今回はこの前話したことの具体例です。
まずは天候の話から。
わりと雨が多かったという話をしましたが、湿度が上がっています。
あるお客さんはチェロのケースを開けたら弦が切れていたと言って持ってきました。
珍しいですね。ガット弦なら有り得ますが、スチール弦でそんなに年数が経過したものでもありません。ペグは動かなくなっていました。木材が水分を吸って膨らんでいるためです。ハンマーで反対がから叩いてようやく外れました。
弦の外側は無事でも中が錆びていることがあるかもしれません。ヴァイオリンのE線ではよくありますので交換が必要です。
また夏場によくないのは車の中に楽器を放置することです。絶対にやめてください。
ニスは温度が上がると柔らかくなります。ベトベトになってケースがくっつく場合もありますし、アルコールニスではブツブツの気泡が出ます。
同じ理由で松脂の粘度も温度によって変わります。メロスの松脂では暗い色のものの方が粘度が高く冬用となっていて、明るい色のものは夏用となっています。コントラバスになると粘度も高くなるので季節によって4種類も使い分けているプロの演奏者もいます。
ヴェリタスPM-V11
黒檀は割れやすい難しい木材です。割れないために鋭い切れ味が必要です。量産品では安い黒檀を使うため余計に割れやすいです。ペグも同様で、安い材料ほど加工に手間がかかります。使っていて折れることもあります。
工場で仕上げられている指板は割れたところをサンディングマシーンでごまかしてあるために指板もぐずぐずになっています。仕入れた楽器で満足できるものは一つもなく売る前に必ず削り直します。
しかし、とても硬いため普通の工具ではすぐに刃がダメになってしまいます。
「仕事」では究極の切れ味を追求するのではなく実用性が重要になります。目的を達成するのに適したものが優れた刃物なのです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240530/15/idealtone/f7/3e/j/o1280096015445261957.jpg?caw=800)
そこで新兵器がヴェリタスのPM-V11でした。実際に使ってみると5台や6台のヴァイオリンの指板を削っても問題ありません。日本製のカンナ刃では2台が限界でした。カンナにもともとついている純正の刃では1台削る前に切れ味が鈍ってしまうでしょう。これは日本製品が悪いというのではなく目的が違うので黒檀用とは言えません。
一方で硬い刃は研ぐのが大変で、切れ味が長持ちしてもそれ以上に研ぐ時間がかかってしまっては意味がありません。その点で改良されたのがPM-V11です。硬い刃物用の砥石を使えば実際に普通の刃物と同じように研ぐことができます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240601/17/idealtone/94/44/j/o1280096015446081866.jpg?caw=800)
新たに発生した問題はホーニングガイドにセットするのが難しいことです。
正しい角度に刃を固定しないと刃先だけを研いでしまったり、刃先がいつまで経っても研げなかったりします。研ぐのにかかる時間がセットの加減によって大きく異なってしまいます。
そこでこんなものを作ってみました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/3f/74/j/o1280096015454557956.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/34/2a/j/o1280096015454558683.jpg?caw=800)
これで刃を固定する位置を決めるといつでも同じ角度にセットできるというわけです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/d9/91/j/o1280096015454559024.jpg?caw=800)
思った通りです。カンナという道具は論理的なものです。問題は論理的に解決できます。
これで運用してテストを続けていきましょう。
ストラディバリモデルとガルネリモデル?
同じメーカーの量産楽器を一度に仕入れました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/84/a2/j/o1280096015454562255.jpg?caw=800)
ペグや駒、魂柱など付属部品を取り付け、ニスの表面を仕上げると売り物なる状態にできます。
今回ストラディバリモデル2台とガルネリモデル2台、在庫のガルネリモデルが1台あります。
量産品であれば機械で作られているので、ストラディバリモデルとガルネリモデルでもモデル以外は皆同じなはずです。
音を試してみると
ストラドモデルの一台は明るくてほわーんと柔らかく響きます。もう一台は明るく鼻にかかったようなビャ―ッという鳴り方でした。
ガルネリモデルは明るくダイレクトなものと暗く尖った音のものと、暗くほわっと柔らかく響く音のものがありました。
・・・全部バラバラです。
同じメーカーなので鳴り方が全く違うということはありませんが、一つ一つみな違います。もっとたくさんサンプルがあれば傾向が出てくるかもしれません。しかしお店などでたまたま手にする楽器がストラドモデルかガルネリモデルかによって音を推測することはできません。別のメーカーや異なる時代のものが混ざってしまうと全く別の音になるからです。モデルで判断するよりも実際に弾いてみるほうが正確です。
血液型性格占いに似ています。統計的な手法で多少傾向があったとしても的中率は100%ではなく、目の前の人がどんな性格の人物であるかは血液型を調べるよりも、その人物を観察したほうが間違いが少ないでしょう。
ちなみに師匠の奥さんは自分の血液型を知りませんでした。
不確かなことを平気で言う人もいますが、多額の金額を支払うものに対して私は無責任だと思います。
でも世の中には疑う余地がないかのように信じている人もいます。
それも人それぞれです。
マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリン
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/f2/9e/j/o0949126615454569773.jpg?caw=800)
パッと見てすぐにキャラクターの強いヴァイオリンだと分かるでしょうか?
以前にも出てきたものですが、その後コンクールに出場するほど才能豊かな小学生くらいの子供が選んで購入し弾いています。見ないうちに背も伸びていることでしょう。
マルクノイキルヒェンのものと思われるオールドヴァイオリンです。1700年代の後半でしょうか。一目見た瞬間にモダン以降のものとは違うことが分かります。
形にもf字孔にもはっきりと特徴があります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/b2/3d/j/o0950126715454570538.jpg?caw=800)
マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンは一つに形が定まっておらずいろいろな形があります。これはシュタイナー的なものではあるでしょうが、当時はヴァイオリンといえばそういう形をイメージしたのであって決まった型があって忠実に作っているわけではありません。
ニスはオリジナルのものが残っておらず薄い色のものを保護のために塗ってあって、黄金色に見えます。南ドイツのものは真っ黒のものがありますが、東ドイツのオールド楽器には明るいオレンジ色のニスの楽器がよくあります。ネックの角度も早い時期に斜めになってモダン楽器を予期するものもあります。エッジ付近の溝に塗ってあるものも後の時代に塗られたものでしょう。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/b1/db/j/o1280096015454573102.jpg?caw=800)
表板も本当に古い楽器はこんなふうになっています。テールピースは木製の物を付けていましたが、実用上の理由でウィットナーに変えました。実用品として熱心に練習しているようです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/15/idealtone/86/f5/j/o1280096015454571759.jpg?caw=800)
アーチは高さがありますが台地状になっているので頂点はそれほど高くありません。しかし陥没していないので設計はうまくいっています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/90/01/j/o1280096015454574140.jpg?caw=800)
テールピースが当たりそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/c2/b5/j/o1280096015454574454.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/90/9b/j/o1280096015454574510.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/dd/ea/j/o1280096015454574584.jpg?caw=800)
ぷくっと膨らんだアーチでオールドらしいですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/77/78/j/o1280096015454574933.jpg?caw=800)
このようなアーチを現在では作れる職人がおらず作り方を教えることができません。ヴァイオリン製作学校でも教えられる先生はいません。クレモナの学校やモラッシーに師事したイタリア人の職人もこういうものは悪い例として作ってはいけないと学んだそうです。こんな教育ではイタリアからも個性的な楽器が生まれませんね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240622/16/idealtone/8f/b2/j/o0951126815454575896.jpg?caw=800)
スクロールを見るとマルクノイキルヒェンのオールドのものとは違う感じがします。おそらく後の時代に作られたものでしょう。ペグボックスに損傷を受けた場合などに昔は割と簡単に新しい物や他の楽器のものを取り付けたりしました。
またイタリアの楽器の偽造ラベルを貼るとともに、スクロールを産地の特徴がはっきりしないものに変えてしまったこともあるでしょう。
いずれにしてもこのスクロールはオリジナルではないと思います。
この楽器については過去に修理はされていて壊れている状態ではありません。修理がうまくできているかは分解してみないと分かりませんが、スクロールがオリジナルでないため価値が低いとなると二の足を踏んでいました。イタリアの楽器なら万全な修理をしてもそれ以上の値段で売ることができます。このため長い間棚に眠っていたのです。
マルクノイキルヒェンのオールド楽器の値段は安く、他の産地と違うのは特に有名なリーダー的な作者が定まっていないことです。いくつか家があったことは分かっていますが、家族で楽器産業に従事して個人の作品という扱いがなされていません。名工だとか巨匠だとかそういう概念が通用しないのがマルクノイキルヒェンの楽器です。それがむしろ弦楽器の真の姿です。
この楽器は私はハムという作者のものに似ているように思います。でも定かではないのでマルクノイキルヒェンのオールド楽器としか言えません。もし本物だとしても特別高いわけでもありません。値段には作者の名前や古いことによるプレミアが無く新作楽器と同等で、品質によって異なりますが、状態によって差し引かれるため新作よりも安くなることが多いでしょう。このヴァイオリンはマルクノイキルヒェンのオールド楽器の中ではきれいに作られていますのでマイスタークオリティと考えて良いでしょう。しかしスクロールがオリジナルではなく当時の為替や物価で100万円を超えるのは難しいと判断して、大掛かりな修理はせず指板を交換する程度で弾ける状態にしました。
そこに才能のある子供がやってきてたくさんの楽器を試奏して選びました。
前回の2千円で買ったというモダン楽器も、運がたまたまよかったのですが、そこらへんに音が良い楽器がゴロゴロあるからできることと言えるかもしれません。買った人が弾いているのを聞くとやはりビオラのような深みのある低音で、中音域でも自分で弾いた時よりもボリュームの豊かさがありました。そして買った人は全くヴァイオリンの産地などのことを知らない人でした。100年くらい未使用だったので弾きこめばもっとなるようになるでしょうし、フラットで普通に作ってあるものなので腕を上げればさらに音量も出ることでしょう。
この楽器も小学生で使っているのは渋いですね。
実際に弾いてみると、それっぽいなという感じがしました。それっぽいとはイタリアの数千万円のオールド楽器のことです。億ではなく数千万円のものです。雰囲気があります。
ドイツのオールド楽器特有の地味な音とかそんなこともありません。音を出すだけでもニンマリとしてしまうような気持ちの良い音です。
現代では作ってはいけないと教わるものですが、ボーッと共鳴する感じがあって鳴るなと思うくらいです。ぷっくらとした高いアーチの楽器では筒が響いていると感じることがあります。ソリストがマックスの音量が出せるかは知りませんが、アベレージで弾いて音が小さいという感じはしません。その目的ならフランスのもののほうが良いかもしれません。
我々が学んだ知識とは何なんだったんだと思わされる体験です。プロの教育を受けた専門家でさえそんなものですから、知識なんてものは何もあてにならないと心してください。
業界で年長の人たちの多数派に信じられていることを「知識」として教えることはできます。しかし実際の楽器を手にした時に私はそれはおかしいんじゃないかと思うことがよくあります。このため知識を学んで分かったつもりになっているなら何も知らないほうがましだということです。それに代わる新しい知識を確立することは難しく「分からない」と言う方が間違いが少なくなります。2000年以降昔の本に書かれていた記述が削除されて行っています。
私は、言われてきたことが確かではないと気づいただけで答えは知りません。職人も専門家も何もわかっていないということを知ってほしいです。なのに私が何でも知っていると思って質問をしてくる人がいます。私もまだ思い込みにとらわれて現実を理解していないかもしれません。
古い本ではこのようなものはオーケストラ用のヴァイオリンと書かれていますがほんとうでしょうか?ソリスト用ではないかもしれません。でも世の中にソリストとして演奏している人がどれくらいいるでしょうか?道具は究極的なものでも自分が使えなくては意味がありません。
競輪用の自転車はスピードが出るはずです。しかし一般の人には重すぎて漕げないことでしょう。一方ママチャリでも競輪選手が乗ればものすごい速さが出ます。ハンデとして競輪選手にママチャリに乗せて競争をした例があります。ママチャリでぶっちぎりの速さです。
しかしある程度まで行くとペダルが速く回りすぎてギアの回転の問題で速度が出なくなってしまいます。ソリスト用の楽器とはそういう話です。数千万円のイタリアのものでも同じことで、ダメだというならフランスのモダン楽器かそれに近いものを考えるべきです。この楽器でも普通に弾くレベルでは全く問題がありません。それどころか魅力的な音がします。心地良く気持ちのいい音です。
私は真っ平らなアーチのものと高いアーチのものを作ってホールで試したことがあります。弾いてもらって最後方で聞くとどちらも音は届いていました。平らなものの方が量感が豊かで、高いアーチの方が引き締まっていました。一方現代的な作風のものは音が届かず子供用の楽器がはるか遠くで鳴っているようでした。遠鳴り自体には関係が無いようです。量感の違いはアーチの高さが原因なのかもはっきりしません。ともかく現代のセオリー通り作ったものが最低でした。理屈ではなくホールで試す必要があります。
しかし、マルクノイキルヒェンのオールド楽器にはとても耳障りな嫌な音のものがありますし、見た目の荒々しさとは裏腹におとなしすぎるものもあります。
このような楽器は買おうと思って買えるものではなく、運よく目の前にあった時に気付いて決断できるかというものです。同様のものは在庫にはありませんし、長年眠っていたものが修理をするとすぐに売れてしまいました。その時余計な知識があることは大きな障害となるでしょう。グダグダケチをつける人はチャンスを逃します。勝手に言っていてください。その間に他の人のものになります。
小学生にはその決断ができました。将来必要性が生じてもっと上のランクの楽器に買い替えるとしたら比較対象があるため相当なものとなるでしょう。
試奏のために貸し出しをしているので子供が一人で選ぶのが不安なら先生に試してもらって助言を得ることもありえます。
私のところではコンクールでは地方の予選があり全国コンクールがあります。各楽器で上位に入った人を集めたユースオーケストラでチームワークを学びます。将来プロのオーケストラ奏者として仕事をするための訓練を受けるわけです。その時はオーケストラヴァイオリンが必要となるでしょう。
ソリストになる人はそのレベルではありません。全体の何パーセントかと考えると情報として必要な人は皆無でしょう。それでもソリストを目指しているならホールで試す必要があるでしょう。