【プロシア王セット第9番】プレイエル:弦楽四重奏曲ト短調 B.339 | 室内楽の聴譜奏ノート

室内楽の聴譜奏ノート

室内楽の歴史の中で忘れられた曲、埋もれた曲を見つけるのが趣味で、聴いて、楽譜を探して、できれば奏く機会を持ちたいと思いつつメモしています。

Pleyel : String Quartet in g-minor, Ben.339


 室内楽に関して「プロシア王」と言えば、モーツァルトの最後の弦四「プロシア王セット3曲」K.575, K.579, K.580 を思い浮かべる人が多いと思う。あるいは、J.S.バッハの「音楽の捧げもの」に主題を提示したプロシア王フリードリヒ2世(Friedrich II. Preußen)もフルートの名手だった。嫡子のいなかった大王が1786年に崩御すると、甥にあたるフリードリヒ・ウィルヘルム2世 (Friedrich Wilhelm II, 1744-1797) が即位した。この新しい王様は漁色家であまり評判は良くなかったが、音楽を好み、フランスから呼んだデュポールの指導を受けたチェロを巧みに奏したという。


 この即位の年(1786)以降、多くの作曲家からプロシア王へ献呈された室内楽曲、特に弦楽四重奏曲が散見されることになる。当時55歳の円熟期にあった古典派の第一人者ハイドンは、作品50の6曲を1787年に完成し、献呈した。モーツァルトの3曲は1789年から1790年にかけて作曲されたが、単にチェロのパートを活躍させることに配慮する以上に、4つの楽器を有機的に動かして、充実した音響世界を創り出すのに成功した。

 モーツァルトよりも1歳下のイグナツ・プレイエル(Ignaz Pleyel, 1757-1831)も、1786年に即位を祝う意味からか早々に12曲の弦楽四重奏曲を献呈している。少年時代にハイドンと起居を共にし、密接な指導を受けたため、独立後の初期の作品には「ハイドンの弟子」と大書した表紙で出版している。プレイエルの作風は師匠のハイドンの職人気質を体得した典型的な古典派の曲づくりになっていて、掘り下げはモーツァルトに今一つ及ばないものの、快適で安楽な響きを味わうことができる。ハイドンの場合もそうだが、当時の室内楽曲は6曲組1セットで出版されることが多かった。文字通り好楽者が室内で楽しむための曲で1度に2~3曲を何度か楽しめるようにとのことだったのだろう。一般的に6曲を並べて見る場合、どうしても優劣や好悪の比較がなされてしまう。それはハイドンでも、モーツァルトでも、ベートーヴェンでもそうなのは誰もが経験していることではなかろうか?

String Quartet in G Minor, Ben. 339: I. Allegro

             Pleyel Quartett Köln

 ここにあるプレイエルの12曲 (B.331-342) の場合は、CDではプレイエル・カルテット・ケルン(Pleyel Quartett Köln)9曲にトマジーニ四重奏団(Tomasini Quartett)3曲を合わせて貴重な全曲録音が揃っている。感情表現の豊かな短調の曲(第3番二短調、第9番ト短調、第11番ハ短調)を中心に気に入ったのを数曲選んだあとは「もういいかな」と思ってしまうのは仕方がないが、聴いても奏いても楽しめる曲であるのは間違いない。その中での第9番ト短調の曲は、ウィーンの憂愁を感じさせる魅力的な旋律、ハイドン風の構成美、入れ子形式のメヌエットを含んだフィナーレの盛り上がりなど、この曲集の中では秀作ではなかろうかと思っている。

 楽譜は当時の手書き製版による出版譜が IMSLP に収められている。残念ながら現代の印刷譜はまだ一部しか出ていない。
12 String Quartets, B.331-342 (Pleyel, Ignaz)

また別途作譜ソフト MuseScoreで浄書したスコアとパート譜が下記URLの「KMSA室内楽譜面倉庫」で参照できる。
https://onedrive.live.com/?authkey=%21ACN8DNizjzp5md4&id=2C898DB920FC5C30%2110549&cid=2C898DB920FC5C30
 

KMSA譜面倉庫 http://bit.ly/2palD77

 

 

第1楽章:アレグロ

 弱起の3音から始まる憂いに満ちた第1ヴァイオリンのテーマが耳を惹きつける。どこか演歌に通じる心情のゆらぎを感じさせる。

 

 チェロに出番を持たせなければ、というプロシア王セットの暗黙の前提から、第2主題はチェロに委ねられる。この曲の場合はそれほど難儀しなくともいいのでチェロとしては楽しい。
 

 展開部では第1ヴァイオリンとチェロの間でシーソーゲームになる。これも古典派の定石だ。


第2楽章:アダージォ・ノン・トロッポ
String Quartet in G Minor, Ben. 339: II. Adagio non troppo

                  Pleyel Quartett Köln



 変ホ長調に転じる。弱音器を付けた3/4拍子。3連音符で動きを加えた師匠のハイドンを思わせるしっかりした音律の構成を感じる。


 途中で第2ヴァイオリンにクロマチック(半音階進行)の動きがあり、和音に無理が出そうな冒険をしている個所がある。モーツアルトの曲にも似たような試みをしていることがあるので、作曲家たちはたえず新しい響き、和声を模索していたのだろうと思う。


第3楽章:アレグロ・モデラート~メヌエット・カンタービレ~アレグロ
String Quartet in G Minor, B. 339: III. Allegro moderato - Menuetto cantabile - Allegro

                  Schein String Quartet



 

Beethoven : String Quartet in C-major, Rasumovsky No.3  4th mov.

 細かな動きのテーマが第1ヴァイオリンから始まり、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロへと受け渡される。後年ベートーヴェンがラズモフスキーの3番の終楽章で使ったフーガのような作り方を思わせる。しかしそこまでの激しさは感じられない。ちょうど20年の時間の隔たりがある。



 ひとしきりの展開の後、メヌエットが始まる。劇中劇のような入れ子構成になっている。師ハイドンの4楽章構成を守らずに3楽章構成の弦四を量産したプレイエルの考えた新機軸の一つだったのかもしれない。

 

 

 

 

 


*過去記事:プレイエル:弦楽五重奏曲ト短調 B.272 (2020.07.31)
https://ameblo.jp/humas8893/entry-12614656655.html


(再掲)
※イグナツ・プレイエル(Ignaz Pleyel, 1757-1831) はモーツァルトと同世代の古典派の作曲家で、ウィーン近郊の村で生まれた。幼少の頃から音楽の才能を発揮し、青少年時代に5年間ハイドンの家に寄宿し指導を受けた。イタリア遊学の後、独仏国境のストラスブールに行き、約10年間大聖堂の楽長としての職務の傍ら作曲に精力を注ぎ、名声を獲得した。恩師のハイドンがロンドンに招かれた時期に、彼もロンドンで数年間演奏活動を続け、人気を博した。フランス大革命の混乱期を辛うじてしのいだ彼は、パリに出て音楽出版社とピアノ製造会社を立ち上げ、実業家としても成功した。
作品は交響曲、協奏曲、オペラ、宗教曲、室内楽曲と広範囲にわたるが、弦楽四重奏曲が70曲と一番数が多い。