Мы решительно протестуем против вторжения России в Украину и призываем к немедленному выводу войск.
私たちは、ロシアのウクライナ侵攻に強く抗議し、軍隊の即時撤退を求めます。
#Противвойны(戦争反対)
今日の記事も写真が無いので、昨年4月上旬に行った福島県喜多方の国鉄日中線廃線跡の垂れサクラの桜並木の写真を掲載します。
喜多方駅から廃駅の会津松村駅まで2.9kmもの桜並木なので圧巻です。
東北旅行の記事のまとめはこちら
さて、最初に書きますが、赤信号を渡って良いと書きたい訳ではないので理解して下さい。
また、車で信号無視はダメです。免許制度で交通ルールを守る約束で運転が許されています。
実は、この話題、高校3年の卒業前の特別授業で行ってきた内容なのです。
設定は、狭くて数歩で渡れるような道に信号付きの横断歩道があり、赤になっています。
左を見ても右を見ても車はいません。そんな時に信号無視して道を渡って良いか尋ねますと。
渡って良い派と、渡ってはダメな派に別れるのです。そこでディベート的な意見の交換をさせます。
100%安全だから渡って良いとか。交通ルールで決まっている以上渡ってはいけない
等の意見が戦わされます。
事実として、渡ってはいけないはずなのに渡る人がいます。 それを見てイライラする人もいます。
この話し合いは、 渡って良いのか悪いのかの結論を付けるためにおこなっているのでなく、
いろいろな、考えがある事を理解してもらうために行っています。 それぞれの意見があり、
その多様性を認めながら、今あるルールは守らなければならない事を理解してもらいます。
下にリンクを付けましたが、
私の学校は歴史のある伝統校、
教育の理念(学校の憲法)に基づきできた、変な校則がいっぱいあるのです。
教育の理念を理解して、高い倍率を勝ち抜いて入学した生徒たちですので、
私立学校としてのルールを守るのは当然だと6年間(高校入学者は3年間)教えてきました。
ただ、卒業前にどうしても伝えたい事があります。
それは、ルールは、何のために有るかという事です。
学校の校則は、教育理念実現のためにある訳ですが、
一般のルールや法律は、そこに住む人々の安心安全を守るものでなければならないはず、
だから、ルールを守るのは当然だけど、ルールは何のためにあるか考える人になって欲しいと教えたいので、このディベート的な授業を行っていました。
そして、ルールが現状にそぐわないのなら、それを変える意識を持って欲しいと伝えます。
歩行者用の赤信号だって、安全確認できれば渡っても良いというルールに変える事だってできるはずです。
今、ロシアでは、どんどんと国民を縛り、国民が安心安全に暮らせなくなるルールができています。
法律により徴兵された若者が、ウクライナの最前線に送られ戦死する事実も伝えられます。
兵士が、食事ですら満足に与えられず、略奪により飢えをしのいでいる実態もあるそうです。
卒業生たちが暮らす未来に、このような不幸が起きないためにも、ルールは何のためにあるのかを考え行動できる社会人になって欲しいと願ってやみません。
国民が、ルールを変える事のできる国に住んでいる幸せも感じて欲しかったです。
(侵略されているウクライナの悲劇は、息が苦しくなるほど悲しいです。)
いちろうのもう一言
教師を36年もやっていると、話し方や書き方がまどろっこしい感じになるのですよね。(笑)
だって、50分、90分(今の大学は100分)の授業を飽きさせずに聞かせるためには、
つかみ、起、承、転、結。
起、承、転、結、ひねり。。。。。。等々、
最後まで聞かないと何が言いたいのか分からないような展開をする事もあります。
だって、膨大な理論を飽きさせず理解させるためには、いろいろな仕掛けが必要ですから。。。。(笑)
これ、ブログではダメな書き方なのですね。
だって、斜め読みしちゃうと別の意味に捉えられちゃう可能性がありますもん。(汗)
これを最近実感したので、記事の初めに赤信号を無視して良いいう記事ではないと書きました。
実は、この記事でルールは守るけど、生物教師として密になるルールが嫌だと書いたら、
大切で、大好きな友人に、
教師なのにルールを守らなくて良いと今でも思っているのかと嫌われてしまったのです。
(今でもと言われたのは、飲み会で指摘され、反省した部分を受けての言葉です。)
記事を書いたのは私の責任ですので、嫌われてしまった責任は私にありますが、
失いたくない友人なので、悲しくてしょうがないです。
36年間勤務した学校を退職して2年。任意継続していた私学共済の保険証も明日で失効。
4月からは、国民健康保険に切り替わります。 ペラペラの紙でできているのですね。
どこかで教育の現場に戻ろうとは思っていますが、未定なので、寂しく思っています。
これからも機会があれば、36年経験した教育現場の記事を書いていきたいと思います。
これまでに教師の視点で書いた記事
私立学校だからできた部分が大きいと思いますが、良い教師生活が送れたと自負しております。