いじめは、いじめられた生徒の心を一生傷付けてしまう可能性がある | 人生を夫婦で楽しむ方法

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私たちは、ロシアのウクライナ侵攻に強く抗議し、軍隊の即時撤退を求めます。
#Противвойны(戦争反対)


この記事に書いたように、「いじめ問題」と便宜上書きますが、いじめは、傷害事件だと思っています。

 

 


教師を退職してそろそろ2年。

本来なら1年休んだら現場復帰しようと思っていたのですが、コロナに邪魔されて、復帰できていないので、自分のブログを通して、36年間やってきた教育という仕事を紹介し、何かの参考にして頂ければと思って記事を書く事にしました。

前回の記事で、私の学年では、いじめ問題が起きなかったと書きました。

これは、私の学校が私立学校であったことが最大の要因です。

そのメリットを最大限に生かせたから、できた教育だと思います。

この記事の中で、
「多くの場合、いじめられる側にも問題がある」と書いたら、多くの方が???と思われたようです。

いじめられる側に原因があるではなく、問題があると書きました

これって、いじめた側に関係せず、いじめられる生徒の教育的問題という事です。


いじめられる生徒の側に社会的な問題(協調性から発達障害まで幅広い)があった場合、

それをカウンセリングなどで、しっかりフォローして成長させて社会に巣立ってもらわないと、

社会に出てから上手く順応できない可能性があるのです。

なので、前の記事にアスペルガーの話まで出しました。

私の学校は、中学、高校、大学までつながるので、その教育の責任は大きいと感じ、

長年、カウンセリングやコーチングの勉強もしっかりてきました。

なので、巣立った卒業生たちが社会で活躍する姿を知る事は教師冥利に尽きます。


実は、私、中学時代にいじめに遭った事があります。

中学1年の終わりに九州を一人旅し、途中で病気になってしまったので、

一人の孤独さと、現地の皆さんの助けでどうにか帰宅できた事から、

人は一人では生きていけないと実感して迎え進級した中学2年の秋の事です。

私の公立中学校は、4校の小学校から進学してくる中学でした。

移動教室の夜、誰が好きかの話になり、みんなに応援されて、その女の子に告白する事になったのです。 (人生初告白(笑))

私は、A小学校出身。その女の子はD小学校出身。

実は、A小学校とD小学校は何故か仲が悪かったのです。

              (今分かるのは、住環境が全く違う小学校同士でした。)

その女の子、D小学校出身生徒のマドンナだったのですよね。もちろん瞬殺で振られました。

その後のD小学校出身者からのいじめは酷かったですよ。

私の名前1文字で呼びつけにされ、無視され、細かな物が無くなります。

特に、怖かったのは体育の時間、試合中に足を引っかけられ転倒。怪我の危険を感じました。

もちろん教師にも相談したのですが、証拠がありませんので、取り合ってもらえません。

 

相手がいれば何かできましたが、誰がやったかも分からない状況の恐怖は分かってもらえますか?


その時の心の傷って、一生残るのですよね。なので、中学の同窓会には一度も出た事がありません。

いじめた生徒は、遊び感覚(のり)でやっているでしょうから、きっと覚えていないでしょうね。

 

いじめられた生徒は、トラウマとして心に傷が残ります。 PTSD(心的外傷後ストレス障害)となる事も。

このような経験があるので、いじめ問題への取り組みは私のライフワークになっていました。

なので、私の学年では、いじめのない環境で、安心して過ごせた生徒が多かったのではないかと自負しております。

いちろうのもう一言

今日の記事も写真が無くなってしまったので、旅行記が進んでいない立山黒部アルペンルートの写真です。

この記事の続きで出てくる予定の写真です。(笑)

 



大好きな黒四ダム、あの時代にこのダムを作った日本人にも感動です。



黒四ダムの堰堤から見た立山、そして、月。



室堂から見た立山連峰と、天の川。



プーチンは、ウクライナの人々の心と身体と、命と財産を奪い、傷付け、破壊していることを自覚しているのでしょうか。

多くの戦争や紛争を経験して21世紀になった今、こんな理不尽な事が起きるって信じられないし、許せません。一刻も早く停戦し戦争が終了しますように。