ニセモノとは? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

記事を書くためには何週間も前からネタを考えて楽器を探したり写真を取ったり、本で調べたりしています。せっかく面白い楽器があっても、急ぎの仕事が入っていれば写真を撮る時間もありません。書くだけでも何時間もかかります。書き終わった時点で疲れ果てていますのでコメントには返事はできません。職人は生産性がとても悪い仕事で3か月で一台のヴァイオリンを作る人は1か月で作る人の収入は1/3以下になります。雑に作って平気な人の方がプロとしての才能があるという仕事です。高いクオリティでできるだけ短い時間で仕事をしようと集中しているので疲れ果てています。一日が70時間くらい欲しいです。
何に関心を持っているか参考にする程度にさせてください。


楽器商も含めて商人という人たちはいかに安く買ったものを高く買うかに情熱を注いでいます。弦楽器売買の歴史ではその情熱が楽器職人が良いものを作ろうという情熱をはるかに上回ると思われるくらいです。弦楽器を買うというのはシルクロードの市場に全く言葉も分からない日本人が行って宝飾品などを買おうとするようなものです。周りの店主も仲間で助けを求めても正当な商売であるかのような態度をとることでしょう。
私には信じられないことに、そんな危険な取引に果敢に挑んでいく無鉄砲な人が後を絶ちません。相手はあなたを騙して楽器を高く売ろうとしているのに、自分はお客様で神様として扱われると思っているのですから呆れたものです。そりゃ営業マンはお金持ちのあなたをおだてたり、高級品の違いが判ると得意げになっている所を褒めて喜ばせますが、内心は良いカモだと考えている事でしょう。高級品の違いはセンスや人間のランクの問題ではなく、しかるべき勉強をすれば分かるようになるし、しないと分かるようにはなりません。


ニセモノという言葉があります。
辞書には「本物によく似てはいるが、本物ではないもの。」とあります。
だとすると一般人と我々では認識がかなり変わってきます。

つまり一般の人にはヴァイオリンはみな同じように見えるため売り手が嘘をつけば何でもニセモノにすることができますし、一方で我々から見ると似ても似つかない全くの別物でニセモノという認識すらもしていない場合もあります。


お客さんで物置から古いものが出てきて「これは本物のヴァイオリンですか?」と聞いてくることがあります。おもちゃのヴァオリンや置物でなく、楽器として作られたヴァイオリンであれば本物のヴァイオリンです。

習おうとヴァイオリンの先生について教わる時に、ヴァイオリンではない楽器を持って行っても教えてもらえません。ヴァイオリンというのは同じようにできた共通の楽器となっているので演奏法を教えることができます。このためヴァイオリンは形や作りが決まっていてみなよく似ています。

ラベルの偽造については中古の古い物であれば90%以上は偽造ラベルが貼られているという印象です。ラベルと作者が違えば一般の人にはニセモノということになるかもしれませんが、我々から見るとそもそもラベルなんてものは信用していないのでニセモノとさえも考えず、それがどこの誰の作ったものかが問題となります。

違う作者のラベルが貼ってあっても実際に似せようとして作られたものはわずかです。ヴァイオリンは皆似てるため単に偽造ラベルを貼る方が簡単だからです。どうせ見分けがつかない一般人なら分からないのにそんなに大変なことをする必要がありません。
他のものに似せたヴァイオリンを作るのに必要な能力や労力がけた違いに大きいからです。違う時代の楽器をそっくりに作るにはオールドの作者以上の超一流の腕前が必要です。

ヨーロッパでは歴史があるのでそこら中に古い楽器が眠っています。不用品の中古品が売りに出されることがよくあります。この時99%は大量生産品と考えて良いくらいです。最近では中古品でも中国製とかそんなものが多くなっています。

この前はそのような不用品を2000円ほどで買って50万円以上の価値があるという話でしたが、逆のケースの方が多いのです。修理代の方が楽器の価値よりも高く買った値段の分だけお金をどぶに捨てたようなものです。
日本でもリサイクルショップには修理をしていない楽器が売られていることがあります。買ってから修理が必要になります。

この楽器にはオールドの作者の名前のラベルがついていました。その意味ではニセモノですが、私が見ると全くオールド楽器には見えず少しも似ていません。似てないのですからニセモノというよりは別物です。
ラベルなどは全く意味がなく、Tシャツについているプリントのようになんかついていれば模様になってるなというくらいです。

私はこのように不用品として売られているものを見たときは、「上等な量産品」があると掘り出し物だなと思います。間違っても、何千万円もするオールドの名器のラベルを見て「もしかして…」なんて思うことはありません。
狙うなら上等な量産品ですが、修理がどれくらい必要かがとても重要になります。

音は修理してみないと分からないため買う前には分かりません。同じ産地のものでも音は一つ一つ違います。生産国によって音を予測することも無理です。それが不用品として売られているものと弦楽器専門店で職人が売っている楽器との違いです。修理済みで売られていて試奏して音が気にったものを選ぶことができます。

いくら安い値段でも使わない楽器を買ったのなら支払った分がすべて損失です。

ヤコブ・シュタイナー?



これはヤコブ・シュタイナーのラベルが貼られたヴァイオリンです。古そうに見えます。本当のシュタイナーなら3000万円以上するでしょうから、この楽器も「もしや?」と思う人がいるかもしれません。

渦巻ではなくライオンが彫られています。シュタイナーの特徴です。

これはもちろん本物のシュタイナーではありません。それではニセモノと言えるでしょうか?

私は、見た瞬間に考えるまでもないため、初めからシュタイナーのオリジナルであるかどうかには興味がありません。いつどこで作られたどれくらいのランクの楽器であるかということに興味を持ちます。シュタイナーモデルはストラディバリ、ガルネリ、マジーニ、アマティなどと並んで近代の量産品では定番のモデルの一つです。量産品だけでなくハンドメイドの高級品でもストラディバリ、ガルネリは定番のモデルで、アマティ、マジーニなどがあります。ヴィヨームがガルネリモデルで作っても贋作というよりは本物のヴィヨームです。私には全くの別物に見えるからです。同じようにジュゼッペ・ロッカがストラディバリやデルジェスのコピーを作ると「ストラディバリ以来の天才」と言われるのはおかしな理屈ですね。

今では新品のシュタイナーモデルのものは見ることがありませんが戦前くらいまでの量産品にはシュタイナーモデルが作られていました。マルクノイキルヒェン、ミッテンバルト、ミルクールでもシュタイナーモデルの量産品は作られていました。おそらくハンガリーでも作られていたかもしれません。
それで言うとこれはミッテンバルトのもののように思います。

量産品でも品質が高ければ50万円位は超えてきますので庶民にはお宝ですし、楽器としての機能も優れていることがあります。
しかし近代の量産品のシュタイナーモデルのものは本当のオールドの時代のものとは全く違うので私にとっては少しも似ているように思えません。
アーチの作り方を勘違いして近代の工場で教えたのでみな間違っています。当時の従業員はまじめに仕事しただけかもしれません。作っていた方も、まさかこれが本当のシュタイナーと混同されるとは思ってもいないでしょう。ニセモノを作っているという認識も無かったことでしょう。

輪郭の形もシュタイナーとは全く違います。どちらかというとこんなのはグランチーノにありますね。コーナーはオールドのドイツ風ではなく、ストラドモデルの作り方になっています。それにも流派の特徴があり、ミッテンバルトの感じがします。ストラド型が近代では基本形でありシュタイナーの特徴を理解していません。これはガルネリ型でも同じことがよくあります。ストラド型のコーナーの作り方でガルネリ型も作っていることがよくあります。ストラド型というのが近代では作り方の基本で、「ヴァイオリンを作る方法≒ストラド型のヴィオリンを作る方法」なのでストラド型の作り方を学んだ時点で自分はヴァイオリンの作り方をマスターしたと考える人が多いでしょう。鮮明な写真の印刷技術のある今でさえデルジェスの特徴を目で見て観察して理解している人は少なく、ストラド型というのは普通のヴァイオリンのことです。デルジェスの特徴を理解したうえでそのままコピーとして作ることもあれば、近代的なものや自分流に手直しする人もいます。そのような人の方がより理解度が高いですね。このため近代の作者ではオールド楽器に似せた楽器を作っている人の方が同じ流派では値段が高く、また同じ作者でも独自のモデルよりもアンティーク塗装のもののほうが値段が高くなっていることが多いです。日本の一般人のニセモノの認識とは違います。オールド楽器に似たものを上手く作れる人の方がよく勉強していて技術が高いということでプラスの評価になっているのですが、我々が何百年も前のものと混同することはありません。ただこの業界の「評価」というのは売れやすさの話ですから古い楽器に見えるものの方が単に売れやすいというだけの話です。
いずれにしても「真似をするのは志が低い」とか「作者の個性が大事」というのは日本だけの話です。そんな話はこちらでは聞いた事がありませんし、イタリアの作者でもストラド型やガルネリ型のものがたくさんあります。また品質が低くストラディバリに見えないイタリアの作者や大量生産品もたくさんあります。

ミッテンバルトの古い量産品で危険なのはニスに耐久性が無いものがあることです、ポロポロ剥がれて来たり水に溶けたりします。これも裏板は後の時代に塗り直されていますが、とても汚い塗り方で刷毛の跡が見えます。つまり絵の修復で言うと下手な人が上から描いた感じです。
これを直すのは大変ですね。この楽器の修理を最もためらう理由は過去に落書きされた裏板です。多くの手間がかかった上に、ニスが真新しい感じになってしまうからです。

横板の下の部分が継ぎ目がなく一枚の板でできているのはシュタイナーの特徴でもあり、ミッテンバルトの伝統でもあります。

これがザクセンのラッカーで塗られたものならニスに耐久性がありますが、真っ黒のラッカーで塗られたものは全くオールド楽器には見えません。ラッカーは近代の塗装技術だからです。

サクソニースクールのチェロ



これはストラディバリのラベルが貼られたチェロです。
ということはストラディバリの本物なのでしょうか?これも見た瞬間にそんなことを検討する必要もありません。
マルクノイキルヒェンの大量生産品です。しかし戦前の同地域の量産品の中では上級品です。

アンティーク塗装には好き嫌いがありますが、ニス自体は柔らかいものでラッカーではなくオイルニスです。木材も安物ではありません。

スクロールも比較的きれいに作ってあります。

これくらいのチェロだと修理が済んだ状態で、200~300万円位の価値があります。今の為替なら350万円位でもおかしくありません。
ストラディバリのチェロなら10億円位は普通でしょう。それに比べたら安いですが、300万円と言ったら骨董品の中では結構なものです。
つまり本物のマルクノイキルヒェンのチェロです。チェロというのは高いもので、これがマイスターの作品となれば500万円位にはなってしまいます。量産品だからこの値段ということです。

しかしこのチェロは壊れたところと過去に十分なクオリティではない修理が行われているため、売り出すために修理代は100万円を超えるかもしれません。中古品として買う場合は修理が済んでいるかいないかが大きな差になります。修理されていてもクオリティが低ければされていないのと同じです。修理する方としては壊れたてよりも難易度が高くなります。いずれにしても十分100万円の修理を施す価値のあるチェロです。


新品の大量生産のチェロはルーマニア製の上級品が100万円程度で、中国製ならもっと安いでしょう。ドイツ製なら100万円を超えて200万円位になるかもしれません。しかし音でルーマニア製のものを勝っていることも無いので200万円を出す意味がありません。
音大生など新品の量産品よりも音が良いものが欲しいという需要があります。

そこで古い上等な量産品の人気があります。マルクノイキルヒェンは戦後は東ドイツに位置していて、ザクセン州にあります。他にもザクセンにはいくつかの産地があり、職人が移動したために同じ流派で苗字も同じ親戚も少なくありません。今ではチェコ共和国になるボヘミアという地域でも広くは同じ流派になり、同じ苗字の人がいます。またそこからベルリンやドイツ各都市に移って店を構えた職人もいます。弦楽器だけでなく楽器全般の大生産地で広くはフォクトラントと言われる地域です。
おそらくアメリカでもチェロについては「ザクセン派」を英語の「サクソニースクール」のチェロとして本国以上の結構な値段がついていると思います。日本ではでたらめなうんちくをひろめてしまったため、悪いイメージがついて売りにくくなってしまいました。嘘を一つつくと嘘をつき通すために後で面倒なことになります。


このチェロもものすごくよくできてるというわけではありませんが、酷く粗悪というほどでは無いので音が良い可能性は十分にあります。新作のハンドメイドのチェロよりも音が良いと感じる人は少なくないでしょうね。悔しいですが我々の作るもので音と価格で対抗するのは難しいです。
このようなものは音大生や教師など演奏に本気な人たちに求められています。世界はどれだけ実用本位で楽器を選んでいるかということです。

興味深いヴァイオリン?


量産品は分業で、工員は部分ごとに作業工程を分担します。同じ作業ばかり繰り返すことで短い期間で技能を習得し、驚異的な早さで仕事をすることができます。もし腕の良い職人を何十人も集めて組織すれば専門化するので一人の人が作るものよりも完璧なものが作れるかもしれません。しかし職人というのはややこしい人たちで組織するのが難しいものです。歴史上もっとも機能したのはフランスであり、ヴィヨームの工房などは高品質なものを作りました。日本でも腕の良い職人を集めて工場を作れば歴史上最高レベルのチェロを作れるかもしれません。しかし現実には難しいです。

量産品は安いことで、販売店は高い利益を上げられるとともに仕入れのリスクを減らすことができます.工場では組み立てのみを行って部品自体は、各家庭で内職として作られていたかもしれません。こうなると一ついくらと買い取り値段が決まっていたならとにかく怒られない程度の品質でたくさん作ったほうが収入が得られます。ヴァイオリン職人は本職ではなく本業は農業で冬の間内職をしていたかもしれません。

工場で製品として作ると、それぞれの工程で基準があり、量産品の製造技術で作られた特徴が出てきます。それで量産品であることが分かりますし、時代や産地も分かります。

それに対してよく分からない楽器があります。

古い感じがしますし、量産産地の特徴もわかりません。個性的で手作りっぽい感じもあります。手書きのラベルが貼ってあり読めませんが作者の名前が書いてあるようです。

木材も変わっていて量産品のようにランクが決まったものを使っていません。逆に高価なオールド楽器には安い木を使ったものがあります。

そんな雰囲気もある楽器ですね。もしかしたらとても高価なものかもと思えます。
これも修理されていない中古品を10万円ほどで買ったそうです。

私たちから言わせれば10万円高く買いすぎました。さらに修理代が15万円はかかるでしょう。25万円の価値は到底ありません。
このようなものは量産品の基準にも達しないものです。本当にハンドメイドのものである可能性は十分にありますが、その場合素人の様な職人です。素人が手作りで作ったものを手作りだから高価と考えるなら勝手にしてください。

イタリアのものも含めてオールドの時代にはアマティやストラディバリ、シュタイナーのように大変に美しく作られたものもあれば、粗末に作られたものもあります。当時王様や貴族が買ったものと庶民や音楽家が買ったものがあるからです。逆に言うと現代でも職人が最善を尽くしたものは本来なら王家くらいの人が買うようなクオリティでそれを皆さんは買うことができる時代になっているのです。

イタリアのものに限れば粗末なものでも、今では数千万円はくだらないものです。近代の作者でも500万円を超えます。
このような「量産品以下」の楽器は手作り感があり、そのようなイタリアの楽器に似て見えます。そんなものに偽造ラベルが貼られて出てきます。

イタリアの作者は個性があるから価値が高いと言うのなら、このような楽器も個性的ですよね。でもただのガラクタです。

駒の来る位置はボディストップと言ってヴァイオリンでは普通f字孔の195mmのところに「刻み」が来ます。これは200mmのところにあります。20cmの方がキリが良いと思ったのでしょうか?よくわかっていない人が作ったものです。

それに対してネックの長さは指板の先端とネックと表板の付け根の部分で測ります。普通は130mmですが、125mmしかありません。トータルの弦長は普通の4/4のヴァイオリンと同じですが比率がおかしいです。ネックが短く胴体が長いです。こうなるとネックの根元に親指を当てて高いポジションを弾くときに普通のヴィオリンよりも押さえる位置が5mmほど遠くなります。これはかなりまずいです。もちろん初心者が最初の練習をするには問題ないかもしれません。しかし上級者にはなにも良いことはありません。

そういう意味でも量産品の方がマシというわけです。

このように私は手作りであること自体にはそれほど価値があるとは思いません。商業的には手作りか量産品かということで聞こえが変わってきます。しかし手作りの粗悪品なら、上等な量産品の方がマシです。それどころか古いものなら上等なハンドメイドのものよりも音が良いかもしれません。

怪しげなヴァイオリンの出どころは?


この楽器に限らず、量産品には見えないけども、お手本通りに見事に作られたハンドメイドの楽器ではないものがあります。こうなるとどこの誰が作ったのかよくわかりません。そしてこのような楽器に偽造ラベルが貼られるとある種の人たちにとって「興味深いヴァイオリン」となります。

日本では隠語のように「化ける楽器」ということを聞いたことがあります。つまり買う段階ではガラクタで売る段階では名器になるものです。さっきの話に戻すと、商人というのは安く買ったものを高く売るのが至上命題です。このようなものはまさにうってつけです。

鑑定書がついていて明らかにわかっているものは買う段階ですでに高価です。だから商人としてはつまらないですね。古物商の醍醐味の一つはガラクタを探してきてそれを名品として上手いこと理屈を言って売ることです。そんなことは古物商の世界では大昔から当たり前です。大物を釣るようにそれがロマンでやっているわけです。

似たような名器を探して偽造ラベルを貼ってあるというわけです。

それを分かっているよなということで業者同士ではニセモノだとか本物だとかは言わずに取引します。「旦那、良いブツが入りしましたよ」ってな具合です。良いブツというのはちょうどいい偽造ラベルが貼られていると、自分の手を汚さずにできるというわけです。じゃあ誰が偽造ラベルを貼ったのかというとそんなのは闇です。

最近はネットでも「labeled〇〇」というような楽器が出ていますが、私が今話しているのはそれです。よくそんないかがわしいものをネットに載せるなと驚きですけども、そのようなものを中間業者から買って手に入れていました。

そんなものの出所としては、日本語に直訳すると「ジプシーのヴァイオリン」というものがあります。ジプシーというのはアジア系の民族でヨーロッパで移住生活をしている人たちです。ヴァイオリンの演奏も盛んで独特の音楽もありサラ・サーテのツィゴイネルワイゼンというのは「ジプシーの流儀」という意味ですね。サラ・サーテがジプシーの音楽を真似て作ったものです。ジプシーの音楽としてはニセモノです。現在では世界的に有名な音楽家にはロビー・ラカトシュという人がいます。
特にハンガリーのあたりの人たちが中心になっていますが、ハンガリーの主要な民族では無いようです。芸人としてお店や路上で音楽を演奏したり、骨董品や楽器を行商したりしています。彼らの高齢化もありますしコロナ以降ちょっと減っていますが今でもたまに来ます。うちの社長はロレックスのニセモノの時計を「これはよくできてる」と言って買っていました。普段使うには良いですね。でも日本に持って帰ると密輸で犯罪になります。

ジプシーの行商人の大概の人は専門知識が無く弦楽器のことをよく知らずガラクタばかりを持っていて、自分でも価値を分かっていません。それを泣き落としなど必殺営業テクニックで売って生計を立てている人たちです。
ある人は母親が亡くなったと泣いて同情を誘っていましたが、何年か前にも母親が亡くなったと言っていたように思います。日本の昔の営業マンと似ています。西ヨーロッパの人はもうそういう営業はやりません。
日本で楽器店で買うのはそのような百戦錬磨で生き残っている営業マンから楽器を買うことです。

ハンガリーも古くからのヴァイオリンの産地でヨハン・バプティスト・シュバイツァーがウィーンから移ってきてモダン楽器の流派を形成します。その後はフランスに行って学んだ職人もいてフランスの楽器に作風が近くなります。現代になれば他の国のものとも変わりません。作者がよく分からないモダン楽器を鑑定に出したところ「フランスか、北イタリアか、ハンガリーのもの」と言われたそうです。鑑定士でもそれらの産地の楽器は区別が難しいほど作風が近いということです。鑑定士でも見分けがつかないのですから当然偽造ラベルを貼るならイタリアの作者ですね。

ハンガリーのモダン作者の中には高い値段がついていてドイツのものよりも高価な作者もいます。音は悪くなくて何か名器の偽造ラベルが貼ってあるハンガリー製のチェロを音が良いと言って教師などが使っているという話もあります。

量産品のような安価なものもあり、特徴は独特なオールドイミテーションです。古い楽器に見せかけたものを作っては行商人が売りに行ったのでしょう。表板だけ後から作ったものなど、部品が全部オリジナルでないこともあります。

悪質な偽物を作る工場?

この前はアレサンドロ・ガリアーノの話をしました。かつて有名な楽器商がベネチアのピエトロ・グァルネリとして鑑定書とともに売られたものですが、近年鑑定に出すとアレサンドロ・ガリアーノとなりました。このように怪しげな業者だけではなく、世界的に有名な業者さえもそのようなことをしていました。偽造ラベルを貼ったのは誰かわかりませんが、私が見てもピエトロ・グァルネリではないことは分かります。でも当時有名な楽器商の鑑定書があったので、「へえ?これがピエトロ・グァルネリなんだ」と思っていました。本に出ているものとは全然違うのもあるんだなと感心していましたが、違いました。アーチが高いという意外には似ているところがありません。
それくらいの特徴で世界的な楽器商がニセモノの楽器を売っていました。だから本に言葉で書いてあるような特徴なんてのはあてにならないということです。

量産品や産地の特徴がよく分からないモダン楽器があると偽造ラベルを貼るにはもってこいですね。だから中古品を選ぶなら「確かな量産品」の方がまだましだと考えるほうが「通」です。上等な量産品が分かることが大事です。
日本の楽器店が新作楽器を売りたがるのは詳しい人が少ないからでしょう。

モダンイタリーの作者の図鑑がありますからなんか似ているものを探して偽造ラベルを貼るということがよくあります。本で見ると似てなくもないとなります。私はそういう物には手を出すべきではないと考えます。
買っても永遠にわからないままかもしれないからです。

それに対してモダンイタリーのニセモノをあえて作っていた業者があるようです。一つは、マリオ・ガッダの工房で作られたロメオ・アントニアッジのラベルが貼られたものです。マリオ・ガッダの工房製ですが、ロメオ・アントニアッジとしてはニセモノです。楽器自体はクレモナの新作楽器にそっくりでした。イタリアの作者の偽造ラベルがイタリア製の楽器に貼られていることもよくあります。イタリアは偽ブランド品製造国で主要な国の一つです。

ほかにはジュゼッペ・オルナーティの焼き印まで作ったものです。よく見ると焼き印の文字の傾きがちょっと違うのです。そのコピーの焼き印のついた楽器をいくつか見たことがあります。つまり誰かがオルナーティの焼き印のコピーを作って楽器を作る時に中に押していたのです。
ヴァイオリンもチェロも見たことがあり、修理のためにチェロを開けると量産品の特徴が見られました。なので今はもう知りませんが「秘密の工場」があるのではないかと思います。

実はニセモノを作ろうとして作ったそういうケースは少なくて、実際にはただの量産品に、ストラディバリウス、ガルネリウス・・・などの量産ラベルを貼ったものがほとんどです。
それから全く関係ない楽器に別のラベルを貼って売るものです。
ラベルも量産品です。最近ではコピー機を使ってラベルをコピーした安易なものがあります。コピーした元が本なら印刷の写真は小さな点でできているので虫眼鏡で見ると本をコピーしたものだと分かります。

我々は似てもいないのでニセモノとすら思いません。

大事なのは本物か偽物かではなく、それがどこの誰が作ったものか、また品質が高いか低いかということです。
高品質で作られたものならどんなラベルが貼られていても最低100万円はします。そのレベルの楽器に偽造ラベルが貼られることは少ないです。たいがいはもっと安上りに作られたものです。

だからそれが一人前の職人の作ったものかどうかを見分けることが第一歩となります。このためにはそのような職人に習って自分でヴァイオリンを作ることが一番良いことです。そうするとこうなってはいけないと失敗例を教えられます。自分で実際に作るとただ楽器を眺めるのとは「見る」ことについてレベルが全く違います。初めて楽器を作ると何百時間では効きませんからそれだけの時間楽器を見ているわけです。一つの楽器を500時間も1000時間見ることがありますか?そして師匠に指摘されることで初めて違いに気づきます。ニスも塗る作業をしていれば何十時間も見ます。私でも弓は作ったことが無いのでそこまで違いが判りません。
それを何年かすると、一流の職人が作ったハンドメイドの楽器と量産品を見分けられるようになります。

しかし、ヴァイオリン製作学校を出て数年くらいでは量産楽器の流派などは分かりません。

これで世の中の楽器のほとんどが量産品ですから、量産品かそうでないかを見分けられます。それでもグレーゾーンの楽器がたくさんあります。量産品にも見えるしハンドメイドにも見えるものです。このためハンドメイドの楽器を作るなら量産品にはとてもあり得ないレベルのものを作らないといけません。
一方量産品を高く売りたければ、量産品のレベルを超えたようなものを作るべきです。このためグレーゾーンの楽器があります。
またチェコのボヘミアの作者は、家で自分で楽器を作っていましたが、かなりの速さで作っておりフランスやドイツの一流の作者のようなカッチリした感じではありません。当時ミラノなどイタリアでも流行していた角を丸くするスタイルです。この辺もグレーゾーンです。戦後の西ドイツのブーベンロイトでもそのようなものがありました。ボヘミアのチェロでは量産品上級品くらいの値段でハンドメイドのものがあります。そこにイタリアやドイツなどの関係のない偽造ラベルが貼られていることがあります。ただハンドメイドというだけで音が優れているということにはなりませんので注意が必要です。

イタリアの作者の楽器には引っ掛けがあります。
本当の作者の腕前が一人前のレベルに無いことです。そうすると腕の良い職人によって見事に作られたものなら本物ではないということになります。その場合素人が作ったようなものが正解です。これはとても紛らわしくそのような判定は私でもしません。権威のある鑑定以外は何の意味もありません。私がどう思うかなんてのは全く意味がありません。普通は量産品に偽造ラベルが貼ってあるのでその場合は鑑定に出す価値もないと言います。



したがって量産品かハンドメイドか見分けることが大事で、ハンドメイドなら鑑定に出す必要があります。チェコやドイツの作者のラベルで高品質であれば、その作者のものである可能性は高く、違っても値段が変わらないので間違っていても問題にはなりません。

このように楽器の品質以上の相場になっている楽器の場合は、鑑定だけが根拠です。紙だけで楽器を見る必要もありません。自分で見分ける必要がありません。鑑定書が誰のものか本物かどうかという話です。

自分で楽器を見分けることがどれだけ危険な事か分かったでしょうか?
興味本位で自分から紛争地帯に死にに行く人を私には止める義理はありません。

お問い合わせはこちらから