ミッテンバルトのチェロとミルクールのヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

会社の倉庫を片付けていたらチェロが出てきました。

長年放置されていたようです。

ミッテンバルトの先代のレオンハルトです。フランス式のヴァイオリン製作を導入したモダンミッテンバルトの雰囲気が残っています。レオンハルトは今でも続いていて日本でも輸入されているでしょう。

スクロールもいかにも量産品で安上がりに作られています。
戦後、東西の冷戦が集結し、中国や東欧の製品が入るようになるまでは西側の国では西ドイツのものが「安価な量産品」でした。日本の鈴木バイオリンもとても安価なものを作っていました。

1982年製ですが、量産品として作られていて当時は安かったと思われます。アメリカや日本にも輸出され中古品が日本にも残っているかもしれません。

日本でドイツの楽器が安物だというイメージはこの頃のものです。そんなことでたいした値打ちもないとおそらくうちの先代の社長が倉庫にほったらかしにしてあったのでしょう。

しかし今となってみると中国製などはるかに安価なものが多くなっていますので40年経っていることを考えると貴重になってきました。フランス的な雰囲気がまだ残っています。

現在の日本でも商品価値があって輸入されているかどうかは別の話ですが、今でもドイツメーカーにはとても安価な製品があります。しかし製造国については公表されていません。我々の間では「分かるよな」という感じです。ネックやペグボックスなどに漢字で何やら印がついていることがあります。
高級車のベンツやBMWが南アフリカで作られていたり、アイフォンが中国で作られていることと同じです。それで言うとさっきのラインハルトのチェロは西ドイツ製です。

この時代のチェロにはこういうタイプの指板がついています。ネックも下がっているので修理が必要です。胴体の方は大丈夫そうです。戦前のものに比べれば修理は楽です。
昔の感覚で言えば100万円もしない感じでしょうけども、ルーマニア製のものでもそれ以上するくらいですから1万ユーロを超えないくらいでしょうかね?アメリカなどでは1万2000ドルくらいはしそうです。
これなら日本にもありそうです。

ミルクールの量産ヴァイオリン


次はミルクールの量産ヴァイオリンです。

これはいかにもミルクールのものという感じのするものですが、一般の人には難しいでしょうね?基本的にはフランスの一流の作者のスタイルがベースになっています。クオリティがそこまで無いので量産品と分かります。前回も言ったようにクオリティによって量産品を見分けます。
ミルクールの量産品も一つの形ではなくていくつかパターンがあります。モデルと言いf字孔と言いこういうのもあります。コピーのコピーのコピー・・・と繰り返していった結果もはやストラディバリの型には見えません。ミルクール独自の形です。
表板の材質は木目の粗い木です。木目の粗い木はモダン楽器ではわりと好まれて使われています。しかしこれはチェロに使うようなものです。

フランスの楽器にしては仕事は大味でf字孔もだらしなく大きく広がっています。

パフリングの先端も先が長くフランス的な感じですがバランスがおかしいです。縁からパフリングまでの距離が遠すぎるのです。

裏板の木材は量産品とは思えないものを使っています。最高級でないにしてもなかなかのものです。形はもうストラディバリというよりもどっちかというと二コラなどのガリアーノみたいです。楽器のモデルというのはちょっとしたことで見え方が変わってしまいます。製造クオリティも重要な要素です。しかし物理的に違いが出るほどではなくそれで音が決まるというほどの違いではありません。したがって職人やメーカーは希望する音にするためにモデルを設計したり選んだりすることは現実的な話ではありません。このような知ったかぶりの知識が溢れています。
仕事は大味ですがフランス的な特徴があります。このためミルクールの楽器を見分けるにはまずフランスの一流の楽器を理解する必要があります。
ニスはラッカー的なものでしょう。時代は1900年を過ぎているくらいでしょうか?ミルクールのもので1800年代のものはもっと木材が灰色~みどりっぽくなっているものです。おそらく薬品のようなもので反応させて色を付けていたのでしょう。

スクロールの縁が黒くなっているのはストラディバリを模したものでフランスのモダン楽器では基本です。
量産品にしてはきれいですが、一流のフランスの作者のレベルにはありません。
指板が薄くなっているので交換が必要です。

正面も直線的にピシッとしているように見えます。それでも一流のレベルではありません。
指板の幅が広いのがフランスの特徴で、ドイツやチェコのものはもっと細いものがついています。フランスのものでもバロック時代のものに比べれば細いですが、ドイツやチェコのものはもっと細いです。これは持ちやすさを考慮して細くなっていったのです。近年では体格がよくなりても大きくなっているので極端に細くはしません。
指板の幅に伴ってペグボックスの幅も違います。イタリアは規格を統一するというのが苦手なので職人によって違いますが、ドイツやチェコのものより太い作者が多いと思います。極端に細いネックの場合にはチェコのボヘミアの楽器である可能性が高いです。

これでも一流の作者のレベルにはありません。

ネックの取り付け方にも特徴があり19世紀のモダン楽器のスタイルが残っています。現在よりも急な角度で斜めにネックがついています。ドイツで1900年頃から量産されたものでは現在と同じものになっています。

ラベルは無く焼き印が押してあります。

本に焼き印が載っています。真ん中の三角になっているものです。わりとよく見るもので生産量がかなり多かったメーカーでしょう。時代もかなり開きがあるようです。

一流のフランスの作者のものに比べると質が何段階か落ちます。板の厚みも少し厚くギリギリまで薄くしていません。普通くらいでしょうか?
したがってフランスの一流の楽器の品質が落ちて厳格さを失った感じです。

この楽器で驚くのはサイズが大きいことです。横幅が普通のストラドモデルよりも1㎝ほど大きいです。

大味で仕事の粗いものですが工場製ということでストラドモデルの細かい特徴を理解していません。初心者が作ったようにも見えます。でも極端に安価な量産品の粗さではありません。まあまあ丁寧に作っているけども美的なバランスが分かっていないという感じです。

音は?

今回は指板を削り直し、ニスを掃除して、弦を新しいものに張り替えました。ペグは柔らかいローズウッドで摩耗してブレーキが効きにくくなっています。交換すべきですが持ち主は大丈夫なのだそうです。
指板もラストチャンスです薄くなりすぎてこれ以上は無理です。

修理が終わって弾いてみるととてもよく鳴るのが印象的でした。明るい音と暗い音の中間くらいです。新品でこの音なら暗い方でしょうが「ビオラのような」というほど暗い音ではありません。
量産品ではありますが、弾いたら楽しくなるような鳴りの良さがあります。ハンドメイドの楽器でもこのようによく鳴るものはそうそうないでしょう。頭で考えるのではなくて一度このようなものを弾けば「量産品だろうがハンドメイドだろうが関係ない」ということが分かると思います。

なぜこのようによく鳴るかというのはよくわかりません。同じメーカーのものがあって良いだろうと思って買うとそんなでも無かったりします。何か秘密があるのではなくてたまたまでしょうね。どこの産地にもあるので木材の産地がどうとかそいう事でも無さそうです。作り方の問題なのか、その後100年間で鳴るようになったのかもわかりません。
サイズがかなり大きいことの音への影響はよくわかりません。少なくとも低音が強い「ビオラのような音」にはなっていません。大きさによってビオラのような音になるわけではないと思います。カギカッコになっているのは実際にはビオラも明るい音のものが多く、深い低音のものは多くありません。

よく日本で明るい音が良いということが言われますが私にはピンときません。ヒトの耳はすべて音の高さが同じように聞こえるわけではなく、1000~2000Hzあたりが他の音よりもよく聞こえます。ヒトは測定器ではなく生存競争に生き残って来た生物です。そのことが周囲の環境を把握するのに有利だったのでしょう。スイカなどのように音で果物が熟しているかを把握することもできます。また赤ちゃんや子供、女性の声が聞こえやすい音域であることも生存率を高めた事でしょう。明るい音というのはおそらくその辺の音が倍音も含めてよく出ている楽器ということになるのでしょう。どうやってヒトが音を音波以上のものとして感じるのか興味深いです。このためもっと低い音が出るビオラのような音は地味に聞こえるという事なんでしょう。しかしこのように本当によく鳴る楽器というのはそんなレベルではなくて引いた瞬間に明らかに板がよく響いて音が豊かに出ます。そういうものが日本には少ないのでしょうかね?音色が明るいだけでは鳴っているとは思いません。暗い音でよく鳴る楽器はあります。

これも教師のお客さんのものですからよく弾きこんでいるからなのかもしれません。教師が量産品を使っているというのも楽器の実力からすれば全くおかしくないです。
こういうものは修理では来ますが売り物ではあまりありません。

一流のフランスの作者のものからすればクオリティは落ちますが、楽器の構造上は十分なレベルにあって、運よく鳴るようになっているようです。

それに対して作者を神様のように信仰の対象にして高い値段をつけて売っています。骨董品の値段などは過去にその値段で買った(愚かな?)人がいるので、それ以上の値段をつけて売っているだけですよ。音を評価して値段をつけているわけではありません。

この宗教を信じるためには、量産品は音が悪くないと都合が悪くなります。神様のような作者が意図的に音を作り出しているという体裁になっていないと困ります。量産品は部品ごとに別の人が作っていて、設計思想に統一感が無いために音が悪いというのです。

私も20年以上やってきてこれはであることが分かってきました。このことは迷信を捨て弦楽器を理解する上での根幹にかかわることです。量産品でも音が良いものがあります。分業でも十分なレベルにあれば問題はありません。意味は分かっていなくてもヴァイオリンのようなものを作れば好き嫌いの範疇であってそうそう極端に変な音にはなりません。一方一人の職人が作っても各部の組み合わせでどんな音になるか予想するのは困難です。変な音のヴァイオリンを作って欲しいと言われてもその作り方も分かりません。ヴァイオリン製作を習って初めて作ったヴァイオリンからヴァイオリンのような音になりました。フランスの弦楽器製作のレベルが高いのでそれより仕事が甘い量産品でも並みのハンドメイドの作者と変わらないレベルのものが有り得ます。1850年以降のものはイタリアをはじめフランス以外の作者もフランスの一流の作者のものから何段階か仕事が甘くなったものですから。宗教を信じている人の間ではストラディバリと同じイタリア人は生まれながらにして神様なんでしょうけども。私は職人を人間として見たほうがより真実のイタリアの楽器の魅力が理解できると思います。

でもミルクールのものは音が良いかというと、木材が朽ちて弱った感じのものが多い印象があります。それは薬品で処理した副作用かもしれません。この楽器はたまたまよかっただけです。

フランス製でも粗悪品は粗悪品です。この楽器は見た目よりは音が良いです。一流の職人のものと比べるとはるかに大雑把で美的なバランスは悪いけども仕事自体はそれほど悪くありません。新しめのミルクールのヴァイオリンにはあまり良い印象を持っていませんでしたが、結局一台一台音を確かめないといけません。