商
③楽器職人

①の演奏家は楽器を用意すると楽器をちらっと見たかと思えばすぐに弾き始めます。がどうかと気にします。楽器の見た目の違いは分かりません。音大の教授でも量産品とハンドメイドの楽器を見分けることはできません。プロの演奏家が音で楽器を見分けた場合と職人が見た目で見分けた場合ではどちらが正しいでしょうか?パフリングの素材が量産工場で使われていたものならどんなに音が良くても量産品です。
作られたときから半分壊れているような粗悪品が意外と音が良いことがあって教師などに評価されることがあります。後で修理代がいくらかかるかわかりませんが、作られたときから酷いものは直しようが無いです。また偉い先生が持っているからといってニセモノではないということはありません。聞かれなければ言いませんが私が見てニセモノだなと思うことはあります。特に日本では偉い音楽家ほど怪しい業者が集まってくることでしょう。

②の楽器商にとっては安く買ったものを高く売ることが最大の成功であるため一番重視することはお金です。営業マンで自分も買い付けもするとすれば、自分の営業成績を高めやすいものです。私にとっては懐かしい話ですが、日本では会社に「朝礼」があって営業マンは今月の売り上げを言わされます。売上額が十分でなければ叱責されます。このため必殺のセールストークで「売れやすいもの」売上高である以上は「高く売れるもの」が何よりも重要です。音大卒の営業マンが音で選んだとしてもその人の趣味をごり押しするか多数派にウケやすいものが評価されるでしょう。弦楽器が好きで上質なものを売る楽器店を始めたいと申し出てくる人がいれば、「やめとけ」と業界関係者は口をそろえて言うでしょうね。まじめに弦楽器のことを勉強しても知られている知識がデタラメなのでまじめに先輩から勉強するほどお客さんを騙すことになります。

③職人は品質を見ます。品質というのは難しい概念ですが一つ一つの作業を上手くこなしているかを見ます。それぞれの工程で油断すると失敗してしまいやすい箇所というのは誰でも同じなので、失敗したまま見逃して売られているものは品質が悪いということです。ハンバーグを初心者が焼くと外が焦げて中が生焼けだったりするように失敗は決まっています。外観が変わっていても下手なだけでは他の下手な作者のものと雰囲気が似ているのでそれを個性とは私は考えません。しかし一般の人には分からないので偽造ラベルが貼られます。
ただし品質が高いからといって必ずしも音が良いというわけではありません。こんな情報も当ブログ以外で知る機会はそんなにないでしょうね。一見科学的なアプローチをする職人でも、結果としての音を自分の都合のいいように評価している人は理系的な趣味趣向があるというだけで科学とは正反対の態度です。


こうなると楽器をたくさん並べて3者のプロが良いと思う楽器を選ぶと全く別のものが選ばれることになるかもしれません。それぞれのプロ同士でも意見は分かれます。したがってこの世に絶対的な弦楽器の評価などというものは無いことになります。


これだけの話を理解すれば十分です。これ以上ブログを見る必要もありません。しかしどんな話をしても一つ話をすれば読んだ人は10、いや100通りの勘違いが生じます。そのすべてをあらかじめ予測して注意事項を書けば一つのことを説明するだけでその100倍の記事が必要になるでしょう。
私が知っていることも一部です。おとり捜査や潜入調査しているわけじゃないし、修理や保険の手続きなどに持ち込まれた楽器で被害が発覚するだけで、特にダーティーな部分はあり得るとしかわかりません。書いてあることで不十分だと思うなら私では期待にこたえることはできません。

いずれにしても一般の人は楽器を見ても違いが判りません。私は一瞬で安価なものだと分かるものでも、一般の人にはわかりません。私はこれくらいは分かるだろうと記事を書いてきましたが舐めてました。申し訳ありません。

とかく日本人はブランドが好きで・・商人気質の国民性のせいにしてきましたが、一般の人には違いが分からないのでそういうことになってしまうのではないかと思います。

趣味としても違いが分からないと面白くありません。私がオールドヴァイオリンを褒めれば偽造ラベルの貼られた近代やアンティーク塗装された新作の量産品を買ってしまう人が出てくるでしょう。
近代以降ストラドモデルのヴァイオリンを作ってもみなちょっとずつ違っていて作者の癖というのがあります。それは違いです。昔テレビで素人のど自慢大会のようなのがあって、審査員の偉い演歌の作曲家か何かの先生が「君の歌は誰かの真似で個性が無い」と酷評していました。作曲された演歌の曲こそ皆似ているように思いますが、そんな価値観を擦り込まれてきます。そんなレベルの話ではなく粗悪品が多い中、上級品の時点で私は価値があると思います。
しかし私には違いが分かっても他の職人や一般の人には違いが分からないこともあります。

今後どうするか考えないといけません。


ヴァイオリン①


これがどれくらいのグレードのものか分かるでしょうか?



これは20世紀前半のマルクノイキルヒェンの大量生産で特に安価なものです。中は削り残しのバスバーです。
裏板を見ると木材がチープなのはすぐにわかります。色に差をつけてありますが、中央の溝と上部の色を濃くしてあります。この時グラデーションが滑らかになっています。これはスプレーを使っているでしょう。スプレーは19世紀には発明されていて20世紀には実用として使われ始めたと思います。今はコンプレッサーの機械を使いますが昔はボンベを使っていたようです。
スプレーの技術は洗練されていてきれいに塗ってあります。しかしオールド楽器にはそんなものはありませんでしたから古い楽器のようには見えません。ニスの種類はラッカーになります。ラッカーはセルロイド系の素材です。

傷がついていますがわざとらしいものではないので本当についた傷ではないかと思います。真っ黒にはなっておらず100年くらい前のヴァイオリンの本当の傷はこれくらいの感じです。
値段は10万円以下のものは修理する値打ちも無いです。売り物になる古い量産品はこのような最低レベルでも10~20万円位にはなるでしょうかね?
これでも表板を開けるような修理が必要になったらもうゴミです。
音はすごく嫌な耳障りな音はしません。スケールが小さいはっきりした音のように感じます。

ヴァイオリン②


次はどれくらいでしょうか?



これはf字孔が印象的ですね。
一見するとガルネリモデルのように思うかもしれませんが、f字孔が細長くとがっている以外にはガルネリモデルの特徴はありません。
ラベルには作者名がヘルマン・グラスルで産地はミュンヘンと書いてあります。

一見してクオリティが高いのですぐに一人前の職人のハンドメイドのものだと分かります。作られた年は1919年です。

ミュンヘンというとオールドの時代から楽器職人がいて、ベネツィアに行ったマーティン・カイザーはベネチア派の礎を築きました。近代でもミッテンバルトの影響があったり、イタリアからジュゼッペ・フィオリーニが移住して来たりしています。
しかしこの作者の出身地がどこかわかります。

ペグボックスの突き当りが丸くなっているのです。これはどこでしょう?
そうですチェコのボヘミアです。

本で作者に調べてみるとどんぴしゃりでボヘミアの出身だと書いてありました。ハンブルクでゲオルグ・ヴィンターリングの下で修行したおじさんに教わっていて、そのほかにスイスやロンドン、ウィーンでも働いていています。そしてミュンヘンで独立したようです。
これだけいろいろな所に行ったのにボヘミアの特徴がちょっと残っているのが面白いですね。

ニスは赤く柔らかいオイルニスで典型的なこの時代のドイツのマイスターたちの特徴です。今でもオイルニスは柔らかいから音が良いとか、ラッカーは硬いから音が悪いという知識がありますが、この頃の考え方です。私は実際には必ずしも音がそうであるとは言えないと思います。ですので音を重視するなら気にすることはありませんが、高級品と量産品を見分けるポイントになります。


それにしてもf字孔に特徴がありますね。ガルネリ的なものですがもっとオーバーになっています。尖ったf字孔というのは初めに糸鋸で荒く切り抜いた時にすでに尖ったf字孔になっています。そこからナイフで丸みをつけていきます。ストラディバリ以降のf字孔に慣れているとアマティのような丸みまで削るのは怖くて生きた心地がしません。したがって尖ったf字孔になるのは仕事を早く切り上げているだけとも言えます。それがデルジェスの特徴です。同じ時期のザクセンの楽器にも大きく尖ったf字孔のものがありますがガルネリモデルではなく偶然の一致でしょう。
これは近代ですから当然ガルネリの影響があるでしょう。
赤いニスも20世紀の初めに好まれたものです。現在でも国際的なヴァイオリン製作コンクールを見るとこんな色のものが多いです。ボヘミアだとどちらかというと黄金色みたいなものが多い印象です。この時代のドイツのマイスターの楽器というのは20世紀から現在に至るまでの世界的な作風を先取りしていたということになります。

コーナーにははっきりした特徴があります。2004年に出版されたドイツのヴァイオリン製作者協会の本に代表的なモダンの作者の楽器が集められています。見るとコーナーは全く同じです。スクロール、ヘッド部分は全く同じです。f字孔は長いけどもここまで尖っていはいません。
まず本物と思って間違いないでしょう。

中にもサインがありますが、指板の下のところにサインをしてある楽器は初めて見ました。焼き印も横板のエンドピンのそばに押してあります。

この人もドイツのヴァイオリン製作者協会に所属していた人でモダンの作者を代表するマイスターです。にもかかわらず世界では知られておらずオークションなどの記録もありません。相場などは無く、値段は新作楽器よりも安いくらいでしょう。1万5000ユーロを超えるのは難しそうです。100年前のドイツを代表するマイスターでも世界では全く知られていません。何故かというと楽器商は誰も興味が無いからです。商業的に面白みがないと作者の評価さえもされないのです。一方同じ時代のイタリアの作者なら粗雑なマイナーな作者まで知られています。

個性的な楽器を高いクオリティで作ったにもかかわらず無名なままです。セールスマンがイタリアの作者を「個性があるから良い」というのならこれも個性があります。ウンチクというのは口で言ってるだけで実際とは関係がありません。実際にイタリア以外にも個性的な楽器があります。未知の名器を探求する情熱を持った人がいないんでしょうね?

アーチは縦横ともに断面が三角形に近く頂点はかなり高さがあります。

ミルクールの量産品のような極端に平らなものではなく立体感があります。ボヘミアの作者はフリーハンドの立体感があります。これは記憶が定かではありませんが、同じ作者のフラットなものも見たことがあるように思います。
このアーチの感じは同じミュンヘンのジュゼッペ・フィオリーニの感じにも似ているように思います。その辺の影響があったのでしょうか?フィオリーニや弟子のポッジなら値段が一桁違います。同じような楽器作りの考え方があって個性的でも大違いです。

100年以上経っている割にはきれいですね。柔らかいオイルニスは擦れても消しゴムのように薄くなっていきますし、ベトベトしていて汚れが付きやすいです。この楽器の状態からするとそれほど弾かれていません。

写真でうまく写らないくらい微妙な汚れがついています。掃除したときにf字孔の周辺に取りきれなくて残ります。本当に50年~100年くらい経った楽器はこのようにうっすらと汚れが付く程度です。この感じを人工的に再現するのはとても難しくうまくできているものは見たことがありません。わざとらしいものが多くこの手の汚れを見えている職人がいないんでしょうね。私も成功していません。このような残り方をするのはアーチの表面をきれいに仕上げてあるからです。これが粗雑な楽器だと凹凸に汚れが反映されもっと汚らしい残り方になります。まず一級のクオリティの仕上げの楽器を作らないとこういう汚れの残り方にならないのです。
また汚れの見え方はニスの色とも関係があります。暗い色のニスならほとんど見えません。鮮やかな赤でも目立ちにくいでしょう。しかしほんのりと汚れがあり全くの新品とは違います。

ちなみに板は厚めで、20世紀にはよくあるものです。現代的な板の厚さと考えて良いでしょう。

気になる音と楽器のランク

修理はネックの入れ直しと表板の割れが過去に直されています。今回は指板を交換しただけです。

個性的な楽器ですが音はどうでしょうか?
私が弾いた感じでは音は出やすくて新品のようなカチコチの感じではありません。同じような板の厚さの新品よりも落ちついた音に感じます。極端ではありませんが高音には鋭さを感じます。でも鳴り方自体は似ているように思いますから、現代の楽器が100年くらいするとこんな感じになるんだなと予想されます。
明るい音が良いなら新品が一番音が良いことになるでしょうね。それよりは少し落ち着いてスムーズに軽く音が出る感じがします。新品の板の厚いものを、硬い弓でゴリゴリ鳴らすのが身についている人には物足りないのかもしれませんが、私は100年経っているものの方が音が出やすいと思います。それで値段が新作楽器よりも安いのですから新作楽器に競争力がありません。

ともかく音は見た目とは違い意外と現代の楽器にはよくあるものです。個性が大事だと言ってもそれは表面的なことで現代的な楽器であることには違いがありません。そのためパッと見た瞬間に一人前の職人が作ったものだと分かります。こういう正面からの写真と違って肉眼で見る楽器は、f字孔やモデルのような具体的な形よりも、全体的な仕事のタッチの方が見た目の印象に強く影響するように思います。写真にするとかなり変わっていますけど同じ時代のマイスターのものに共通した雰囲気があります。
そういう意味ではそんなに個性的でもないし音もいたって普通でした。

それなのに個性が大事なのでしょうか?
個性とかそんなことは考えずに弾いてみて音が気に入るということで選んではどうでしょうか?職人は楽器のクオリティで値段をつけます。個性などは評価のしようがないため考慮できません。有名で高価な作者の個性は良い個性で、無名な作者の個性が悪い個性というのなら高い楽器の個性が良い個性で安い楽器の個性が悪い個性と言っているだけです。そんな理屈は論理性がありません。ある程度の理解力のある人ならおよそ納得できないでしょう。
私が言うことはセールスマンが言う事とは全く違います。チャンスを逃したくなければ変なことは信じなくて良いと思います。

個性や自由などは19世紀の近代芸術ででてきた思想でもあります。その時代では主流の考え方でしょう。しかし普遍的なものではありません。オールドやモダンの名器が作られた時代の思想ではありません。保守的な芸術に反抗する運動が起きましたが、19世紀の弦楽器の業界はストラディバリを最高とするまさに保守的な世界の代表で個性的なものが評価されることはありませんでした。20世紀には厳格なストラディバリモデルが守られなくなり、素人の職人でも「これが俺の作風だ!」と言い張ることができるようになりました。
音楽でも20世紀には作曲家の間では現代音楽が主流です。皮肉にも20世紀以降の作品は方向性が皆似ているように聞こえます。これが嫌いな人はクラシック界を去っていくことでしょう。演奏会を開いてもお客さんは集まらず、作曲家は映画音楽に仕事の場を得ています。ショスタコーヴィッチやストラビンスキー、レスピーギでも古典を模した曲ばかりが演奏されます。音楽がどうあるべきかは皆さん一人一人が考えることです。それと同じように弦楽器もどうであるかは個人個人が考えることでしょう。

真に個性的な音の楽器を作るにはどうすれば良いでしょうかね?それが問題です。現代的な楽器ではないものを作らないといけません。

今回は同じ時代のドイツの楽器の上と下を紹介しましたが、その間があります。その微妙なグレードの違いを見分けるのが大事です。間違っても現実の楽器では天才とかそんなレベルの話ではありません。

作者にはそれぞれ癖があります。ストラディバリモデルで作っても癖がありますそれが違いで、わずかな人にはわかります。音にもそれぞれ癖があります。工業製品の技術革新のようなものではありません。寸法を変えて自在に音の好みを作ることもできないので国ごとに美意識による音の違いがあったとしても作ることができません。音の好みは人それぞれで音の個性も客観的には評価のしようがありません。
こんにちはガリッポです。

前回も注意していますが、コメントを頂いても返事はできません。
ブログを続けるためには私にとっても趣味のようなものでないと楽しみがありません。もちろんまともな情報が無いという状況で専門家としての責任もあります。しかし、365日毎日ずっとこのことだけに取り組んでいるわけにはいきません。何とか負担と労力を少なくして続けているのでこれ以上のことはできません。


私は当たり前のことを書いているだけで、理屈で相手をねじ伏せようとしているわけではありません。
楽器を売りたいと持ってくるお客さんがいますが、半分以上は粗悪な量産品で修理代の方が楽器の値段よりも高く価値はゼロとなります。中古楽器のうち半分以上は価値がゼロでただのゴミです。電気製品や自動車なら20年以上経ったものの99%ゴミでしょうからそれよりはマシです。
その半分弱の楽器のほとんどは量産品です。言っているように量産品が99%です。
売り物になるレベルのものなら既に掘り出し物です。うちの店に並んでいる時点でふるいにかけられて残ったものです。それを自分で探すとなると半分以上のガラクタをつかむ可能性が高いというわけです。

さらにそこについているラベルは90%以上は偽造ラベルです。何もついていないものもよくあります。

中古品の99%は大量生産品で、それに偽造ラベルがついているものがほとんどですから、作者の名前とともに中古楽器が売られていたらほとんどは量産品に偽造ラベルを貼ったものです。一般に詐欺などを警察が警戒するように呼び掛けていますが、そのレベルではありません。ニセモノでだます人や業者がいるので注意してくださいでは無くて、十中八九ニセモノです。売られているもののほとんどニセモノです。本物に当たる方が奇跡です。

そのようなニセモノを私はニセモノとさえも思っていません。似せて作ってさえいないからです。


私の経験に基づいて前回は書きましたが、日本の事情については分かりません。ヨーロッパでは、古い中古品がたくさん眠っていて、当時はストラディバリウスやガルネリウスなどのオールドの偽造ラベルが多く貼られています。

それに対して考えられるのは日本ではモダンイタリアの偽造ラベルの付いた楽器が多いだろうということです。こちらではモダンイタリアの作者があまり知られていないため偽造ラベルを貼る意味がありません。モダンイタリアの偽造ラベルを貼っても誰も知らないので引っかかる人が少ないのです。イタリアと隣のオーストリア、ウィーンなどは100年以上前からイタリアのモダン楽器(当時新作)が輸入されていたようです。この前は、ウィーンで買ってきたというチェロを持ってきた人がいました。ジュゼッペ・ペドラッツィーニだというので見るとルーマニアの量産品で新品です。我々が見るとエンドピンやテールピース、ペグなどでも工場で量産品に取り付けられているものだと分かります。セッティングがヴァイオリン職人の工房で売るレベルじゃないので売った業者も素人ならまともに演奏もできないレベルのものです。ペドラッツィーニどころか古いものでもないし、イタリアのものでもないし、ハンドメイドのものでもありません。一般の人にはそれも分かりません。わざわざウィーンに行ってニセモノを買って来たのですからご苦労様です。いくらで買ったのかも聞いてませんが、おそらくペドラッツィーニも知らずになんかイタリア人の名前くらいにしか思わなったことでしょう。ウィーン位になるとそういうことも出てきますが、うちのところではモダンイタリアの作者はぜんぜん知られていませんし誰も興味がありません。ヴァイオリン製作学校でもオールドの作者は授業で教わりテストにも出るようですが、モダンイタリアの作者については何も教えて無いようです。実務ではニセモノもありますので学んだほうが良いと思いますけども。演奏者の方もオールドのイタリアの作者には興味があってもモダンは全然興味を示しません。

日本では全く違いますね。イタリアの新作楽器をおおげさに宣伝して売っているためその師匠の師匠と遡って有名になります。そのニセモノのラベルを貼ることが意味が出てくるわけです。
量産楽器に偽造ラベルを貼って売るようなことは日本でもあるだろうことは考えられます。古い作者に商標権も無いので電気製品やファッションなどの偽ブランドとは違いそれ自体は違法ではありません。この時身近な中国から来ることはあり得ると思います。こちらではモダンイタリアのラベルが貼られた中国製のものは見ることはありません。一般の人は中国製のものとイタリアのモダン楽器との区別もできないのですから、中国から目の前の国に入ってくることは状況からすれば普通のことです。実際には私は知りませんがあっても驚きません。
詐欺になるのは作者名を偽って売った場合ですが、証拠は残さないように気を付けているため立証するのは難しいです。

古いものはわざわざ輸入してこないといけませんが、わずかなヨーロッパで滞在期間に良質な楽器を入手することは難しいでしょうから厳選するのは難しいでしょう。何より「化ける楽器」を欲しがるので業者の選択基準も怪しいものです。
日本では新しい物の中古品が多いことでしょう。世界で一番生産量が多いのが中国です。

状況からすればモダンイタリアの巨匠の楽器を買ったと思ったら中国製の量産品だったということがあると思います。だったら最初から量産品の上等なものを買ったほうが良いと私は言っています。

私は自分の目線で楽器の話をしてきましたが、一般の人には中国製の量産品とモダンイタリアの楽器との見分けもできないようです。小学生に大学の講義をしているような感じだったでしょう。それで分かった気にさせてしまったならやってきたことに罪の意識を感じます。

しかし私が書いていることを真剣に受け止めれば、分からないことは無いと思います。国語の読解力の問題で、大人になると失ってしまうのでしょうか?
答えが書いてあるのに、他で知った知識の方を信じていて、私の書いてあることを軽く見るのなら私が何をしても意味がありません。

チェロの話



勤め先の工房ではチェロが一杯になって置き場にも困るくらいです。新品のチェロを仕入れたのと修理が集中してしまいました。

チェロの値段は一般に同じ作者の同じランクのヴァイオリンの2倍と最初は教わりました。現在では2倍では購入は難しいでしょう。作るのにかかる労力は4倍以上になりますからすでにバーゲンセールです。このため作る職人が少ないため、数が少なく2倍では手に入らないというわけです。
基本的な考え方として「チェロはヴァイオリンの2倍の値段」ということを参考にしてください。ケースも10万円くらいしますし、弦もセットで数万円です。弓もヴァイオリンよりも高いです。修理もずっと高く、駒もはるかに高いです。

ヴァイオリンはお金持ちの習い事というイメージがあるかもしれませんが、ヴァイオリンは業者の言いなりになって無駄にお金を使わなければ何とでもなります。しかしチェロはダメです。

チェロはお金持ちでないとかなり厳しいです。ヴァイオリンの仕事であれば、サービスしたり安くしたりすることもありますが、チェロは提示する額でも安くし過ぎています。お客さんを驚かせないように甘すぎる見積りをして、大工事になることがいつものことです。
ちょうど同僚が横板に割れの起きたチェロの修理を始めました。横板にひびが入ると表板を開けないとちゃんと接着と補強することができません。
横板の過去のずさんな修理では木工用ボンドが使われていて取り除くのに大変苦労していました。
一方表板の割れを補強してある木片は接着が甘く簡単にはがれてしまいました。すべてやり直しです。表板のエッジは4か所すべて木材を足して修理しています。
いざ表板を閉めるとなったときにネックの角度=駒の高さが低すぎることが分かりました。これを直すだけでも大修理です。
横板のひびがあっただけであそこもここもダメと修理箇所がどんどん増えていきます。全部直したら50万円はすぐに行ってしまいます。その50万円がバーゲン価格なのです。

ちょっと故障したらすぐ50万円、100万円の修理代がかかるものだと用意しておいてください。そうでないとチェロは維持できません。

使っていると駒が曲がってきます、弦が食い込んで溝が深くなっていきます。そうなったら応急処置ができる範囲を超えると駒の交換が必要です。中を覗いてみると魂柱も合っていません、交換が必要です、指板は削らないといけません。弦を新しいセットにしましょう。それで10万円は超えます。

それだけやって汚れたままにしますか?
掃除するだけでも何時間もかかりますし、傷も補修すればそれで3万円はかかるでしょう。

エンドピンがぐらついていたり、量産品に初めからついている安物なら交換が必要です。ペグが調子が悪ければ交換が必要です。すでにペグボックスの穴が大きくなりすぎていれば穴を埋めて開け直す必要があります。弓の毛も古くなっています、革も傷んでいます‥‥。

すぐに20万円が飛んでいきます。

30~40万円位のギターで高価だと驚いている人がチェロのことを知ったらどう思うでしょうね?

常識では考えられないくらいお金がかかるのがチェロです。コントラバスも同じです。しかしコントラバスは諦めて微妙な調整や修理はせずに応急処置のままで使い続けることが多いでしょう。

こちらでハンドメイドの新作ヴァイオリンの値段は15,000ユーロしても驚きません。今なら250万円位ですかね?それでも丁寧に作れば作るほど利益はなくなっていきます。
中古のものなら無名なものは1万ユーロが限界でしょう。ドイツやチェコの作者なら戦前より前のものでも1万5000ユーロを超えることはめったにありません。新作楽器の方がモダン楽器よりも高いため競争力がありません。

チェロはその2倍として30,000ユーロだとすると500万円が職人が作った普通の値段ということになります。しかしチェロを作るのに少なくとも4倍の労力と期間がかかるとすれば作るほど経営は悪化することでしょう。職人からすれば工賃が4倍かかるのなら値段も4倍になるのが理にかなっています。材料もそれ以上に高いです。
新作楽器を60,000ユーロ・1000万円で買うのは世界でも日本人くらいでしょう。ただし有名な名前がついた場合にのみ成立することでしょう。

つまりチェロは普通に作ったら1000万円位になってしまう物なので500万円でもバーゲンセールです。それを200万円位で作れば飛ぶように売れるでしょう。どうしたらいいと思いますか?
機械で加工したらいいと思いますか?スプレーでニスを塗ったらどうでしょう?
賃金の安い国で作ったらどうでしょうか?
売っているのはそのようなものばかりです。
クレモナなら修理や販売などの他の仕事が無いため新作楽器しか収入源がありません。とても安い値段でも背に腹は代えられずという職人がいることでしょう。そのようなものは日本の楽器店にも並んでいることでしょう。有名な作者の場合にはヴァイオリン製作学校の留学生などを無償で働かせることも有り得ます。生徒にとっては有名なマエストロの弟子と言うメリットがあるからですし、就労ビザもありませんから法律上は働くこともできません。しかし何故かクレモナには中国人がたくさんいて闇の仕事をしているようです、なんでしょうね?

新しいハンドメイドのチェロでよくあるのが音がイマイチのものです。作るだけでも大変なのでやっとこさチェロになったというレベルです。それで音がいまいちで量産品の方がマシということも少なくありません。値段だけが高いのに買う人がいないチェロはお店にずっと残っています。私が作ったところでそうならない自信はありません。

フランスのモダン楽器ではチェロはヴァイオリンの2.5倍くらいがよくある値段です。イタリアのオールドの場合にはチェロの数は極端に少なくなりますのでそれ以上かもしれません。
一方日本ではモダンや新作のイタリアのヴァイオリンの値段を高すぎる設定にしているため2.5倍にするととんでもない値段になるので2倍以下になっていることもあるかと思います。

古い量産チェロ


チェロの値段は新品でも弓やバッグがついて数万円からあります。このようなものはまともに弾ける状態にはありません。弾けるようにするだけで5~10万円かかります。弓は新しいものを買わないといけません。カーボンのものなら2万円しないでしょう。
ケースも安全に保護するためには10万円くらいかかります。

それしか買えないならチェロを続けていくのは無理です。
うちではレンタルをやっているのでそっちの方がマシです。

そんな状況ですから、ストラディバリがどうだとか、モダンの作者がどうだとかそんな話をするレベルではありません。

うちでは本格的にやるなら100万円位のルーマニア製のチェロを薦めています。ペグや駒、弦、エンドピンなど部品が何もついていない状態で仕入れてうちで取り付けます。それだけでも10万円では済まないでしょう。

それよりも安いランクのルーマニアのものも最近いくつも仕入れました。60万円位でしょうか。見た目は贅沢は言えませんが音は悪くありません。それより安い中国製のものなどは置いていません。

ドイツの量産品なら100~200万円くらいするでしょう。しかし音でルーマニアのものを勝っていることも無いので意味がありません。20年くらい前ならドイツ製でも安かったのですが。
このようなドイツ製のチェロは日本ではマイスターの名前とともに売られていると思います。しかしその人が自分で手作りで作っているのではなく、機械を多用し従業員を雇って大量生産しています。販売する人もメーカーも「大量生産品です」とか「機械で作っています」などとは言いません。自分から不利になるようなことを言うわけが無いからです。しかし賃金の高いドイツのマイスターが自分で作ったら販売価格は1000万円を超えてしまいます。そうなると高すぎて買う人がいないので輸入はされていないはずです。ドイツ製であるとすれば経営者がマイスターの量産品です。このような経済的な状況証拠だけではなく、私が見れば機械を使って作った形跡があることが分かります。


100万円から4~500万円の間は空白地帯というわけです。
一方で量産品よりも音が良いものが欲しいという需要が多くあります。

一つはうちで量産工場で作られた白木のチェロを改造するものです。
もう一つは古い量産品です。

日本人は「とにかくイタリアのもの」と言いますがこちらでは「とにかく古いもの」が求められています。チェロの場合には古いものは大変なことになります。
オールドになると修理するのが気が遠くなるほど傷んだものがよくあります。表板を開けたら最後、閉める日がいつ来るのかもわからないものです。倉庫に放置されることでしょう。
オールドのチェロはサイズが今のものと違うものが多く、普通の大きさのものすら見つけるのは困難です。小柄な人は小さいものでも良いかもしれません。

現実的にはミルクールの量産品やマルクノイキルヒェンのものです。これらも例のニセモノ問題が付きまといますが、品質も大きな問題です。今の量産品に比べても手作業で作られているために品質は悪く、手抜きが多いです。本当にひどいがらくたは修理代の方が楽器よりも高くなります。修理代が100万円を超えるのはざらだからです。ヴァイオリンで30万円位ならチェロでは60~80万円位です。大半はそういうもので残念ながら粗大ゴミです。
ミルクールのものは相場はが高くなっています。最低でも100万円以上になるでしょう。でも本当の粗悪品でどうしようもないものかもしれません。それが日本での末端価格は300万円を超えてきます。板はプレスと言って平らな板を曲げて作ってあるものが最もチープなものです。音が絶対に悪いとは言いません。製法がチープなのですから値段も安くあるべきです。しかし見た目ではプレスなのか判別は難しく開けてみて修理して分かることも少なくありません。

ドイツやチェコの量産品でも酷く粗悪なものがたくさんです。中級品でも板を薄くする作業が大変なので、板が十分な厚さにまで削っていないものが多くあります。自分でやればどれだけしんどいかわかりますが裏板は厚すぎるものがほとんどです。
それでも古さによるメリットがあり新品の量産チェロに対して音響面で有利な面もあるでしょう。また改造して修理することもできます。厚すぎるものは薄くする余地があるというわけです。

またとても鋭い音がすることがあります。これを力強い音と評価する人や、何を弾いても貧弱な音しか出ない人には相性が良いです。新品よりも桁違いに鋭い音のものがあります。


これにはハインツ・ハミッヒという名前のラベルがついています。ハミッヒはヴィルヘルム・ヘルマン・ハミッヒなら700万円位にはなるでしょう。マルクノイキルヒェンのファミリーは楽器産業に従事していました。別のものです。
販売者名としては本物かもしれませんがいずれにしても、マルクノイキルヒェンの工場で量産されたものです。


別にどうってことは無い普通のチェロですね。戦前のもので15000ユーロくらいはしてもおかしくありません。それでもう今の円安なら250万円ですよ。新品のドイツ製の量産品が200万円くらいするのですからそれより希少な古いものが250万円というのはそれほど驚くほど高価ではありません。
裏板はかなり厚いです。

スクロールも値段相応のレベルです。

私は個人的に面白いと思っているのは戦後の西ドイツのチェロです。おもな産地はブーベンロイトと言われるところで、見た目がいわゆる「量産品」という感じがします。音もいかにも量産品の音かもしれません。それも中国やルーマニアなど旧共産国が量産楽器の生産地となると「西ドイツの量産品」は独自の作風に見えてきます。同じころのものをギターなら日本製のビンテージギターといいますから、アンティークではないけどもビンテージです。
音の出やすさや鳴りの良さでは新品よりも良くなっています。しかし弾き比べて悩むくらいなら新作のルーマニアのものの方が将来性があるでしょう。ミッテンバルトでも戦後の西ドイツのものがあります。中には作風が明かにブーベンロイトのものにそっくりのものがあります。ショールームと住所をミッテンバルトに置いていたメーカーもあるようです。
1980年代までに作られたものならいわゆる「ネックの下がり」がたいがい起きています。指板の下に木材を足す修理が必要です。指板も当時はc線のところだけ平らにするものでした。現代の水準に調整するには多くの場合指板も交換が必要です。その後駒も交換も必要です。エンドピンはグラグラになっているので交換が必要です。

このチェロでも100年くらい前のものです。それで古さの感じはこれくらいです。よくアンティーク塗装で作られた新品がありますが、もっと黒い傷だらけになっていてわざとらしいです。
これでも古くなって汚れたりニスが薄くなったり補修を繰り返した跡があります。これくらいほんのりと古くなった感じを新品で再現するのはとても難しいです。また、モダン楽器の場合にはオリジナルのニスがほとんど残っているので作者ごとに違うニスの質感を再現するのが難しいです。
クラックというしわのような亀裂を人工的に作ることもできますが、人工的にやったものは独特の亀裂になります。伝統的なトリックの手法もありますし、ホビー工芸用に市販されている溶液もあります。中国製品でも亀裂を入れたものは見たことがあります。ただ一般の人はラッカーでもアクリルでも分かりません。


前回の記事で紹介したマルクノイキルヒェンのチェロはこれよりもマイスターのものに近いクオリティです。2万ユーロくらいしてもおかしくありません。

チェロ難民?

チェロを探すのはとても難しいです。ヴァイオリンとは全く状況が違います。

ヴァイオリンは数が多すぎて選ぶのが難しいのに対して、チェロは数が少なくて選ぶことすらできないものです。

ヴァイオリンは数が多すぎるため、どれを選んでよいかわからず、有名な作者の名前で決定する根拠にする人が日本では多いでしょう。残念ながら実際は他のものとものと変わりません。こちらでは試奏して自分が気に入ったものを選ぶのが普通です。

チェロはそもそもないので選ぶことができません。チェロでもイタリアの有名な作者にこだわればすぐに1000万円、2000万円の話になってしまいます。

私自身は職人の作業を仕事としています。したがって楽器を見分けたりできるにもかかわらず売買はしません。何度も大儲けするチャンスがあったことでしょうが、私の仕事ではありません。仲介業もする気はありません。

しかし東京でチェロ売りたいという人がいまして700万円位でまともなものを探しているという人がいれば連絡ください。

お問い合わせはこちらから
こんにちはガリッポです。

記事を書くためには何週間も前からネタを考えて楽器を探したり写真を取ったり、本で調べたりしています。せっかく面白い楽器があっても、急ぎの仕事が入っていれば写真を撮る時間もありません。書くだけでも何時間もかかります。書き終わった時点で疲れ果てていますのでコメントには返事はできません。職人は生産性がとても悪い仕事で3か月で一台のヴァイオリンを作る人は1か月で作る人の収入は1/3以下になります。雑に作って平気な人の方がプロとしての才能があるという仕事です。高いクオリティでできるだけ短い時間で仕事をしようと集中しているので疲れ果てています。一日が70時間くらい欲しいです。
何に関心を持っているか参考にする程度にさせてください。


楽器商も含めて商人という人たちはいかに安く買ったものを高く買うかに情熱を注いでいます。弦楽器売買の歴史ではその情熱が楽器職人が良いものを作ろうという情熱をはるかに上回ると思われるくらいです。弦楽器を買うというのはシルクロードの市場に全く言葉も分からない日本人が行って宝飾品などを買おうとするようなものです。周りの店主も仲間で助けを求めても正当な商売であるかのような態度をとることでしょう。
私には信じられないことに、そんな危険な取引に果敢に挑んでいく無鉄砲な人が後を絶ちません。相手はあなたを騙して楽器を高く売ろうとしているのに、自分はお客様で神様として扱われると思っているのですから呆れたものです。そりゃ営業マンはお金持ちのあなたをおだてたり、高級品の違いが判ると得意げになっている所を褒めて喜ばせますが、内心は良いカモだと考えている事でしょう。高級品の違いはセンスや人間のランクの問題ではなく、しかるべき勉強をすれば分かるようになるし、しないと分かるようにはなりません。


ニセモノという言葉があります。
辞書には「本物によく似てはいるが、本物ではないもの。」とあります。
だとすると一般人と我々では認識がかなり変わってきます。

つまり一般の人にはヴァイオリンはみな同じように見えるため売り手が嘘をつけば何でもニセモノにすることができますし、一方で我々から見ると似ても似つかない全くの別物でニセモノという認識すらもしていない場合もあります。


お客さんで物置から古いものが出てきて「これは本物のヴァイオリンですか?」と聞いてくることがあります。おもちゃのヴァオリンや置物でなく、楽器として作られたヴァイオリンであれば本物のヴァイオリンです。

習おうとヴァイオリンの先生について教わる時に、ヴァイオリンではない楽器を持って行っても教えてもらえません。ヴァイオリンというのは同じようにできた共通の楽器となっているので演奏法を教えることができます。このためヴァイオリンは形や作りが決まっていてみなよく似ています。

ラベルの偽造については中古の古い物であれば90%以上は偽造ラベルが貼られているという印象です。ラベルと作者が違えば一般の人にはニセモノということになるかもしれませんが、我々から見るとそもそもラベルなんてものは信用していないのでニセモノとさえも考えず、それがどこの誰の作ったものかが問題となります。

違う作者のラベルが貼ってあっても実際に似せようとして作られたものはわずかです。ヴァイオリンは皆似てるため単に偽造ラベルを貼る方が簡単だからです。どうせ見分けがつかない一般人なら分からないのにそんなに大変なことをする必要がありません。
他のものに似せたヴァイオリンを作るのに必要な能力や労力がけた違いに大きいからです。違う時代の楽器をそっくりに作るにはオールドの作者以上の超一流の腕前が必要です。

ヨーロッパでは歴史があるのでそこら中に古い楽器が眠っています。不用品の中古品が売りに出されることがよくあります。この時99%は大量生産品と考えて良いくらいです。最近では中古品でも中国製とかそんなものが多くなっています。

この前はそのような不用品を2000円ほどで買って50万円以上の価値があるという話でしたが、逆のケースの方が多いのです。修理代の方が楽器の価値よりも高く買った値段の分だけお金をどぶに捨てたようなものです。
日本でもリサイクルショップには修理をしていない楽器が売られていることがあります。買ってから修理が必要になります。

この楽器にはオールドの作者の名前のラベルがついていました。その意味ではニセモノですが、私が見ると全くオールド楽器には見えず少しも似ていません。似てないのですからニセモノというよりは別物です。
ラベルなどは全く意味がなく、Tシャツについているプリントのようになんかついていれば模様になってるなというくらいです。

私はこのように不用品として売られているものを見たときは、「上等な量産品」があると掘り出し物だなと思います。間違っても、何千万円もするオールドの名器のラベルを見て「もしかして…」なんて思うことはありません。
狙うなら上等な量産品ですが、修理がどれくらい必要かがとても重要になります。

音は修理してみないと分からないため買う前には分かりません。同じ産地のものでも音は一つ一つ違います。生産国によって音を予測することも無理です。それが不用品として売られているものと弦楽器専門店で職人が売っている楽器との違いです。修理済みで売られていて試奏して音が気にったものを選ぶことができます。

いくら安い値段でも使わない楽器を買ったのなら支払った分がすべて損失です。

ヤコブ・シュタイナー?



これはヤコブ・シュタイナーのラベルが貼られたヴァイオリンです。古そうに見えます。本当のシュタイナーなら3000万円以上するでしょうから、この楽器も「もしや?」と思う人がいるかもしれません。

渦巻ではなくライオンが彫られています。シュタイナーの特徴です。

これはもちろん本物のシュタイナーではありません。それではニセモノと言えるでしょうか?

私は、見た瞬間に考えるまでもないため、初めからシュタイナーのオリジナルであるかどうかには興味がありません。いつどこで作られたどれくらいのランクの楽器であるかということに興味を持ちます。シュタイナーモデルはストラディバリ、ガルネリ、マジーニ、アマティなどと並んで近代の量産品では定番のモデルの一つです。量産品だけでなくハンドメイドの高級品でもストラディバリ、ガルネリは定番のモデルで、アマティ、マジーニなどがあります。ヴィヨームがガルネリモデルで作っても贋作というよりは本物のヴィヨームです。私には全くの別物に見えるからです。同じようにジュゼッペ・ロッカがストラディバリやデルジェスのコピーを作ると「ストラディバリ以来の天才」と言われるのはおかしな理屈ですね。

今では新品のシュタイナーモデルのものは見ることがありませんが戦前くらいまでの量産品にはシュタイナーモデルが作られていました。マルクノイキルヒェン、ミッテンバルト、ミルクールでもシュタイナーモデルの量産品は作られていました。おそらくハンガリーでも作られていたかもしれません。
それで言うとこれはミッテンバルトのもののように思います。

量産品でも品質が高ければ50万円位は超えてきますので庶民にはお宝ですし、楽器としての機能も優れていることがあります。
しかし近代の量産品のシュタイナーモデルのものは本当のオールドの時代のものとは全く違うので私にとっては少しも似ているように思えません。
アーチの作り方を勘違いして近代の工場で教えたのでみな間違っています。当時の従業員はまじめに仕事しただけかもしれません。作っていた方も、まさかこれが本当のシュタイナーと混同されるとは思ってもいないでしょう。ニセモノを作っているという認識も無かったことでしょう。

輪郭の形もシュタイナーとは全く違います。どちらかというとこんなのはグランチーノにありますね。コーナーはオールドのドイツ風ではなく、ストラドモデルの作り方になっています。それにも流派の特徴があり、ミッテンバルトの感じがします。ストラド型が近代では基本形でありシュタイナーの特徴を理解していません。これはガルネリ型でも同じことがよくあります。ストラド型のコーナーの作り方でガルネリ型も作っていることがよくあります。ストラド型というのが近代では作り方の基本で、「ヴァイオリンを作る方法≒ストラド型のヴィオリンを作る方法」なのでストラド型の作り方を学んだ時点で自分はヴァイオリンの作り方をマスターしたと考える人が多いでしょう。鮮明な写真の印刷技術のある今でさえデルジェスの特徴を目で見て観察して理解している人は少なく、ストラド型というのは普通のヴァイオリンのことです。デルジェスの特徴を理解したうえでそのままコピーとして作ることもあれば、近代的なものや自分流に手直しする人もいます。そのような人の方がより理解度が高いですね。このため近代の作者ではオールド楽器に似せた楽器を作っている人の方が同じ流派では値段が高く、また同じ作者でも独自のモデルよりもアンティーク塗装のもののほうが値段が高くなっていることが多いです。日本の一般人のニセモノの認識とは違います。オールド楽器に似たものを上手く作れる人の方がよく勉強していて技術が高いということでプラスの評価になっているのですが、我々が何百年も前のものと混同することはありません。ただこの業界の「評価」というのは売れやすさの話ですから古い楽器に見えるものの方が単に売れやすいというだけの話です。
いずれにしても「真似をするのは志が低い」とか「作者の個性が大事」というのは日本だけの話です。そんな話はこちらでは聞いた事がありませんし、イタリアの作者でもストラド型やガルネリ型のものがたくさんあります。また品質が低くストラディバリに見えないイタリアの作者や大量生産品もたくさんあります。

ミッテンバルトの古い量産品で危険なのはニスに耐久性が無いものがあることです、ポロポロ剥がれて来たり水に溶けたりします。これも裏板は後の時代に塗り直されていますが、とても汚い塗り方で刷毛の跡が見えます。つまり絵の修復で言うと下手な人が上から描いた感じです。
これを直すのは大変ですね。この楽器の修理を最もためらう理由は過去に落書きされた裏板です。多くの手間がかかった上に、ニスが真新しい感じになってしまうからです。

横板の下の部分が継ぎ目がなく一枚の板でできているのはシュタイナーの特徴でもあり、ミッテンバルトの伝統でもあります。

これがザクセンのラッカーで塗られたものならニスに耐久性がありますが、真っ黒のラッカーで塗られたものは全くオールド楽器には見えません。ラッカーは近代の塗装技術だからです。

サクソニースクールのチェロ



これはストラディバリのラベルが貼られたチェロです。
ということはストラディバリの本物なのでしょうか?これも見た瞬間にそんなことを検討する必要もありません。
マルクノイキルヒェンの大量生産品です。しかし戦前の同地域の量産品の中では上級品です。

アンティーク塗装には好き嫌いがありますが、ニス自体は柔らかいものでラッカーではなくオイルニスです。木材も安物ではありません。

スクロールも比較的きれいに作ってあります。

これくらいのチェロだと修理が済んだ状態で、200~300万円位の価値があります。今の為替なら350万円位でもおかしくありません。
ストラディバリのチェロなら10億円位は普通でしょう。それに比べたら安いですが、300万円と言ったら骨董品の中では結構なものです。
つまり本物のマルクノイキルヒェンのチェロです。チェロというのは高いもので、これがマイスターの作品となれば500万円位にはなってしまいます。量産品だからこの値段ということです。

しかしこのチェロは壊れたところと過去に十分なクオリティではない修理が行われているため、売り出すために修理代は100万円を超えるかもしれません。中古品として買う場合は修理が済んでいるかいないかが大きな差になります。修理されていてもクオリティが低ければされていないのと同じです。修理する方としては壊れたてよりも難易度が高くなります。いずれにしても十分100万円の修理を施す価値のあるチェロです。


新品の大量生産のチェロはルーマニア製の上級品が100万円程度で、中国製ならもっと安いでしょう。ドイツ製なら100万円を超えて200万円位になるかもしれません。しかし音でルーマニア製のものを勝っていることも無いので200万円を出す意味がありません。
音大生など新品の量産品よりも音が良いものが欲しいという需要があります。

そこで古い上等な量産品の人気があります。マルクノイキルヒェンは戦後は東ドイツに位置していて、ザクセン州にあります。他にもザクセンにはいくつかの産地があり、職人が移動したために同じ流派で苗字も同じ親戚も少なくありません。今ではチェコ共和国になるボヘミアという地域でも広くは同じ流派になり、同じ苗字の人がいます。またそこからベルリンやドイツ各都市に移って店を構えた職人もいます。弦楽器だけでなく楽器全般の大生産地で広くはフォクトラントと言われる地域です。
おそらくアメリカでもチェロについては「ザクセン派」を英語の「サクソニースクール」のチェロとして本国以上の結構な値段がついていると思います。日本ではでたらめなうんちくをひろめてしまったため、悪いイメージがついて売りにくくなってしまいました。嘘を一つつくと嘘をつき通すために後で面倒なことになります。


このチェロもものすごくよくできてるというわけではありませんが、酷く粗悪というほどでは無いので音が良い可能性は十分にあります。新作のハンドメイドのチェロよりも音が良いと感じる人は少なくないでしょうね。悔しいですが我々の作るもので音と価格で対抗するのは難しいです。
このようなものは音大生や教師など演奏に本気な人たちに求められています。世界はどれだけ実用本位で楽器を選んでいるかということです。

興味深いヴァイオリン?


量産品は分業で、工員は部分ごとに作業工程を分担します。同じ作業ばかり繰り返すことで短い期間で技能を習得し、驚異的な早さで仕事をすることができます。もし腕の良い職人を何十人も集めて組織すれば専門化するので一人の人が作るものよりも完璧なものが作れるかもしれません。しかし職人というのはややこしい人たちで組織するのが難しいものです。歴史上もっとも機能したのはフランスであり、ヴィヨームの工房などは高品質なものを作りました。日本でも腕の良い職人を集めて工場を作れば歴史上最高レベルのチェロを作れるかもしれません。しかし現実には難しいです。

量産品は安いことで、販売店は高い利益を上げられるとともに仕入れのリスクを減らすことができます.工場では組み立てのみを行って部品自体は、各家庭で内職として作られていたかもしれません。こうなると一ついくらと買い取り値段が決まっていたならとにかく怒られない程度の品質でたくさん作ったほうが収入が得られます。ヴァイオリン職人は本職ではなく本業は農業で冬の間内職をしていたかもしれません。

工場で製品として作ると、それぞれの工程で基準があり、量産品の製造技術で作られた特徴が出てきます。それで量産品であることが分かりますし、時代や産地も分かります。

それに対してよく分からない楽器があります。

古い感じがしますし、量産産地の特徴もわかりません。個性的で手作りっぽい感じもあります。手書きのラベルが貼ってあり読めませんが作者の名前が書いてあるようです。

木材も変わっていて量産品のようにランクが決まったものを使っていません。逆に高価なオールド楽器には安い木を使ったものがあります。

そんな雰囲気もある楽器ですね。もしかしたらとても高価なものかもと思えます。
これも修理されていない中古品を10万円ほどで買ったそうです。

私たちから言わせれば10万円高く買いすぎました。さらに修理代が15万円はかかるでしょう。25万円の価値は到底ありません。
このようなものは量産品の基準にも達しないものです。本当にハンドメイドのものである可能性は十分にありますが、その場合素人の様な職人です。素人が手作りで作ったものを手作りだから高価と考えるなら勝手にしてください。

イタリアのものも含めてオールドの時代にはアマティやストラディバリ、シュタイナーのように大変に美しく作られたものもあれば、粗末に作られたものもあります。当時王様や貴族が買ったものと庶民や音楽家が買ったものがあるからです。逆に言うと現代でも職人が最善を尽くしたものは本来なら王家くらいの人が買うようなクオリティでそれを皆さんは買うことができる時代になっているのです。

イタリアのものに限れば粗末なものでも、今では数千万円はくだらないものです。近代の作者でも500万円を超えます。
このような「量産品以下」の楽器は手作り感があり、そのようなイタリアの楽器に似て見えます。そんなものに偽造ラベルが貼られて出てきます。

イタリアの作者は個性があるから価値が高いと言うのなら、このような楽器も個性的ですよね。でもただのガラクタです。

駒の来る位置はボディストップと言ってヴァイオリンでは普通f字孔の195mmのところに「刻み」が来ます。これは200mmのところにあります。20cmの方がキリが良いと思ったのでしょうか?よくわかっていない人が作ったものです。

それに対してネックの長さは指板の先端とネックと表板の付け根の部分で測ります。普通は130mmですが、125mmしかありません。トータルの弦長は普通の4/4のヴァイオリンと同じですが比率がおかしいです。ネックが短く胴体が長いです。こうなるとネックの根元に親指を当てて高いポジションを弾くときに普通のヴィオリンよりも押さえる位置が5mmほど遠くなります。これはかなりまずいです。もちろん初心者が最初の練習をするには問題ないかもしれません。しかし上級者にはなにも良いことはありません。

そういう意味でも量産品の方がマシというわけです。

このように私は手作りであること自体にはそれほど価値があるとは思いません。商業的には手作りか量産品かということで聞こえが変わってきます。しかし手作りの粗悪品なら、上等な量産品の方がマシです。それどころか古いものなら上等なハンドメイドのものよりも音が良いかもしれません。

怪しげなヴァイオリンの出どころは?


この楽器に限らず、量産品には見えないけども、お手本通りに見事に作られたハンドメイドの楽器ではないものがあります。こうなるとどこの誰が作ったのかよくわかりません。そしてこのような楽器に偽造ラベルが貼られるとある種の人たちにとって「興味深いヴァイオリン」となります。

日本では隠語のように「化ける楽器」ということを聞いたことがあります。つまり買う段階ではガラクタで売る段階では名器になるものです。さっきの話に戻すと、商人というのは安く買ったものを高く売るのが至上命題です。このようなものはまさにうってつけです。

鑑定書がついていて明らかにわかっているものは買う段階ですでに高価です。だから商人としてはつまらないですね。古物商の醍醐味の一つはガラクタを探してきてそれを名品として上手いこと理屈を言って売ることです。そんなことは古物商の世界では大昔から当たり前です。大物を釣るようにそれがロマンでやっているわけです。

似たような名器を探して偽造ラベルを貼ってあるというわけです。

それを分かっているよなということで業者同士ではニセモノだとか本物だとかは言わずに取引します。「旦那、良いブツが入りしましたよ」ってな具合です。良いブツというのはちょうどいい偽造ラベルが貼られていると、自分の手を汚さずにできるというわけです。じゃあ誰が偽造ラベルを貼ったのかというとそんなのは闇です。

最近はネットでも「labeled〇〇」というような楽器が出ていますが、私が今話しているのはそれです。よくそんないかがわしいものをネットに載せるなと驚きですけども、そのようなものを中間業者から買って手に入れていました。

そんなものの出所としては、日本語に直訳すると「ジプシーのヴァイオリン」というものがあります。ジプシーというのはアジア系の民族でヨーロッパで移住生活をしている人たちです。ヴァイオリンの演奏も盛んで独特の音楽もありサラ・サーテのツィゴイネルワイゼンというのは「ジプシーの流儀」という意味ですね。サラ・サーテがジプシーの音楽を真似て作ったものです。ジプシーの音楽としてはニセモノです。現在では世界的に有名な音楽家にはロビー・ラカトシュという人がいます。
特にハンガリーのあたりの人たちが中心になっていますが、ハンガリーの主要な民族では無いようです。芸人としてお店や路上で音楽を演奏したり、骨董品や楽器を行商したりしています。彼らの高齢化もありますしコロナ以降ちょっと減っていますが今でもたまに来ます。うちの社長はロレックスのニセモノの時計を「これはよくできてる」と言って買っていました。普段使うには良いですね。でも日本に持って帰ると密輸で犯罪になります。

ジプシーの行商人の大概の人は専門知識が無く弦楽器のことをよく知らずガラクタばかりを持っていて、自分でも価値を分かっていません。それを泣き落としなど必殺営業テクニックで売って生計を立てている人たちです。
ある人は母親が亡くなったと泣いて同情を誘っていましたが、何年か前にも母親が亡くなったと言っていたように思います。日本の昔の営業マンと似ています。西ヨーロッパの人はもうそういう営業はやりません。
日本で楽器店で買うのはそのような百戦錬磨で生き残っている営業マンから楽器を買うことです。

ハンガリーも古くからのヴァイオリンの産地でヨハン・バプティスト・シュバイツァーがウィーンから移ってきてモダン楽器の流派を形成します。その後はフランスに行って学んだ職人もいてフランスの楽器に作風が近くなります。現代になれば他の国のものとも変わりません。作者がよく分からないモダン楽器を鑑定に出したところ「フランスか、北イタリアか、ハンガリーのもの」と言われたそうです。鑑定士でもそれらの産地の楽器は区別が難しいほど作風が近いということです。鑑定士でも見分けがつかないのですから当然偽造ラベルを貼るならイタリアの作者ですね。

ハンガリーのモダン作者の中には高い値段がついていてドイツのものよりも高価な作者もいます。音は悪くなくて何か名器の偽造ラベルが貼ってあるハンガリー製のチェロを音が良いと言って教師などが使っているという話もあります。

量産品のような安価なものもあり、特徴は独特なオールドイミテーションです。古い楽器に見せかけたものを作っては行商人が売りに行ったのでしょう。表板だけ後から作ったものなど、部品が全部オリジナルでないこともあります。

悪質な偽物を作る工場?

この前はアレサンドロ・ガリアーノの話をしました。かつて有名な楽器商がベネチアのピエトロ・グァルネリとして鑑定書とともに売られたものですが、近年鑑定に出すとアレサンドロ・ガリアーノとなりました。このように怪しげな業者だけではなく、世界的に有名な業者さえもそのようなことをしていました。偽造ラベルを貼ったのは誰かわかりませんが、私が見てもピエトロ・グァルネリではないことは分かります。でも当時有名な楽器商の鑑定書があったので、「へえ?これがピエトロ・グァルネリなんだ」と思っていました。本に出ているものとは全然違うのもあるんだなと感心していましたが、違いました。アーチが高いという意外には似ているところがありません。
それくらいの特徴で世界的な楽器商がニセモノの楽器を売っていました。だから本に言葉で書いてあるような特徴なんてのはあてにならないということです。

量産品や産地の特徴がよく分からないモダン楽器があると偽造ラベルを貼るにはもってこいですね。だから中古品を選ぶなら「確かな量産品」の方がまだましだと考えるほうが「通」です。上等な量産品が分かることが大事です。
日本の楽器店が新作楽器を売りたがるのは詳しい人が少ないからでしょう。

モダンイタリーの作者の図鑑がありますからなんか似ているものを探して偽造ラベルを貼るということがよくあります。本で見ると似てなくもないとなります。私はそういう物には手を出すべきではないと考えます。
買っても永遠にわからないままかもしれないからです。

それに対してモダンイタリーのニセモノをあえて作っていた業者があるようです。一つは、マリオ・ガッダの工房で作られたロメオ・アントニアッジのラベルが貼られたものです。マリオ・ガッダの工房製ですが、ロメオ・アントニアッジとしてはニセモノです。楽器自体はクレモナの新作楽器にそっくりでした。イタリアの作者の偽造ラベルがイタリア製の楽器に貼られていることもよくあります。イタリアは偽ブランド品製造国で主要な国の一つです。

ほかにはジュゼッペ・オルナーティの焼き印まで作ったものです。よく見ると焼き印の文字の傾きがちょっと違うのです。そのコピーの焼き印のついた楽器をいくつか見たことがあります。つまり誰かがオルナーティの焼き印のコピーを作って楽器を作る時に中に押していたのです。
ヴァイオリンもチェロも見たことがあり、修理のためにチェロを開けると量産品の特徴が見られました。なので今はもう知りませんが「秘密の工場」があるのではないかと思います。

実はニセモノを作ろうとして作ったそういうケースは少なくて、実際にはただの量産品に、ストラディバリウス、ガルネリウス・・・などの量産ラベルを貼ったものがほとんどです。
それから全く関係ない楽器に別のラベルを貼って売るものです。
ラベルも量産品です。最近ではコピー機を使ってラベルをコピーした安易なものがあります。コピーした元が本なら印刷の写真は小さな点でできているので虫眼鏡で見ると本をコピーしたものだと分かります。

我々は似てもいないのでニセモノとすら思いません。

大事なのは本物か偽物かではなく、それがどこの誰が作ったものか、また品質が高いか低いかということです。
高品質で作られたものならどんなラベルが貼られていても最低100万円はします。そのレベルの楽器に偽造ラベルが貼られることは少ないです。たいがいはもっと安上りに作られたものです。

だからそれが一人前の職人の作ったものかどうかを見分けることが第一歩となります。このためにはそのような職人に習って自分でヴァイオリンを作ることが一番良いことです。そうするとこうなってはいけないと失敗例を教えられます。自分で実際に作るとただ楽器を眺めるのとは「見る」ことについてレベルが全く違います。初めて楽器を作ると何百時間では効きませんからそれだけの時間楽器を見ているわけです。一つの楽器を500時間も1000時間見ることがありますか?そして師匠に指摘されることで初めて違いに気づきます。ニスも塗る作業をしていれば何十時間も見ます。私でも弓は作ったことが無いのでそこまで違いが判りません。
それを何年かすると、一流の職人が作ったハンドメイドの楽器と量産品を見分けられるようになります。

しかし、ヴァイオリン製作学校を出て数年くらいでは量産楽器の流派などは分かりません。

これで世の中の楽器のほとんどが量産品ですから、量産品かそうでないかを見分けられます。それでもグレーゾーンの楽器がたくさんあります。量産品にも見えるしハンドメイドにも見えるものです。このためハンドメイドの楽器を作るなら量産品にはとてもあり得ないレベルのものを作らないといけません。
一方量産品を高く売りたければ、量産品のレベルを超えたようなものを作るべきです。このためグレーゾーンの楽器があります。
またチェコのボヘミアの作者は、家で自分で楽器を作っていましたが、かなりの速さで作っておりフランスやドイツの一流の作者のようなカッチリした感じではありません。当時ミラノなどイタリアでも流行していた角を丸くするスタイルです。この辺もグレーゾーンです。戦後の西ドイツのブーベンロイトでもそのようなものがありました。ボヘミアのチェロでは量産品上級品くらいの値段でハンドメイドのものがあります。そこにイタリアやドイツなどの関係のない偽造ラベルが貼られていることがあります。ただハンドメイドというだけで音が優れているということにはなりませんので注意が必要です。

イタリアの作者の楽器には引っ掛けがあります。
本当の作者の腕前が一人前のレベルに無いことです。そうすると腕の良い職人によって見事に作られたものなら本物ではないということになります。その場合素人が作ったようなものが正解です。これはとても紛らわしくそのような判定は私でもしません。権威のある鑑定以外は何の意味もありません。私がどう思うかなんてのは全く意味がありません。普通は量産品に偽造ラベルが貼ってあるのでその場合は鑑定に出す価値もないと言います。



したがって量産品かハンドメイドか見分けることが大事で、ハンドメイドなら鑑定に出す必要があります。チェコやドイツの作者のラベルで高品質であれば、その作者のものである可能性は高く、違っても値段が変わらないので間違っていても問題にはなりません。

このように楽器の品質以上の相場になっている楽器の場合は、鑑定だけが根拠です。紙だけで楽器を見る必要もありません。自分で見分ける必要がありません。鑑定書が誰のものか本物かどうかという話です。

自分で楽器を見分けることがどれだけ危険な事か分かったでしょうか?
興味本位で自分から紛争地帯に死にに行く人を私には止める義理はありません。

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こんにちはガリッポです。

久しぶりにたわいもない話をしましょう。
話半分に聞いてください。

暑くなってきました。
こちらは梅雨が無いので昼が一番長くなる夏至の6月にはすでに夏のようになる年があります。日本では季節風や海流などの影響も大きいと思われます。冬が東京よりも一か月長く夏が始まるのが1か月早いとなれば春がとても短いです。コートから急にTシャツに変わるような感じです。このためか日本でも海外からのバックパッカーなどは春にTシャツを着ていたりします。

暑さが楽器に与える影響もケースバイケースでしょう。
先日はネックが外れるというトラブルでまだ新しく見える量産品が持ち込まれました。暑い事務所に置いてあったそうです。日本ではオフィスには冷房の装備が義務付けられているようですが、こちらではエアコンは無く短パンにサンダルで働いている人を見ます。ホテルなども高い値段でもエアコンが無いので夏に旅行を考えている人は気を付けたほうが良いでしょう。夜は気温が15度くらいまで下がるので窓を開けられるように交通量が少ない静かな場所を狙うのがポイントです。

とはいえ暑い場所に置いたから必ずネックが外れるということはありません。うちの工房でも夏は暑くなりますし、窓際は直射日光が当たります。売り物でとてもたくさんの楽器があるにもかかわらずネックが外れた事なんてありません。

何か趣味の世界は「しなきゃいけない」とかそういうルールみたいなものを初心者は学びたいところですが、それが、グッズを販売する業者の意図なのかもわかりません。
カメラを保管する場合には乾燥棚というものがあります。それが弦楽器にも必要なのかどうなのかはわかりません。うちでは楽器が乾燥することでトラブルが起きることが多いので逆に湿度を保つ入れ物が欲しいですね。でも、日本なら冬場に加湿器を使うことが多くあるかもしれませんが、こちらでは見たことがありません。めんどくさがって日本人のように神経質に何かをしなくてはいけないという考え方が無いのだと思います。

今ならYoutubeで趣味のようなことをすれば、ちょっと詳しい人があれはダメ、これはダメと書きこんで炎上してしまいます。アウトドアについておしゃれなブーツを履いていると登山靴がどうだとかとかいろいろ言われます。靴の話になると今度は靴下がどうだとなります。昔オーストラリアのテレビ番組で仙人のような風貌の人か野生に入って動物を捕まえたり、食べていたりしてました。その人はどこに行くにも裸足でした。アボリジニーにも仲間がいて彼らも裸足でした。アメリカの砂漠に行くときも飛行機のビジネスクラスに裸足で乗っていました。アウトドアのプロは裸足です。そんなようなことです。

二つのチームに分かれて何かの対決をやるという企画でした。その「仙人」もいて、リュックサックの肩紐にビニル袋を縛り付けていました。その中には食パンが入っていて左の胸元にいつでもパンがあって食べられるようになっていました。パンは軽くて数日のエネルギーは得られるでしょう。サバイバルの経験が豊富だとパンをビニル袋に入れて持って行くのが一番機能的なんでしょうね。それ以外でアウトドアの映像で胸元にパンの入ったビニル袋をくくりつけている人を見たことがありません。
アウトドアの専門家を自称するなら絵にならずカッコ悪いですもんね。

話はそれましたが、基本的には湿度を我々は心配しています。それも乾燥です。工房は木材がたくさんあり湿気を吸い込んだり排出したり呼吸できます。乾燥のトラブルで持ち込まれた楽器が店に来ると正常になってしまい「異常なし」となってしまうことあります。病気になって病院で診察を受ける前に治ってしまうようなものです。
乾燥すると木材が縮みます。割れが入ったり接着が剥がれたりします。割れは深刻なトラブルなので乾燥を警戒するわけです。チェロでは弦高が変わることもあります。そのようにして生じた歪みによって微妙に音が変化することも考えられます。
しかし湿度によって音が変わるという事には関心がなく気にしている人がいません。人間の鼓膜の方に影響があるのかもしれません。


温度はあまり気にしていません。しかし湿度と関係が出てきます。
学校で習ったレベルの話ですが、湿度は空気中にどれだけ水蒸気が含まれているかということでした。気温によって含むことができる水蒸気の限界が決まっていて、それに対して何パーセントかという話です。

それに対して絶対湿度という概念があります。
気温に関わらずどれだけの水蒸気が含まれているかです。
100%でも気温が低ければ空気中の水蒸気の量は少ないということです。

いずれにしても湿度が木材にどんな作用をもたらすのか詳しくはよくわかりません。
こんな実験をしたことがあります。
伐採されて間もないチェロのバスバー用の材木を材木業者から買って倉庫の梁りの上に置いておきました。定期的に重さを測っていました。

最初のうちは徐々に軽くなっていきました。しばらくすると一定のところでほぼ変わらなくなりました。時には重さが増えることもありました。吸湿のようなことが起きたのでしょう。よく木材では「乾燥」ということが言われます。建築用の材料などでは強制乾燥として熱して乾かすということをします。切って間もない木材は水分を豊富に含んでいますので蒸発すれば乾くというわけです。

それに対して我々は木材は何年も何十年も寝かせます。これは濡れているものが蒸発して乾くという現象ではなく何らかの化学的な変化が起きていると思います。木材は色が変わり、弾力が無くなってきます。物理的にも音が変わることは十分あり得ます。新しい木材は変化が大きいので加工してもまたすぐに狂ってくることがあります。中国で新しい木材で作られた楽器が船で熱帯地方を通ってヨーロッパまで輸送されたときに、着いた時点で木材が伸び縮みし接着がはがれるということがあります。

一方であまりにも古くなると特に表板で割れやすくなることがあります。これは個体差があって、置かれた環境なのかわかりませんが、割れやすくもろく変化したものと弾力を維持したものがあります。同じことは完成した楽器にも起きます。19世紀のミルクールの楽器になるとガサガサしていてもろくなっているものが多いです。それも音に影響があるはずで、「朽ちた木の音」というのは弾いてみれば感覚的にわかると思います。私が冗談で言う「壊れている楽器は音が良い」という理論は、木材が古くなっていて割れやすくなっている状態なのでしょう。それが使い込まれているとちょっとした事故で真っ二つに表板が割れてしまったのでしょう。割れても修理すれば音は悪くならないので神経質に気にするなという意味で言っています。修理代は場所によってはかなりかかるのでそれは重要です。
ですから新品の楽器を割って音が良くなるかはわかりません。そんな実験をやる余裕が無いんです。これが研究をして給料をもらえるような職業ならできるでしょうが、職人は楽器を壊して給料をもらえるような立場ではありません。

弦楽器の製造には膨大なコストがかかります。
その大半は作業にかかる工賃です。
これは一時間当たりの費用として計算できます。
工房やお店を維持するのに必要な費用、社会保険料や税金、経理や役所などの事務作業にかかる費用などもバカにできません。業務は複雑多岐にわかりお店はヴァイオリンやらコントラバスやら子供用のもの、ケースや弓、アクセサリー部品などありとあらゆるものが求められます。楽器は一個仕入れて一個売れるというものではなく、お客さんは何個もあるものから一つを選んで買うことで満足感を得られます。したがって一つの楽器が売れるためにはそれ以上にはるかに多い数の楽器を仕入れないといけません。価格帯は人によって様々です。ビオラには大きさの違いがあります。中古品や骨董品、新品もあります。

さらに職人が生きていくための生活費が必要です。
それでヴァイオリン製作学校では一台のヴァイオリンをニスを塗らない状態で200時間で作るように言われていたようです。200時間に単価を掛け算して材料代を足せば楽器の値段ということになります。200時間を超えてしまうと作るのが遅すぎるのでプロとしてはダメだということです。
このため学校ではとても早く楽器を作ることを教わります。日本人が「職人」についてイメージするものとは全く違います。究極の理想のために一切の妥協を許さず効率などは投げうって人生のすべてをささげるようなものでしょう。そんなのは現実の話ではありません。日本でも手作りで物を作ったいた「本当の職人の時代」には次から次へと右から左へと作っていたはずです。

今は、ヴァイオリン製作だけを社会の中で特別なものとは考えられないので、職業教育全体の改革の影響で160時間で楽器を作るのが学校の試験の課題になっているそうです。日本人はあまり考えないかもしれませんが国の経済を豊かにして所得を向上することを考えるといかに短い時間で高い単価の仕事をするかということが求められます。それを楽器製作に当てはめると嘘が生じます。

私でも160時間で楽器を作ったことはありません。試験を受ける者は、もうクオリティや寸法などはどうでも良いのでとにかく160時間でヴァイオリンのようなものを作るというのが求められます。寸法や仕上げに欠点があれば減点されますが、全く完成しないで0点になるよりはましというわけです。これはその状況に置かれないとできないものです。私はお客さんにそのような楽器を売ることはできないため、やったことはありません。
プロとして認められるためにはどれだけ品質を無視して楽器を作れるかということが重要視されています。駄作を猛スピードで作って一旦プロとして認められれば知名度に関係なく誰が作っても同じ値段になります。これが日本とは全く違う考え方です。外国のものを買う時はそういうものだと思ってください。

ビジネスとしてヴァイオリンを作る場合には何よりも大事なのは、いかに短時間で楽器を作るかということです。

このため陶芸家のドラマなどで見るようにたくさん作って出来が気にいらないからと叩き割ってしまうようなことはできませんし、研究のために試作品を作るようなこともできません。


それに比べると材料費は微々たるものです。
グレードが一番高いものでもヴァイオリン木材の材料費は5万円位です。
ハンドメイドの楽器の値段からすればわずかなものです。
5万円でもヴァイオリン職人の暮らしからすれば高いもので、一つの材料を買って一台作るのは無く、何セットも買ってその時の状況で選んで使いますのでその何倍もかかっています。

それに対して高いのはチェロで4~50万円位にはなると思います。作業にかかる時間はヴァイオリンの4倍は必要でしょう。それで値段がヴァイオリンの2倍程度だとしても高すぎて買える人が少ないのです。このため作る人が少なく、売られているものは安く作るための何らかの手法が取り入れられていることが多いです。

ビジネスで大事なのは弦楽器に限らず、製造コストとブランドですね。
ファッションでも服を作っているのは中国の工場で、服を作る工場はいくらでもあります。しかしただ服を作っただけでは売れず買い叩かれてしまいます。そこにブランドのロゴマークがつくだけで状況は一変します。偽ブランド品が作られるわけです。
もちろんニセモノではない本家の方もマーケティング戦略では人々の気を引くためのあらゆる手段に投資されています。

こういことは商業では当たり前のことです。
弦楽器でもそういうものだと分かっているのが詳しいということです。
ブランド名をたくさん知っていることは初心者に毛が生えたくらいの段階です。

これを知ってるのなら地元に信頼のおける職人がいるということがいかに重要かと分かるでしょう。全国や外国では知られることなく地元だけで仕事が完結しています。だから世界的な評価なんてのは商業の話なのです。東京で話されていることはこちらでは聞いたこともありません。20年以上働いていても東京で現代の巨匠と言われているような作者の楽器を一つも見たことがありません。大半を日本に出荷しているんじゃないかと思うほどです。次いでアメリカや最近では中国でしょうか?


趣味の世界には上手い人と下手な人がいます。
演奏が上手い人と下手な人がいるだけではなく、「楽器の趣味」にもセンスの良い人と悪い人がいることでしょう。
基本的には素人ウケというのがあるでしょうね。派手で分かりやすいものが素人ウケすることでしょうね。

お金持ちが意味も分からずに高いものを買っていると分かっている人には「成金趣味」に見えます。お客さんはちやほやされますが高級店特有のビジネスです。また下品な趣味や世間に迷惑をかけるものもあります。暴走族が自動車を派手な見た目に改造して暴走行為をして迷惑をかけます。美意識自体は好みの問題ですが違法行為をすることは趣味として上手いか下手かと言えば下手でしょう。下手な人が目立つとその趣味自体が悪いイメージになります。

お金があって、弦楽器が好きで自分はうまく弾けないからと音楽家に貸す人もいます。ある婦人はチェロをうちで作らせて、ロシア出身のお金のないチェロ奏者に貸していました。それ自体は良いことです。その後婦人が亡くなり、財産を清算することになりました。チェロは金銭的な価値として計算され没収されました。そのチェロ奏者は自分ではチェロは買えずに弾くチェロが無くなってしまいました。

この教訓では音楽家に高価な楽器を貸すなら最後まで考えないと無責任です。一時羽振りが良くても事業が立ち行かなくなって楽器を演奏家から取り戻して売却しなくてはいけなくなるかもしれません。演奏家は自分では絶対に買うことができないものなら、同じレベルのものは二度と使うことはできません。楽器を借りている場合にはいつか来るその日のために少しずつでもお金を貯めて置かないといけないでしょう。その時にメーカーがマイナーであれば割安です。良い楽器を知っていてそれに近いものを安い値段で探すことは音楽家にとって死活問題です。そんな方法を当ブログでは言っています。

もちろん趣味は楽しむことが何より大事なので自分流の楽しみ方を見つけることも上級者です。その意味では私も何百時間もかけて楽器を作る時間を楽しんでいます。しかし趣味で楽器を作るのは無理があると思います。いろいろなものを作ってみたいということはあるでしょうが、その道のプロにならないとできないものも少なくないでしょう。それの一つです。作り方を理解していて訓練を受けても何百時間もかかるものですから、全く趣味では手に負えないものです。学ぶのに何年もかかるし、工具代だけでも100万円くらいかかるでしょう。作ってみたいという人で多いのは多趣味の人です。楽器も弾く、旅行にもいく、菜園、料理、電子工作や自動車の修理、住宅の改修など様々なことをやりたがる人がいます。教えるほうとしては時間の無駄です。

ともかくどこかの誰か偉い人が称賛したとか、古い業界の主流派の考え方の中で最高を求めるなどは創造性はありません。「世間の基準」で物を言ってるうちは多額の金額をつぎ込もうと私はたかが知れてるなと思います。


ヴァイオリン弦も新製品が出ると「ウケ」を狙って作られている印象を受けます。弦楽器の伝統で素人ウケというのはヨーロッパから見ればアメリカやアジアです。新製品が出るとどっか遠い世界の向こう側の話のように思います。
ヴァイオリンのナイロン弦はそもそもが悪いものではないため、技術革新のようなものは無いでしょう。このため素人ウケする派手なものをいかに作るかということになってしまいます。それは技術が進歩したのではなく、ある種の音を犠牲にしてウケる音を強調するわけです。そうなると音が台無しになったと感じる人もいるでしょう。玄人向けのものが作られないかというとそうでも無くてただ売れずに誰にも知られないままで発掘が必要かもしれません。

ラーセンの金巻の弦を紹介しましたが、以前からピラストロがエヴァピラッチゴールドという製品を作っていて、G線が金巻のバージョンがあります。安い方でも銀ですからチープな素材ではありません。トマスティクもロンド・ゴールドというのを出したようです。香港などでは縁起が良いと買う人もいるかもしれません。
金が音が良いというマニアの世界を作れるのでしょうか?

オーディオの場合普通は導体には銅が使われます。それに対して銀の方が伝導率が良いなんて高価な電線が作られました。銀で電線を作ると高いので銅に銀メッキをしたものがあります。電気は金属線の表面を多く流れるからだそうです。これは弦楽器の弓に巻いてある金属線でも本物の銀ではなく、銅に銀メッキをしたものがあります。これは汚れを取ろうと擦ると剥げてしまうので悲惨なことになります。現在では銅線と銀線はそれぞれ音に癖があって好き嫌いや適材適所の問題だと考えるのが上級者でしょう。

端子には金メッキが使われています。これは錆びにくいからですが、高級品というイメージもあります。銅の方が伝導率が良いので錆び取りをこまめにするべきという人もいるでしょう。金メッキ以外にも銀メッキもありますし、最近ではロジウムメッキがハイエンドマニアの間では人気になっています。中国製の安物はメッキもすぐに剥げそうですが、プラグの見た目だけハイエンド風になっていて素材はチープだったりします。メッキを施す金属部品は高純度銅ではなく、真鍮(銅合金)に金メッキを施したものだったりします。多くの人は金にばかり注目し土台の金属が銅よりチープなものが使われると知らないからですが、詳しくなるとそれもまた賛否両論です。
そうやってプラグだけでも何万円にもなってコードが何十万円にもなってしまいます。それに対してオーディオ機器を開けると中にはチープな電線が使われています。アンプ自作マニアはそこにケチをつけますが、妙な神話を語っている彼らの作っているものも怪しいものです。ともかくケーブルにこだわりすぎることを「電線病」と呼んで揶揄されています。

弦楽器の先を行っているという意味では負の部分も含めてオーディオマニアの世界も参考になることでしょう。エレキギターなどでもこのような考え方を取り入れている自作マニアもいます。
ただし消耗品であることを考えると弦にお金をかけすぎるのは異常でしょう。


楽器の場合には意図的に音を作るのが難しいものです。
世界的に新作楽器の音を評価する仕組みなどはありません。

東京ローカルに限れば評判が広まっているかもしれません。
実際に評判の楽器を試すと素人ウケの評判だと思う人もいることでしょう。そのレベルの話です。多数決で評価するとどうしても素人ウケするようなものが勝っちゃうのです。


ただ必ずしも趣味の達人になる必要はないと思います。

さまざまの理系のマニアの分野ではマニアの間で基準ができていって一般の人とはかけ離れていきます。今度は「マニアウケ」になっていきます。一般の人から奇妙に思われるだけではなく、何か重要なことが欠落しています。マニアのカテゴリーも分かれてよりマニアックなカテゴリが出てきます、本来なら上級マニアのカテゴリーの方が極めているはずですが頭がおかしいのかそうとも言えないのが趣味の世界です。弦楽器の世界はマニアの細分化というのはまだまだできていません。ストラディバリが最高でそれにいかに近いかということが基準になっています。その基準とは作者がイタリア人であるとそれ以外の国のすべての楽器よりもストラディバリに近いというそんな幼稚なレベルです。それに何千万円も払っています。

その中でもマニアが興味を持ちがちなのはマニアの素人ウケです。マニアの中でも本当にわかっている人はわずかです。センスのいい一般の人の方が大半のマニアよりも上だと思います。


あるお金持ちのマニア的な雰囲気の人がヴァイオリンを選んで買いました。
いつものようにずらっと楽器を並べるとイタリアのモダンの作者のラベルが貼られているものを選びました。本物じゃないと言ってもその人の「眼力」で本物だと思っているようでイタリアの業者に見せたら本物かもしれないと言われたそうです。骨董品にはまった人は都合のいい情報を集めるものです。かもしれないなんて情報は無意味です。
それは無いと思いますが、本物だとしてもその作者はとんでもなく下手くそな職人で銘品でも何でもありません。

その後ヴァイオリンの歴史上有名なオールド楽器ヤコブ・シュタイナーを見せるとすごく興味を持ちました。シュタイナーは今の国境ではオーストリアの作者です、今度は一転して以前試したウィーンのモダン楽器を欲しいと言ってきました。もう売切れてありません。残っていれば200万円のヴァイオリンの衝動買いです。この人に普通に楽器を選べる日が来るのでしょうか?









こんにちはガリッポです。

今回はこの前話したことの具体例です。

まずは天候の話から。
わりと雨が多かったという話をしましたが、湿度が上がっています。
あるお客さんはチェロのケースを開けたら弦が切れていたと言って持ってきました。
珍しいですね。ガット弦なら有り得ますが、スチール弦でそんなに年数が経過したものでもありません。ペグは動かなくなっていました。木材が水分を吸って膨らんでいるためです。ハンマーで反対がから叩いてようやく外れました。
弦の外側は無事でも中が錆びていることがあるかもしれません。ヴァイオリンのE線ではよくありますので交換が必要です。

また夏場によくないのは車の中に楽器を放置することです。絶対にやめてください。
ニスは温度が上がると柔らかくなります。ベトベトになってケースがくっつく場合もありますし、アルコールニスではブツブツの気泡が出ます。
同じ理由で松脂の粘度も温度によって変わります。メロスの松脂では暗い色のものの方が粘度が高く冬用となっていて、明るい色のものは夏用となっています。コントラバスになると粘度も高くなるので季節によって4種類も使い分けているプロの演奏者もいます。


ヴェリタスPM-V11


黒檀は割れやすい難しい木材です。割れないために鋭い切れ味が必要です。量産品では安い黒檀を使うため余計に割れやすいです。ペグも同様で、安い材料ほど加工に手間がかかります。使っていて折れることもあります。
工場で仕上げられている指板は割れたところをサンディングマシーンでごまかしてあるために指板もぐずぐずになっています。仕入れた楽器で満足できるものは一つもなく売る前に必ず削り直します。

しかし、とても硬いため普通の工具ではすぐに刃がダメになってしまいます。
「仕事」では究極の切れ味を追求するのではなく実用性が重要になります。目的を達成するのに適したものが優れた刃物なのです。

そこで新兵器がヴェリタスのPM-V11でした。実際に使ってみると5台や6台のヴァイオリンの指板を削っても問題ありません。日本製のカンナ刃では2台が限界でした。カンナにもともとついている純正の刃では1台削る前に切れ味が鈍ってしまうでしょう。これは日本製品が悪いというのではなく目的が違うので黒檀用とは言えません。

一方で硬い刃は研ぐのが大変で、切れ味が長持ちしてもそれ以上に研ぐ時間がかかってしまっては意味がありません。その点で改良されたのがPM-V11です。硬い刃物用の砥石を使えば実際に普通の刃物と同じように研ぐことができます。

新たに発生した問題はホーニングガイドにセットするのが難しいことです。
正しい角度に刃を固定しないと刃先だけを研いでしまったり、刃先がいつまで経っても研げなかったりします。研ぐのにかかる時間がセットの加減によって大きく異なってしまいます。

そこでこんなものを作ってみました。


これで刃を固定する位置を決めるといつでも同じ角度にセットできるというわけです。

思った通りです。カンナという道具は論理的なものです。問題は論理的に解決できます。

これで運用してテストを続けていきましょう。

ストラディバリモデルとガルネリモデル?


同じメーカーの量産楽器を一度に仕入れました。

ペグや駒、魂柱など付属部品を取り付け、ニスの表面を仕上げると売り物なる状態にできます。
今回ストラディバリモデル2台とガルネリモデル2台、在庫のガルネリモデルが1台あります。

量産品であれば機械で作られているので、ストラディバリモデルとガルネリモデルでもモデル以外は皆同じなはずです。

音を試してみると
ストラドモデルの一台は明るくてほわーんと柔らかく響きます。もう一台は明るく鼻にかかったようなビャ―ッという鳴り方でした。

ガルネリモデルは明るくダイレクトなものと暗く尖った音のものと、暗くほわっと柔らかく響く音のものがありました。

・・・全部バラバラです。
同じメーカーなので鳴り方が全く違うということはありませんが、一つ一つみな違います。もっとたくさんサンプルがあれば傾向が出てくるかもしれません。しかしお店などでたまたま手にする楽器がストラドモデルかガルネリモデルかによって音を推測することはできません。別のメーカーや異なる時代のものが混ざってしまうと全く別の音になるからです。モデルで判断するよりも実際に弾いてみるほうが正確です。

血液型性格占いに似ています。統計的な手法で多少傾向があったとしても的中率は100%ではなく、目の前の人がどんな性格の人物であるかは血液型を調べるよりも、その人物を観察したほうが間違いが少ないでしょう。
ちなみに師匠の奥さんは自分の血液型を知りませんでした。

不確かなことを平気で言う人もいますが、多額の金額を支払うものに対して私は無責任だと思います。

でも世の中には疑う余地がないかのように信じている人もいます。
それも人それぞれです。

マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリン



パッと見てすぐにキャラクターの強いヴァイオリンだと分かるでしょうか?
以前にも出てきたものですが、その後コンクールに出場するほど才能豊かな小学生くらいの子供が選んで購入し弾いています。見ないうちに背も伸びていることでしょう。

マルクノイキルヒェンのものと思われるオールドヴァイオリンです。1700年代の後半でしょうか。一目見た瞬間にモダン以降のものとは違うことが分かります。
形にもf字孔にもはっきりと特徴があります。

マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンは一つに形が定まっておらずいろいろな形があります。これはシュタイナー的なものではあるでしょうが、当時はヴァイオリンといえばそういう形をイメージしたのであって決まった型があって忠実に作っているわけではありません。
ニスはオリジナルのものが残っておらず薄い色のものを保護のために塗ってあって、黄金色に見えます。南ドイツのものは真っ黒のものがありますが、東ドイツのオールド楽器には明るいオレンジ色のニスの楽器がよくあります。ネックの角度も早い時期に斜めになってモダン楽器を予期するものもあります。エッジ付近の溝に塗ってあるものも後の時代に塗られたものでしょう。

表板も本当に古い楽器はこんなふうになっています。テールピースは木製の物を付けていましたが、実用上の理由でウィットナーに変えました。実用品として熱心に練習しているようです。

アーチは高さがありますが台地状になっているので頂点はそれほど高くありません。しかし陥没していないので設計はうまくいっています。

テールピースが当たりそうです。

ぷくっと膨らんだアーチでオールドらしいですね。

このようなアーチを現在では作れる職人がおらず作り方を教えることができません。ヴァイオリン製作学校でも教えられる先生はいません。クレモナの学校やモラッシーに師事したイタリア人の職人もこういうものは悪い例として作ってはいけないと学んだそうです。こんな教育ではイタリアからも個性的な楽器が生まれませんね。

スクロールを見るとマルクノイキルヒェンのオールドのものとは違う感じがします。おそらく後の時代に作られたものでしょう。ペグボックスに損傷を受けた場合などに昔は割と簡単に新しい物や他の楽器のものを取り付けたりしました。
またイタリアの楽器の偽造ラベルを貼るとともに、スクロールを産地の特徴がはっきりしないものに変えてしまったこともあるでしょう。
いずれにしてもこのスクロールはオリジナルではないと思います。

この楽器については過去に修理はされていて壊れている状態ではありません。修理がうまくできているかは分解してみないと分かりませんが、スクロールがオリジナルでないため価値が低いとなると二の足を踏んでいました。イタリアの楽器なら万全な修理をしてもそれ以上の値段で売ることができます。このため長い間棚に眠っていたのです。

マルクノイキルヒェンのオールド楽器の値段は安く、他の産地と違うのは特に有名なリーダー的な作者が定まっていないことです。いくつか家があったことは分かっていますが、家族で楽器産業に従事して個人の作品という扱いがなされていません。名工だとか巨匠だとかそういう概念が通用しないのがマルクノイキルヒェンの楽器です。それがむしろ弦楽器の真の姿です。

この楽器は私はハムという作者のものに似ているように思います。でも定かではないのでマルクノイキルヒェンのオールド楽器としか言えません。もし本物だとしても特別高いわけでもありません。値段には作者の名前や古いことによるプレミアが無く新作楽器と同等で、品質によって異なりますが、状態によって差し引かれるため新作よりも安くなることが多いでしょう。このヴァイオリンはマルクノイキルヒェンのオールド楽器の中ではきれいに作られていますのでマイスタークオリティと考えて良いでしょう。しかしスクロールがオリジナルではなく当時の為替や物価で100万円を超えるのは難しいと判断して、大掛かりな修理はせず指板を交換する程度で弾ける状態にしました。

そこに才能のある子供がやってきてたくさんの楽器を試奏して選びました。

前回の2千円で買ったというモダン楽器も、運がたまたまよかったのですが、そこらへんに音が良い楽器がゴロゴロあるからできることと言えるかもしれません。買った人が弾いているのを聞くとやはりビオラのような深みのある低音で、中音域でも自分で弾いた時よりもボリュームの豊かさがありました。そして買った人は全くヴァイオリンの産地などのことを知らない人でした。100年くらい未使用だったので弾きこめばもっとなるようになるでしょうし、フラットで普通に作ってあるものなので腕を上げればさらに音量も出ることでしょう。

この楽器も小学生で使っているのは渋いですね。

実際に弾いてみると、それっぽいなという感じがしました。それっぽいとはイタリアの数千万円のオールド楽器のことです。億ではなく数千万円のものです。雰囲気があります。
ドイツのオールド楽器特有の地味な音とかそんなこともありません。音を出すだけでもニンマリとしてしまうような気持ちの良い音です。
現代では作ってはいけないと教わるものですが、ボーッと共鳴する感じがあって鳴るなと思うくらいです。ぷっくらとした高いアーチの楽器では筒が響いていると感じることがあります。ソリストがマックスの音量が出せるかは知りませんが、アベレージで弾いて音が小さいという感じはしません。その目的ならフランスのもののほうが良いかもしれません。

我々が学んだ知識とは何なんだったんだと思わされる体験です。プロの教育を受けた専門家でさえそんなものですから、知識なんてものは何もあてにならないと心してください

業界で年長の人たちの多数派に信じられていることを「知識」として教えることはできます。しかし実際の楽器を手にした時に私はそれはおかしいんじゃないかと思うことがよくあります。このため知識を学んで分かったつもりになっているなら何も知らないほうがましだということです。それに代わる新しい知識を確立することは難しく「分からない」と言う方が間違いが少なくなります。2000年以降昔の本に書かれていた記述が削除されて行っています。

私は、言われてきたことが確かではないと気づいただけで答えは知りません。職人も専門家も何もわかっていないということを知ってほしいです。なのに私が何でも知っていると思って質問をしてくる人がいます。私もまだ思い込みにとらわれて現実を理解していないかもしれません


古い本ではこのようなものはオーケストラ用のヴァイオリンと書かれていますがほんとうでしょうか?ソリスト用ではないかもしれません。でも世の中にソリストとして演奏している人がどれくらいいるでしょうか?道具は究極的なものでも自分が使えなくては意味がありません。

競輪用の自転車はスピードが出るはずです。しかし一般の人には重すぎて漕げないことでしょう。一方ママチャリでも競輪選手が乗ればものすごい速さが出ます。ハンデとして競輪選手にママチャリに乗せて競争をした例があります。ママチャリでぶっちぎりの速さです。

しかしある程度まで行くとペダルが速く回りすぎてギアの回転の問題で速度が出なくなってしまいます。ソリスト用の楽器とはそういう話です。数千万円のイタリアのものでも同じことで、ダメだというならフランスのモダン楽器かそれに近いものを考えるべきです。この楽器でも普通に弾くレベルでは全く問題がありません。それどころか魅力的な音がします。心地良く気持ちのいい音です。

私は真っ平らなアーチのものと高いアーチのものを作ってホールで試したことがあります。弾いてもらって最後方で聞くとどちらも音は届いていました。平らなものの方が量感が豊かで、高いアーチの方が引き締まっていました。一方現代的な作風のものは音が届かず子供用の楽器がはるか遠くで鳴っているようでした。遠鳴り自体には関係が無いようです。量感の違いはアーチの高さが原因なのかもはっきりしません。ともかく現代のセオリー通り作ったものが最低でした。理屈ではなくホールで試す必要があります。


しかし、マルクノイキルヒェンのオールド楽器にはとても耳障りな嫌な音のものがありますし、見た目の荒々しさとは裏腹におとなしすぎるものもあります。

このような楽器は買おうと思って買えるものではなく、運よく目の前にあった時に気付いて決断できるかというものです。同様のものは在庫にはありませんし、長年眠っていたものが修理をするとすぐに売れてしまいました。その時余計な知識があることは大きな障害となるでしょう。グダグダケチをつける人はチャンスを逃します。勝手に言っていてください。その間に他の人のものになります。

小学生にはその決断ができました。将来必要性が生じてもっと上のランクの楽器に買い替えるとしたら比較対象があるため相当なものとなるでしょう。
試奏のために貸し出しをしているので子供が一人で選ぶのが不安なら先生に試してもらって助言を得ることもありえます。

私のところではコンクールでは地方の予選があり全国コンクールがあります。各楽器で上位に入った人を集めたユースオーケストラでチームワークを学びます。将来プロのオーケストラ奏者として仕事をするための訓練を受けるわけです。その時はオーケストラヴァイオリンが必要となるでしょう。

ソリストになる人はそのレベルではありません。全体の何パーセントかと考えると情報として必要な人は皆無でしょう。それでもソリストを目指しているならホールで試す必要があるでしょう。